生まれ変わった私!

 が所属する陸軍諜報部に新人が入ってくることになった。中途半端な時期の異動であるが、此処ではそう珍しいことではない。
 新人は諜報員として配属されるらしい。詳しいことは聞かされていないが、何やら曰く付きの人物だそうだ。陸軍学校卒でもないのに諜報員になるくらいだから、何かある人物に決まっている。
 しかしどんな人物であろうと、縁故採用の事務員であるには関係の無いことだ。事務員と諜報員が共に働くことは殆ど無い。今回の新人も、顔を合わせるのは年に数回程度だろう。
 とはいえ、どんな人間が入ってくるのか楽しみではある。若い男前だったら嬉しい。職業柄なのか、此処にいるのは特徴のない地味な者ばかりなのだ。
 どんな新人が入ってくるのだろうと楽しく想像していると、上司がやって来た。後ろには若い女が控えている。どうやら彼女が新人らしい。
 女かとがっかりすると同時に、自分とそれほど変わらないような若い女が諜報員になるのかと、は驚いた。彼女にどんな事情があったのか知らないが、女の身でこの世界に飛び込もうとは大したものだ。
「本日付けで配属になった本条君だ。こっちは事務の君。まあ後方支援といったところだな」
「本条です。宜しくお願いします」
 上司の紹介を受けて、本条が頭を下げた。
「こちらこそ………」
 も頭を下げる。そして改めて本条の様子を観察した。
 曰く付きの人物と聞いていたが、とてもそうは思えない可愛らしい顔をしている。が、肩近くまで断髪していて、その辺りはかなりの変わり者なのかもしれない。男の断髪は一般的なものになったが、女がそうしているのは初めて見た。
 諜報員になるくらいだから、変わり者なのは当然のことだ。断髪も、話に聞く“新しい女”のつもりなのだろう。しかし悪い人間ではないようだとは思う。
 本条もを観察していたようで、何かに気付いたような顔をした。が、初対面の遠慮からなのか、何も言わない。
「分からないことがあったら君に訊くといい。じゃあ、次に行こうか」
 建物内の案内の途中だったらしい。上司に促され、本条は出て行った。





ちゃん!」
 廊下を歩いていると、後ろから本条が声をかけてきた。
 初日からいきなり、しかも教えてもいない下の名前で呼んでくるとは、かなり馴れ馴れしい女である。悪気は無いのだろうが、その距離感の無さには引いてしまった。
「あ……ああ、どうも………」
 普通にしようと思うのだが、の顔は微妙に引き攣ってしまう。悪い人間ではないのだろうが、こういう人間はどうも苦手だ。
 そんなの様子など目に入っていないのか、本条は変わらずにこにこしている。
「久しぶりね。上京してたなんて思わなかったわ」
 どうやら故郷の知人だと思っているらしい。しかしは本条のような女は知らない。
 けれど教えてもいない下の名前で呼んで、しかもこんなに親しげな様子だと、の方が勘違いしているのかもしれない。子供の頃の知り合いだったら、忘れてしまっている可能性はある。
 何とか思い出そうと努力してみるが、どうしても思い出せない。相手は憶えているのに自分は憶えていないというのは、何とも気まずい。
「えっと………」
「あら、憶えてないの? 子供の頃、あんなに一緒に遊んだのに」
 気を悪くした様子は無いが、そう言われるとますます気まずくなってしまう。
 あんなに遊んだと言われても、本当に思い出せないのだ。幼なじみの女の子は故郷に残っている者ばかりだし、上京しそうなのは兄の友人たちくらいしかいない。兄の友人は当然男の子ばかりで、本条のような女の子はいなかった。
 考えれば考えるほど、の知り合いの中に本条がいるはずがないのだ。何か騙されているとしか思えない。
 と、本条が思い出したように言った。
「あ、そっか。“鎌足君”が“鎌足ちゃん”になったら判んないわよね」
「………え?」
 衝撃の発言に、の顔が固まった。
 “鎌足君”のことは、はっきり憶えている。男の子のくせに女の子とばかり遊んでいる、一寸変わった子だった。よりも女の子っぽいところがあったが、“鎌足君”は確かに男の子で、こんな大人になるなんてありえない。
 鎌足と名乗る相手を、頭からつま先まで何度も何度も見直す。どこからどう見ても、若い女だ。男らしいところは見当たらない。しかも、よりも可愛い。
「あ、いや……一寸待って。鎌足君って………」
 何が何だか、にはもう訳が分からない。
 想像するに、鎌足は“オカマ”という生き物になったのだろう。話には聞いたことがあるが、あれは秩父の化け狸と同じ、いるんだかいないんだか怪しい存在だと思っていた。それが、自分の幼なじみがそうなっていたとは。
 混乱しているを見て、鎌足は可笑しそうにころころ笑う。
「あんまり美人になっててびっくりした?」
「いや美人っていうか何ていうか………」
 男が女になっているのだ。美人とかブスとか、それ以前の問題である。
 曰く付きの新人の“曰く”がオカマだったなんて、想像の斜め上すぎだ。しかもそれがの知り合いときたら、もう言葉が出ない。
 の知っている鎌足は、女の子っぽいところもあったが、意外と喧嘩が強かった。が兄の友人に悪さをされて泣かされていると、やっつけてくれるくらい勇ましいところもあった。それがより可愛いオカマに成長するとは。悪い夢を見ているとしか思えない。
「その……体の方は………?」
 失礼かもしれないが、は勇気を出して訊いてみた。
「ああ、それは元のままよ。手術するには外国に行かなきゃいけないんだって」
 鎌足の返答はあっさりとしたものだ。案外、訊かれ慣れているのかもしれない。
 改造はまだだと知って、はほっとした。そこまでやられていたら、流石に立ち直れない。本人には結局伝えず終いだったが、鎌足はの初恋の相手だったのだ。
 一番の遊び相手で、を泣かせる輩をやっつけてくれる鎌足のことが好きだった。鎌足の一家が引っ越していった時に、好きだと伝えておけば良かったと後悔したものだが、今思えば伝えなくて良かった。この姿を見たら、好きだったということさえ黒歴史である。
「ああ、そうなんだ。うん、まあ、何ていうか………」
 何か言わなければとは思うのだが、今のには適切な言葉が思い浮かばない。油断したら、とんでもないことを口走りそうだ。
「あー、もう、何だかなあ………」
 鎌足に対する言葉もだが、の今の気持ちもどう表現すれば良いものか。腹が立っているのか、がっかりしているのか、悲しいのかも判らないが、それが鎌足がオカマになったことに対する感情なのか、自分より可愛く仕上がっていることに対する感情なのかも判らない。
 いろいろな感情を超越してしまうと、頭を抱えて脱力するしかないものだと、初めて知った。幼なじみの初恋の相手が、軍の諜報部員のオカマだなんて、いろいろ突き抜けすぎて、の手に負えるものではない。
「何かびっくりさせちゃったけど、私は私だから。ちゃんと遊んでた頃とそんなに変わってないと思うわ」
 気を遣っているつもりなのか、鎌足は明るく言う。が、そんな姿になって“そんなに変わってない”と言われても、はいそうですかと納得できるものではない。
 鎌足自身は外見が変わっただけで、何も変わっていないのだろう。衝撃を受けているのはの勝手な都合で、そんな反応をされる鎌足の方が困っているのかもしれない。
 鎌足もある意味被害者なのかもしれないが、だからといってこれは―――――
「そりゃないやろ………」
 鎌足自身は何も変わっていないとはいっても、自分より可愛くなられては、女としてのの立場が無い。初恋の相手がオカマになってしまったことよりも、こっちの方が衝撃かもしれない。
 は頭を抱えて唸り続けるのだった。
<あとがき>
 同窓会に行ったら好きだった人の性別が変わってた、っていうネタはよく聞きますが、本当にそんなことってあるのかな? いや、無いことはないだろうけど、貴重な体験だよなあ。
 主人公さんは貴重な体験をしたんだろうけど、自分より可愛くなられちゃなあ(笑)。
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