夏終わる

 昼間はまだ夏の陽射しだけれど、夜は風がほんの少し涼しくなって、秋の訪れを告げている。もう9月なのだから、当然だ。そのうち、秋らしい虫の音も聞こえるようになるだろう。
 仕事が早く終わった今夜は、は夏の名残の花火を始末していた。9月の花火というのはどうかとは思ったが、来年まで持ち越せるものでもないし、捨てるのも勿体無い。火も点けられないまま捨てられるよりは、季節外れでも使ってやった方が花火としても本望だろう。
 それにしても、どうしてこう線香花火ばかり残るのだろう、とはこの時期になるといつも不思議に思う。買った花火は万遍なく使っているつもりなのだが、どうしてもこの地味な花火だけが大量に残ってしまうのだ。やはり友達ときゃあきゃあ言いながら花火大会をやる時は、盛り上げるために何色にも色を変える花火やネズミ花火を率先して使ってしまうからだろうか。
 確かに線香花火は、友達と楽しくやるには向かない花火だ。火花も小さいし、盛り上がりにもイマイチ欠けるし。それに、パチパチと小さな音を立てて最後にポトリと落ちるこの花火は、見ていて何だか寂しい気持ちになってしまうのだ。
 弾ける火花が次第に小さくなって、火の玉がポトリと落ちた。1分にも満たない輝きの後でポトリと落ちるなんて、人生そのもののようで切ない。
「この時期の線香花火って、余計に切ないなあ」
 水を張った桶に花火の残骸を捨てると、は小さく溜息をついて呟いた。
「それより、どうして此処で花火をしているんだ、お前は?」
 さっきから縁側での様子を眺めていた斎藤が、不機嫌そうな声を上げた。
 実は此処、斎藤の家の庭なのである。今日は珍しく二人とも早く帰れたので、斎藤と一緒に花火をしようと、が花火を持って家に押しかけてきたのだ。まあ、の目論見は外れて、斎藤は付き合ってくれないけれど。
 でも、誰もいない自分の家で一人で花火をするよりは、傍に他人の気配があった方が楽しい。特に線香花火は、女が一人でやっている図というのはいかにも寂しげだ。だから斎藤の家に押しかけて花火をしようと思い立ったわけだが、まあ此処でも一人でやっているわけである。でもまあ、傍に人の気配があるというだけでも、気分だけは違う。
「だって、一人でやってもつまらないじゃないですか。斎藤さんもやりましょうよ。花火、まだ沢山ありますから」
 持参していた花火の袋をひらひらとさせて、は楽しそう誘う。まあ、残っているのは線香花火だけなのだが。だけど、斎藤と二人でやる線香花火なら、きっと楽しいと思う。
 が、斎藤は相変わらず面白くなさそうに、
「何が楽しくてお前と線香花火なんかしなきゃならんのだ。どうせだったら、もっと景気の良いやつ持ってこい」
「景気が良いのは友達と使っちゃったんですよ。今の時期はもうどこも花火なんて売ってないですし」
「それなら、その残りも友達とやれば良いだろう。何で俺の家でやるんだ?」
「だって、線香花火って、友達と楽しくやるには向かなくないですか?」
「じゃあますます何で俺の家でするんだ? うちの庭は花火の始末場か?」
 の言葉に、斎藤はますます不機嫌になる。確かに“友達とやるには向かない”ようなつまらない花火しか持って来ていないのだから、斎藤がそう思っても仕方ないだろう。
 別には、つまらない花火を始末するために斎藤の家に来たのではない。確かに線香花火しかないし、これは友達と騒ぎながらするには向かない花火だけど、でも好きな男とするには凄くいい花火だと思うのだ。二人で向かい合って、パチパチと弾ける火花を見詰めるのは、何だか凄く良い雰囲気になりそうだし。
 それに友達が言っていたけれど、線香花火の火玉が落ちないで消えたら、願い事が叶うのだという。斎藤と二人で火玉を見ながら願掛けをしたら、どんなお願いも叶うような気がするし、何だか本当の恋人同士みたいじゃないか。「何をお願いしたんだ?」「えー? 内緒ですぅ」なんて、うふふ、あはは〜な感じのことをやりたくて、線香花火を持ってきたのに。
 けれどそんなことは恥ずかしくて言えなくて、は押し黙ってしまう。考えてみれば、斎藤とはただの上司と部下なのだから、本当ならこうやって家に押しかけて勝手に花火を始めても良いような間柄ではないのだ。最近はいきなり押しかけても普通に迎え入れてくれるから、すっかり勘違いしてしまっていた。
 夏の最後の思い出に二人で恋人同士のように線香花火をしたいなんて、妄想ばかり先走って馬鹿みたいだ。自分がとんでもない勘違い女になってしまっていたことに気付いて、は恥ずかしくて俯いてしまった。の図々しさに根負けして相手をしてくれていたのかもしれないのに、斎藤に一寸優しくされると浮かれまくって、本当に大馬鹿だ。
 恥ずかしいのと情けないのとで涙が出そうになったが、泣いたらますます勘違い女だと思われるから、は俯いたまま花火の残骸を始末し始める。
「………ごめんなさい。斎藤さんと一緒に花火をしたかったんですけど………。いきなり押しかけたら迷惑でしたね。すみません………」
 斎藤の都合も考えずにいきなり押しかけて、勝手に花火を始めて、何を勘違いしていたのだろう。斎藤とは他の上司と部下と比べれば職場の外でも会うくらい親密ではあるけれど、でもまだただの上司と部下なのだ。斎藤が怒ったり追い払ったりしないから、それ以上の関係なのではないかと勘違いしてしまっていた。
 しょんぼりとして、桶の中にある花火の残骸をかき集めて持参してきたゴミ袋に押し込んでいるを見ながら、斎藤が無表情で縁側から下りてきた。その気配に気付いて、ゴミをかき集めていたの手が、びくっと強張る。
「ごめんなさい。すぐに片付けますから」
 泣きそうな声で小さく言いながら、はゴミを押し込むと、水を捨てようと桶を掴んだ。が、それを制するように斎藤がその手を掴む。そして、呆れたような優しい声で、
「誰も帰れとまでは言ってないだろうが。大体、それくらいのことでめそめそする奴があるか」
「めそめそなんて、してません!」
 キッと顔を上げては反論するが、しっかりと目が潤んでいる。
 確かに泣いてはいないけれど、目を潤ませて意地を張るが可笑しくて、斎藤は思わず口の端を吊り上げてしまった。この部下の反応は、いつも斎藤の笑いのツボを押してしまうようだ。
「それなら別に良いんだがな。あんまりしおらしい声を出すから、泣いているのかと思ったぞ。
 まあそれはともかく、花火くらい付き合ってやるから。そんなしょげて帰られたら、俺も後味が悪いからな」
「無理して付き合ってくれなくても良いです」
 ふいっと横を向いて、は拗ねたように応える。にもなりの意地があるらしく、すぐに飛びついたら馬鹿だと思われると思っているのだろう。
 そんなの様子を見て、斎藤は息を漏らすように小さく笑った。そしての手から花火が入って袋を取り上げると、その場にしゃがみこんで二本の花火に火を付ける。
「ほら、全部始末するんだろ?」
 火の点いた花火を差し出されて、は渋々といった様子を見せて受け取る。けれどそれがお芝居であることは、俯かせた顔が微かに桜色に染まっているので判った。
 まあ、あと2、3本もやれば機嫌を直すだろうと、斎藤は笑いを堪えて弾ける火花を見詰める。こうやって二人で向かい合わせで線香花火をやっていると、何だか妙な気分だ。は一寸親しい部下というだけの存在なのだが、それでも二人でこうやって花火をしていると、何だかそれ以上の間柄のような錯覚に陥りそうになる。線香花火というのは、妙な雰囲気を生み出す花火のようだ。
 このまま黙っているとうっかり雰囲気に飲まれそうになって、斎藤はそれを振り払うように口を開いた。
「しかしまあ、あれだな。線香花火というのは辛気臭い花火だと思っていたが、これはこれで風情があるものだ」
「そうですね」
 さっきよりは少し柔らかな口調になって、は小さく応える。
 線香花火に風情があると感じるのは、きっと斎藤と二人でしているからだとは思う。一人でしている時はそうは思わなかったし、友達と大勢でしている時も地味な花火だとしか思わなかった。きっと好きな人とするから、風情も感じられるのだと思う。斎藤も同じ理由で風情を感じてくれているのなら、嬉しい。
 二人で線香花火をやるというのは恋人同士みたいで、はうっとりしてしまう。勘違いなのは解っているけれど、この一瞬だけは勘違いしていたい。この一瞬が永遠に続けば良いのに。
「ねえ、斎藤さん」
 すっかり機嫌を直したらしく、いつものようににこにこ笑いながらが声を掛ける。
「線香花火って、消える時に火の玉が落ちるじゃないですか。これが落ちないで消えたら願い事が叶うらしいですよ」
「………お前、こうしたら願いが叶う、っていう話が好きだな」
 七夕の時もそうだったが、はこういうまじないが好きらしい。否、が特別好きなのではなく、大多数の女が好きなのだろう。だから占い師や願掛け神社は廃れない。
 呆れたような斎藤の目を気にする風でもなく、は新しい花火に火を点けた。そして、パチパチと弾ける火玉を食い入るように真剣に見詰める。どうやら願掛けをしているらしい。そんなに食い入るように見詰められていると、斎藤まで気になって火の玉を見詰めてしまう。
 二人に真剣に見詰められて、火の玉は緊張しているかのようにふるふると震えながら火花を散らしている。今にも落ちてしまいそうなほど頼りない風情であるが、の気持ちを知ってか必死に踏ん張って、危ういながらもすぅっと萎むように消えた。
 完全に火が消えてしまったことを確認して、は嬉しそうに大きく溜息をついた。
「何を願掛けしたんだ?」
「秘密です。叶うお願いは、他人に言っちゃいけないんですよ」
 斎藤の質問に、は嬉しくて堪らないといった様子で応える。
「ふん。まあ良いけどな」
 の願い事が気にならないではないが、大体察しは付いている。大方、七夕の時と似たようなものだろう。
 だから斎藤は、何も気付かない振りをして提案する。
「来年は、もっと景気の良いやつを持って来い」
「へ?」
 一瞬、何を言われたのか解らないようなきょとんとした表情を見せただったが、半瞬の間をおいて、大輪の花が綻ぶように頬を染めて笑った。どうやら“願い事”は斎藤の予想通りのことだったらしい。
「それって、来年も一緒に花火をするってことですか?」
 解っているくせに、はわざとらしく甘ったるい声で尋ねる。大きな目でじっと見詰められて、斎藤は恥ずかしいやら気まずいやらで、視線を逸らしてしまった。
「今年は線香花火しかできなかったからな。来年はもっと違う花火もするぞ」
 一寸怒ったようなぶっきらぼうな口調だし、相手の都合も考えない命令形の提案だけど、でも斎藤らしいとは思う。あまりにも斎藤らしくて、思わず小さく噴き出してしまった。
 来年の夏は斎藤の家で二人きりで花火をして、夏の終わりにはまたこうやって残った花火を始末できたら良いなあ、とは思う。否、きっとできるだろう。だって、線香花火の火の玉が落ちなかったのだから。
 線香花火に託したお願いは、「来年も再来年も、ずっと斎藤さんと花火ができますように」だった。毎年こうやって花火をやって、向かい合っている距離が少しずつ縮まっていけば良いなあと思う。そして何度目かの夏には、が此処に通ってくる必要が無くなれば、もっと良い。
「来年は、打ち上げ花火を持ってきますよ。落下傘が落ちてくるようなすごいやつ」
 でもその前に、来月のお月見も一緒にしたいなあ、とは欲張りなことを思ってしまうのだった。
<あとがき>
 線香花火は秋の季語になるのだそうです。まあ何というか、あの寂しげな風情が夏の終わりに似合いますよね。
 「線香花火の火玉が落ちなければ〜」というくだりは、Web拍手のコメントの中に「線香花火の火玉が落ちなければ願いが叶うといいますが、二人は何をお願いしたんでしょうね」というのがあって、そんなジンクスがあるのなら一寸使わせてもらおうかと、採用させていただきました。文月さま、ありがとうございます。
 花火大会には毎年行くのですが、花火をするということはなくなりましたね。浴衣で線香花火って、風情があって良いなあ………。
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