サヨナラは言わない

 斎藤が自分の机の私物を片付けていると、執務室の外からけたたましい足音が聞こえてきた。バタバタと走っている割には軽い足音で、恐らくだろうと見当をつけていると、案の定乱暴に扉が開けられる。
「斎藤さんっっ!!」
「廊下は走らない」
 息せき切って部屋に入ってきたとは反対に、斎藤は落ち着いた声で叱責する。
 が血相を変えて此処に来た理由は、斎藤のも察しが付いている。今度の人事異動の件だろう。このことはギリギリまでには内緒にしておきたかったから、今日まで黙っていたのだ。
 荒々しい足音をたてて斎藤の机まで歩いていくと、はバンッと両手を机について怒鳴った。
「北海道に異動って、どういうことっ?! 私、何も聞いてない!!」
「そうだろうな。俺も言った憶えは無い」
 片付ける手を止めずに、斎藤は淡々と言う。できるだけ淡々と言わなければ、感情が暴走しそうな気がした。
 ギリギリまでに言わなかったのは、彼女の反応が怖かったからだ。否、彼女の反応を見た自分の反応が怖かった、というのが正確かもしれない。
 がこうやって動揺するのは、予想はついていた。恋人同士という関係は既に終わってしまっているが、誰よりも信頼できる同僚という関係は今も続いていて、仕事上の“半身”ともいえる相手を失うのは誰だって痛い。特には、これまで女だというだけで散々厭な目に遭わされてきて、やっとそんな目に遭わせない相手と組むことが出来たのだから尚更だ。そして多分、この別れが幕末の頃の別れを思い出させるから。まあこちらは、斎藤の願望だが。
 けれどもし、幕末の頃の別れのようにが泣いたら、自分はどうするだろうかと斎藤は考える。あの頃のように最後の契りを交わすことは出来ないだろうけれど、抱き締めるくらいはしてしまうかもしれない。もうとは上司と部下という以上の関係を持つことは出来ないけれど、別れの一瞬だけはあの頃に立ち戻りたいという自分がいるのは、認めたくは無いが事実だ。この人事異動で離れ離れになったら、きっと二人はもう二度と会うことは無いだろうから。
「今週末の船で発つつもりだ。お前との腐れ縁も、これで本当にお終いだな」
「今週末って、明後日じゃない! 急すぎる! 残った書類どうするの?!」
「俺の分の書類は全部片付けて上に提出済みだから、安心しろ。それにこの人事は3ヶ月前から内示があったから、俺にとっては急なことじゃない」
「私は今日聞いた!」
「密偵の異動は極秘だし、発表がギリギリに行われるのも通例だ」
「それにしたって、私にくらい教えてくれたって―――――」
「お前は俺の何だ? 家族か? 情婦か? 密偵の人事は他人には教えられん」
 突き放すような斎藤の言葉に、は詰まったように黙り込んでしまった。
 確かにその通り、昔はともかく、今はと斎藤は赤の他人だ。斎藤には時尾という妻がいるし、にも石岡という結婚を約束した相手がいるのだ。上司と部下でしかない相手に、極秘の異動など内示の時点で教えられるわけが無い。
 けれど―――――は左手の薬指に輝く金剛石ダイヤモンドの指輪に視線を落とす。もしがこの指輪を石岡から貰っていなくても、斎藤は同じようにこの人事を今日まで秘密にしていただろうか。もう確かめることことは出来ないけれど、この指輪を貰う前だったら、斎藤はきっとに内示の時点で教えていたと思うのだ。それまで曖昧だった二人の間の境界が、この指輪で決定的に線引きされてしまったのかもしれない。
 ただの上司と部下ではない、けれど友人とも恋人ともつかない曖昧な関係が、は好きだった。決して一線を越えない自信はあったけれど、その境界線上をふらふらと歩くようなそんな危うさが、恋の始まりの頃のようで心地良かった。でもそれも、石岡からの指輪を受け取った瞬間に終わった。終わるのを解って、の方から終わらせたのだ。
 斎藤はもう何も関係の無い人間で、これからは石岡と生きていくのだと頭では解っていても、こうやって完全に斎藤の人生の蚊帳の外に置かれてしまったのを思い知らされると、まるで捨てられたような気持ちになってしまう。昔はともかくとして、今はもう捨てるも拾うも無いし、こうなることを選んだのはのはずなのに。
 何て自分勝手な女なのだろうと、は自分でも呆れてしまう。石岡のことは、結婚することを決心したくらいだから、勿論大好きだ。幕末の頃の斎藤に対する気持ちのように激しい感情ではないけれど、一緒にいると落ち着くというか、とてもゆったりした気分になれる。そういう男だからきっと、結婚しようと言われてすぐに了解したのだろう。そんな安心できる男が傍らにいて、それでもかつての恋人である斎藤を求めるなど、我が儘とか欲張りとか通り越して、人としてどうかと思うくらいだ。
 もしかしたら、これが潮時なのかもしれない。石岡と結婚した後も今のまま斎藤が傍にいたら、きっとの気持ちは二人の間でふらふらしてしまうだろう。肉体的には何も起こらない自信はあるけれど、そうやって気持ちが揺れてしまうのは石岡に対して失礼だ。そう思えば、斎藤が今の時期に遠くへ転勤してしまうのは、誰にとっても一番良いことなのだろう。
「じゃあ、見送りに行くのは良い?」
「………ああ」
 漸く片付ける手を止めて、斎藤は小さく答えた。
 多分、北海道に行ったらもう二度とに会うことはは無いだろう。いつかまた斎藤は東京に戻ることがあると思うが、その時はもうは此処にはいないはずだ。いくら昔に比べて交通の便が良くなったとはいえ、妻帯者の斎藤がその頃には恐らく人妻になっていると思われるに会いに行くなど、許されようはずもない。
 ふと、時尾には何が何でも駅まで見送りに来させよう、と斎藤は思い立った。幕末の頃と今では二人の関係は全く違うのだから、最後の別れのときに何も無いということは解っているのだが、それでもただの上司と部下として別れられるための“保険”だ。そんな考えが浮かぶなんて、それがもうに対する何がしかの未練を持っていることを示しているのだが、斎藤はそれには気付かない振りをする。自分に都合の悪いことには気付かない振りをするのも、大人の嗜みだ。
 歳を取ると言い訳ばかり巧くなる、と斎藤はに気付かれないように皮肉っぽく口許を歪めた。





 駅のホームで初めて会った斎藤の妻は、武家の出らしい凛とした美しい女だった。腹が丸々と膨らんでいて、来月には二人目が生まれるのだという。顔つきが凛々しいから腹の子は男の子だろうな、とは何となく思った。
 時尾という妻がいるというのは斎藤の口から何度となく聞いていたけれど、この目で見るまではその存在を全く実感できなかった。もしかしたら認めたくなかったのかもしれない。けれどこうやって時尾が目の前にいて、しかもこんなに大きなお腹をしているのを見たら、もう認めないわけにはいかない。今更ながら、には衝撃的だった。
 衝撃的過ぎて、時尾と何を話したのか、はあまりよく憶えていない。今までお世話になりましたとか、時尾さんはいつから北海道に行かれるんですかとか、当たり障りのないことを話したと思う。そしたら時尾は上品な口調で、子供が生まれて落ち着いたら行きますとか、もうすぐ結婚されるそうでおめでとうございますとか応えてくれた。斎藤はよく「時尾はできた女だ」と惚気ていたが、その立ち居振る舞いを見れば彼には勿体無い女だということは解った。
 この人は自分の夫と目の前の女との過去を知っているのだろうか、とは意地悪く考える。今此処で二人の過去を洗いざらい喋ってやったら、この美しい人はどんな顔をするだろうかと思ったが、多分何も変わらないだろう。時尾と斎藤はもう何年も夫婦で、彼女の腹には彼の子供がいて、だって違う男と結婚するのだから、何かが起ころうはずも無いのだ。そんなことに拘っているのはきっと自分だけなのだろうと思ったら、自分がもの凄い道化のようで、は心の中で苦笑した。
 一通りの世間話をした後、時尾は駅弁と茶を買ってくると言って、売店に行ってしまった。ひょっとしたら最後に別れを惜しませてやろうと計らってくれたのだろうかとは勘繰ったが、よく解らない。このことは斎藤も予想外だったのか、少し驚いたような顔をした。
「………綺麗な人、だね。上品だし、あんたには勿体無いくらいの人だわ」
「まあ、な………」
 雑踏の中に消えていく時尾の後ろ姿を見送りながら硬い声で言うに、斎藤もぎこちなく応えた。汽車が出るまで時尾も一緒にいると思っていただけに、急に二人きりにされて、も斎藤も落ち着かない。
 これが今生の別れになってしまうかもしれないのだから、伝えておかなければいけないことや言いたいことは山ほどあるはずなのに、いざ二人きりになると何も言えなくなってしまう。そういえば、幕末の京都での別れの時もそうだった。最後の契りを交わして斎藤が屯所に戻るのを見送った時も何も言えなくて、は何故か月を見上げてしまったものだ。あの夜の月は、妙に冴え冴えとしていたと、10年以上過ぎた今も鮮明に思い出される。
 あの時と同じように、は無言で空を見上げた。冬の空らしくどんよりと曇っていて、もしかしたら今日あたり初雪が降るかもしれない。
「北海道は―――――」
 不意に斎藤が口を開いた。
「北海道はもう雪が積もっているそうだ。毎朝雪かきをしないと家が潰れるくらいらしい。雪や寒さには強いつもりだが、毎日の雪かきは困りもんだな」
「ああ………」
 斎藤は会津戦争の後、斗南に流されて暫く暮らしていたというのを、は今更ながら思い出した。斗南も寒さの厳しいところだと聞いているが、斎藤の赴任地はもっと北にあるから、もっと寒いのだろうかと考えた。は関東より北に行ったことが無いから、雪かきしなければならないほどの降雪というのを想像できない。
 昨日、もしかしたら時尾と子供たちはこのまま東京に置いて、次の異動まで単身赴任を続けるかもしれないと斎藤が言っていたが、そんなに寒さの厳しい処ならそれもありえるかもしれない。時尾は会津の生まれで寒さには慣れているかもしれないけれど、上の子はまだ小さいと聞くし、そんな自然の厳しいところで暮らしていくのは大変だろう。時尾を置いていくのは斎藤の愛情なのかと思うと、嫉妬するわけではないけれどは複雑な気分になった。
「土方さんが亡くなったのは函館だったけど、近いの?」
 時尾のことを考えるのを拒否するように、は昔の事を持ち出した。
 新選組副長の土方の最期の地も、北海道だった。もし斎藤の赴任地が近くだったら、土方のことを口実に斎藤に会いに行ってみようかと思う。別に逢い引きをするわけではない。折角縁があってめぐり逢えたのだから、この縁が切れないように一寸顔を見に行くだけだ。
 が、斎藤は素っ気無く、
「いや、俺が行くのはもっと北だ。露西亜の間諜を水際で取り締まる仕事だからな」
「ふーん………」
 そのまま会話が途切れてしまった。
 本当はもっと違うことを言うつもりだったし、ちゃんと言葉を用意していたはずなのに、一体何を言おうとしていたのかには全く思い出せない。どうやら斎藤も同じようで、何となく落ち着かなさそうな気まずそうな顔をしている。
 二人きりで向かい合って黙り込んでしまうことはこれまで何度もあったけれど、今ほど気まずいと思ったことは無い。何か喋らなければとんでもないことになってしまいそうで、は必死に当たり障りの無い話題を考える。これが最後になるかもしれないのだから、このまま何も言わないで斎藤を見送るなんてできない。
 と、の目の前に白いものが舞い降りた。
「あ………」
 それは、今年最初の雪だった。東京でも雪が降る時期になったのかと改めて冬を感じると同時に、これから斎藤が向かう北海道の寒さをは想像する。
「初雪だな」
 につられるように、斎藤も空を見上げた。
 今年最初の雪はひらひらと、まるで桜の花びらのように降りてくる。そういえばが警視庁に赴任してきたのは桜の花が散る頃だったな、と斎藤はどうでも良いことを思い出した。
 春の終わりから今日までのことが、走馬灯のように思い出される。幕末のごたごたでもう死んでしまったのだろうと勝手に思い込んでいたの名を10年振りに人事異動の書類の中に見つけて、しかも自分と同じ密偵をやっていたと知った時は、本当に心臓が止まるかと思うほどだった。そして上司と部下として再会した時は、も幽霊を見たような顔をしていたが、あの時斎藤が受けた衝撃も相当なものだった。あの時の衝撃は、今でも忘れていない。
 もしかして縒りを戻してしまうのではないかと心のどこかで恐れていたけれど、そんなことは全く無くて、それどころかはさっさと共に生きる男を見つけ出して。相手の男に馬鹿馬鹿しい嫉妬をしたり、の結婚に気を揉んだりしたのも、あと少しすれば良い思い出になるだろう。そして、今日のこの別れも。
 降ってくる雪を見上げているの顔を見て、幕末のあの頃よりも歳を取ったなと、急に思った。あの頃はまだ子供の面影が残る顔をしていたけれど、今こうやって空を見上げているの表情は大人のものだ。今まで、あの頃と全く変わっていないと思っていたけれど、こうやって見るとやっぱり変わっている。今更そのことに気付いて、斎藤は苦笑した。あの頃と今のの変化に今まで気付かなかったのは、心のどこかで空白の時間を否定していたのかもしれない。
「東京で見る雪も、これが最後かもね」
「縁起でもないこと言うな」
 空を見上げて呟くの言葉に、斎藤は苦笑した。北海道に飛ばされたとはいえ、一生そこに住む気は無いのだ。というか、何年後かには東京に戻してもらわないと困る。
 が、は斎藤の顔に視線を移して、くすっと笑う。
「あんたのことじゃないわ。私のことよ。私、近いうちに警視庁を辞めて、石岡君のところに行くと思う」
「え………?」
 それは斎藤も初耳だった。石岡と結婚することは知っていたが、それはまだ遠い先のことだと勝手に思い込んでいたのだ。しかも警視庁を辞めてしまうとは。これでは本当に、斎藤との繋がりは完全に切れてしまう。
 愕然としている斎藤に気付かないのか、気付かない振りをしているのか、は笑顔のまま言葉を続ける。
「いつから行くかはまだ決めてないけど、石岡君が新しい家を見つけたら、すぐにでも行くつもりよ。私なんかと一緒に暮らしたら親には勘当されるし、きっと出世街道からも外れるだろうし、そうなったらきっともう東京には戻れないでしょ」
「そうか………」
「まあ、私は寒いのが苦手だしね。向こうはそんなに雪は降らないし、案外東京にいるよりはずっと良いかも」
「そうだな」
 東京で独りで暮らすよりも、警察を辞めて九州で石岡と暮らす方がには幸せかもしれないと、斎藤も思う。石岡と結婚すると聞かされた時は、住む世界が違うもの同士が一緒になっても幸せになるはずがないと決めてかかっていたが、勘当も出世街道からの脱落も厭わないという石岡の様子を聞いたら、そうでもないような気がしてきた。そういう男ならきっと、を全力で守ってくれることだろう。
 斎藤はを守り続けることは出来なかったが、これからはきっと石岡がその役目を果たしてくれるだろう。否、は“守ってもらう”というタマではないから、寄り添って時々支える役目といったところか。どちらにしても、それはもう斎藤の役目ではなく、石岡の役目だ。
 のこれからを見届けることが出来ないのは残念だが、たとえ二度と会えなくなろうとも、この国のどこかで生きていると思えればそれで十分だ。生きているのか死んでいるのかすら判らなかった10年に比べれば、どこかで生きていると思えるこれからの方がずっと良い。たとえの傍に自分ではない男が寄り添っているとしてもだ。
 柄にも無く感傷的になっている斎藤に気付いたのか、は小さく笑った。
「そんな、今生の別れみたいな顔しないでよ。別に外国に行くわけじゃないんだからさ。鉄道もこれからどんどん延びるって聞くし、いつか九州から北海道まで一日で行けるようになるかもしれないじゃない」
 の声は明るいけれど、目が潤んでいる。一寸突付いたらその大きな目から涙が零れ落ちそうなのに、それでも明るく振舞おうとする姿がいたいけな子供のようにいじらしい。そういえば10年前の別れの時もこんな表情をしていたと、斎藤はふと思い出した。
 あの頃はの身体の形や温かさを忘れないように強く抱き締めたけれど、今はもう出来ない。それはできないから、代わりに斎藤も明るい声で調子を合わせて言う。
「そうだな。本当に結婚する時は北海道まで挨拶に来い。媒酌人になってやるから」
 そうこうしているうちに時尾が戻ってきた。弁当と茶を受け渡しながら二、三言小声で交わす二人を見ていると、改めて夫婦なのだなあとは思う。二人は夫婦なのだから、東京と北海道に別れることになっても、のように名残を惜しむ必要は無い。時尾の様子も一寸出張に送り出すといった感じで、別居を悲しむといった様子は全く無いようだ。
 離れ離れになっても、斎藤と時尾の絆は切れることは無い。夫婦なのだし、家族なのだから当然だ。結婚なんて紙切れ一枚のことだと思っていたけれど、その紙切れこそが、と時尾の決定的な差なのだ。自分たちもそんな絆を作ることが出来るのだろうかと、はふと石岡の顔を思い出した。
 何だか自分だけ弾き出されたような寂しさを感じて、はそっと二人から距離を置く。もうここからは夫婦二人の時間だ。邪魔者は退散しなくては。
「じゃあ藤田警部補、お元気で」
 明るい声を張り上げると、は最敬礼をした。その目にはもう涙は無い。
 突然の大声に斎藤も時尾も驚いた顔をしたが、何かふっ切れたような顔のを見て、同時に微笑む。その笑い方もどこと無く二人似ていて、こういうのがきっと他人同士が家族になるということなのだろう。は夫婦物を羨ましいと思ったことは一度も無かったが、今この瞬間、初めて羨ましいと思った。
「ああ、君も元気でな」
 初めて聞く穏やかな斎藤の声。本当にこれで最後なのだと思うと、はまた目が潤みそうになって、慌てて踵を返した。
 二度目の別れは、一度目の別れよりは辛くない。一度目の別れはお互い生きていることは無いだろうと覚悟していたが、今度は離れ離れになってもこの国のどこかで生きているのだと思えるのだから、もう二度と会うことは無くても辛くはない。二人は全く別の人生を歩いていくのだから、辛いと思ってはいけないのだと、は自分に言い聞かせる。
君!」
 突然、斎藤が声を張り上げた。
「結婚する時は必ず挨拶に来い! 必ずだぞ!」
 これから戦場に行くわけでもなく、外国へ行くわけでもないのだから、二人は望めばいつでも会えるはずだ。次に会う時は既婚者同士になっているだろうが、でも会っていけないということは無いはずだ。心に疚しいところが無く、お互いが望めば、きっとまた会える。
 この期に及んでも命令口調の斎藤が可笑しくて、は足を止めて小さく吹き出してしまった。まったくこの男は、他人にものを頼むということが出来ないらしい。けれど、この一方的な命令のような約束が、には嬉しい。
 結婚が決まったら、石岡と一緒に北海道に行こうと決心する。斎藤に正式に結婚を報告することを、石岡は嫌とは言わないはずだ。彼が斎藤に対抗心を持っていることはも前々から気付いていた。だからきっと、斎藤に結婚を報告すると言ったら、喜んで一緒に北海道に行ってくれるだろう。
 石岡と二人で北海道に行く時、斎藤夫婦のように誰の目から見ても睦まじい夫婦のようになっていれば良いと思う。と石岡はまだ他人だけれど、一緒に暮らすようになったら家族のように馴染んでいけるはずだ。否、彼とだったら絶対にそうなれる。のために家族も約束された将来も捨てて良いと言ってくれた石岡となら、きっと誰よりも睦まじい夫婦になれる。
「はい!」
 心の底から晴れやかに笑うと、は元気一杯に返事をした。
<あとがき>
 斎藤の北海道転勤です。原作では多分転勤は冬ではなかったと思うのですが、これ書いているのが年末なので、初雪がちらつく頃と勝手に設定しました。
 実はこの話、随分前に友人とカラオケに行った時に『なごり雪』を歌いながら思いついたものです(選曲が古いというツッコミは無しで)。主人公さんの「東京で見る雪もこれが最後ね」という台詞も、『なごり雪』からきています。本当は歌詞の中にある“君が去ったホームに残り 落ちては溶ける雪を見ていた”というシーンも入れたかったのですが、そんなことをしたら話が終わらなくなってしまうので割愛。
 しかしこのシリーズ、メロドラマ風味に突入したら、だらだらとねちっこい話になってきましたね。斎藤も主人公さんも思考がループしっ放し。まあメロドラマってやつは基本的にくっ付いたり別れたりのループ状態がラストまで延々と続く話ですからね(笑)。
 こんな話になってしまいましたが、ヒントになった『なごり雪』は名曲ですよ。昔の曲は情緒がありますね。
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