それでも町は回っている

 開化政策の一環として、この辺りでも再開発が行われている。道路は馬車に合わせて整備され、馴染みの店は洋風の建物に変わった。久々に通ると、知らない町を歩いているようだ。
「此処って何がありましたっけ?」
 町中にぽっかりと不自然にできた空き地を見て、が尋ねる。
 不思議なもので、よく知っている通りなのに、空き地になった途端、そこに何があったのか全く思い出せなくなるのだ。つい最近まで店があったのは確かなのだが、何の店だったのか、どんな人間がいたのかも思い出せない。
「八百屋だった。主人も歳だから、店を畳んだんだろう。再開発で丁度いい時に売れたみたいだな」
 斎藤は警邏でこの辺りを廻っていたのだろう。考えるでもなくすぐに答えた。
「近々、この近くの迎賓館ができるらしい。この辺りも一気に西洋化するな」
「へー………」
 迎賓館ができるとなると、大通りは煉瓦造りの建物や、洋風の建物が並ぶようになるのだろう。もちろん中身も、カフェや洋食店のような、小洒落た店だ。
 外国人が多くなれば、それに合わせた街並みになる。昔ながらの街並みが消えて、外国人居留地のようになるのは時間の問題だ。
「何だか日本じゃなくなるみたい………」
 舶来の珍しいものが手に入り、街並みが綺麗になるのは嬉しいが、こうも急速に西洋化が進むと、自分が置いていかれているような気分になる。このままも、この町のように西洋風になるのだろうか。
 国の偉い人たちはみんな洋装だ。天皇は断髪なさって洋風の軍服をお召しになり、皇后も鉄漿をおやめになって随分経つ。パンも牛乳も肉食も、庶民の生活に浸透しつつある。何もかも、が子供だった頃には想像もつかなかったことだ。
「欧米列強に舐められんように必死なんだ。早く近代化しなければ、清国のようになる」
 アロー戦争以来、清国は半ば列強国の植民地になっている。あの大国でさえそうなのだ。日本のような小国は、少しでも隙を見せれば簡単に植民地にされるだろう。
 急速な西洋化を、欧米人が猿真似だと揶揄していることは、も知っている。けれど、一日も早く近代化して、列強国に負けない国にならなければ、日本が無くなってしまうかもしれないのだ。
「西洋化したら、日本は清国のようにならずに済むのでしょうか?」
「どうだかな。まだ中で揉めてるのに、外のことなんか考えられん」
 斎藤は西洋化賛成派かと思っていたら、意外にも反応は冷めている。
 西南戦争の終結で不平士族の反乱は落ち着いたように見えるが、小さな小競り合いは今も続いている。政治の世界でも勢力争いが続いているようで、密偵の斎藤にはまだまだ平穏な生活は訪れそうにない。
 国内が荒れている中での急速な西洋化は、表面だけ取り繕っているようで、それが斎藤が世間並みに熱狂できない理由なのだろう。の微妙な違和感もそこから来ているのだと思う。人が変わらなければ、街並みが近代化しても意味が無い。
 けれど、人が変わるということがどういうことなのか、には分らない。断髪したり西洋人と同じものを身に付けても、西洋人にはなれないのだ。思想を変えたら、それは精神的に植民地化されるようなものだと思う。
 斎藤は会津戦争の生き残りで、縁あって警視庁に奉職することになったと聞いている。着物から洋風の制服に変わることに、抵抗は無かったのだろうか。
「警部補って、断髪や洋装に抵抗は無かったんですか?」
 今更訊いても仕方の無いことだが、は思いきって訊いてみた。
「まあ、無かったと言えば嘘になるか………」
 斎藤にも思うところが色々あったのだろう。彼にしては珍しく複雑な顔をした。
 何を思っていたにしても、今日までこれでやってきたのだから、嫌でも受け入れるしかない。断髪をすること、一日の殆どを洋装で過ごすこと、何より敵対していた新政府に仕えることは、とは比べものにならない葛藤があっただろう。
 斎藤に比べれば、の生活は何も変わらない。服も髪も昔のままだし、元々が武士ではなかったのだから、新政府の下で働くことにも疑問は無かった。
 自分の人生がひっくり返されたことに比べれば、町の風景が変わっていくことなど、些細なことだ。この町の風景も、と斎藤では違うように見えているのかもしれない。
「断髪も洋装も、この国の独立を守るためだ。好き嫌いは言っとられん」
 に対してではなく、自分に言い聞かせているかのように、斎藤は少し強い口調で言った。
 欧米に屈しない強い国にならなければいけないことは、にも解っている。けれど、西洋の真似をすることか強い国になることなのかは分からない。今の流れは、植民地にこそなっていないものの、日本でもなくなっているようだ。
「でもこれって、西洋に合わせてるだけじゃないですか?」
「どこのものだろうが、いいものは積極的に取り入れるべきだろう。頑なに拒絶していたら、それこそ清国のようになる」
「………………」
 斎藤の言うことは正しいのだろうが、には納得がいかない。世間はつい最近まで攘夷攘夷と言っていたくせに、この掌返しは詐欺としか思えない。
「納得できないみたいだな」
 眉間に皺を寄せて納得のいく答えを考えているを見て、斎藤が苦笑した。
「これだけ言ってたこととやってることが変わると、そりゃあ………」
「まあなあ………。俺もここまで早いとは思わなかった」
「これからどうなるんでしょうねぇ………」
 今の時点で世間の変わりように付いていけないくらいなのだ。来年の今頃は完全に置いてきぼりにされているかもしれない。そう思うと言いようの無い不安に襲われる。
 洋食に洋装、食べ物や雑貨など、明治になって入ってきたものは華やかなものばかりだ。誰もがこぞって飛びついて、気が付けば昔からあったもののように生活に溶け込んでしまっている。まるで西洋人になりたがっているようで、そういう空気が何となく不気味だ。
 実はこれは列強国の洗脳ではないかとさえ思えてくる。植民地の事情は知らないけれど、の目には今の日本はどの植民地よりも西洋化が進んでいるような気がするのだ。このまま国が乗っ取られてしまうのではないかと、突拍子もないことを想像してしまう。
「なるようにしかならんさ」
 は真剣に悩んでいるというのに、斎藤の口調は軽い。どうでもいいと思っているのだろうか。
「まあ、そうでしょうけど………」
 確かにが悩んでいても仕方がないことだが、他に言いようというものがあるだろう。斎藤は正直な男だが、これは正直すぎだ。
 以前から思っていたが、斎藤はどうも“共感する”という能力が欠如しているような気がする。の話を適当に聞き流してるだけなのかもしれないが。それはそれで失礼な話だ。
 むっとするに気付いていないのか、斎藤は話を続ける。
「良くも悪くも人はなかなか変わらん。特に俺くらいの歳になるとな」
 そう言う斎藤の顔は笑っているようにも見えるが、何か重いものを抱えているようにも見えた。会津戦争のことや、警官になるまでの生活、そういうの知らないことを思い出しているのかもしれない。
 斎藤の“変わらん”ことというのは何なのだろう。敵対していた新政府に仕えているところを見ると、柔軟に時代に対応しているようにには思える。それとも表面上は仕えているふりをしながら、内心はいつか復讐してやろうと思っているのだろうか。
 ふと見ると、斎藤の手が刀の柄にかけられていた。意識しているのか無意識なのか判らないけれど、その手はまるで古くからの友人に触れているようだ。
 斎藤の“変わらん”ことというのは政府への感情ではなく、これなのかもしれない。警官はサーベルを帯刀しているけれど、斎藤だけは何故か古い日本刀を差している。特殊な仕事だから許可を貰っているのだと本人は言っていたけれど、きっとそれだけではない。
 刀の時代は終わり、銃と大砲の時代だと誰もが言う。それは正しいと、も思う。けれど斎藤はそうは思っていないのだろう。聞いた話では、斎藤は西南戦争の時に大砲を奪取したらしい。は彼の剣術を見たことは無いけれど、きっと凄く強いのだろうと思う。
 そういう人だから、刀の時代が終わって近代化しても、昔と変わらず帯刀し続けているのだ。これから先もそれは変わらないのだろう。
「警部補は変わらなくてもいいと思いますよ」
 刀の無い斎藤なんて、には想像できない。サーベルを差している姿も、何だか変だ。きっと斎藤とこの刀はもう切り離せなくなってるのだろう。
「言われなくても変わらんよ」
 どんな顔をするかと思ったら、斎藤はいつものように不敵な笑みを浮かべた。

<あとがき>
 久々に通った道に新しい道路ができていたり、ある日突然更地になってたりと、私の行動範囲は結構忙しいです。やっと道を覚えたら新しい道を覚えなきゃいかんとか、どんな罰ゲームだよ……。
 この当時の大都市は多分、各地で区画整理やら再開発が行われていたのではないかと思います。斎藤たちもきっと、馴染みの通りに突然見慣れないものが出現して「あれ……?」なんてことがあったのではないでしょうか。

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