星月夜

星月夜 【ほしづくよ】 星の光りで、月夜のように明るいと感じる夜。
 商店街の福引が今日までだということで、仕事帰りに郁と二人でガラガラを引きに行くことにした。二人合わせて20回は引けるから、特等は無理でも3等の醤油くらいは貰えるだろう。
 ところが、引いても引いても残念賞の飴玉ばかり。賞品一覧表を見ると、まだ上位の景品は残っているようであるが、それは客寄せのための嘘ではないかと思えてくる。そうでなければ、もう10回以上引いているのだから、そろそろ飴玉以外のものが出ても良いはずだ。
「本当に特賞も入ってるんでしょうね? 残念賞しか入れてないんじゃないのぉ?」
 ガラガラを回し続けていた郁が、思いっきり疑いの目で係の若い女を睨みつける。が、女はそんな憎まれ口にもしれっとして、
「入ってますよぉ。頑張って特賞を引いてくださぁい。何てったって、“料亭一泊二名様ご宿泊券・豪華お食事付き”なんですからぁ」
 その軽薄そうな口調がいかにも馬鹿にしているようで、郁はむっとする。自分から仕掛けておいて、やり返されると腹を立てるのだから世話なしである。
 ぷぅっと膨れていた郁だったが、自分ばかり引いても埒が明かないと思ったのか、と交代することにした。
「絶対特賞引き当てて、あの女をぎゃふんと言わせてやって!」
「ぎゃふん………」
 郁に耳打ちされて、は困ったように苦笑いをした。
 郁は負けず嫌いな性格だから、係のあんな言葉にも簡単に煽られて熱くなってしまうらしい。そういうところが勝負運を逃しているような気がしないでもないが、は黙っている。
 横から郁の期待がびしびしと感じられて、どうもやりにくい。これで残念賞なんか貰った日には、首を締め上げられそうだ。
 としては、そろそろ米が切れそうだから、特賞なんかよりも一等の米を貰った方がありがたい。幸い、一等もまだ取られていないようである。
 隣で郁が「特賞特賞」と念仏のように呟いているが、は一等が出るように念じながらガラガラを回した。そして出てきたのは―――――
「あ、黒………」
「おめでとうございますぅ〜〜〜〜!! 特賞“料亭一泊ご宿泊券・豪華お食事付き”ですぅ!!」
 の呟きを掻き消すような勢いで、係の女が声を張り上げながら景気良く鈴を鳴らした。
「きゃ〜〜〜っ!! さん、えら〜〜〜い!!
 ほらほら、ざまぁみなさい。私たちが本気出したら、こうなんだからねっ」
 呆然としているを抱き締めて、郁はまるで自分が引き当てたかのようにぴょんぴょん跳ねる。
 特賞じゃなくて一等の米が良かったんだけどなあ、とは思ったが、とても交換を頼める雰囲気ではない。まあ、郁がこれほどまでに喜んでくれるのなら、それはそれで良いのだが。
 ともあれ、豪華食事付きで料亭に一泊である。自腹を切るには馬鹿馬鹿しいが、一度はやってみたい贅沢だ。それをただで出来るのなら、だって嬉しい。
「はぁい、特賞の宿泊券でぇす」
 両手で渡された熨斗袋を受け取ると、は早速中身を確認する。
 何しろ、豪華食事付きの料亭である。しょぼい商店街の福引だが、“豪華”と銘うつくらいだから、それなりの店を用意していることだろう。
 わくわくして中の券を出しただったが―――――
「あ………」
 券に書かれた料亭の屋号を見て、二人は大きく目を見開いて固まった。





「私って、運命とか全然信じない人だけど、これって絶対運命だと思うのよ。そう思わない?」
 宿泊券を貰ってから、郁は何度も同じことを繰り返している。“運命”だか何だか知らないが、はもううんざりだ。
 宿泊券に書かれていた料亭は、何と『葵屋』だったのだ。いくらしょぼい商店街の福引とはいえ、まさか同じ町内の料亭に招待するとは。経費をケチるにも程がある。
 は何度目かの溜息をつくと、心底うんざりしたように言った。
「運命だか何だか知らないけど、それあげるから、富崎さんと二人で行ってきたら? その券欲しがってたの、郁さんだし」
「駄目よぉ。さんが行かなきゃ意味無いじゃない」
 の不機嫌など全く気にも留めずに、郁はころころと笑う。
 やっぱり米に替えてもらえば良かった、とは今更ながら後悔した。こんなものを貰ったせいで、郁は運命だの何だのと言って勝手に盛り上がっているし、もう何もかもが面倒臭い。
「『葵屋』の皆さんと、ぱあっと盛り上がりましょうね〜。あー、楽しみ〜」
 うんざりしているを置いてきぼりにして、郁は留まるところを知らぬ勢いで盛り上がり続けた。





 『葵屋』に到着して、は漸く嵌められたことに気付いた。
 特賞を引き当てたのは、純粋にの運だ。ガラガラに小細工のしようが無い。嵌められたのは、郁にだ。
 『葵屋』で落ち合う約束をしていたのに、郁がものの見事にすっぽかしてくれたのである。しかも“二名様”のもう一人の権利は、蒼紫に譲渡されたというのだ。
 職場を出る前にもきちんと確認していたのに、これだ。あの時、郁は「どんな料理が出るのかしら? 楽しみねぇ」なんて言ってたくせに。しれっとした顔で、よくもまああんな芝居ができたものである。
「まあ、最初からそのつもりだったんでしょうね。気付かない方がおかしいですよ」
 用意された部屋でぷんぷん怒りながら事の顛末を訴えるに、蒼紫はあっさりと言った。
 一緒に怒ってくれると思ったのに、騙される方が間抜けなような言い方をされて、はますます膨れる。自分だって嵌められたというのに、どうして蒼紫は怒らないのだろう。
「だって、“『葵屋』の皆さんと、ぱあっと盛り上がりましょうね〜”なんて言ってたんですよ? 普通、来ると思いません?」
「『葵屋』にお二人様、って時点で来ないでしょう。あの人は俺と貴女をくっつけるのに必死ですから」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
 蒼紫の言うことは、よくよく考えてみれば尤もである。反論のしようが無い。
 それにしたって、やっぱり騙す方が悪いとは思う。こういうのは卑怯だ。ひどすぎる。
 それは兎も角として、郁たちの陰謀がわかりきっているはずの蒼紫が何故此処にいるのだろう。『葵屋』の若旦那である彼が自分の店で接待されるなんて、誰が見ても変ではないか。大方、豪華食事に釣られてノコノコやって来て、と同じように騙されたクチに違いない。
 それこそこんな見え見えの手に引っかかるなんて、蒼紫こそどうかしている。涼しい顔をしているくせに、随分と食い意地の張った男だ。
 そのことに気付いたら、偉そうに尤もらしいことを言う蒼紫の姿が可笑しくなってきた。は意地悪くニヤニヤ笑いながら言う。
「そこまで解りきってる四乃森さんが、どうしてこんな所にいるんですか?」
「自分の店の料理を食べるなんて、まず無いことですからね。お客様の目から『葵屋』を見るのも、仕事のうちです」
 これまた尤もらしい切り返しをされてしまった。まったく面白味の無い男である。
 言うことが無くなって、は面白くなさそうに大きく息を吐いた。
 大体、蒼紫がこうやって周りの作戦に乗ってしまうから、郁も『葵屋』の人間たちも益々その気になってしまうのだ。ピクニックの時だって、この前『葵屋』に行った時だって、彼がノコノコと現われなければ話はそれで終わっていたはずだ。
 今度は、蒼紫のこの煮え切らない態度が諸悪の根源のような気がしてきた。に好きな男が出来るまでは彼女の相手をすると言ってくれたけれど、いくら何でもやりすぎだ。変に周りに期待を持たせるようなことまでしては、後々ややこしくなるではないか。
 腹を立て始めているの神経を逆撫でするように、蒼紫はさっさと食事を始める。一口食べるごとに一寸考えるような顔をしてみたり、完全にのことは目に入っていないようだ。
 そんな彼の様子がこれまた腹立たしくて、は思いっきり食卓を叩いた。
「四乃森さん、今の状況をどうお考えなんですか?」
「どうって………」
 何を怒っているのか全く解らないらしく、蒼紫は驚いた顔をして固まる。そして少し考えて、
「まあ、滅多に無い経験をさせてもらってるとは思いますよ」
 他人事としか思っていないような蒼紫の惚けた物言いに、はがっくりと脱力してしまった。
 今まで真面目で陰気な男だと思っていたが、実はこんな惚けた男だったとは。いつも無表情でつまらなそうにしているから、気難しい男だと思っていたのに。人は見かけによらない。
 何だか、脱力ついでに腹立たしさも消えてしまった。蒼紫は何とも思っていないのに自分だけ腹を立てているなんて、馬鹿みたいだ。
「四乃森さん、もしかして楽しんでます?」
「さあ、どうでしょう。
 食事が終わったら、庭に出てみませんか? 腹ごなしに少し歩きましょう」
 そう言うと、蒼紫は再び箸を動かし始めた。





「わぁ、明るーい!」
 縁側から外に出ると、雲一つ無い満天の星空だった。月は出ていないのに、星の光だけで満月の夜のように明るい。
 は料亭の狭い庭しか見たことが無かったのだが、旅館側の庭は比べものにならないほど広い。手入れの行き届いた庭木が植えられ、奥の方には大きな池もあった。
 同じ町内の料亭一泊でお茶を濁すなんて、しょぼい商店街のしょぼい“豪華景品”だと思っていたが、とんだ勘違いだった。こんな立派な庭もある料亭なら、“豪華景品”と言われても頷ける。出された食事も確かに豪華なものだったし、『葵屋』は本当に一流どころだったのだ。
 明日になったら、郁に散々自慢話をしてやろうと思う。を騙した仕返しだ。
「立派なお庭ですねぇ」
「ありがとうございます。料理は勿論ですが、この庭もうちの売りなんですよ」
 の言葉に、蒼紫は嬉しそうに微笑む。
「あちらの池には鯉がいます。ご覧になりますか?」
「はい」
 蒼紫に促され、は池の方に歩いて行った。
 池に橋は掛けられていないが、代わりに縦断するように飛び石が置かれている。これを伝って、鯉を近くで見ることが出来るというわけだ。
「足許、気をつけてください」
 先を行く蒼紫から手を差し伸べられた。それがあまりにも自然で、もつい手を差し出してしまう。
 夜とはいえ星の光が明るいのだから、わざわざ手を取ってもらわなくても足許がおぼつかないというわけでもない。まあ、女を案内する時の礼儀というものだろう。女の客が来た時はいつもこうしているのだろうかと、は一寸考えた。
 蒼紫に他意が無いのは解っているけれど、手を取られて歩くのはやはり緊張する。男に手を握られるのは本当に久し振りで、何とも思っていないはずなのにドキドキしてしまう。星明りの下でも顔が紅いのが気付かれそうで、は俯いて歩いた。
 と、蒼紫の後をつけるように、大きな真鯉が池の底からぬうっと現われた。
「わあっ?!」
 真鯉のあまりの大きさに、は頓狂な声を上げてしまう。
「ああ、そいつはこの池の主ですよ。俺が来たから餌をもらえると思ったんでしょう」
 鯉でも懐かれると可愛いらしい。水面から口を出して餌をねだる真鯉に、蒼紫は目を細める。
「朝と夕方に餌をやるんです。鯉は意外と賢いんですよ。特にこいつは人の顔が判るらしくて、俺が来ると一番に寄って来るんです」
「へぇ………」
 真鯉の気配を察したのか、池の底から真鯉や緋鯉がわらわらと集まってきた。沢山の鯉が媚びるように蒼紫が立つ敷石の周りを泳ぐ様は壮観である。
 は魚を可愛いと思ったことが無かったが、こうやって人間を慕っている様子を見ると、少しは可愛いかなと思う。大きな真鯉は怖いけれど、綺麗な模様の緋鯉は比較的小ぶりだから大人しくて優しい感じがする。
 石の傍を静かに泳いでいる細身の緋鯉は大人しそうで、これなら触っても大丈夫かとはしゃがんで手を伸ばしてみる。が、すぐに蒼紫がそれを制した。
「手なんか出したら食いつかれますよ。大人しそうに見えても、こいつらは何でも食べようとしますから」
「そうなんですか?」
 そう言って顔を上げた時、蒼紫の顔が予想外に近くに来ていて、は一瞬で真っ赤になってしまった。そのことに自分でも驚いて、慌ててまた下を向く。
 顔が紅くなったのは、蒼紫の顔が近くてびっくりしたせいだ。けれど下を向いたら、今度は紅い顔が恥ずかしくて益々真っ赤になってしまう。水面に映る自分の顔が紅く見えないかと、今度はそれが気になってどきどきしてきた。
 紅い顔を蒼紫に気付かれたらどうしよう。こんな時に限って星の明るい夜だったりするものだから、きっと気付かれているに違いない。隣で顔を紅くするなんて、まるで蒼紫のことを好きみたいではないか。
 蒼紫のことは嫌いではないと思う。優しいし、真面目そうに見えて一寸面白いところもあるし、2年前のことが無ければ何も考えずに好きになれたかもしれない。けれど今はもう、感情のままに誰かを好きになるなんてできないのだ。
 昔のように簡単に誰かを好きになれたら、どんなに楽だろう。逆に、蒼紫のことを嫌いになれたら良かったのに。好きになってしまうことが怖い、嫌いにもなれないどっちつかずの気持ちが一番苦しい。
「どうしました?」
 急に静かになったに、蒼紫が心配そうに声を掛ける。
「いえ、別に………」
 本当のことを言えるはずもなく、は曖昧に言葉を濁した。
 水面近くでは、まだ鯉たちがぐるぐると泳いでいる。蒼紫がいるから餌を貰えると思い込んで待っているのだろう。
 鯉は気楽で良いなあ、とは溜息をついた。きっと毎日餌のことだけを考えて、人間のように思い悩むことなんか無いに違いない。
「鯉は良いなあ、って思って。餌のことしか考えなくて良いんですもの。私も鯉になりたいなあって」
「鯉も鯉なりに悩みはあると思いますよ。小さな鯉は良い餌にありつけないですし、良い雌だって大きな雄に取られてしまう。鯉の世界は人間の世界以上に苦労が絶えないものです」
 ただの愚痴を大真面目に返されてしまうと、も困ってしまう。蒼紫は真面目な性格だから、相手の気楽な勘違いを正さないと気が済まないのかもしれない。
 蒼紫は続けて言う。
「俺も他人のことは言えませんが、さんは一人で思い詰める性格のようです。思ってることを少しずつでも誰かに吐き出した方が良いですよ」
「それが出来るなら、誰も苦労しません。四乃森さんはできるんですか?」
 悟りきったような蒼紫の言葉に、はつい語気が荒くなる。
 他人に言えるような思いなら、一人で抱え込んだりしない。言えないから一人で思い詰めて、自家中毒を起こしてしまうのだ。
 の思わぬ反撃に、蒼紫は気まずそうに俯いた。そうされるとまるでが彼を苛めているようで、彼女まで気まずくなってしまう。
 長い沈黙の後、は重い空気を振り払うように呟いた。
「生きるって、難しいですね」
「そうですね」
 蒼紫も呟くように応える。
 二人の足許では、相変わらず鯉たちが餌を待つように泳ぎ続けている。
 鯉には鯉の悩みがあり、人間にも人間の悩みがある。生きるというのは儘ならぬものだと、二人は同時に溜息をつくのだった。
<あとがき>
 蒼紫にエスコートしてもらってラブラブな展開のはずが………(汗)。
 この二人、本当に先に進まないなあ。蒼紫ももう一寸積極的になってくれれば良いのに。これはもう、『葵屋』メンバーのサポートが必要ですね。『電車男』みたいに、「食事に誘え」とか「店は○○にしろ」とか全力で後押ししてもらわないと。
 無駄に話数を重ねてるだけのこのシリーズ、次回こそは一歩前進させたいものです。
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