それでもついて行きますからね
「警部補、幕の内弁当でいいですか?」駅弁を選んでいたが尋ねた。
「ああ」
あまり関心無さそうに斎藤は応える。蕎麦以外の食べ物には拘りが無いのだろう。それより汽車の出発時間が気になっているようだ。
前例のない女性職員の転勤ということで少々揉めたが、にも北海道行きの辞令が下りた。後任者への引継が終わり、いよいよこれが出発である。
別に正当と一緒に行く必要は無かっのだが、旅は道連れというやつだ。汽車と船を乗り継ぐ長旅はたとえ斎藤でも連れがいないよりはマシだろう。
「おい、そろそろ出るぞ」
どれにしようかと迷っているを急かすように、斎藤が声をかけた。
汽車は蒸気を吐き出して、出発を待つばかりだ。いよいよ東京ともお別れである。
「はーい。
じゃ、幕の内弁当とその洋食弁当で」
慌ただしく金を受け取って弁当を受け取ると、は斎藤の許に走った。
駅弁というのは普通の弁当に較べて高いと思う。談合でもやっているのではないのだろうかとは疑っているほどだ。汽車に乗って食べるから美味しく感じているものの、これを家で食べたらぼったくり感が凄いと思う。
現に、この洋食弁当の上げ底感は凄い。ビフテキが入っていると喜んでいたら、山盛りの菜っ葉の上に薄い肉が乗っているだけだった。よくもまあこんなに薄くできるものだと感心するほどだ。次があるか分からないが、次にあの弁当屋から買う時は洋風弁当は選択肢から外そうと思う。
「ここまで薄切りできるなんて、大した職人だわ」
肉をつまみ上げ、はしみじみと呟く。薄切りなのに切り落とし肉に見えないように切るなんて、余程良い包丁を使っているのだろう。そんなところに力を入れないで、肉の厚さに力を入れて欲しかったが。
ふと、斎藤の視線を感じた。肉から視線を外すと、彼が珍しくこちらをじっと見ている。
「そんなに見たって、肉も海老もあげませんよ」
も負けずに見返す。
弁当には大きな海老フライが入っているが、これも職人芸で衣を重ね着させたものだろう。だが重ね着とはいえ、海老は海老である。菜っ葉なら分けてやらないこともないが、海老と肉だけは譲れない。
「何でそうなるんだ?」
斎藤が心底呆れた顔をした。
「そうじゃなくて、本当にいいのか?」
「何がですか?」
肉と海老フライが守れたのなら、一安心だ。
それにしても、斎藤は言葉が足りないから困る。何を心配しているのか、にはさっぱり解らない。
「いつ東京に戻れるか判らんのだぞ。ひょっとしたら一生戻れんかもしれん」
「ああ………」
斎藤は、が一時の感情に流されて北海道行きを決めたと思っているらしい。あの流れでは仕方の無いことである。
けれどは、彼女なりに覚悟を決めてきたのだ。一生東京の地を踏むことが無いとしても、それはそういう運命だったのだと思う。どうせ、北海道で素敵な出会いがあったら、永住することになるのだ。それなら、東京の地を踏むことが無くなっても良いような気がしてきた。
「別にいいですよ。向こうで結婚したら永住することになりますし」
「まだ諦めてなかったのか………」
斎藤が唖然とした顔をした。
「警部補くらいになれば悟りの境地になるのかもしれませんけどね。諦めたらそこで試合終了ですよ」
「………どうせ消化試合だろうが」
斎藤は聞こえてないつもりだろうが、の耳にはしっかりと聞こえている。こういうネタには過敏なお年頃なのだ。
“消化試合”とは随分と失礼な言い方である。はまだまだ決勝戦まで持ち込めるはずだ。
「私が消化試合なら、警部補は敗戦処理ですか?」
「………………」
軽く言い返したつもりだったのに、斎藤はむっつりと黙り込んでしまった。思いの外、ざっくりときたらしい。
それこその方が「まだ諦めてなかったのか!」である。斎藤の歳にもなれば、一人で過ごす老後も視野に入れていると思っていた。
まあ、誰にだって夢を見る権利はある。が“素敵な出会い”を夢見て辛い現実と戦っているように、斎藤だって“いつかやって来る若い嫁”を夢見て辛い現実と戦っていたのかもしれない。
そう思ったら、は不覚にもホロリときてしまった。その顔でなくても“夢見る中年”というのはキツいが、その顔だからこそ真に迫りすぎて辛い。
「あの……敗者復活戦で逆転優勝ということもありますんで、気を落とさないでください」
「お前に言われると、何かキツいな」
せっかく励ましてやったというのに、痛恨の一撃である。
これ以上言うと無駄に反撃を受けそうなので、は無言で弁当に集中した。
汽車から船に乗り、数日揺られて漸く北の大地に立った。北海道は広いと聞いていたが、第一印象は思っていたほどではない。手付かずの原野が広がっていると思っていたら、予想外に拓けていた。
考えてみれば、御一新の時の最後の戦場は此処だったのだ。立派な要塞もあったらしいし、兵器を運んだり軍隊が通るための広い道だってある。軍隊があれば、それ目当てに商売を始めるものもいるだろうし、こういう人間が明治に入っても此処に残って、街ができたのだろう。
勿論、広すぎる土地だから、こんな街はごく一部だろうが、まあ内地の人間が住めない土地ではないようだ。
「意外と普通ですね」
「俺たちが行くところは、もっと奥地だけどな」
「あー………」
斎藤の言う奥地がどの程度のものか判らないが、隣の家まで数キロというのは困る。あと、食料品店と病院は外せない。
「羆とか出ますかねぇ」
「羆は知らんが、狐は出るらしいぞ。あと、鹿と栗鼠と兎かな」
「……………」
大人しい動物は平気だが、敵は野生動物である。必死さ加減なら圧倒的にが負けそうだ。
おまけに極寒の冬も来る。北海道は『試される大地』らしいが、初手からいろいろ試されそうである。
しかし此処まできて、今更帰りたいとは言えない。任期も何年あるのか、そもそも帰れるのかも判らないが、こうなったら腹を括るしかないだろう。
「ま、日本人だけじゃなくてアイヌ人もいますからね。アイヌ人は彫りが深いって聞きますし、意外と東京よりイイ男がいるかも」
最後の希望はこれである。こんなところまで来てしまったのだから、せめて東京では捕まえられないようなイイ男を捕まえたい。
が、斎藤が痛恨の一撃を食らわせた。
「あいつら、琉球人並に毛深いらしいぞ」
「………え?」
色白の日本人離れした美形を期待していたのに、毛深いのは困る。否、もいい歳なのだから、毛深いのくらいは妥協すべきか。
うんうん唸って悩みを見て、斎藤は見かねたように提案した。
「東京に帰るなら今のうちだぞ。今なら俺からも上手く言ってやるから」
斎藤なりの優しさなのかもしれないが、今更どの面下げて東京に戻れるものか。半ばごり押しで人事を動かしただけに、初日で帰ってはの立場が無い。
「結構です!」
はきっぱりと言い切る。
一年過ごして、どうしてもどうしてもどうしても駄目だったら帰るしかないが、今はまだ何も始まっていないのだ。
「それならいいが………。もし俺が一生北海道勤務だったらどうするんだ? 何年か経って東京に戻りたいと言っても、戻る場所が無くなってるかもしれないぞ」
残酷な話だが、ありえそうで困る。その時は―――――
「それでもついて行きますよ」
それが最良の選択なのか、まだ今のには判らない。来年になっても再来年になっても判らないかもしれない。けれど、東京でお茶くみをしながらダラダラ過ごすよりは、多少なマシな気がした。
これからも忙しい日々は続くだろうし、斎藤に苛々することもあるだろう。大きく変わった環境に戸惑う毎日かもしれない。
それでもきっと、一人で東京にいるよりは充実した生活を送れるような気がする。
「うーん………」
せっかく言ってやったのに、斎藤は微妙な顔をした。素直に嬉しそうな顔をすれば可愛げがあるものを、そういうところが部下に逃げられる所以だろう。
「こんなに若くてイイ女が“一生ついていきます”って言ってるんだから、少しは喜んだらどうです?」
「……………」
斎藤は何か言いたげな顔をしたが、結局何も言わなかった。
斎藤は不満があるのかもしれないが、それはお互い様である。不満があるのを騙し騙しやっていくのが大人というものだ。きっとは斎藤より大人なのだろう。
本当に斎藤に一生付いていったら、いつか悟りを開いてしまいそうだ。でもそんな人生もありな気もして、はこれから始まる新生活が少しだけ楽しみになった。
というわけで、遂に北海道までお付き合いすることになってしまった二人。シリーズは終了ですが、新天地でも強く生きていってもらいたいものです。
『剣心華伝』の書き下ろしの斎藤はガチの原野に立ってるようでしたが、どんな所にいるんだ? これから冬に向けて大変そうだな。
さて、二人の新生活はどうなりますことやら。っていうか、主人公さん、もう斎藤で手を打つという選択肢は無いのか?