百夜

百夜 【ももよ】 多くの夜。
 寒くなったから新しい布団が欲しい、と蒼紫が言い出した。今の布団でもまだ冷えるなら毛布を買おう、とが提案してみるが、布団で無ければ駄目なのだと言う。
 確かに今の布団は結婚前に蒼紫が『葵屋』で使っていたものを持ち込んだものだから、古いものではある。古い布団では、暖かさも落ちるものなのかもしれない。
「じゃあ、綿を打ち直す? 今だったらすぐにやってもらえると思うし」
 これから本格的に寒くなったり、年末に差し掛かれば、布団屋も忙しくなる。すぐにやってもらうなら今のうちだ。
 だが蒼紫はその提案にも不満げな顔をする。何が何でも新しい布団が欲しいらしい。
 新しい布団なら、だって欲しい。けれど二人分買うには懐具合が些か心許ないのだ。蒼紫だけ新品で、は結婚前からのお古というのは、いくら何でも如何なものかと思う。
「この際だから、二人用の布団を買おうと思う。夫婦は同じ布団で寝るのが普通らしいし、それが夫婦円満の秘訣だと、皆に言われた」
「皆って?」
「『葵屋』の」
「〜〜〜〜〜〜〜〜」
 子供のような蒼紫の返答に、は頭が痛くなってきた。そんなことまで『葵屋』で話しているというのも、頭が痛い。
 別の布団で寝るか一緒の布団で寝るかは、夫婦それぞれで決めることであって、誰かに言われたから変えるというものではないだろう。大体、布団をどうしているかなんて、いくら実家同然の『葵屋』ででも話すことではない。
 蒼紫はかなり世間とずれているところがあるから、自分のやっていることが世間並みなのか不安になることもあるのだろう。これで大丈夫なのかと、周りに訊きたくなる気持ちは、にも解らないでもない。しかし、こんな極めて個人的なことを話すのは如何なものか。
「あのね、蒼紫。そういうことは、たとえ『葵屋』の皆さんにも話すことじゃないの」
「何故だ? 今の状態が世間一般で普通なのか訊きたかっただけなのに」
 蒼紫には本気での言っていることが解らないらしい。
「蒼紫と私がそれで良いと思っているのなら、それで良いの」
 大体、妻が夫を呼び捨てにしたり、夫が家事を手伝っている時点で、世間からずれているのだ。今更布団がどうこういう問題ではない。
 蒼紫は何やら考えているような顔をしたが、一応は納得したらしい。が、まだ新しい布団は欲しいようで、
「でも、一緒に寝た方が暖かいと思う」
「そりゃあ、まあ、ねえ………」
 それは蒼紫の言う通りだ。一人で寝るよりは二人で寝た方が、二人分の体温で布団も温まるだろう。
 けれど最大の問題は、蒼紫との体感温度が違い過ぎることだ。真冬でも布団と毛布だけで十分なと、湯たんぽと霖霖が手放せない蒼紫が一緒に寝たら、どちらかが体を悪くしてしまう。
「でも蒼紫に合わせたら、私がのぼせちゃうわ」
「一緒に寝るなら、霖霖も湯たんぽもいらないだろう」
「うーん………」
 蒼紫の中ではもう、二人用の布団を買うのは決定事項らしい。布団さえあれば、いつまでも夫婦円満で何事もうまくいくと信じているかのようだ。蒼紫は思い込みの強い性格だから、こうなってくると反対するのは難しい。
 まあ、同じ布団で寝起きするようになれば、夫婦円満云々は兎も角として、何かと便利ではある。寒い朝でも、が横でごそごそ起き出したら、蒼紫も布団から出ざるを得なくなるだろう。蒼紫を布団から引っ張り出すのが簡単になれば、もとても助かる。
 出費は少々痛いが、忙しい朝の時間を短縮できるなら、悪い投資ではない。それに少し高くてもいい物を買えば、長く使うことが出来るだろう。
「そうねぇ………」
 そう呟きながら、はどこから布団代を捻出させようかと考えた。





 数日後、家に新しい布団が届けられた。今までの布団よりずっと軽くてふかふかで、やはり新品は良いものだ。
 布団を敷いてみると、心なしか蒼紫はうきうきしているようだ。あれだけ熱心に購入を望んでいたのだから、当然といえば当然である。
 そして今まで一緒に寝ていた霖霖はというと、今日からは古い野菜籠に古い座布団を敷いた寝床だ。いつもなら蒼紫が風呂から上がったらすぐに布団に入れてくれるのに、今夜は籠の中に入れられて戸惑い顔である。
「こういう布団だと、本当に夫婦という感じがするな」
 早速布団に入った蒼紫の声は弾んでいる。
 結婚前から週に何日も一緒に寝起きして、同居するようになってからも何ヶ月も経つのだから、今更しみじみ感激するほどのことではないだろうとは突っ込みたくなった。だが言われてみれば、結婚したといっても殆どの道具は互いが結婚前から使っていた物を持ち込んだだけで、生活もこれといった劇的な変化は無かったのだから、この布団は“結婚した”ということを再確認する良い材料なのかもしれない。
 蒼紫は普段はよりもずっと醒めているような感じがするけれど、こういう時は子供のように興奮したりうきうきしたり、とても楽しそうだ。逆にが冷静に蒼紫の様子を観察していて、こういうのは男女逆だと思う。
「今更そんなこと言われても………」
 苦笑しながら、も布団に入る。
 実際布団に入ってみると思ったよりも蒼紫の顔が近くて、は急に照れ臭くなった。今までも一つの布団で寝ることはあったけれど、大抵は別の布団で寝ていたから、こんなに顔が近付くことはあまり無かったのだ。さっきは浮かれる蒼紫に今更何を言っているのかと思ったが、が照れるのも今更である。
 こうしてみると、今更ながら新婚初夜のようだ。実質の初夜はとうの昔に済ませているけれど、何だか初めての夜のようにどきどきする。
 布団の購入を渋っていただが、こうやって実際に寝てみると、買って良かったと思う。こうやって一緒に寝ていると身体が触れ合って一人で寝るより暖かいし、顔が近いから何となく話をしたくなる。誰が言ったのか知らないが、夫婦円満の秘訣というのは本当なのかもしれない。
「こうして寝ると、暖かいだろう?」
 が布団に満足しているのを察して、蒼紫が嬉しそうに言う。そしての腰に手を回して自分の方に引き寄せた。こうすると身体がぴったりとくっ付いて、もっと暖かくなる。
「これなら湯たんぽはいらないわね」
 くすくす笑いながらがからかうと、蒼紫も小さく笑う。
「これからは、ずっとこうやって寝るからいい」
 そう言って、蒼紫は今度は脚を絡めてきた。が、の爪先に触れると、不思議そうな顔をする。
「足、冷たいな」
 の身体は温かいのに、足は氷のように冷たい。
「冷え性なのよ」
「じゃあ、ずっとこうしていないと駄目だな」
「そうねぇ」
 嬉しそうにする蒼紫の様子が可笑しくて、はくすくす笑う。
 蒼紫の体温で、爪先がじんわりと温まってくる。一旦温まると急に血行が良くなるらしく、熱いくらいぽかぽかしてきた。
 これからもっと寒くなるけれど、こうやって一緒に寝たらいつでも暖かい。今年の冬はきっと、湯たんぽの出番は無いだろう。勿論、来年も再来年も。これからはずっと、こうやって温め合って寝るのだ。
 湯たんぽと違って、人肌というのは丁度良い温かさで気持ちが良い。こうやって抱き締められていると、何だか眠たくなってきた。
 と、の腹辺りで柔らかいものがもそもそ動く気配がした。は眠たくなったが、蒼紫は“その気”になったらしい。一緒に寝て、新婚初夜気分になったのだろう。彼らしいといえば彼らしい。
「もぉ……くすぐったいってば」
「え? 何もしてないぞ?」
 がくすくす笑いながら甘い声を出すと、蒼紫が驚いた顔をした。
「え?」
 確かに蒼紫の手はの腰にあって、もう片方の手は枕のところにある。となると、布団の中で動いているのは―――――
 柔らかなものはもそもそと這い上がってきて、と蒼紫の間からぴょこんと顔を出した。
「あら………」
 ぷはっと息を吐いて、霖霖は当たり前のように寝る体勢に入る。どうやら新しい寝床は気に入らなかったらしい。
 新しい布団は霖霖も気持ちが良いらしく、唖然としていると蒼紫をよそに、うっとりとした顔をしている。この布団は自分にも使う権利があると思い込んでいるようだ。
「あー………」
 動く気が全く無い霖霖を見て、蒼紫は間の抜けた声を出す。
 折角二人で寝るための布団を買ったのに、霖霖がいては雰囲気が台無しである。かといって気持ち良さそうにしているのを追い出すのも可哀想で、困った顔で寝顔を見ているだけだ。
 それはも同じのようで、同じく困った顔で蒼紫を見るのだった。
<あとがき>
 冬は火鉢ネタというのはいい加減ワンパターンかと思いまして、今年は布団ネタ。そういえばこの二人、別の布団で寝てたんだよなあ、と思い出したんで。
 夫婦円満の秘訣は一緒の布団で寝ること、っていうのは、随分昔に何かのテレビで言ってたんですよ(倦怠期における離婚回避の秘訣だったかも)。まあ、この二人は布団なんか関係無く仲良しでしょうが。
 今後の課題は、どうやって霖霖を新しい寝床に定着させるか、ってところですかね(笑)。
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