かわいいひと

「灯り点けるぞ」
 その声と同時にマッチを擦る音がして、枕元のランプが灯った。
 強い光に目を細めながら、は服を手繰り寄せる縁を見上げる。
 これまでが付き合った男の中で、縁は断トツに若い。そして、これまでの男たちに引けを取らない大物だ。
 この若さで上海の裏社会でのし上がり、武器商人として成功している。伝手の無い外国人がこの街で成功した話は、上海生活が長いもあまり聞かない。
 ここまでになるには壮絶な苦労があったのだろう。筋肉質な割に意外と骨が細く感じられるのも、子供の頃に碌なものを食べられなかったせいだと言っていた。
 けれど今の縁の姿を見て、食うにも困る生活をしていたと思う者はいないだろう。も最近まで、何処か大きな組織の首領の養子か何かだと思っていたくらいなのだ。それくらい堂々としていて、成り上がり者に見られる屈折した卑屈さが感じられない。
「綺麗な身体をしてるのね」
「は?」
 唐突なの言葉に、縁はきょとんとした。
「傷痕も無いし、彫り物も無い。カタギの人か、二代目三代目の人みたい」
 がどこかの跡取りだと思っていた理由の一つが、これだ。成り上がり者はそれなりの修羅場をくぐって来ているから、傷痕だらけの身体になりがちだ。派手な彫り物を入れている者もいる。縁のように何も無い身体は珍しい。
 縁は少し考えるような顔をして、自分の身体を撫でた。
「結構生傷が絶えなかったんだがな………」
「そう?」
 腹ばいでにじり寄り、も確かめるように縁の身体を触る。
 そうやって見て触っても、には傷痕は確認できない。傷を負っても綺麗に治る体質なのだろう。
「いいなあ、痕が残らないって」
 の肌は白くて柔らかいせいか、きちんと処置しないと虫刺されの痕さえ薄く残ってしまう。縁は手触りが良いというけれど、厄介な肌質だ。
「全部消えてるわけじゃない。残ってるのもあるぞ」
 そう言いながら、縁はの反対側の脇腹を擦る。
「え? 見せて見せて」
「見せるほどのものじゃない」
 覗き込もうとするを避けるように、縁は身を捩った。
 他人に見せるほどのものではないかもしれないが、は見てみたい。傷痕が好きというわけではないけれど、縁の身体にどんな風に付いているのか知りたい。
 が、縁はそういうのは見せたくないようで、さっさと服を着ようとする。
 袖を通しかけた腕を引っ張り、は縁をベッドに引き倒した。そして起き上がる隙も与えずに彼の上に乗った。
「へーえ………」
 両腕を押さえつけて組み敷き、は舐めるように縁の身体を見る。
 細い割に筋肉質で、男にしては滑らかな肌だということは、見えなくても手触りで知っていた。けれど灯りの下でこうやって改めて見てみると、無駄の無いい身体をしている。
 この身体がさっきまで自分を抱いていたのかと思うと、は妙にどきどきしてきた。自分が押さえ付けているこの腕がさっきまであんなことをして、この胸の下で自分はあんな声を上げていたなんて。
 いつもは灯りを点けると早々に服を着ていたから、こうやって縁の身体をじっくりと見る機会が無かった。暗闇の中ではあんなに恥ずかしいことを平気でやっているくせに、相手の姿が見えると、裸を見るだけで照れてしまう。
 それは縁も同じようで、をまともに見上げるべきか目を逸らすべきか、迷うような困った顔をしている。女の裸を見るのは初めてではないだろうに、そんな初心な少年のような顔をされると、は胸がきゅうっとなる。
「あー、もうっ!」
 縁の様子が可愛くて可愛くて、はぎゅっと彼に抱きついた。
 外に出れば裏社会で一目置かれる男なのに、こんな可愛い表情を見せるなんて卑怯だ。こんな顔を見せられたら、心も体も蕩けて縁から離れられなくなってしまうではないか。
「うわっ……な、何だ?!」
 ベッドに押さえ付けられたかと思ったら、今度は強く抱きつかれ、縁はびっくりした声を上げる。その反応も、には愛おしい。
「だって、縁ってば可愛いんだもん」
「はあ?」
 は褒めたつもりだったが、縁は面白くなさそうだ。確かに大の男が可愛いと言われて嬉しいはずがない。
 は身体を離して、
「あんな顔するの、初めて見たから。縁も照れるんだね」
「別に照れてない」
 にやにやするに、縁はぶっきらぼうに応える。その反応も可愛いが、そう言うと今度は本当に怒りだしそうなので、は黙っている。
 本人は認めたくないかもしれないが、縁は可愛い。初めて会った時は怖い男だと思っていたけれど、付き合いが深くなるにつれて、はそう思うようになってきた。
 そういえば、縁には歳の離れた姉がいたらしい。詳しい話はしないから知らないけれど、きっと可愛がられていたのだろう。が縁を可愛いと感じるのは、彼が“歳の離れた弟”として育ったからなのかもしれない。
「あ、これ………」
 は縁の腹の傷痕に目を落とした。
 左脇腹から一直線に斬り付けられたような白い線が走っている。縫い合わせたのか、少し引き攣ったような感じだ。
 こんな傷痕があったなんて知らなかった。見た目は派手だが触ってもそれほど違和感が無いから、今まで気付かなかったのだろう。
「こんな傷痕があったんだ………」
 は指先で痕をなぞる。
「これでも大分目立たなくなったと思うぞ」
「いつ頃の?」
「十七……八になってたかな。一寸した抗争があって、青龍刀でバッサリ」
 縁の口調は軽いが、内容は壮絶だ。その状況を想像して、は一寸顔を顰めた。
 こんな大怪我をしたら暫くは動けない。縁が斬られたのは、と出会うずっと前だ。その時、誰が看病したのだろう。
「ねえ、その時、誰が縁の世話をしたの?」
「………え?」
 一瞬、縁の顔が固まった。何気なく訊いてみたつもりだったが、の表情に何かを感じ取ったのかもしれない。
 考えるように黙り込んだ後、縁は気まずそうに目を逸らす。どうやらその時の女が世話をしていたらしい。
 縁の過去に女がいたのは、別に悪いことではない。にだって縁の前に男がいたのだから、それはお互い様だ。今の話なら兎も角、過去に遡ってあれこれ言うのは理不尽過ぎる。
 頭では解っているのだが、は何だか面白くない。
 弱っている縁の看病なんて、はしたことが無い。出会った頃の縁は既に大物になっていて、そんな彼を襲おうという者はいなくなっていた。これからもそんな輩は現れないだろう。縁が襲われないのは良いことだが、昔の女のように看病できないのは悔しい。
 その女はきっと、の知らない縁の姿を沢山知っている。可愛いところも、弱いところも、この傷の無い身体だって知っている。それも悔しい。
「私が縁の看病したかったなあ」
 心底残念そうには言う。
 だったら絶対、その女より上手く世話してみせる。何でもするし、縁を退屈させたりなんかしない。
「じゃあ、次に怪我した時に頼むよ」
「あ、やっぱり駄目!」
 苦笑する縁に、は即座に撤回した。
「怪我なんてしちゃ駄目よ。病気も駄目。ずっとこのままでいて」
 弱っている縁の世話はしたいけど、彼が苦しんだり辛い思いをするのは嫌だ。ずっとこのまま元気でいて欲しい。
 大袈裟なくらいに訴えるの顔が可笑しかったのか、縁は声を出して笑う。そして彼女の髪を指で梳きながら、
「看病したいとかしたくないとか、忙しい奴だなあ」
「いろいろ複雑なのよ」
 は拗ねたように応える。
 弱っている縁の世話をするのは楽しそうだが、そのために彼が痛い思いをするのでは意味が無い。縁が楽しくないのなら、だって楽しくなくなってしまう。
 縁の困った顔は好きだけど、本気で困るのは嫌なのと同じように、弱った姿は見たいけど、本当に弱るのは嫌。女心は複雑なのだ。
「じゃあ、どうしたらいいんだ?」
 困ったような苦笑いを浮かべて、縁はの顔を覗き込む。
 が滅茶苦茶なことを言うと、縁はいつもこんな顔をする。その顔を見るのがは好きだ。
 縁がこんな表情を見せるのは、と二人きりの時だけ。彼女より付き合いの長い部下たちも知らない顔だ。
 外でこんな顔をしたら、きっと周りに睨みが利かなくなるだろう。それくらい今の縁の顔は無防備で可愛い。
「そうねぇ………」
 縁を見ていると、の顔は自然と緩んでしまう。
「じゃあ、とりあえずちゅーして」
「は?」
 脈絡のない要求に、縁は呆れたように笑う。笑いながら、の頭を引き寄せて接吻した。
<あとがき>
 何だこのバカップル?(笑)
 コトが終わった後、ヒロインさんがじっと縁の姿を観察する“視線のエロス”がテーマのはずだったんだが、どうしてこうなったんだかorz しかしまあ、これはこれで楽しそうで何よりだ。
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