心の花

心の花 【こころのはな】 人の心の移ろいやすさや美しさをたとえた言葉。
 何だかが陶芸に目覚めてしまったせいで、縁まで休みの度に轆轤を回している。陶芸なんか面白くも何ともないのだが、一人で習いに行かせるわけにはいかない。彼女の本当の目的は、陶芸ではなく陶芸家の新津覚之進なのだ。
 蒼紫の話では人間嫌いの男ということだったのに、何故か陶芸を習いたいと言うの申し出をあっさりと承諾して、新津も彼女に気があるのではないかと縁は疑っている。そうでなければ、弟子になるわけでもない趣味で陶芸を始めたいという人間に教えるわけがない。
 しかもこの新津覚之進、聞けば剣心の剣術の師匠である比古清十郎というではないか。互いに知らぬこととはいえ、師弟で縁の邪魔をするとは腹立たしい。これでを横取りでもしようものなら、師弟揃って斬り捨ててやるところだ。
「へー、縁、巧いねぇ。何でそんなに形になるの?」
 縁の手元を横から覗き見て、が感心する。
 に付き合って嫌々やっている割には、縁の轆轤では順調に茶碗が出来上がっている。もともと手先が器用なのだろう。
 一方、の手元にあるのは、謎の粘土の塊だ。縁と同じように茶碗を作っているはずなのだが、何故こんなことになってしまっているのか不思議である。傷口を縫うのは巧いのだから、不器用ということはないはずなのだが。
「………あんたの方がある意味凄いぞ。同じように教えてやってるのに、どうしてこうなるんだ?」
 の謎の物体を見下ろして、比古が呆れたように言った。
「轆轤を蹴ると足にばっかり意識が行っちゃうし、手を動かすと轆轤を蹴れなくなっちゃうんですよね〜。何でかなぁ」
 心底不思議そうに言うと、は可笑しそうに笑った。
 いつも手癖足癖が悪いくせに、と縁は心の中で突っ込む。自分がぐうたらするために手足を同時に使うなんての得意技なのに、こういうことに使えないなんてどういうことなのか。もしかして比古の気を引きたくてわざとやっているのではないかと疑ってしまうくらいだ。
 あんな男の何処が良いのか、縁にはさっぱり解らない。図体がでかくて邪魔臭いし、図体以上に態度はでかいし、これで優しければ少しは救いがあるが逆に俺様で、良い所なんて欠片も見付からない。ひょっとして顔が好みなのだろうか。確かにぱっと見は整っているように見えるが、よく見たら悪そうな顔をしているではないか。否、この手の顔は絶対に性悪だ。縁がそう思うのだから間違いない。
 どう見ても比古よりも自分の方が何もかも勝っていると、縁は思う。今時、家事を全部引き受けて、その上仕事まで手伝う男なんてそういるものではないと、蒼紫だって言っていた。のような女には、縁のような男でないと駄目なのだ。あんな比古みたいな俺様男なんかに引っかかったら、絶対に泣きを見ることになる。
 の幸せのためにも、彼女と比古を遠ざけなくては。その為には、陶芸をやめさせなくてはいけない。
「しょうがないナァ。お前の分もついでに作ってやるヨ」
 いかにも仕方無さそうに、縁が提案する。いつもならこう言うと、は彼に丸投げするのだ。
 が、予想外にもは、
「駄目よ。自分でやらなきゃ、習う意味が無いじゃない」
 その根性は家事能力向上に回してくれと頼みたくなるような返事である。まったく、はどうでも良いことには根性を見せてくれる。否、比古の気を引きたいのなら、彼女にとっては大事な根性か。
 根性の出しどころは、この際どうでも良い。問題は、そこまでして比古の気を引きたいのかということだ。縁を差し置いてそんなことを考えるなんて、腹が立って仕方がない。
「しょうがねぇなあ」
 比古は小さく舌打ちをすると、の後ろに座った。
「手伝ってやっから、あんたは轆轤だけ蹴ってろ」
 そう言うと、比古は後ろから抱きかかえるようにの手を取る。その刹那、縁が引っ手繰るようにを自分の方に抱き寄せた。
「俺が手伝うからイイッ!!」
 突然の乱暴な行動に、縁の腕の中にいるはびっくりして目を見開いたまま固まってしまった。縁はというと、を守るように抱き締めたまま、比古を威嚇するように睨み付けている。
 全身の毛を逆立てて敵から我が子を守る獣のような縁の様子を見て、比古はにやりと口の端を吊り上げた。
「ああ、そうか。その女医者、お前の女か?」
「エッ………?!」
 比古の言葉に、縁は首まで真っ赤になる。
 は全く気付いていないが、縁はのことが好きだ。お前の女かと問われて「そうだ」と答えられないのが悲しいところだが、自信を持ってそう答えられるようになりたいと思っている。
 いっそのこと、この機会に告白してしまおうか。は鈍い女だから、気付くまで待っていたら何年もかかってしまうだろう。それならいっそ、この勢いで告白してしまった方が無駄な時間を使わずに済む。
 だって、ここまでしているのだからいい加減、縁の気持ちは解っているだろう。彼女も縁に抱きかかえられて抵抗しないし、これは絶対に脈がある。この状況で告白して玉砕は無いはずだ。
 こういう機会が巡ってきたのも、告白しろということなのだ。これを逃したら、二度とこんな機会は巡ってこないかもしれない。
 を抱く腕に力を込め、縁は意を決して口を開いた。
「そ―――――」
「そうなの?」
 縁が答えようとすると同時に、はきょとんとした顔で彼を見上げた。
 この状況でも、は全く気付いていないのか。そう思ったら、縁の身体からがっくりと力が抜けた。
 普通、ここまでしたらどんな鈍い女でも気付きそうなものなのに、どうして判らないのだろう。ここまで気付かないのは、はっきり言って異常だ。今まで恋愛経験が全く無いのなら兎も角、一応結婚の約束までした男がいたのだ。そんな女が、男の好意に全く気付かないなんてありえない。
 まさかとは思うが、は本当は縁の気持ちに気付いてはいたけれど、男として見るのが嫌だから気付かない振りをしていたのだろうか。男としての魅力は感じないけれど、家政夫兼助手として重宝だから、気付かない振りをして縁と暮らしていたのだろうか。
 そんなことはないと思いたいが、ここまで判らないの態度を見ていたら、そうとしか思えなくなってきた。
 不信感に包まれつつある縁にとどめを刺すように、は無邪気な笑顔で言う。
「別にそういうわけじゃないよねー」
「―――――――――っ!!」
 その一言で、縁は目の前が真っ暗になった。やはりは、縁を男として見る気が全く無いのだ。
 が縁の気持ちに気付いていたとしたら、彼女は今までどんな気持ちで彼を見ていたのだろう。そう思ったら一気に恥ずかしくなって、縁は逃げるようにその場を走り去ってしまった。





「あんた、相当酷い女だな」
 縁が去った後、比古はを睨みつけて吐き捨てた。
「そうですね」
 さっきまでの笑顔は何処へやら、は静かに比古を見上げる。
「でも、これで良いんですよ。一時の気の迷いですもの。きっとあの子に相応しい、若くて可愛い人がすぐに見付かります」
「気の迷いねぇ………。あんたはそれで良いのか?」
 ふっ切ろうとするの笑顔を見て、比古は視線を和らげて尋ねる。
 確かには縁よりもずっと年上だ。蒼紫の話では8歳も年上だという。おまけに家事を全部縁にやらせているそうで、これは傍から見たら彼はとんでもない女に引っかかった可哀想な男に見えるだろう。だからの方から身を引くというのか。
 しかしはそれで良いかもしれないが、縁だって感情がある人間なのだ。勝手に結論を出されて避けられては、傷付きもすれば悲しみもする。だって本当は、こんな結果を望んではいないはずだ。望んで出した結果なら、こんな悲しそうな顔はしない。
 は一つ溜息をついて、
「良いも何も、いつかはこうなってたと思いますから。早い方がお互い傷も浅くて済むってものです」
 縁がのことを好きだろうということは、ずっと前から気付いていた。けれどその“好き”は、が縁の姉に似ているからだ。定期診断の時に翁から聞いたが、歳も彼の姉と同じだという。きっと彼はの姿に幼い頃に死に別れた姉の姿を重ね、それを恋心だと勘違いしているのだと思う。
 だからきっと、と姉が全く違う人間だと思い知った時に、縁の気持ちは彼女から離れてしまうだろう。今、縁の気持ちを受け入れるのは簡単だけれど、その後のことを考えたら怖い。
「今は良いかもしれないですけど、三十路過ぎて若い男に捨てられたりしたら、これほど惨めなものはありませんよ。きっと立ち直れないですね。だから、これで良いんです」
「ま、あんたがそれで良いなら良いけどな。だが、もう少し奴を信じてやったらどうだ? 四乃森からも一寸聞いたが、一時の気の迷いじゃあそこまで尽くせないと思うぜ、俺は」
 確かに比古の言う通りなのかもしれない。一時の気の迷いでは、こんなに長い間尽くすなんてできない。
 縁は毎日毎日のために家事を全部やってくれて、仕事も手伝ってくれる。仕事以外は何もできない彼女に怒ることも無いし、家事が出来ない分は仕事で頑張れば良いと言ってくれるくらいだ。多分こんなことを言ってくれる男は他にいないと思う。
「そういう良い子だから、私みたいな年増女に引っかかっちゃ可哀想でしょう?」
 は自嘲するように口許を歪めるが、その顔は今にも泣きそうにも見える。
 そんな顔をするくらいなら素直にくっ付いちまえと比古は思うのだが、そう簡単にいけるのなら誰も苦労しない。単純なはずの物事が難しくなるというのが、歳を取るということなのかもしれない。
「可哀想かどうかは本人に訊いてみろ。今頃、河原で泣いてんじゃねぇか?」
「河原?」
 はきょとんとして訊き返す。それに対して、比古は自信たっぷりに、
「ガキは河原で泣くって決まってんだよ。超絶天才の俺様が言うんだから間違い無い」
 修行時代の剣心も、辛いことがあると河原で泣いていたものだ。泣いた後にすぐ顔を洗えるから、丁度良い場所だったのだろう。
「縁は子供なんかじゃありませんよ」
「女に信頼されねぇようじゃ、まだまだガキだろ。今頃、振られたと思ってピーピー泣いてるぜ。さっさと行ってやりな」
「はあ………」
 女に信頼されない縁が子供なら、男を信頼しきれないもまた子供なのかもしれない。大人になるというのは難しい。
 けれど今更が話しに行って、縁は応えてくれるだろうか。今まで弄ばれていたのだと思って、口も利いてもらえないかもしれない。
 まだ迷っているの背中を押すように、比古は更に言う。
「この俺様を当て馬に使ったんだ。それくらいやってもらわねぇと、こっちの気が済まねぇよ」
「そうですね………」
 二人のことには、色々な人を巻き込んでしまったのだ。この世の人間だけなら兎も角、あの世からまで呼び出しておいて、だけ逃げるわけにはいかない。
「じゃあ、行ってきます」
 これが縁と話す最後かもしれない。は覚悟を決めて立ち上がった。





 比古の言う通り、河原に縁はいた。流石に泣いてはいないようだが、しょんぼりとしゃがみ込んでいるその後ろ姿は、声を掛けるのも一瞬躊躇われるほどだ。
 しかしこのまま何もしないわけにはいかない。は勇気を出して縁に近付いた。
「縁」
 声を掛けてみるが反応は無い。が隣に座って顔を覗き込むと、縁はぷいっと顔を背けた。
 いつものような反応を期待していたわけではないし、そんな反応をしてもらえるとも思ってはいない。だって同じことをされたら、縁と同じ反応をするだろう。そしてこうなることを最初に望んだのは、自身ではないか。今更傷付いてはいけない。
 は今までずっと、縁に悲しい思いをさせてきた。それでもずっと好きでいてくれたことは、本当に嬉しい。本当ならいつ他の女を好きになってもおかしくない状況だったのに、変わらずに思い続けてきた彼の気持ちをは“気の迷い”なんかで片付けようとしていたのだ。こんなに一途な“気の迷い”なんてあるはずないのに。
「今までごめんね。縁の気持ち、嬉しかったよ。今更信じてもらえないかもしれないけど、本当だから」
 当然だが、縁の反応は無い。今更そんなことを言われても、彼だってどうして良いか分からないだろう。
 反応は無くても、は言葉を続ける。
「でもほら、私は縁よりも8歳も年上でしょ。おまけに家事は全然出来ないしさ。今は良くても私はこれからどんどんおばさんになるし、縁が今の私と同じ歳には私は40に手が届くんだよ? そういうのってさ、やっぱり色々考えちゃうんだよねぇ。いつか縁が後悔するんじゃないかとか―――――」
「………後悔なんかしなイ」
 顔を背けたまま、縁は小さくぶっきらぼうに応える。
「私はお姉さんとも違うよ」
「当たり前ダ。姉サンは女らしくて料理も上手だっタ。お前とは全然違ウ」
 予想していたこととはいえ、なかなか強烈な返事である。も乾いた笑いしか出てこない。
 しかしそこまで解っていて、それでものことを好きでいてくれるのなら、きっとこれから先も大丈夫だろう。絶対とは言い切れないけれど、でも縁の気持ちを信じたい。
 静かに微笑んで、はもう一度念を押すように尋ねる。
「これからも私は女らしくも料理上手にもなれないと思うよ。それでも良い?」
 の言葉に、縁は小さく頷いた。
 と巴が正反対の人間であることは、ずっと前から解っていた。巴と全く違う駄目な女だけれど、は巴に勝る沢山のものを持っている。強くて優しくて、それは荒んでいた縁を癒してくれるものだった。
 と出会って自分が別人のように変わったことを縁は自覚している。蒼紫は所帯染みたと言うけれど、それはそれで良いのではないかと縁は思っている。黒社会の首領なんかよりも、何も無い今の生活の方がずっと幸せだ。そんな生活を与えてくれたには、感謝してもしきれない。
「それでも良イ」
 料理が出来ないのなら、縁がやれば良い。掃除も洗濯も、彼の方が上手いのだ。縁が家のことをやってが外で働くというのは世間とは正反対だけれど、そういう生活があっても良いではないか。
 言葉にすると一瞬の短いものだが、縁がきっぱりと言い切ってくれたことがには嬉しい。この短い言葉を信じよう。歳の差も世間の目も、縁とだったらきっと乗り越えられる。
「ありがとう」
 はそれだけ言うと、ぎゅっと縁を抱き締めた。
<あとがき>
 何だか駆け足っぽかったですけど、これで一応、年上の彼女シリーズは終了です。
 最後は師匠に締めていただきました。恋の道も指導できるとは、流石超絶天才様は違います。師匠はあらゆる場面に死角無しですな。
 縁の想いは通じましたが、多分これからも主人公さんに振り回されっぱなしなんだろうなあ。まあそれはそれで、“男の幸せ”ということで。蒼紫という友達も出来たわけですし、きっと楽しくやっていくと思いますよ。
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