町で一番の美女

「蒼紫ー、一寸来てー」
 庭に出ているさんがシノモリサンを呼んだ。
「何だ?」
 奥の部屋に籠っていたシノモリサンがのそのそ出てくる。こんな良い天気なのに家の中に引き籠ってるなんて、陰気な奴。シノモリサンじゃなくてヒキコモリサンて名前に変えれば良いのに。
「ほら、また」
 出てきたシノモリサンに、さんが汚いものを見るように地面を指す。さんの指の先には、トカゲの死体があった。
 このところ毎日、トカゲやカマキリの死体が庭にあるのだ。たまにそういうのがあるのは、たまたま家で死んだのかなと思えるけど、こう毎日だと気持ち悪い。
 さんもそれは同じで、最近では誰かの悪戯じゃないかと疑ってるみたいだ。でも悪戯にしたって、トカゲとかカマキリの死体を投げ込むのって意味があるのかなあ。嫌がらせにしてはしょぼい気がするし、そもそもさんがご近所さんに嫌われてるとは思えない。シノモリサンは分かんないけどね。
「最近続くなあ」
 シノモリサンはこういうのには鈍感みたいで、暢気なものだ。トカゲの死体が平気なんて、鈍い奴は羨ましいよ。僕やさんみたいに繊細だと大変だ。
「これ、始末しておいて」
「ああ」
 さんに言われて、シノモリサンは箒と塵取りを持ってくる。たまにはシノモリサンも使えるね。
「こんなのが毎日続くなんて、誰かの悪戯じゃないかしら」
「悪戯なら、もっと違うものを投げ込むだろう。たまたまじゃないか?」
「でも―――――」
『あー、トカゲだぁ』
 さんとシノモリサンが話していると、バカ猫が割り込んできた。そして庭にぴょんと下りると、前足でトカゲを突き始める。猫って、こういうの好きだよね。
「こら、霖霖。そんなの触らないの」
 さんは霖霖を抱き上げて縁側に座る。
「本当、猫ってこういうの好きねぇ」
 バカ猫を撫でながら、さんは呆れたように言う。
 ほんと、猫ってこういうの好きだよねぇ。たまに食べちゃうくらいだもん。あーやだやだ、野蛮な生き物って。
 トカゲを始末しているシノモリサンを見ていたさんが、ふと思いついたように言った。
「そうだ。誰がトカゲやカマキリを置いて行ってるのか、突き止めてくれない? 明日はお仕事休みでしょ?」
「えー………」
 さんのお願いに、シノモリサンは心底嫌そうな顔をした。
 まあね、夜中に投げ込まれてるんだろうから、夜通し見張るのは嫌だろうけどさ。でもどうせ休みの日ったって家に引き籠ってるだけなんだから、徹夜して昼寝してもいいじゃないか。さんのお願いくらい聞いてあげなよ。いつもは役立たずなんだから。
「毎朝庭に出る度にこんなの見るなんて嫌じゃない。ね、お願い」
 さんは拝むように手を合わせる。こんな奴にそんなに下手に出なくてもいいのに。
「うーん………」
 さんにここまでお願いされたら、シノモリサンも断れないみたいだ。当然だよ。たまには役に立ってもらわないと、家に置いとく意味が無いもんね。





 で、シノモリサンが一晩中張ってた甲斐があって、悪戯の犯人が捕まった。
「まあ、この子の仕業だったの」
 シノモリサンが捕まえた“犯人”を見て、さんは目を丸くした。
 シノモリサンが抱いているのは、“この子”なんて表現は似つかわしくない縞々のデブ猫だ。捕まっても全然反省してないみたいで、ブスッとしている。
「首に布を巻いてるから、飼い猫だろう。見たこと無いが、この辺の猫か?」
 デブ猫の首らしい所(デブすぎて首が無いのだ)を見ながら、シノモリサンが言う。
「最近うちの周りをうろうろしている子よ。蒼紫、見たこと無い?」
「無いなあ。しかし何でうちにトカゲなんか………」
『どうしたの? それ、誰?』
 シノモリサンが首を捻っていると、やっと起きたバカ猫が興味津々にやって来た。
『あー、霖霖ちゃん!』
 それまでブスッとして動かなかったデブ猫が、急に目を輝かせたかと思うと、シノモリサンの腕を振り払ってバカ猫に突進した。
『きゃあっ?!』
 巨漢に突撃されて、流石のバカ猫もびっくりしてさんの後ろの隠れる。が、デブ猫はそんなの全然気にしてないみたいで、初対面のくせに馴れ馴れしく話し掛けてきた。
『ねえねえ、僕が持ってきたトカゲ、気に入ってくれた? 今日も持って来たんだけどさ、こいつに取り上げられちゃったんだ。明日はこいつに見付からないように持ってきてあげるからね』
『………あんた、誰? どうして霖霖のこと知ってるの?』
 自分の倍近い大きさの相手は怖いらしく、バカ猫はさんの後ろから一寸だけ顔を出して尋ねる。
『僕はねぇ、トラちゃんっていうの。この辺りでは一寸した有名人なんだよ。霖霖ちゃんのことはこの辺りで一番可愛いって聞いてたから、お友達になりたかったんだ』
 怯えられても、デブ猫はご機嫌でべらべら喋る。男のくせによく喋るデブだなあ。
 こいつが毎日トカゲだのカマキリだの置いて行ってたの、バカ猫への貢物だったのか。それにしてもバカ猫がこの辺りで一番可愛いって、碌な雌猫がいないんだな。
 “可愛い”の一言で、バカ猫は舞い上がっちゃったらしい。さっきまで怯えていたくせに、嬉しそうにデブ猫に近付いた。
『霖霖、そんなに可愛い?』
『うん、噂通りだよ。僕の仲間もみんな可愛いって言ってるよ』
『きゃ〜!!』
 バカ猫、感極まったみたいにゴロゴロし始めた。………こいつ、バカだ。本当にバカだ………。
「………霖霖、様子が変じゃない?」
 お腹を丸出しにして悶えているバカ猫の姿に、さんが不審そうな顔をする。
「何だか知らんが、機嫌が良いんだろう。
 しかし、こいつはどうするか。飼い猫なら、飼い主が捜してるだろうし………」
「悪戯の犯人は判ったことだし、外に出しておいたら? 自分で帰れるでしょうし」
「そうだな。また繰り返すようだったら、飼い主を突き止めて文句を言ってやろう」
 そう言うと、シノモリサンはデブ猫を抱え上げて庭に放した。
「今日のところは許してやるが、今度変なものを持ってきたら飼い主に言い付けるぞ。ほら、もう帰れ」
『何だよ、偉そうに』
 デブ猫がぶぅっと膨れてシノモリサンを睨みつける。こいつ、全然反省してないや。
 いつまでも動かないデブ猫に、シノモリサンは鬱陶しそうに手を振って追い払おうとする。その足許にバカ猫がやって来て、
『また明日おいでよ。今度からはお土産はいらないから』
 ああもう、そんな勝手なこと言って。此処は僕たちのお家なんだから、居候のくせに勝手に他の猫を呼ぶなよ。
『うん。じゃ、またね』
 バカ猫の勝手な一言にコロッと機嫌を良くして、デブ猫はひょいと塀を乗り越えて出て行った。うーん、身軽なデブだ。
 多分明日もあのデブ猫は来るんだろうなあ。遠慮ってものを知らなそうだし。まああいつは雄みたいだし、さんがバカ猫に雄猫を近付けちゃ駄目だっていつも言ってるから、来てもすぐ追い出されるだろうけど。





 予想通り、デブ猫は次の日もその次の日もやって来た。バカ猫が「またおいで」なんて勝手なこと言うから、出入りを認められたと思ったらしい。
 だけど僕の予想に反して、奴はさんにもシノモリサンにも追い返されない。去勢されてるから遊びに来ても良いんだって。
 追い返されないのを良いことに、デブ猫は朝と夕方の二回、毎日やって来る。図々しい奴なりに一応気遣いのつもりなのか、トカゲの手土産持参だ。バカ猫以外は迷惑しているのに。
 手土産が効いているのか知らないけど、バカ猫はデブ猫をとても気に入ってるみたいだ。デブでブサイクでも、贈り物をすれば女は釣れるんだなあ。
「何だお前、また来てたのか」
 仕事から帰ってきたシノモリサンが、お腹を出して寝そべっているデブ猫に呆れた目を向けた。一日二回も来る上に、他人の家でお腹を丸出しにして寝てるなんて、図々しいにも程があるよ。
 シノモリサンはデブ猫のたぷたぷしたお腹をじっと見た後、引き出しから猫じゃらしを出した。そしてそれをデブ猫の鼻先でパタパタさせながら、
「ほら、運動の時間だ。動け。ほらほら」
 シノモリサンはデブ猫を痩せさせたいらしく、いつもこうやって運動させようとしている。デブ猫は絶対に動かないんだけどね。
『うるさいなあ、もう』
 デブ猫は鬱陶しそうに前足で猫じゃらしを払う。猫って猫じゃらしが好きだと思ってたけど、そうでもないんだね。
 デブ猫はうるさそうにしてるけど、バカ猫は眼をぎらぎらさせて猫じゃらしを見ている。お前がやる気出してどうするんだよ。
「ごめんください」
 バカ猫が猫じゃらしに飛びかかろうとした時、玄関で女の人の声がした。聞いたこと無い声だけど、誰だろう?
「はーい」
 台所からさんが出てくる気配がする。
「すみません。うちのトラがこちらでお世話になっていると伺いまして。あの、太った縞模様の猫なんですけど………」
「ああ! 一寸待ってくださいね」
 デブ猫の飼い主が迎えに来たらしい。何だ、こいつ、放置されてたわけじゃなかったんだ。
「ぷーちゃん、お迎えが来たわよ」
 さんが部屋に入って来て、相変わらず寝転がっているデブ猫を抱き起こす。“ぷーちゃん”というのは、デブ猫をの此処での名前だ。
「飼い主が来たのか。丁度良いから一寸文句言ってくる」
 お客さんが苦手なシノモリサンにしては行動的だ。毎日トカゲを持ってくられて、腹に据えかねていたのかもしれない。
「今日のところはまだいいわ」
「いや、こういうことは最初が肝心だ。一言言ってくる」
 シノモリサンがさんが止めるのを聞かないなんて珍しい。何だか強気なのは、相手が自分より弱そうだからかな。
 シノモリサンはデブ猫を抱えて玄関に向かった。
「まあ、ご主人ですか? いつもうちの猫がお邪魔しまして。ご迷惑をおかけしていると思いますが―――――」
「あ、いや、別に迷惑では………」
 あれ? シノモリサンの勢いが無くなったぞ。声は大人しそうだけど、意外と強そうな相手だったのかな。
「うちの猫の遊び相手になってくれてるようで、こちらも世話になっています」
 えええええええええ〜〜〜〜〜〜〜〜?! さっきまでと言ってること全然違うじゃん。
 あ、さんの顔が固まってる。そりゃそうだ。あのヘタレっぷりじゃね。
「そう言っていただけるとありがたいですわ。この子、こんな体型なものですから、他所の猫ちゃんとなかなか馴染めないみたいだったんで、お友達が出来て喜んでましたのよ」
「動物は太っている方が可愛いものです。いやあ、実に立派な猫だ」
 いつも痩せろ痩せろって言ってたくせに。ここまで真逆なことをペラペラ喋れるなんて凄いなあ。
 ドン引きしていたさんの顔が、だんだん面白くなさそうに不機嫌になっていく。あーあ、さん、完全に怒っちゃってるよ。
 その後もシノモリサンとデブ猫の飼い主は猫について色々話して、デブ猫は飼い主と一緒に帰っていった。結局シノモリサンはヘタレちゃってトカゲのことは何も言えなかったから、明日もデブ猫はトカゲを持って来るんだろうなあ。
「一言言ってくるんじゃなかったの?」
 戻ってきたシノモリサンに、さんが冷やかに言う。あんなに偉そうに言ってたもんねー。さんが止めたのに、それを振り切ってたもんねー。それでアレだもんねー。
 シノモリサンも流石に言葉に詰まったみたいだけど、謝ったら負けだと思っているのか偉そうに、
「初対面の相手にいきなり苦情を言うのも憚られるだろう」
「あら、最初が肝心って言ってたの、誰だったかしら?」
「それは―――――相手による。言っても分からないような相手なら最初からガツンと言わんといかんが、あの人は話せばわかるようだからいい」
「ふーん………美人には甘いのねぇ」
 さんの一撃に、シノモリサンはうっと唸ったまま黙り込んでしまった。
 あー、なるほどね〜。デブ猫の飼い主、美人だったのか。それであんなにコロッと態度変えちゃったんだ。
 シノモリサン、鼻の下を伸ばしてお世辞言ってたんだろうなあ。さんという人がありながらサイテーだ。僕は一途だからそんなことは絶対に無いけどね。っていうか、さん以上の美人なんていないよ。
「あんなこと言ってたくせに、美人には甘いんだから。どうしようもないわね、男の人って」
 あーあ、さん、完全に怒っちゃってるよ。澄ました顔してるけど、声が怒ってる。
「俺だって男なんだから、美人に甘くなって何が悪い」
 ちょ……シノモリサン、逆切れ?! 駄目だ、こいつ。こんなに駄目だとは思わなかった。
 予想外の逆切れに、さんは唖然としている。謝るかと思ったら、これだもんねぇ。
 こいつ、本当にもうどうしようもない。浮気する前にバカ猫ごと追い出すべきだよ。
 呆れた顔の後、さんは眉間にしわを寄せた。あまりにもひどい逆切れに、返す言葉が見つからないのだろう。
 さんの無言を納得したものと受け取ったのか、シノモリサンは得意げな顔になる。いや、それ勝ったわけじゃないから。さん納得したわけじゃないから。
「男はみんな美人に弱いもんだ。だから俺はに弱いんだ」
「……………!」
 何という一発大逆転。さん、顔を赤くしてる場合じゃないって!
 さん、そいつの口車に乗っちゃ駄目だ。そうやってなあなあにして誤魔化すのが奴の手なんだから。
 羽根をバタバタさせてさんに何とか伝えようとするこれど、どうも伝わってないみたい。さん、まだ面白くなさそうな顔をしてるけど、口許が嬉しそうにひくひくしてるんだもん。
「ま、まあねぇ。そりゃあ………」
 さん、気分良くしてるところアレだけど、さん以外の美人にも弱かったら、あんまりありがたみは無いと思うよ。
「でも他所の美人さんに目移りするようじゃねぇ」
 にやりと笑ってさんはシノモリサンを見る。
 そうだよねー。他所の女の人に目移りするようじゃ駄目だよ。男は僕みたいに一途じゃないと。
「一晩中庭を見張ったり、無茶苦茶な頼みごとを聞くのはだけだから良いだろう?」
 そう言ってシノモリサンもにやりと笑う。
 まあね、トカゲを置いていく犯人を捕まえるために一晩中庭を見張るなんて、そんな馬鹿馬鹿しいことはなかなかできないけどさ。シノモリサン、さんのお願いは大抵聞いてあげてるし。
「これからも私のお願いだけ聞いてくれるなら良いけどぉ」
 それが出来るなら多少美人にデレデレするのは許すってことかな? 甘いなあ、さん。
 ふふっと笑うさんに、僕は小さく溜め息をついた。
<あとがき>
 霖霖にお友達ができたようです。プレゼント持参でやって来られるとは、霖霖モテモテだな。
 しかしおデブのトラちゃんが出入りするようになったら、ちぃちゃんたちはますます生きた心地がしなくなるのでは………? あ、デブだから鳥籠まで届かないと思ってるかも(笑)。
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