兎さんのお受験

 新暦の十一月、つまり旧暦の十月は神無月だ(新暦では霜月になるが)。出雲大社周辺では神在月というらしい。
 八百万の神々が出雲大社に集まって、年に一度の会議をするのだそうだ。何を話し合うのかは知らないが、一週間も滞在するなら、大事な会議なのだろう。景気の動向とか、開国後の内外の情勢とか、話し合わなければならないことは山ほどある。
「斎藤さん」
 珍しく神妙な面持ちで、兎が声をかけてきた。
「出雲に行きたいので、お暇をいただきたいのですが」
「は?」
 兎が出かけるのは構わないが、はるばる出雲まで何をしに行くのか。接待要員として呼び出されたのか。
 斎藤が首を傾げていると、兎はびしっと背筋を伸ばして、
「今年は“甲種縁結び士”試験があるんです。獣から縁結びの神様に昇格できる、業界最強の資格なんです。絶対合格しますから」
 神様業界にも資格試験があるらしい。斎藤たちが昇格試験を受けるようなものか。神様も随分と生々しいことをやるものである。
 ということは、神様が出雲大社に集まるのは会議のためではなく、受験のためか。年によって、金運や仕事運の試験もあるのだろう。何だか人間の世界と変わらない。
「そりゃ構わんが、旅費とか受験料はどうするんだ?」
 斎藤にとっての問題は、そこである。とんでもない額をふっかけられたら、たまらない。
 が、兎はあっさりと、
「それは自分で工面したから、心配しないでください。ただ、半月ほど家を空けますんで、斎藤さんのことが気になって気になって………」
「別に心配することはないぞ」
 兎が斎藤の世話をしてるのならともかく、逆なのだ。兎なんぞに心配されるほど落ちぶれてはいない。
 しかし兎はそうは思っていないようで、まだ心配そうに斎藤を上目遣いで見る。
「本当に大丈夫ですか? 私がいないからって、飲み過ぎたり食べ過ぎたりしちゃ駄目ですよ?」
「それはこっちの台詞だ」
 飲み過ぎ食い過ぎは兎の専売特許である。自分がそうだからといって、斎藤も同じだと思わないでもらいたい。
「じゃあ、行きますけど……くれぐれも飲み過ぎたりしないでくださいね?」
 しつこくそう言うと、兎はぴょんと縁側から出ていった。
 手ぶらで行くのかと斎藤は訝ったが、考えてみれば兎に荷物など必要ない。着替えも無ければ、飯もその辺の草をかじれば済むのだ。宿だって、その辺の草むらで野宿だろう。人間と違って、身軽な旅である。
 そんなことよりも、出雲大社まで徒歩で行く方が問題だ。兎の脚では、一年経っても到着しそうにないのだが。
 あの兎のことだから、何か手段があるのだろう。近くに迎えが来ているのかもしれない。
 狐やら蛇やらと一緒に、乗り合い馬車みたいなものに乗っている兎の姿を想像すると、斎藤は何とも妙な気分になった。





 兎のことは、飼ってみたいという知人に貸し出した、とには伝えておいた。まさか、受験のために出雲に行っているとは言えない。急ごしらえの嘘だったが、は信用したようだ。
 それにしても、兎が甲種縁結び士とやらを目指しているとは思わなかった。そんな資格があるのも知らなかったが。
 どんな試験なのかは言ってなかったが、人間と同じく、筆記試験や面接があるのだろう。出雲大社の中で、動物たちが一斉に机に向かっている様を想像したら、何とも奇妙なものである。斎藤が思っているより、世界は奇妙なことだらけなのかもしれない。
 兎が受験勉強をしてる様子は無かったが、斎藤が知らないところで必死にやっていたのだろう。本人(?)は受かる気満々なようだった。斎藤にはがいるから縁結びなどどうでもいいが、兎なりに向上心を持つことは良いことだ。
 そんなこんなで十一月が終わろうとする頃、兎がひょっこり帰ってきた。
「ただいま戻りましたー」
 試験の出来が良かったのか、兎は御機嫌だ。長旅のはずなのに、疲れた様子も無い。やはり徒歩ではなく、出雲大社から送迎があったのだろう。
 何にしても、無事に帰ってきて良かった。斎藤にとってはうるさい奴だが、にとっては可愛い兎である。
「で、合格したのか?」
 一番気になるのは、そこだ。斎藤の質問に、兎は胸を張って、
「はい! 最終試験までこぎ着けました!」
「………え?」
 最終試験を“通過”ではないのか。それでは甲種縁結び士は落ちたということではないか。
 小憎らしい奴ではあるが、試験に落ちたとなると気の毒だ。何と声をかけてやろうかと斎藤が考えていると、兎は更に上機嫌に言った。
「最終試験はこっちで実技ですから、斎藤さんも頑張ってくださいね!」
「は?」
 兎の受験に、何故斎藤が頑張らなければならないのか、訳が分からない。何だか嫌な予感がしてきた。
「何で俺が頑張るんだ?」
「そりゃあ、斎藤さんの結婚が、最終試験ですから」
 人の人生を左右する一大事だというのに、兎はしれっとしている。こいつにとっては、斎藤の人生よりも、自分の試験なのだろう。
 一応、斎藤だって、とのことは考えている。そういうことは時期を見て切り出すものであるし、兎の都合で今すぐというわけにはいかない。
 が、試験のことで頭が一杯の兎に、そんな気遣いを期待できるはずもなく、勝手に話を進めていく。
「今月中に話を纏めないと不合格になっちゃいますから、明日にでも行きましょう! なぁに、さんもその気でいるのは間違いないですから、楽勝ですよ」
 他人事とはいえ、気楽なものである。
「まあ、なぁ………」
 一応、互いの意思確認は済ませている。“長すぎる春”が良くないのも、経験上、理解している。この辺りが年貢の納め時なのだろうが、それが兎の都合となると微妙だ。
「う〜ん………」
 まだ遊び足りないという歳でもないが、“結婚”の二文字は重い。斎藤は腕を組んで唸った。





 というわけで、翌日は兎と花屋巡りである。兎の話によると、花を持って求婚に行けば、成功率倍増なのだそうだ。
 たしかに女は花束が好きなようである。いつぞや、間違って菜の花を食ってしまったお詫びに、菜の花の花束を持っていったら、は大層喜んでいた。
 しかし今回は、求婚のための花束である。花に詳しくない斎藤には、何を持って行けばいいのか、見当が付かない。
「何かもう、これで良くないか?」
 組み合わせを考えるのが面倒になってきて、斎藤は店の隅に置かれている花束を指す。
「それ、仏さんにあげる花ですよ。やる気あるんですか?」
 兎ごときに一蹴されてしまった。
 やる気はあるに決まっている。斎藤の一生のことなのだ。ただ、花束というのが解せない。
「花束じゃなくて、後に残るものが良くないか? 記念にもなるだろ?」
 今更花束を貰っても、肝心のが喜ぶかどうか。それなら、これからの季節に合う簪や櫛を買った方が喜ぶと思う。
 それに、後に残るものの方が、いつか当時のことを思い出すきっかけになって良いと思うのだが。花では一週間もすれば枯れてしまう。
 けれど兎は自信満々に、
「こういう時は花が効くんですよ。過去の傾向を見ても、花に感激しない女はいません!」
「じゃあ、これ………。綺麗だし、値も張るし………」
 今度は蘭の鉢植えを指す。世間で蘭が流行っているのは、流行に疎い斎藤も知っている。これならも喜ぶだろう。
 が、兎はプンプン鼻を鳴らして、
「結婚のお願いに鉢植えを持って行く馬鹿が、どこにいるんですか。まったく、斎藤さんは駄目ですね」
「じゃあ、何なら満足なんだ?」
 あれも駄目、これも駄目では、斎藤も苛々してきた。
「あのぉ………」
 斎藤と兎が言い合っていると、後ろから店員が声をかけてきた。振り返ると、彼女の顔は若干引き攣っている。傍から見れば、兎とぼそぼそ話をしている不気味な男なのだから、仕方がないか。
「何かお探しでしょうか?」
「あ……贈り物に一寸………」
「それなら、お相手の方に合うような花束をお作りしましょうか?」
「あ、ああ、それで」
 兎に相談するより、専門家に任せるのがいいだろう。菜の花の時も、包装は店員に任せきりだったのだ。
 がどんな感じの女か、斎藤は詳しく説明する。途中で、これは惚気ではないかと少し思ったが、言っていることは事実に沿っているから問題ない。
 結果、小さくて可愛い花束が完成した。桃色や黄色の洋花を使った、若い女が喜びそうなものだ。やはり専門家は凄い。
 これを斎藤が持ち歩くのは気恥ずかしいが、小さいから隠して持って行けるだろう。紙袋に入れてもらって、斎藤は店を出た。





 花束は用意した。あとは台詞である。
 結婚しよう―――――無難ではあるが、何か足りない。
 結婚しようか―――――これでは相手に下駄を預けている感じがいただけない。
 結婚してくれ―――――だって結婚する気満々なのだから、斎藤が一方的に頭を下げるのはおかしくはないだろうか。
 必ず幸せにする―――――不確定な未来の約束をするのは、白々しすぎて却下だ。
 こう考えてみると、求婚の言葉は難しい。そもそもここまできて、改めて言う必要があるのか。まあ、言わなければ兎の試験が不合格になるのだから、言わなければならないのだろう。面倒なことに巻き込まれたものだ。
 の家の前で、斎藤は深呼吸する。正直言って、初めて人を斬った時よりも緊張している。
「さあ、さっさと済ませちゃいましょうよ」
 他人の気も知らないで、兎は暢気なものだ。こいつは自分の試験さえ通れば良いのだから、斎藤がいかに緊張しているかなど、どうでもいいのだろう。
「〜〜〜〜〜〜」
 無言で睨んだ後、斎藤は思いきって玄関の戸を叩いた。
「は〜い!」
 これからのことなど思いも寄らぬが、暢気に返事をした。暫くして、玄関が開けられる。
「………どうしたんですか?」
 なりに異様な雰囲気を感じたのだろう。斎藤の顔を見るなり、怪訝な顔をした。
「今日は大事な話があってだな………。まずはこれを………」
 そう言って、斎藤は件の花束を出す。
「わあ……可愛い!」
 とりあえずは喜んでくれたようだ。兎の言う通りなのは悔しいが、が喜んだのならそれで良かった。
「それでだな―――――」
 ここからが本番である。足下の兎も、固唾を呑んで見守っている。
「その、あれだ。お互い付き合いも長いし、いつまでもこのままというわけにもいかんだろうし、つまりだな………」
 ぐちゃぐちゃと言っているが、肝心の一言が出てこない。の方も大体察しているようで、じっと斎藤を見上げている。
 そういう風にじっと見詰められると、斎藤も心苦しい。伝わっているのならここで切り上げたいが、それでは前に進めない。兎に説教されるのも目に見えている。
 思い切って、斎藤は言葉を切り出した。
「つまりだな………結婚しよう」
 散々考えて、一番陳腐な言葉になってしまった。もっと気の利いた言葉にしたかったのだが、現実はこんなものである。
 しかし、こんな陳腐な言葉でも心に響いたのか、の目は潤んでいる。泣き笑いのような顔で、力強く頷いた。
「嬉しい……どうしよう、嬉しい………」
 目尻に溜まった目を拭いながら、は何度も繰り返す。その姿が可愛らしすぎて、斎藤の方が「どうしよう」だ。
 こんな愛らしい女が嫁になるのである。斎藤の人生をかけて幸せにしなければ、罰が当たる。
「よっしゃあっっ!」
 全く空気を読まず、兎が前足を握りしめた。
 唖然とする二人に、兎はさっさと次の段取りを指示する。
「じゃあ早速、近くの神社に報告に行きましょう。これで神様の世界では結婚成立です。あー、これで私も晴れて甲種縁結び士ですよ。よかった、よかった」
 空気を読まない兎のせいで、余韻も台無しである。しかも、斎藤の成婚を喜んでいるのか、自分の合格を喜んでいるのか、怪しいところだ。
 呆れながらも斎藤がの顔を見ると、嬉しそうな泣き笑いが、苦笑いに変わっていた。
<あとがき>
 プロポーズが出来たよ! やったね、斎藤!
 兎さんも、これで縁結びの神様へ昇格です。お鍋にされてたはずが、大出世だな(笑)。
 しかし神様になったとなると、お神酒出せとかお供え物しろとか、果ては祠を建ててくれとか言い出しそうだぞ、この兎さん。斎藤、結婚式の資金とは別に、兎さんの祠の資金も貯めとけよ(笑)。
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