ヒミツ

 今度の非番の日に家においで、と斎藤に誘われた。斎藤の家に呼ばれるのは、初めてのことだ。
 他に誰か来るのかと尋ねたら、他には誰も来ないと言っていた。祇王も置いてこいと言われたので、本当に二人きりで会うのだ。
 二人きりで家で会うというのは、つまりそういうことなのだろう。も子供じゃないから、大人の男の人が女の人にどういうことをするのかくらい、知っている。
 山崎がと斎藤のことをもの凄く心配しているのは、そのことを心配しているのだと思う。お前は歳の割にぼーっとしているからとか、最後に傷付くのは女なんだからとか、斎藤と会う度に説教されるのも、そういうことなのだ。
 勿論、山崎が心配する気持ちも、には解っている。女の子はそういうことを軽はずみにしてはいけないことも解っている。でも―――――
 斎藤のことは大好きだ。山崎よりも土方よりも、原田や永倉や沖田よりも好きだ。今まで生きてきた中で一番好きだと思うし、多分この気持ちは一生変わらない。
 斎藤だって、軽い気持ちでを誘ったわけではないと思う。「好き」とは滅多に言ってはくれないけれど、と仲良くなってからは島原にも祇園にも行かなくなったし。それってきっと、のことをちゃんと考えてくれているのだと思う。だから―――――
「今日はお留守番しててね」
 何処に行くのかと不思議そうな顔で足許に纏わり付く祇王を抱き上げると、は無理やり自分の部屋に押し込んだ。駄々をこねるように鳴きながら襖をカリカリと引っ掻く音がするが、今日はどうしても連れては行けないのだ。
 祇王の泣き声がだんだん悲しそうな声音に変わって、それにはも少し罪悪感を覚えるというか、心が痛んだが、それでも山崎に見付からないように小走りに屯所を出て行った。





 自室で本を読んでいる山崎の腰に、いきなり生温かいものがするりと擦り寄った。
「うひゃあっ?!」
 全身に鳥肌を立たせて間抜けな悲鳴を上げてしまった。振り返ると、祇王が構って欲しそうな顔で山崎を見上げている。
 普通、動物というのは自分を嫌っている人間には近付かないものなのだが、祇王はそういうことには構わないらしい。追い払っても追い払っても山崎の部屋に来ては、構ってもらおうとするのだ。どうやら、自分が嫌われているとは思いもよらないらしい。
「まったく………」
 にはあれほど自分の部屋には入れるなと言ってあるのに。山崎は立ち上がると、廊下に顔を出して怒鳴った。
! 一寸来なさい! !!」
 いつもなら暢気な返事と共にがぱたぱたと走ってくるはずなのだが、今日は何の反応も無い。代わりに、廊下の曲がり角から原田がひょこっと顔を出して、
ならどっか出て行ったみてぇだぞ」
「出て行った?」
 原田の言葉を、山崎は阿呆のように繰り返した。
 が祇王を置いて出て行くなんて、今まで無かったことだ。外出する時はいつも祇王と一緒だったし、それは斎藤と何処かへ行く時も同じだった。猫が一緒にいれば、斎藤もその目を気にしてに不埒なことをしにくかろうと、山崎も一寸油断していたところがあったのだが、祇王が此処にいるということは―――――
 そういえば斎藤は今日は非番で、借家に戻っていたはずだ。考えたくはないが、はもしかして斎藤の家に行っているのではないか。あの子は歳の割には幼いから、斎藤に誘われたら何も考えずにノコノコと家に行きそうだ。が幼いのを良いことに、あの男が甘言を弄して毒牙にかけたらと思うと、山崎は居ても立ってもいられない。
 山崎は血走った目で原田に突進すると、その胸倉を乱暴に掴み上げた。
「斎藤の借家は何処だっ?!」
 が斎藤に喰われる前に、何としてでも引き留めなくては。傷ものにされて、孕まされでもしたら目も当てられない。
 山崎の迫力に押されながらも、原田は一寸考えて、
「………そういや斎藤の家、訊いたことも無かったなあ。どうせ行かねぇし」
「何だとぉっっ?!」
 どいつもこいつも役立たずばっかりだ。借家なんてこの辺りには掃いて捨てるほどあるし、何よりこの近辺に家を借りているとは限らない。最初からを連れ込む気で借りているのだったら、あえて屯所から遠い場所に家を借りていると考えた方が自然だ。。そうなったら、もう探しようが無い。
 今こうしている間にも、はあの男の毒牙にかかっているかもしれない。斎藤に穢されて、世を儚んで自決しようとでもしていたら―――――そう思うと山崎は目の前が真っ暗になって、そのまま卒倒してしまったのだった。





 斎藤の家の前に立って、は一つ深呼吸をした。遂に此処まで来てしまったのだ。此処まで来たら、もう引き返せない。本当に良いのかな、とちらりと思わないでもなかったが、それを振り切るように戸に手をかけた。
「斎藤さん」
 遠慮がちに声を掛けてみる。と、すぐに中から戸が開けられて斎藤が姿を現した。
 斎藤が出てくるのが予想外に早くて、はびっくりして一瞬身体を強張らせてしまった。まだ心の準備ができていないというか、見慣れた斎藤の姿もこんな所で見ると別人みたいで、何だか緊張する。
 いつもと様子が違うに、斎藤は一寸怪訝な顔をしたが、それでも何も言わずに家に招き入れた。
「遅かったな」
「うん。一寸寄り道してたから………。これ、お土産」
 家に上がりながら、は菓子折りを差し出す。
 他人の家に行く時は菓子折りの一つも持っていかなくてはならないだろうと思ったのもあるが、菓子を買ったのは、そんなことよりも時間稼ぎの意味合いが強かった。寄り道をして、斎藤と最後までする覚悟を決めてから、家に行きたかったのだ。お陰で今日、斎藤と最後までする覚悟は出来た。いつでもかかって来い! というくらいの勢いである。
「そんなに気を使わなくても良かったのに」
 そう言いながらも、斎藤は菓子折りを受け取った。
 今のところ、斎藤はいつもと同じ感じで、特別なことを仕掛けてきそうな雰囲気は無い。まあ、斎藤はよりもずっと大人だし、そういう経験も豊富だろうから、いきなり飛び掛ってくることは無いだろう。けれど、いつそういう動きに出るか解らないから、は逆に緊張してしまう。
 硬い表情で部屋の隅で突っ立っているを見て、斎藤が困ったような苦笑を浮べた。
「そんなに緊張されると、俺もやりにくいじゃないか」
「………うん」
 緊張するなと言われても、やっぱり緊張してしまう。男の独り暮らしの家に来たのも初めてだし、多分“そういうこと”をするんだろうなという状況だって、初めてなのだ。緊張するなと言われても、緊張しないわけがない。
「茶を淹れてやるから、その辺に座ってろ」
「………うん」
 斎藤に言われるまま、は部屋の真ん中に置かれている卓袱台の前に正座する。
 やることが無いので、部屋の中を見回してみる。あまり帰ることは無いとはいえ一応生活の場になるのだから、それなりに生活用品が揃っていそうなものなのだが、この部屋には驚くほど物が無い。あるのは、の前にある卓袱台だけだ。箪笥も戸棚も何も無くて、此処でどうやって生活をしているのだろうと不思議に思う。屯所の斎藤の部屋の方が、まだ生活感があるくらいだ。
 何も無い部屋で一人でいるのも手持ち無沙汰だし、持ってきた菓子を先に食べているわけにもいかず、は斎藤がいる厨房に歩いていった。
「どうした?」
 厨房に入ってきたに、斎藤が茶の用意をしながら尋ねた。
「………うん」
 さっきから「うん」しか言っていない。もっと違うことも言わなくてはいけないとは思っているのだが、こういう時何を言って良いのか分からなくて、は困った顔をしてしまう。いつもの調子でお喋りすれば良いのだろうが、今日はどうしてもいつもの調子が出ないのだ。いつも、うるさいと言われるくらいお喋りなのは、何を喋っているたのだろうと、自分でも不思議に思う。
 何か話のネタを探そうと周りを見回す。けれど此処も本当に何も無くて、厨房だというのに炊事道具もろくに無いのだ。食器も、が見た限りでは湯呑みが二つしかない。
「何も無いね」
 もっと気の利いたことを言おうと思っていたのに、見たまんまの間抜けなことを言ってしまった。
「最近越してきたばかりだからな。それに今のところ、これで不自由は無いし」
「ご飯はどうしてるの?」
「外で食べてるさ。この辺は食べる処が多いし」
「ふーん………」
「退屈しているみたいだな。祇王に遊んでもらわないと、間がもたないか?」
 茶を淹れる手元をじっと見て黙り込んでいるに、斎藤がからかうように言う。その言葉に、は頬を朱に染めて、
「ぎ……祇王に遊んでもらってるんじゃないもん! 私が遊んであげてるんだもん」
「結構微妙じゃないか?」
「違うもん! 祇王が構ってちゃんなんだもん」
 やっといつもの調子に戻ってきて、斎藤は可笑しそうに低く笑った。そして、に湯呑みを一つ渡して、
「お前も相当な構ってちゃんだぞ。祇王を拾う前は、いつも暇そうな奴を探してただろうが。
 ほら、これ持って行け」
 斎藤の言葉に反論できないらしく、は言葉に詰まったように黙り込むと、湯呑みを持って卓袱台の前に座る。。
 確かに斎藤の言う通り、祇王が来る前のは、自分の遊び相手をしてくれそうな隊士をいつも探していた。子供の頃から山崎がいつも構ってくれていたせいか、一人で時間を潰すというのがどうも苦手だったのだ。暇そうな隊士に声を掛ければ、大抵の者は話し相手くらいにはなってくれたのだが、やはり幼いせいかすぐに飽きられて早々に切り上げられてしまう。そんな中で、が気が済むまで相手をしてくれていたのが、斎藤だったのだ。
 斎藤が一番よく遊んでくれたから好きになったのだろうかと、は一寸考える。それもあるし、何よりも他の隊士みたいに、周りをうろちょろするを鬱陶しがらなかったから、好きになったのかもしれない。今でこそ隊士たちの方からに寄って来るが、まだ子供子供していた頃はかなり鬱陶しがられていたのだ。
 今でも山崎には子供っぽいと言われているが、それよりも子供だった頃の自分の相手をしてくれていた斎藤は、本当に良い人だとは思う。見た目はとても怖くてそうは見えないけれど、でも優しくて良い人だ。いつものことを一番に考えてくれているし。
「斎藤さんって、実は子供好きだったの?」
「は? 何だ、いきなり?」
 脈絡の無いの言葉に、対面に座った斎藤がきょとんとした顔をした。の話がいきなり飛ぶのは今に始まったことではないが、もう少し順序立てて話してもらいたいものだと思う。
 の中でどういう思考が繰り広げられてそんな質問に至ったのかよく解らないが、斎藤はとりあえず正直に答えてみる。
「まあ………あんまり好きな方ではないな。どちらかというと苦手だ」
「へー、そうなんだ。前からずっと私と遊んでくれてたから、てっきり子供好きなんだって思ってたよ」
「うーん………それは、まあ、あれだ。遊び相手がいないお前があんまり可哀想だったからかな」
 ニヤリと口の端を吊り上げて、斎藤は冗談めかして答えた。
 最初は、遊び相手になる同年輩の女の子が近くにいないが可哀想だったから、相手をしてやっていた。遊んで欲しくて周りをちょろちょろしているの目が、甘えるだけじゃなくて一瞬縋るような色を見せるから、拒否すると凄く悪いことをしているような気分になるのだ。だから、断れなくて一緒に遊んでやっていた。最初はそれだけだった。
 子供は苦手でも、自分に懐いて慕ってくれるようになれば、可愛くなってくるものだ。そういう意味で可愛いと思っていたのが、いつの間にやら違う意味での可愛いに変わっていた。あの夏祭りの日が決定打だったが、もしかしたらそれよりも前に自分の中での“可愛い”が変質したのではないかと、最近になって思う。童女のような女は趣味ではないけれど、でもいつもの相手をしていたのは、ただの“可愛い”という気持ちだけではなかったと今となっては思うのだ。
「べ……別に、斎藤さんしか相手がいなかったわけじゃないんだからね。沖田さんだって、山南さんだって遊んでくれたんだから」
 ぷぅっと膨れて、が反論した。こうやって真っ直ぐな反応が返ってくるから面白いと、斎藤は思う。感情がそのまま外に出て表情がくるくる変わるから、の相手をするのは楽しいのだ。
 はもうすぐ17歳になる。もう立派な大人だけれど、こうやって話をしている時のはまだまだお子様だ。時折斎藤もドキッとするような大人の表情を見せることもあるのだが、それでもまだまだ同年輩の娘に比べたら格段に幼い。このままずっとこの状態なのではないかと心配してしまうくらいだ。
 が、最近になって、の幼さは作られたものではないのかと斎藤は思うようになってきた。上手く言えないのだが、いつもの幼い表情よりも時折見せる大人っぽい表情の方が、の顔にしっくりくるというか、あれが本当の顔なのではないかと思うのだ。動物や昆虫で言うところの“擬態”というやつだ。いつまでも子供の振りをして、目先の問題を先送りしようとしているような感じがする。“目先の問題”とは勿論、斎藤や山崎のことだ。
 いつまでも子供の振りをしているのは、山崎に要らぬ心配をさせまいとしているのか、まだ大人の女ではないのだからそれ以上のことはするなと斎藤を拒否しているのか。どういうつもりでそうしているのか判らなかったから、試すつもりで家に誘ってみた。そして今、はこうやって目の前で茶を啜っている。
 誘った意味が解っていないわけではないだろう。その証拠に、は此処に来た時、ただ事ではないくらい緊張していた。此処に来たら何をされるのか解っていて、それでも一人で此処に来たということは、斎藤を拒否することは無いだろう。
 が湯飲みを卓袱台に置いたところで、斎藤はさり気なくの方に動いた。
「その割には、俺ばっかリ誘ってたじゃないか」
「それは……山南さんは明里さんがいるし、沖田さんは近所の子から遊びに誘われるし。斎藤さんが一番暇そうだったから、誘ってあげてたの!」
「ほぅ、俺はお前に遊んでもらっていたのか。それは知らなかったなあ」
 強情を張るようなの言葉が可笑しくて、斎藤は含むような笑いを見せた。そして、指先をの髪に触れさせる。
 いきなり髪に触られて、はビクッと全身を強張らせた。それまでくるくると表情を変えて楽しそうに喋っていた顔も、一瞬にして血の気が引いて固まってしまう。折角緊張が解けていたのに、また最初に戻ったみたいだ。
 それでもさらさらとした髪の感触を楽しむように指を動かしながら、斎藤は更にに近付く。
「髪、随分伸びたな。此処に来てから、一度も切ってないのか?」
「………うん」
「最初の頃は、肩より一寸長いくらいだったのにな」
「………うん」
 今はの髪は腰まで長くなっている。一番髪が伸びる時期とはいえ、初めて会った時からこんなに髪が伸びるくらい時間が経ったのだ。相変わらず小さいけれど、あの頃に比べたら少し背が伸びたし、姿も大人っぽくなった。否、はもう大人だ。
 髪を触っていた手をそのまま背中に回し、斎藤は強い力で自分の方に引き寄せる。小さく悲鳴のような声を上げたが、は抵抗するような動きは全く見せず、すっぽりと斎藤の胸に収まった。
 の全身の筋肉が強張るのが、着物越しに斎藤にも伝わった。身体がカタカタと震えていて、これからされることに恐怖を覚えているのだろうか。斎藤は男だからよく分からないが、初めての時というのは、女は期待よりも不安や恐怖の方が大きいらしい。身体の中に侵入されて、しかも痛みが伴うのだから、当然といえば当然か。
 の恐怖心を取り払うように、斎藤は何度も何度も背中を優しく撫でる。
「俺のこと、怖いか?」
 その言葉に、は俯けていた顔を上げて斎藤の顔を見上げた。その怯えた目を見ていると、そんなにも恐ろしいものなのかと思う。瞳をふるふると震わせて、今にも泣き出しそうだ。
 こんなに怖がられると、今日はここまでで止めておこうかと思ってしまう。怖がっているのを無理やりやってしまうのは、斎藤の趣味ではない。それに、ここで焦って強引にことを進めてしまったら、に一生ものの傷をつけてしまうし、二度と斎藤に近付かないだろう。
「今日は、止めておくか?」
「………………」
 その言葉に、は一寸考えるように無言で俯いた。ここで頷いたら、多分斎藤はそのままを解放してくれるだろう。一寸気まずくなってしまうかもしれないが、でもすぐに元に戻れると思う。だけど―――――
 こうやっていつまでも逃げているわけにはいかない。いつかはそういう風になるわけだし、だっていつかはそうしたいと思っている。今度いつ斎藤の家に行けるか分からないし、彼はとても強いけれど、でも新選組にいる限り、いつ誰に斬られてもおかしくはないのだ。最近、京の町も物騒になっていて、それは強く思う。だから、こうやって一緒にいられるうちに、何もかも済ませておきたい。
 意を決したように斎藤の着物をぎゅっと握り締めると、は俯いたまま小さく首を振った。恥ずかしくて、斎藤の顔をまともに見れない。
「良いのか?」
 斎藤が囁くような声で尋ねた。心なしかその声音は硬い。の緊張がうつったのだろうか。
 斎藤の着物を掴んでいる手に更に力を込めて、は小さく頷いた。やっぱり斎藤の顔は見られない。心臓がばくばくして、掌には汗をかくし、山崎の手伝いでやっている監察方の仕事よりも緊張している。

 囁きながら、斎藤はの顎を持ち上げる。その顔は相変わらず怯えているけれど、でもそれを必死に押し隠そうともしていて、それがいじらしい。胸にすっぽりと収まってしまうような小さな身体を震わせて、でも斎藤を受け入れようと心を奮い立たせようとしているの姿は、今まで見たどんな姿よりも愛しい。
「怖がらなくて良いから。みんなやってることだから、怖いことじゃない」
 をなだめるように優しく囁くと、斎藤はゆっくりと唇を重ねた。





「遅いっ!!」
 門の前で行ったり来たりしながら、山崎は苛々が頂点に達したような声で怒鳴った。
 が出て行って、一時間近く経っている。黙って出て行って、こんなにも帰りが遅いなんて、初めてのことだ。やはり斎藤と一緒にいるのだろうか。斎藤と一緒にいるとしても、今までだったら必ず誰かに一声かけて出て行っていたのに。
 屯所にいる全ての隊士に斎藤の借家を訊いてみたが、誰も知らないと言っていた。恐らく、を連れ込むために計画的に借りた家なのだろう。なんという男なんだ、斎藤は。
 落ち着き無くうろうろしている山崎に、玄関にしゃがみこんでいる原田が声を掛ける。
「遅いったって、まだ真昼間じゃねぇか。そんな心配するほどじゃねぇと思うぞ?」
「昼間とか夜とか、そういう問題じゃない! 黙ってこんなに長く留守にするなんて。斎藤と一緒かもしれないんだぞ!」
 まるっきり他人事な原田の口調が、ますます山崎の苛立ちに拍車をかける。そもそも、原田がを引き留めていれば、こんなことにはならなかったのだ。が斎藤の毒牙にかかっていたら、原田にも責任の一端はある。
 今こうしている間にも、は斎藤に何かされているかもしれない。昼間だから安心ということは絶対に無いのだ。逆に、昼間に連れ出した方が誰からも怪しまれないから、昼間にやるということも考えられる。真昼間からがそんなことをされていたらと思うと、山崎は気が狂いそうだ。こんな気持ちは、娘を持った者にしか解らない。
「斎藤と一緒なら安心じゃねぇか。どこの馬の骨とも分からん男といるよりはさ」
「斎藤と一緒っていうのが一番危ないんだよっ!! 馬鹿かお前は?!」
「何を玄関先で騒いでいるんですか?」
 原田に噛み付かんばかりの勢いの山崎に、通りがかりの山南がのんびりと声を掛けた。彼は土方と同じ副長なのだが、どうも最近土方とうまくいっていないらしく、仕事も無くて暇を持て余しているらしい。屯所の中を手持ち無沙汰そうにぶらぶらしているのを、よく見かける。
が帰ってこないんですよ。出て行ってもう半刻は経つっていうのに」
「半刻くらいだったら、そんなに心配することは無いでしょう。まだ日は高いですし」
 切羽詰った顔で訴える山崎に、山南はにこやかに応える。
「何言ってるんですかっ?! 斎藤と一緒かもしれないんですよ?!」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。ちゃんと暗くなる前に帰って来るでしょう。ちゃんだって、斎藤君と二人きりで遊びたい盛りだろうし。若いって良いですねぇ」
 のんびりとした山崎の口調は普段は癒し系だけれども、こういう時は神経を逆撫でするツボを心得ているかのようだ。山南の一言一言が、山崎の怒りのツボを的確に刺激している。こういうところが土方との不仲の原因の一端なのではないかと思うくらいだ。
 しかし、相手は一応上司である。原田のように怒鳴りつけるわけにはいかなくて、山崎は苛々の自家中毒状態になってしまう。
 顔を引き攣らせながら、それでも穏やかな口調で山崎は訴える。
「娘の父親としてはですねぇ、娘が男と二人きりになるというのは心配で心配で堪らないものなんですよ。特にうちのは他所の娘さんと違ってまだまだ子供だし、斎藤に誑かされて何か間違いがあったらと思うと―――――」
「ああ、ちゃんは立派な大人ですから、大丈夫ですよ。たとえ斎藤君とそういう仲になっても、誑かされるんじゃなくて、ちゃんと自分の考えでするでしょうから」
「何言ってるんですか?! あんな日がな一日猫と遊んでいるような子ですよ? あんな子のどこが立派な大人なんですかっ?!」
 他人の娘だと思って適当なことを言ってくれる。やはり娘を持たない者には、この気持ちは解らないのだ。
 やり場の無い怒りに顔を赤くする山崎に、山南は相変わらず穏やかに、
ちゃん、あなたが思っているほど子供ではありませんよ。斎藤君とのこともちゃんと考えているようですし」
「あの子の“ちゃんと考えている”なんて、ちゃんと考えてなんかいませんよ。せいぜい、明日はどうやって遊ぼうかくらいしか考えていないんだから」
「………そう思っているのは、多分山崎君くらいですよ。というより、そう思いたいんですかねぇ」
「なっ………」
 山南の言葉に、山崎は反論の言葉に詰まってしまった。それは一寸図星を指されていたからだ。
 が大人になることは、山崎にとっても勿論喜ばしいことだ。を拾ったばかりの頃は、早くこの子が大人になってくれないかと、そればかり考えていた。大人になったら信頼できる男に嫁がせて、親としての責任を果たしてしまいたいと思っていた。
 が、その一方で、の身体が子供から娘のものになるに従って、心配事も増えた。斎藤のことが、その最たるものだ。が子供のままでいてくれたら、そんな心配はしなくても済んだのに。が12歳の子供のままでいてくれたら、どんなに楽だっただろう。
ちゃんが同じ歳の女の子よりも幼く見えるのは、あなたの願望を感じ取って、そう振舞っているのではないのでしょうかねぇ」
「………………」
 山南の口調は穏やかではあるが、確実に山崎の痛いところを突いている。
 思い返してみれば、は以前に比べると、だんだん喋り方や振る舞いが幼くなっている。去年の今頃は、今よりも喋り方も仕草も大人っぽかったと思う。が少しずつ幼くなったのは、斎藤と親しくなって、山崎の説教が増えた頃からだ。は自分が子供っぽくなることで、山崎の心配を回避しようとしていたのだろうか。
 考え込んでいる山崎に、山南は畳み掛けるように言った。
「斎藤君はああ見えて、とてもいい男ですから、ちゃんにとって悪いことにはならないと思いますよ。だから、そろそろ二人のことを許してあげたら如何ですか?」





 初めて触れた斎藤の肌は思ったよりもずっと暖かくて、他人の身体の重さがこれほど心地良いものだというのも、初めて知った。こうやって裸で抱き合うというのは、服を着て抱き合うよりもずっと気持ち良い。
 身体はまだ痛むけれど、でもそれは不快なものではない。甘い気だるさに全身が包まれて、このまま眠ってしまいそうだ。このまま時間が止まったら、どんなに良いだろう。
「まだ痛いか?」
 初めての行為の後、何も言わずに黙りこくっているに、斎藤が労わるように尋ねる。
 初めてだから怯える子供をあやすようしたのだが、それでもなかなか出来なくて、何回か繰り返して漸く身体が繋がったのだ。は泣きはしなかったが、それでも辛そうに声を殺していて、見ていてとても可哀想だった。生娘を抱いたのは初めてではないが、抱きながら可哀想だと思ったのはが初めてだった。
 まだ痛いけれど、痛いと言うと斎藤に悪い気がして、は黙って小さく首を振る。
「そうか………。身体が辛いようだったら、泊まっていくか? 山崎さんには俺から言っておくから」
 此処から屯所まで、結構距離がある。あんなに痛がっていたし、今日は泊めた方が良いかもしれない。山崎には適当に言って誤魔化せれば良いが、多分無理だろうから多少痛い目を見るのは覚悟している。というより、を此処に誘った時から、山崎にボコボコにされることは覚悟している。
 が、はそれにも小さく首を振る。斎藤に泊まっていくかと言われたのは嬉しかったが、それ以上に山崎に心配をかけたくなかった。多少辛くても、明るいうちに屯所に帰りたかった。
 いつもはお喋りながこうやって黙り込んでいると、どうも斎藤はやりにくい。もしかして、本当はこうすることは嫌だったのではないかと不安になってしまう。
 髪や顔を撫でられるのは、も抵抗しないで受け入れている。それどころか、時々気持ち良さそうに目を細めているくらいだから、嫌ではないのだろう。目を細める表情が祇王に似ていて、飼い主と動物は似るものなのだと斎藤は妙に感心してしまった。
「………斎藤さん」
 不意に、が囁くような声で名前を呼んだ。
「ずっと、このままでいれたら良いね」
 ずっとこうやって、二人でどこかに行ったり、時々こういうことが出来れば良いなと思う。山崎に心配をかけない範囲で、斎藤と一緒にいられたらどんなに良いだろう。出来ることなら、ずっとこのままの関係でいたい。今のまま、時間が止まってしまえば良いのに。
 の言葉に、斎藤は苦笑する。
「そうしたいのは山々だが、いつまでもこんな格好だと風邪引くぞ」
 そう言いながら、脱ぎ散らかした着物を引き寄せた。そしての身体にも着物をかけてやる。
 “ずっとこのまま”の意味が違うのになあ、と思いながらも、は黙っていた。意味を取り違えたままの方が、斎藤にとっては良いかもしれない。あの言葉の本当の意味は、斎藤には言えない。
 まだ重い身体をゆっくりと起き上がらせると、は身なりを整え始める。そろそろ帰らないと山崎が心配しているだろうし、屯所の夕餉の時間に間に合わなくなってしまう。最近監察方としての仕事が無いは、賄を引き受けているのだ。
 着物に袖を通すの姿を楽しそうに見ていた斎藤が、急に何かを思い立ったように真顔になった。そして、上体を起こして着物をきちんと着付けて正座をする。
「どうしたの?」
 斎藤の突然の行動に、は帯を結ぶ手を止めて不思議そうな顔をした。
「すぐには無理だけど、俺の仕事が一段落したら、結婚しよう」
「…………え?」
 突然の言葉に、は目を丸くしたまま固まってしまった。あんなことをしたから、斎藤は責任を感じてそんなことを言うのだろうか。そんな言葉を引き出したくて、あんなことをしたわけじゃないのに。
 困惑するに、斎藤は慌てて説明する。
「今日、こんなことをしたから言ったわけじゃない。前からずっと考えてたことなんだ。お前が17になったら、山崎さんもいい加減大人だと認めてくれるだろうし。今、一寸大きな仕事を抱えそうだから、今すぐどうこうというわけにはいかないが、それが終わったらお前を貰いに行くから。だから、山崎さんに話を通す前に、お前と約束をしとこうと思って」
「そうなんだ………」
 斎藤がそこまで具体的に考えていたとは思わなかった。勿論遊びで付き合っていると思ったことは無いが、それでも将来のことは漠然としか考えてないと思っていたのだ。
 斎藤がそこまで考えてくれていたというのは、嬉しい。当然だ。だけど―――――
 呆然としているの顔に、斎藤は笑いながら掌を当てる。
「急な話だと思ってるようだが、まだ時間はあるからゆっくり考えてくれ。山崎さんには折を見て、俺の方から話すから」
 心配することなど何も無いと言いたげな斎藤に、は何と言って良いのか解らなくて、曖昧に微笑むだけだった。





 変な歩き方になってないかと心配しつつ、は何とか屯所が見えるところまで辿り着いた。まだ脚の間は痛いし違和感もあるけれど、でもそれを誰かに察知されるわけにはいかない。特に山崎には。山崎に知れたら、斎藤は殺されてしまうかも知れない。
 何事も無い風を装いながら屯所まで歩くと、予想通り山崎が門の前で待っていた。何と言い訳しようかと考えていると、山崎の方からに駆け寄ってきた。
「何処に行ってたんだ、心配したんだぞ?! 斎藤のところか?! あいつの借家に行ったんだな?! 斎藤に何かされなかったか?!」
 両手で肩を掴まれ、山崎から立て続けに質問されて、は何と言って良いのか分らなくなってしまう。やっぱり黙って出て行ったのが悪かったらしい。けれど、一言声を掛けたら屯所から出してもらえなかったのは確実で、そう思うと斎藤と付き合うのはそんなにも悪いことなのかと悲しくなってしまう。
 困惑して泣きそうな顔になっている山崎は更に言葉を続ける。
「もう、お前が斎藤と一緒にいると思うだけで、俺は寿命が縮まる思いがするんだぞ。頼むからこれ以上心配させんでくれ」
「山崎さん………」
 斎藤と一緒にいることは、そんなにも悪いことなのだろうか。山崎の寿命を縮めさせるほど心配させることなのだろうか。自分ではそんなに悪いことをしているとは思っていないのに、斎藤のことが好きなだけなのに、それがそんなに悪いことなのだろうか。
 斎藤のことは好きだけど、山崎にはもうこれ以上心配をかけたくないと思う。今までずっと心配をかけてきたし、これからも心配させていたら本当に山崎は身体を壊してしまうかもしれない。
「ごめんなさい。これからはもう、心配させるようなことはしないから。ごめんなさい」
 すっかりしょげ返って謝るに、やっと山崎は落ち着いて手を離した。そして、子供を諭すような優しい口調で、
「解ってくれれば良いんだ。これからは、俺に黙って斎藤に会いに行くんじゃないぞ。良いな?」
「………はい」
 斎藤のことも山崎のことも、にはもうどうして良いのか分からない。どうすれば全て丸く収まるのか、いい方法を思いつけない自分がもどかしくて、は悲しくなってしまうのだった。
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