光露
光露 【こうろ】 花火の異称。
と操が大量に花火を買い込んできた。夏が終わり、在庫一掃で大安売りをしていたのだそうだ。そんなわけで『葵屋』の営業が終わった後、皆で季節外れの花火大会が行なわれることになった。花火は夏のものであるが、涼しい秋の夜にやるのも乙なものである。
皆がわいわい騒ぎながら楽しく花火をやっている姿を、蒼紫は縁側に座って眺めている。花火が嫌いなわけではないが、皆で騒ぐというのはたとえ御庭番衆の仲間たちであっても苦手なのだ。こうやって少し距離を置いて眺めているのが気楽で良い。
そんな蒼紫とは反対に、は鮮やかな火を噴く花火を振り回しながら、きゃあきゃあ騒いでいる。そんな火が出ているものを振り回すなんて危ないと蒼紫は思うのだが、翁を始めとする周りの者たちは注意するわけでもなく、一緒に楽しげに騒ぐだけだ。
皆が楽しいのは結構なことであるが、花火を振り回すというのは感心しない。誰かが火傷でもしたら大変である。
「、そんなものを振り回すんじゃない」
縁側に座ったまま、蒼紫が静かに注意をした。が、はきゃっきゃと笑いながら、
「えー? こうした方が綺麗なんですよ」
蒼紫に注意されても、どこ吹く風といった様子だ。まだ子供だからと皆が操と同じように甘やかしているせいか、多少注意されたところで何とも思わないのだろう。
だが、“まだ子供”といっても、は今年でもう17歳である。一つ年下の操を基準にすれば“まだ子供”でも良いだろうが、世間的には嫁ぐ者もいる立派な“大人”だ。火が点いた花火を振り回して許される歳ではない。
「そうやって誰かが火傷をしたらどうするんだ。周りが火傷しなくても、お前が火傷するかもしれないだろう」
そこまで言われて漸く納得したのか、は花火を下ろした。たまたま花火が尽きかけていたから振り回すのを止めたのかもしれないが、大人しくなったことで蒼紫も満足である。
が、元々が陽気な性格のせいか、叱られてもの立ち直りは早い。火が消えた花火を桶の中に捨てると、新しい花火を持って蒼紫の方に駆け寄ってきた。
「蒼紫様も一緒にやりましょうよ。良いのが無くなっちゃいますよ」
「いや、俺は見ているだけで良い」
に腕を引っ張られても、蒼紫はにべも無い。
「そんなこと言わないで、やりましょうよぉ! 折角沢山買ったんですから」
花火を終わらせた操も一緒になって、蒼紫の腕を引っ張る。両脇できゃあきゃあ言われて、蒼紫は些か鬱陶しげに眉間に皺を寄せた。
ともすれば孤立しがちな蒼紫に、二人が気を遣っているのだろうということは彼も判っている。『葵屋』に戻ってからというもの、いつもこうやって二人で蒼紫をみんなの輪に引き入れようとしているのだ。今日の花火も、その一環なのだろう。
その気持ちはありがたいのだが、正直言って蒼紫は皆で騒ぐとかそういう類のことは苦手なのだ。気持ちを受け取るだけにさせてもらいたいと、正直思う。
「両手に花とは羨ましいのう、蒼紫」
他人の気も知らないで、翁がからかうように言う。
両手に花とは妙齢の美女が相手で成り立つものではないかと蒼紫は思うのだが、その辺はまあいい。こんな騒々しい花でよければ翁に譲ってやりたいくらいだ。
「俺は見ているだけでいい」
「え〜、そんなのつまんな〜い!」
「そうですよ。蒼紫様とやろうと思って沢山買ってきたんですから」
操とが口々に不満を漏らすが、蒼紫は頑として動かない。二人の気持ちは嬉しいが、それとこれとは別なのだ。
「俺の分はお前たち二人でやればいい」
冷ややかなほど素っ気無い返答に、がぷうっと膨れた。そして蒼紫から離れると、残っている花火を物色し始める。
蒼紫を誘うのを諦めたのかと思いきや―――――
「えいっ!」
「?!」
なんと、火の点いたネズミ花火を投げつけたのだ。これには流石の蒼紫も驚いて立ち上がってしまった。
蒼紫が逃げても、それを追いかけるようにネズミ花火は勢い良く回り、彼の足許でパンッと弾けた。
「何をするんだ?!」
「だって蒼紫様が………! 折角買ってきたのに………」
蒼紫に怒鳴られても臆する様子も無く、は拗ねたように膨れたままだ。悪いことをしたという自覚はあるようだが、謝る気は更々無いらしい。
の中では、どんなに誘っても頑なに拒み続ける蒼紫の方が、ネズミ花火を投げつけた自分より悪いということになっているのだろう。頑張っているのに全く結果が出ないのが悔しくて腹立たしかったのかもしれない。
他人に花火を投げつけるのは勿論悪いが、たちの気持ちを拒み続けてきたことを、蒼紫は少し反省した。『葵屋』の一員として改めて受け入れようとしてくれていたのに、それを性に合わないと拒むのは、たちの思いを踏みにじるのも同然のことだ。
「悪かった。一緒にやろう」
喜んで参加するというにはまだ程遠い心境だが、これから一緒に暮らしていくのだから多少の歩み寄りも必要だ。こうやって互いの感覚をすり合わせていくうちに、蒼紫も本当に楽しいと思える日が来るかもしれない。
の足許にしゃがみ込むと、蒼紫は適当な花火を選び始める。そんな彼の様子を見て、操が嬉しそうに一番大きな花火を勧めてきた。
「蒼紫様、これやりましょうよ」
「いや、これにしよう」
数ある花火の中で蒼紫が選んだのは、昔ながらの線香花火だった。操は少しつまらなそうな顔をしたが、騒々しい新型花火よりも、こういう静かな花火の方が蒼紫の性に合っている。
操やから見れば地味でつまらないものかもしれないが、線香花火もこれはこれで味のある花火だと蒼紫は思っている。こういうことは多分、歳を取らないと解らないことだろう。この二人が情緒だの風情だのを理解するところなど、まだ想像もできないが。
線香花火であれ、やっと蒼紫が一緒に花火を始めたことが嬉しいらしく、も線香花火を取って隣で始める。
「線香花火も結構良いですね」
本当にそう思っているのか蒼紫に合わせているのか、パチパチ弾ける火花を見ながらはふふっと笑う。そういう風に笑うのを見るのは初めてで、そんな大人の女のような笑い方も出来るのかと蒼紫は意外な気がした。
新型花火とは違う淡い光に照らされたの横顔は、いつもより少し大人びて見えて、その表情にも蒼紫は驚いた。小さな頃に別れたきりで今も操と同じお転婆だから、いつまでも子供のままだと思っていたが、いつの間にやらこんな表情を見せるほどに成長していたのだ。
こんな表情を見せるのはまだ一瞬で、すぐにまたいつものお転婆に戻るのだろうが、そう遠くないうちには完全に大人の顔になるだろう。そうなった時、は今と同じように蒼紫に纏わり付いてくれているだろうか。それとも違う男に夢中になって、蒼紫のことなど構っていられなくなってしまうのだろうか。
ことある毎に纏わり付かれて少しは放っておいて欲しいと思っていたが、そうしてくれるのもこの花火のように一瞬のことなのかもしれない。来年の今頃は―――――否、もしかしたら年明けを待たずに蒼紫のことなど目に入らなくなるかもしれない。そんな日が来ることを想像すると、少し淋しいような気がする。
「来年は、最初から一緒に花火をしよう」
来年も誘ってくれるか分からないが、次に誘ってくれることがあったらこうやって花火をしたい。来年のは、どんな風になっているのだろう。
蒼紫の言葉に、は嬉しそうに微笑んだ。
季節外れの花火ネタ。今年はいつまでも真夏みたいに暑いんで、まだいけるかなーって思って。
大人になりつつある主人公さんに感慨深くなってしまう蒼紫です。若いのに何だか父親目線だなあ。これだから若年寄は………(苦笑)。
しかし主人公さん、17にもなって花火を振り回したりネズミ花火を投げつけたりするのは如何なものか。ここは一つ、蒼紫に躾け直してもらいたいものです。躾け直しのついでに、光源氏と若紫計画もやっちゃったりして(笑)。