白昼夢

白昼夢 【はくちゅうむ】 目が覚めているときにおこる、夢のような現実性を帯びた空想。
 夏バテしているのか、休みの日のはいつも寝ている。昼間から酒を飲むよりはマシなのかもしれないが、食べている時以外は寝ているのだから、ある意味大したものだと縁は思う。
 そして今も、は熟睡中だ。食事の後に寝ると牛になるというが、彼女にはまだ牛になる兆候は見られない。それはきっと毎日の献立が良いからだと、縁は思っている。太らない料理を作るのも結構大変なのだ。
「よく寝るナぁ」
 昼食の片付けを終えて部屋に入った縁が、心底呆れたように呟いた。
 若い男がいるというのに、随分と無防備なものである。縁のことを全く男と意識していないのだろう。夜も、相変わらず二人の間に衝立を立てているだけなのだ。
 縁が紳士的な男だから良いようなものの、これがサカリの付いた男だったらとっくに喰われているところだ。否、サカリが付いていたとしても、今のの姿を見てその気にならないかもしれない。大口を開けて大の字に寝ている女に色気を感じるものか。
 折角巴に似た雰囲気なのに、これでは全てが台無しである。起きている時のに奇跡的に惚れた男がいたとしても、この寝姿を見れば百年の恋も冷めるというものだ。
「これじゃ、男も寄り付かないわけダ」
「そんなことを言うものじゃないわ」
 そんな女に惚れている自分を棚に上げて呟く縁の後ろで、懐かしい女の声がした。
 ぎょっとして振り返ると、そこにいたのは―――――
「………姉サン?」
 そこにあったのは、紛れも無い巴の姿。のようなそっくりさんではなく、本物の巴だ。
 死んだはずの巴が此処に立っているなんて。昼間から幽霊が出るなんて聞いたことが無いが、そんなことはどうでも良かった。幽霊でも幻でも夢でも何でも良い。巴が縁の前に現われてくれたのだ。
「姉サンっっ!!」
 嬉しくて嬉しくて、縁は子供の頃のように巴に抱きついた。が、抱き締めようとしたその両腕は、巴の身体を突き抜けてしまう。
 勢い余って畳に倒れた縁を見下ろして、巴は哀しそうに微笑んだ。
「私にはもう身体が無いから触れないのよ」
「そっか………。でも、姉サンが来てくれただけでも嬉しいヨ」
 起き上がって巴の前に座ると、縁は子供のような笑顔を浮かべる。
 触ることが出来なくても、目の前に巴の姿があって、話を出来るだけでも十分嬉しい。剣心の前に現れた時は、どうして自分の前には現われないのだろうと悔しい思いをしたものだが、やはり巴は縁のことを気掛けてくれていたのだ。
 縁につられるように、巴も嬉しそうに微笑む。生前は見ることの出来なかった、心から嬉しそうな微笑みだ。その顔を見ただけで、縁は嬉しくて天にも上る心地になる。
「私も、縁が普通の男の子になってくれて嬉しいわ。一時はどうなるかと心配していたけど、あんな小さかった縁が恋をする歳になるになるなんてねぇ………」
「え゛っ………?!」
 巴の言葉に、縁は顔を真っ赤にしてあたふたする。
 剣心の話を聞いていたから、巴がのことを知っているのは分かっていたが、それでも面と向かって言われると焦ってしまう。
「ねねねねね姉サンっ………!!」
 縁の反応が余程可笑しかったのか、巴はくすくす笑う。生前はそんな風に笑うことは無かったのだが、死んでから性格が変わったらしい。
 と、それまで動かなかったが、もぞもぞと動き出した。
「もぉ〜……縁、うるさいよー」
 鬱陶しげに唸りながら、は大儀そうに起き上がる。大きな欠伸をして目を擦り、まだぼーっとした目で巴を見た。
 知らない女だから、多分縁の客だ。もしかしたら、彼の好きな女なのかもしれない。これは同居人として挨拶しておかないといけないだろう。
 はもそもそと正座して、ぺこりと頭を下げた。
「縁の同居人のです。あ、縁とは一緒に住んでるだけで何も無いんで―――――」
 ご心配なく、と言いかけたところで、は固まってしまった。
 よくよく見ると、何故か女の身体を通して庭木が見える。まだ寝ぼけているのかと目を擦ってもう一度見たが、やはり変わらない。
「あらやだ。一寸疲れてるみたい。
 縁、この人どなた?」
 透けて見える女がおかしいのではなく、自分の目がおかしいと判断したらしい。やはりは少しずれている。
 何と答えようかと縁は一寸迷ったが、正直に答えるしかない。の性格からして、びっくりはしても普通に受け入れてはくれるだろう。うまくすれば面白がってくれるかもしれない。
 出来るだけ何でもない風を装って、縁は答える。
「俺の姉サンだ」
「あ、そうなんだ―――――って、えぇえええええ〜〜〜〜〜っっ!!!」
 絵に描いたような反応である。はぴょんと跳ねると、縁の後ろに隠れた。
 が、すぐに失礼だと思い直したのか、縁の肩越しにちょこんと顔を出して頭を下げる。まるで人見知りの子供のような仕草に、縁は思わず噴き出しそうになった。
 巴はというと、気分を害した風でもなく、相変わらず静かに微笑んでいる。
「初めまして。縁の姉の巴と申します。弟がいつもお世話になってます」
「………こちらこそ」
 深々と頭を下げる巴に、もまたちょこんと頭を下げた。まだ警戒心は解けていないらしい。相手が幽霊だから、祟られるとでも思っているのだろうか。
 毎日あれだけ縁をこき使っているから、巴が一言文句を言いに来たと思っているのかもしれない。そのあたりも巴から一言言って欲しいものだと、縁も思う。
 ところが巴は、全く違うことを言った。
「ところでさんには、お付き合いされている方はいらっしゃるのでしょうか。失礼かと存じますが、縁のこともございますし―――――」
「姉サンっっ!!」
 巴のとんでもない発言に、縁は真っ赤になって怒鳴る。
 縁のことを心配して言ってくれているのは解るが、いきなりそれはないだろう。はまだ縁の気持ちに全く気付いていないし、彼もまだ告白していない。そんな時に第三者から縁の気持ちを伝えられたら、彼の立場が無いではないか。
 しかも巴の口から伝えられたら、縁が姉サンべったりのヘタレ野郎だと思われてしまう。姉サンべったりなのは縁自身も認めるが、だからといってに知られて良いものではないのだ。そんなことをに知られたら、ドン引きしてしまう。
 変な汗をかいて焦る縁を、は不思議そうに見る。が、あまり深く考えてはいないのか、巴の質問に素直に答えた。
「そんな人はいないですけど………」
「まあ、それは良かった」
 ぽんと手を叩いて、巴は華やいだ声を上げた。縁も聞いたことの無い声だ。
 巴は続けて言う。
「これからも縁のこと、よろしくお願いしますね。この子、こんなですけど、根は本当に良い子なんですよ。
 縁も、もっとしっかりしなさい。みんな、あなたのことを心配してるんだから」
 と縁に言いたいことを言うと、巴は霞のように消えてしまった。





 巴が消えた後も長いこと呆然としていた二人だったが、の方が先に口を開いた。
「今の………やっぱり私、疲れてるのかなあ」
 ほどの女でも、あれを現実として受け入れ難いらしい。一応、彼女にも“常識”というものがあったようだ。
 夢と思っているなら夢ということにしておいても良いのだが、縁も同じものを見ているのだから、そういうわけにもいかないだろう。しかし説明するとなると、巴が何故此処に出てきたのかという話になるわけで、それは縁には困ったことになる。
 どうしたものかと悩ましい思いでいると、も深く考え込むよう呟く。
「お付き合いしている人がどうとかって言ってたけど、何だったのかしら?」
 その呟きに縁はぎくりとする。
 幻と思っているのならそれで気にしなければ良いのに、どうしてこんな時に限って深く追求しようとするのか。肝心なことは全く考えないくせに。
 何と言って誤魔化そうかと縁は必死に考える。自分の気持ちを伝えるには、まだ心の準備ができていないのだ。
 が、すぐには納得したようにポンと手を叩いた。
「あ、もしかしたら、私が結婚したら、縁が追い出されるって心配しているのかしら。縁にはずっと一緒にいてもらうつもりなのにね。私、縁がいないと駄目だから………」
「え………?」
 縁の頬が、ぽっと紅くなった。今までの経験から、すぐに彼を叩きのめしてくれる続きがあるのは簡単に予想できるが、それでも一寸期待してしまう。
 胸の高鳴りを悟られないように必死に無表情を装っていると、が極上の微笑みを浮かべて言った。
「だから、お嫁入りの時も一緒だよ」
 やっぱりそうだ。何度も同じオチを経験しているというのに、縁はまたがっくりと項垂れてしまう。
 しかしここまで何度もやられると、にからかわれているとしか思えない。実はもう縁の気持ちに気付いていて、弄ばれているのだろうか。
 それはないな、と縁はすぐに思い直す。に男心を弄ぶなんて器用な芸当、できるわけがない。そんな器用なことが出来るなら、他にも手玉に取ってる男の一人や二人くらいいてもいいはずだ。
 ということは、やはり天然で気づいていないということか。そっちの方が、ある意味性質が悪い。

<姉サン、どうすれバ………>

 この恋は前途が多難すぎる。縁は深い溜息をつくのだった。
<あとがき>
 空想でも夢でもないのですが、まあ似たようなものということで。
 姉さん、心配のあまり、縁の前にも登場です。巴さんにとってはきっと、縁はいつまでも小さな男の子なんでしょうね(笑)。
 しかし主人公さん………。いい加減、縁の気持ちに気付いてあげて下さい。
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