とばっちり食らうのはご免ですよ
斎藤の出張はまだ終わらない。予想以上に大がかりな事件になっているようで、もう暫くは本庁に戻れそうにない。もいい加減に通常業務に戻りたいのだが、斎藤が此処に居続けるとなると、自分だけ帰るというわけにはいかない。いつの間にか、斎藤とは二人一組として扱われているのだ。予定は狂うわ仕事は捗らないわで、にしてみればとんだとばっちりだ。
「まったくねぇ、警部補の下に就いてからこっち、私の仕事が全然進まないんだから! 一体いつまで此処にいるつもりなんですか?」
自分の書類をばさばさと積み上げながら、は苛立たしげに言う。少し前なら取り繕う余裕もあったのだが、今ではもう不満を隠そうともしない。
月末は何処にいても忙しいものだが、出張先で迎える月末はまた格別だ。書類を持って本庁と所轄の往復をしたり、腰を落ち着けて仕事が出来ないのだ。
「いつまでと言えるくらいなら、誰も苦労はせん」
斎藤も苦々しげに煙草を揉み消す。彼もまた、ここまで長引くとは思っていなかったのだろう。
ただ武器密輸組織の捜査のはずなのに、一体何をやっているのか。のところに回ってくる書類を見る限りでは、密売の現場を一網打尽にすれば済む話である。かなり大きな組織であるようだが、警察だって負けてはいない。
要するにから見ると、グダグダと手をこまねいているようにしか見えないのだ。彼女が見る書類だけで事件の全貌が見えるわけではないことは解ってはいるが、それにしたって進展が遅すぎる。
「ああああああもうっ! 警部補と組んでから仕事がたまる一方じゃないですか! これ以上とばっちり食らうのはご免ですよ」
「うるさい!」
鬱憤を晴らすように怒鳴るに、斎藤が一喝した。
先に大声を出したのは自分の方だが、斎藤に怒鳴られるのは初めてのことで、はびっくりして硬直する。
苛々していたとはいえ上司に怒鳴るというのは悪かったとは思うが、そもそも斎藤がを呼びつけなければこんなに仕事を溜め込むことは無かったのだ。そのことについては斎藤も悪いと思っているのか、一応空いた時間に手伝ってくれているが、慣れない作業を短時間に手伝ってもらっても追い付くはずがない。
予想外に長引いて、斎藤が一番苛立っているのかもしれないが、とばっちりを食らっているだってそれは同じである。何も怒鳴ることはないではないか。
言いたいことは色々あるが、これ以上何か言うと取り返しのつかないくらい空気が悪くなりそうである。斎藤と目を合わせないようにして、は無言で仕事を再開させた。
こうも残業続きだと、帰って夕飯を作る気になれない。このところずっと外食だ。
残業手当が付くとはいえ、毎日外食というのは懐が痛い。けれど空腹のまま寝るわけにもいかず、は行きつけの店に向かった。
「あー………」
『赤べこ』の入り口の張り紙を見て、は落胆した。今日は五時で閉店したらしい。
この辺りで遅くまで定食物を出すのは此処だけだ。後は居酒屋くらいで、これでは高くついてしまう。
どうしようかと悩んでいると、中から客が出てきた。
「うわっ………?!」
「おろ?」
危うく赤毛の男とぶつかりそうになってしまった。
どうやら今日は貸し切りだったらしい。後ろには若い男女と子供がいる。
「あらぁ、さん」
団体の後ろから店員の妙が姿を見せた。
「あ、ども………」
は軽く会釈した。
「夕飯食べて帰ろうかなーって思ったんだけど、貸し切りみたいだから………」
「あ、そうなん? なら入って。もう閉めちゃったから大したもんはでけへんけど。
お父さーん、お一人様お願ーい!」
「あっ、でも、お店閉めちゃったなら―――――」
「ええよ。うちの都合で閉めてんのやし」
が止めようとするが、妙は笑顔で招き入れる。
常連客だから、に気を遣ったのだろう。何だか申し訳ないのだが、夕飯にありつけるのはありがたい。
「いやもう、すみません。
じゃ、鮭定食で」
厨房にいる妙の父親に注文すると、は座敷に上がった。
入れ替わるように、さっきの団体と妙が出て行く。
あの団体は妙の友人なのだろう。使っていた席を見ると、大人数で宴会をしていたようだ。妙たちも参加していたのだろうと思う。
飲み会なんて随分行ってないなぁ、とふと思った。前の部署は定時上がりだったから、友人とよく飲みに行っていたのだが、異動してからはご無沙汰だ。そもそも定時に上がれたためしが無い。これでは素敵な出会いから遠ざかるわけである。
そういえば、さっきの団体に若い男が二人もいたではないか。一人は年下すぎる気がするが、妙の知り合いなら紹介してもらえばよかった。あの二人が駄目でも、そこから始まる縁で誰かを紹介してもらえるかもしれないのだ。
「う〜ん………」
自分の思いつきには頭を抱えた。いくら出会いのない生活が続いているとはいえ、あまりにも飛躍しすぎている。
こういうのは縁のものであるから、焦っていてはかえって逃してしまう。焦ってしょうもない男を掴んでは目も当てられないし、どーんと構えておくべきだ。構えすぎて婚期を逃しまくる危険性もあるが。
「はい、お待ちどうさま」
くだらないことを考えているうちに、妙の父親が鮭定食を持ってきた。
「すみません、閉店したのに」
「いやいや。こんな時間まで大変ですなあ」
恐縮するに、妙の父親は笑って応える。
「ええ、もう。このところずっとこうなんですよ。厭になっちゃう」
「仕事があるのはええことですよ」
「う〜ん」
仕事が無いよりはあった方がありがたいのは確かだが、こう忙しいのも困る。は苦笑した。
会話が途切れたところで箸を取る。閉店後にわざわざ作ってもらったのだから、さっさと食べて帰らなくては。
「じゃ、いただきまーす」
味噌汁の椀を取ろうとした時、轟音と共に店が揺れた。
『赤べこ』が襲撃されたという報せが入ったのは、斎藤が自宅に着いた直後だった。宿直の警官がわざわざ報告に来たのだ。
現場はアームストロング砲でも撃ち込まれたかのように破壊されているという。おそらく犯人は、斎藤たちが追っている武器密売組織だろう。そろそろ動き出す頃だと思ってはいたが、いきなり派手なことをやらかすとは思わなかった。
「商品の実演か。向こうの奴らは派手だな」
清国の連中は何をするにも派手なことを好むと聞く。あの広い国土では、派手にやらないと物足りなく感じるのだろう。
彼の国ではそれも良いが、此処は日本である。店を一軒吹っ飛ばして、ただで済むと思っているのか。新興国とは言え、あまりにも馬鹿にした所業だ。
「幸い、店は閉店していたそうで、被害は建物の倒壊だけで済んだそうです。ただ―――――」
警官が言いにくそうに口籠もる。
「何だ?」
「その……閉店後の店内に警部補の部下がいたと………。怪我は無いそうですが」
「何だと?」
閉店後の店にがいたとは、一体何なのか。彼女の私生活は知らないが、『赤べこ』が馴染みの店で、たまたま閉店後も残っていたのかもしれない。たまたま最後の客だった時に、店が偶然アームストロング砲の的になったのか。それとも―――――
が捜査本部の末端にいることは、部外者には知られていないはずだ。密売組織に漏れていたとしても、ただの事務員を攻撃しても意味が無い。だが、捜査を指揮する斎藤の直属の部下であることまで掴んでいるとしたら、話は変わる。『赤べこ』襲撃は偶然ではなく、斎藤への牽制か。
に怪我が無いようで何よりだが、斎藤の予想が当たっているとしたら厄介なことだ。このまま自分の下に置いておくことも、捜査本部から外すことも難しい。
「はどうしてる?」
「店主と共に事情を聞いています」
「じゃあ俺も署に行こう」
現場は他の者に任せても大丈夫だろう。の今後の対処を話し合うのが先だ。
斎藤は上着を取って家を出た。
満足にご飯も食べられない主人公さん………。
縁編の頃の時期ですが、特に縁が絡むことはありません。神谷道場の人々との絡みも、今後はありません。一言だけだったなあ、剣心(笑)。
しかし主人公さん、剣心や左之助との合コンまで考えてしまうとは、末期ですな(笑)。