帰り花

帰り花 【かえりばな】 小春日和に誘われた花が、季節外れに咲くこと。
 『葵屋』の人間を呼ぼうというの提案で、蒼紫たちが山小屋へやって来た。普段は静かな山も、今日ばかりは大賑わいである。
 比古の予定ではすぐに宴会に雪崩れ込むはずだったのだが、その前に茸狩りにいこうとが言い出したものだから、不本意ながらみんなで山歩きだ。茸狩りなんて比古には面白くも何ともないのだが、操たち女衆には物珍しいのか好評のようである。
さーん、これって食べられるの?」
「うん。これは焼いて食べると美味しいのよ」
「じゃあこれも大丈夫かしら? 操ちゃんのと似てるけど………」
「あ、それは駄目。似てるけど、傘のところが一寸違うわ」
 操とお増に付き添って、は茸の鑑定をしている。町育ちの彼女だが、山での生活が長いお陰で茸の識別も出来るようになったのだ。家庭菜園といい魚釣りといい、食べ物に関しては恐ろしいほどの勢いで生活力を身に付けている。
 もう一人の女衆のお近はというと、ではなく比古にべったりだ。志々雄一派の『葵屋』襲撃以来、何だか気に入られてしまったらしい。あれ以来、蒼紫と一緒に此処に来ては、何となく纏わり付かれているのだ。
「清十郎様、あちらにもありそうですわ。行ってみましょうよ」
 いつの間にか腕まで絡めて、お近が誘う。きっと比古と二人きりになりたいのだろう。
 それにしても、人目があるというのに自分から腕を組んでくるなんて、随分積極的な女である。しかしこうやって好意を示されるのは、比古も悪い気はしない。
 からは年寄り扱いされたりジジィ呼ばわりされたりしているが、世間の女から見れば比古は魅力のある男なのだ。それに引き換えの方は、お目当ての蒼紫から話しかけられもしないではないか。どちらが異性として魅力的か、一目瞭然である。
 この現実を目ん玉ひん剥いて見てみやがれ、と比古は勝ち誇った顔でを見た。が、彼女は比古の存在など忘れ去っているかのように、『葵屋』の者たちときゃあきゃあ騒いでいる。相手のことを気にしていたのは、比古だけだったらしい。久々によその人間と話せる貴重な機会だから、も比古になど構ってはいられないのだろう。
 折角勝った気でいたのに、肝心のは比古のことを全く見ていないなんて、馬鹿みたいである。しかもは女同士のお喋りに夢中で、蒼紫のことなど目に入っていないようだ。これでは勝負になりようがない。
 そう思ったら、お近が擦り寄ってくるのも急につまらなくなってしまった。黙っていても女が寄って来るのをに見せ付ける絶好の機会だったのに、彼女が見ていなくては寄って来られても意味が無い。
「ねえ、清十郎様」
「あ、ああ。そうだな」
 お近に腕を引っ張られ、比古ははっとする。
 が見ていようと見ていまいと、比古は比古で楽しめばいいのである。折角から解放されているというのに、彼女の様子ばかり気にしていては損というものだ。
「おーい、俺たちはあっちの方を見てくるぞ」
 一応、たちにも声を掛けておく。すると、やっとは比古の方を見て、
「じゃあ、私たちは向こうに―――――あっ!」
 向きを変えたところで、ずるっと足を滑らせてしまった。尻餅をつきそうになる寸前、傍にいた蒼紫に支えられる。
「大丈夫ですか?」
「枯葉で足を滑らせてしまいました」
 お目当ての蒼紫に近づけて頬を染めながらも、は支えてもらっている手をしっかりと握って離さない。大人しそうな顔で初々しい表情を作っているくせに、そこはやはり図々しい年増女だと、比古は呆れた。
 足を滑らせたのも、おそらくわざとだろう。は山歩きに慣れているし、比古と二人で此処より足場の悪い場所へ粘土を採りに行く時は転んだことが無いのだ。
 しかしわざと足を滑らせて相手の気を引くとは、古典的過ぎる。の頭ではそれくらいしか思い浮かばなかったのだろうが、山に慣れた女がそれをやっても、わざとやってるのが見え見えではないか。策を弄するのは結構だが、自分の個性を考えろと比古は言いたい。
 蒼紫の性格ではすぐにの手を振り解くかと思いきや、そんな様子は微塵も無い。それどころか彼からもの手を取って、
「このあたりは少し傾いているから気をつけてください」
 騙されているのか、騙されてやっているのか、蒼紫はの手を引くつもりでいるらしい。そんな気の利いた真似の出来る男だとは思わなかった。
「まあ、ありがとうございます」
 何処から出しているのかと思うような可愛らしい声で、は上品に微笑む。日頃の姿を知っている比古としては、唖然とするしかない姿だ。
 これは、は本気で蒼紫を捕獲するつもりだ。“落とす”という表現よりも、“捕獲”とか“捕食”という言葉がぴったりな雰囲気である。色恋に疎い蒼紫を絡め捕るのは、年上のには造作ないことだろう。比古には何だか、と蒼紫の姿が女郎蜘蛛と羽虫のように見えてきた。
 蒼紫にを押し付けようかと考えたこともあった比古だが、実際にこの状況を目の当たりにすると、多少なりとも良心が痛む。前途ある若者にこんな欠陥女を押し付けるのは、流石に人の道に外れるだろう。
 しかし二人の様子は、それなりに楽しそうである。が楽しそうなのは当然なのだが、蒼紫までもが楽しそうに見えるのは意外だった。蒼紫はかなり浮世離れした男だから、もしかしたらのような変な女でも違和感が無いのかもしれない。
 蒼紫がそれで良いのなら比古が口を挟む義理は無いのだが、そう思ってはみても、本当にそれで良いのかと問い詰めたくなる。世の中にはもっといい女はいくらでもいるのだ。
 何だか釈然としない気持ちで二人の様子を観察している比古に、お近が耳打ちする。
「あの二人、いい感じですね。これがきっかけになると良いですけど」
「は?」
 にこにこしているお近の言葉に、比古はびっくりする。
 お近の様子は二人を応援しているようである。のような女が蒼紫と付き合うようになったら大変だとは思わないのか。
「奴は気に入っているようだが、四乃森はどうだかな。あんな出戻りの年増は嫌だろう」
 ついこの前まで蒼紫に押し付けてやろうと考えていたくせに、比古の言っていることは正反対だ。
「あら、さんはまだ三十前でしょう。それに、蒼紫様には世間を知った年上の人がお似合いですよ」
「そりゃそうだろうが………」
 確かに、世間を知っているようで知らない蒼紫には、酸いも甘いも噛み分けた年上女が丁度良いのだろう。だが、それがに当てはまるかというと、かなり微妙だ。あの女を、蒼紫ごときが扱えるとは思えない。
さんの身の振り方が決まれば、清十郎様も安心でしょう?」
 比古の心配をよそに、お近は楽しそうにふふっと笑う。
 お近の言う通り、が蒼紫とくっ付いて山を下りてくれれば、比古にとってこれほどありがたいことはない。も一度は諦めた“女の幸せ”というやつを満喫できるのだから、互いに良いことである。しかし―――――
「うーん………」
 最初にそれを望んだのは比古であるはずなのに、何故か納得いかない。そう思うことにも納得できず、比古は低く唸ってしまうのだった。





 皆で採った茸を肴に宴会が始まった。鍋にしたり七輪で焼いたり、皆でわいわいやりながら食べられる料理が中心だ。
 は相変わらず蒼紫にべったりと張り付いて、何くれとなく世話を焼いている。比古にはそんな気遣いを見せることなど一度も無いくせに、相手が変われば変わるものである。
 蒼紫はそんなの姿にすっかり騙されているのか、世話を焼かれて嬉しそうだ。もう完全にの術中に嵌っている。
 まったく蒼紫も馬鹿だが、である。年甲斐も無く若い男にべたべたして、みっともなくて見ていられない。
さん、とっても楽しそう」
 同じく比古にくっ付いているお近が楽しそうに笑う。
「四乃森も変なのに気に入られて災難だな」
 焼き茸を食べながら、比古は同情するように言う。
 あんな年増女に気に入られては、蒼紫は逃げたくても逃げられまい。今はいい気になっているようだが、本性に気付いてからでは遅いのだ。
「ババァのくせに色気づきやがって、みっともねぇ………」
 浮かれるの姿を横目に、比古は小さく毒づく。その言葉を耳ざとく聞きつけ、お近は心外そうに目を丸くした。
「あら、ババァだなんて………。さんはまだお若いじゃありませんか」
「独身なら兎も角、出戻りじゃねぇか。出戻りのくせに若い男にべたべたするのはみっともねぇって言ってるんだ」
 が未婚なら兎も角、出戻りという立場で人目も憚らず男に纏わり付くなど、余程飢えている様ではないか。同じ年増でも、未婚なら遅い春が来たと生温かい目で見られるが、出戻りでは季節外れの狂い咲きにしか見えない。
 不機嫌に杯に口を付ける比古をじっと見ていたお近だったが、急に面白くなさそうに表情を曇らせた。
「もしかして、焼き餅ですか?」
 が蒼紫と親しくするのをこれほど悪く言うなんて、少し異常だ。みっともないだの何だの、比古らしくない。
 今までの様子では比古との間に特別なものは無さそうだったから、お近は安心していたのに、実はそうではなかったとなったら予定が狂ってしまう。ここは比古の気持ちをはっきりさせなくては。
「何、馬鹿なことを言ってやがる。若い男相手に浮かれるのがみっともねぇって言ってるんだよ」
 吐き捨てるように答えると、比古はぐっと杯を煽った。
 焼き餅なんて、絶対にありえない。比古はただ、年増女の色ボケの見苦しさと、前途ある若者が変な女に引っかかるのを憂えているだけなのだ。他人に無関心に見える比古にも一応、前途ある若者を思いやる心はあるのである。
 相変わらず蒼紫にべったり張り付いているの姿をもう一度見遣って、比古は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
<あとがき>
 というわけで、『葵屋』の皆が山小屋へ遊びに来てくれました。人が増えると、ややこしい人間関係も発生するわけで………。
 蒼紫にべったりと張り付く主人公さんに、みっともないとブツブツ文句を言う師匠。さて、本当にみっともないのはどちらなのやら(苦笑)。
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