笑顔
最近、シノモリサンっていうのが毎日のように家に来て、非常に面白くない。しかもあいつは図々しく泊まっていくことも結構あるし、それだけじゃなくて次の日は三食食べてから帰るのだから、その神経の図太さは只者じゃないと思う。やっぱりあれだけ図体がでかいと、遠慮という高等な知恵が回らないのだろうか。大体あいつのことは最初から嫌いだった。いつもさんを獲物を狙うような厭らしい目で見ているし、隙があればさんに触ろうとするし。さんが何も言わないのを良いことにやりたい放題なのだ。
しかもあんなでかい図体しているくせに、僕のことをバシバシ叩くような卑怯者。一度さんから怒られてからは少し懲りたみたいだけど、でもまだ時々、さんの目を盗んで叩かれたり、“鳥肉”って呼ばれる時がある。最近では「焼き鳥にしてやる」なんて脅しにかかってきて、とんでもない野蛮人だ。その分、仕返しに噛み付いてやるけど。
さんも、どうしてあんな奴を家に上げるんだろう。家に入れないと、今度は外でさんが苛められるのかな。でも、家で上げても、さんの身体を抱え込むように押さえつけたりして苛めてるんだから、やっぱり家に入れないのが一番良いと思うんだけどなあ。
そんなことを考えていたら、玄関の戸が開く音がした。
「こんにちわ」
あいつの声だ。また今日も来たのか。昨日も来たくせに図々しい。少しはさんの都合も考えろ。
けれど、そんな僕の気持ちと裏腹に、さんは軽い足取りで厨房から出てきて嬉しそうに出迎える。
「いらっしゃい。もうすぐ御飯も出来ますから」
御飯を作っているってことは、あいつ、今日は泊まるのか? さんも嫌なら嫌って言えば良いのに。あいつは馬鹿だから、はっきり言ってやらないとわからないんだ。さんが言えないなら、僕が言ってやる。
息を大きく吸って羽を毛羽立たせて、唸り声を上げる。これでこの前も近所の猫の仔を追い払ってやったんだ。あいつだってびびって逃げ出すに違いない。
そう思っていたのに、僕の姿を見たさんは可笑しそうに小さく噴き出して、
「あらあら。ちぃちゃんは相変わらず四乃森さんが嫌いなのねぇ」
シノモリサンのことは嫌いなのは当たってるし、さんが笑ってくれるのは嬉しいけれど、でも何かが違う………。あいつもびっくりするどころか、面白くなさそうに鼻を鳴らすだけだし。おかしいなあ。猫の仔はこれでびっくりして逃げたのに。
もしかして、膨らみ方が足りないのかな? 一旦息を吐いて、今度は胸が張り裂けそうなくらい息を吸う。
「あらあら大変」
さんはますます可笑しそうに笑うと、僕の籠に近付いてきた、そして柵の間から指を差し入れて、くすぐるように僕の身体を撫でる。
「どうしたの、ちぃちゃん? そんなに怒らなくてもいいでしょ?」
甘い声でそう言われながら、さんの指先で首の辺りをくすぐってもらうと、気持ち良くてとろ〜んとしてくる。 あれ? 何を怒っていたんだっけ?
「ご機嫌直ったみたい。ちぃちゃん、こうしてもらうのが好きだから」
「ふーん………」
あいつの声は何となく面白くなさそうだ。僕がこうやってさんに可愛がってもらっていると、あからさまに不機嫌になる。あー、やだやだ、男の嫉妬って。
「四乃森さんもしてみます? ちぃちゃんと仲良くなれるかも」
それは嫌だ。あいつに触られるなんて、虫唾が走る。あいつが触ってきたら絶対噛み付いてやる。
僕の気持ちを察したのか、あいつも嫌そうな顔をして、
「いいですよ。また噛み付かれたらたまらない」
ふーん、あいつもやっと僕の恐ろしさに気付いたか。この調子で僕が怒ったら怖いってことを徹底的に教え込んで、シノモリサンが二度とさんに近付かないようにしなきゃ。
僕はもう一度、シノモリサンに向かって威嚇の姿勢をとった。今度こそあいつもびびって逃げ帰るだろう。
そう思ったのに、やっぱりあいつは面白くなさそうな顔をするだけだ。やっぱり馬鹿だから、痛い思いをしないと解らないのかな。
今度は甲高い声を上げながら、大きく口を開けて噛み付くふりをする。これならどんなにあいつが頭が悪くても、僕が本気で怒ってるってことが解るだろう。
「もう、ちぃちゃんったら。そんなに怒っちゃ駄目よ」
シノモリサンに気を遣っているのか、さんはくすくす笑いながら僕のお腹をくすぐる。あんな奴に気を遣わなくても良いのに。あいつはさんのそういう優しいところにつけ込んでるんだから。
さんの笑顔を見られるのは嬉しいけれど、それがあいつに気を遣って無理して笑っているのなら、僕はちっとも嬉しくない。
その後、あいつはさんとご飯を食べて風呂にまで入って、僕の予想通り此処に泊まっていくつもりらしい。さんは楽しそうに振舞っているけれど、でもきっとそれはお芝居だと思う。だって、あいつが泊まる夜は、いつもさんは苛められてるみたいなんだもの。きっと一生懸命気を遣って、あいつの機嫌を損ねないようにしようとしてるんだと思う。
籠の中にさえ入れられてなければ、僕が身体を張ってさんを守ってあげるのに。僕が小さいから、外に放したりしたらシノモリサンに殺されてしまうと思ってさんも出してくれないのだろう。早くさんを守ってあげられるくらいに大きくなりたい。明日起きたら、烏くらいに大きくなってたら良いのに。
「……やっ…四乃森さ……あっ………」
シノモリサンと同じくらい大きくなって、嘴で突付いたりしてやっつけている夢を見ていたら、さんの苦しそうな声で目が醒めた。籠に風呂敷を被せてあるから外の様子は判らないけれど、またあいつがさんを苛めているらしい。
ずっと前、あいつがさんを苛めている現場を見たことがある。流石に叩いたりはしていないけれど、さんが逃げないように上に乗っかって、首や胸に喰らいついていた。あいつが動くたびにさんは苦しそうな悲しそうな声を上げていて、それなのにあいつは凄く楽しそうにしていた。
「嫌じゃないでしょう? ここだって………」
「あぅっ……んっ………」
あいつの楽しそうな声に、さんの悲しそうな声が重なる。やっぱりそうだ。何とかしてさんを助けなきゃ。
どうにかして籠から脱出しようと、僕は勢い良く柵に体当たりする。柵が折れたら外に出られるかもしれない。
何度も体当たりをしていると、外で人が起き上がるような音がした。僕が本気で怒っているのが判って、シノモリサンが慌ててさんから離れたのかもしれない。
これで止めるかな、と全身で息をしながら様子を窺っていると、ふわっと風呂敷が捲り上げられた。
「どうしたの、ちぃちゃん? 怖い夢を見たの?」
乱れた胸元を掻き合わせながら、さんがいつもの優しい声で言った。声はいつもと同じだけど、目は潤んでいるし頬も少し紅く染まっているようで、やっぱりあいつに苛められていたのだろう。
ふと見ると、さんの首や胸元に小さな赤い痕がついている。あいつにやられたんだ。
『さん、あいつに痛いことされたの? 僕をここから出してよ。代わりにやっつけてあげるから』
「大丈夫よ。此処には悪い猫さんも怖い烏さんもいないからねー」
僕の必死の訴えも、さんには全然通じてないみたいだ。僕が怖い夢を見て騒いでいると思い込んでいるみたいで、あやすみたいに指先で僕の喉をくすぐってくれるけど、僕がして欲しいのはそんなことじゃない。
どうしたらさんに伝わるのか判らなくて、羽をばたばたさせていると、さんの後ろからシノモリサンがのっそりと近付いてきた。そして不機嫌そうな声で、
「どうせ寝惚けているんでしょう。放っておいたら静かになりますよ。それよりも―――――」
途中から急に優しい声になったかと思ったら、シノモリサンは両腕で後ろからさんの身体をガッチリと押さえ込んで、そのまま布団に押し倒す。
「駄目です。ちぃちゃんが見てる」
あいつの腕から逃れるように身体を捩りながら、さんが言う。だけどその声は何だか笑っているようで、何でこんな状況で笑っているのだろう。苛められていると思っていたけれど、もしかしてさんはこうされるのが好きなのだろうか。だからシノモリサンが家に泊まる時は嬉しそうにしているのだろうか。
さんの本当の気持ちはよく判らないけれど、でもあいつがさんに触るのは許せない。僕は羽をばたばたさせながら甲高い声を上げた。
「ほら、ちぃちゃんが怒ってるでしょ?」
「ああ………」
含むように笑うさんの言葉に、シノモリサンは面白くなさそうに舌打ちをした。そして身体を起こすと四つん這いで僕の籠に近付いて、
「お前はもう寝ろ」
その言葉と同時に、乱暴に風呂敷が下ろされた。
また何も見えなくなってしまったけれど、あいつがさんに近付いていくのは気配で判る。二人分の衣擦れの音がして、どうやらまた懲りもせずに続きをやるつもりらしい。あいつは本当に底なしの馬鹿だ。
あいつが諦めるまで、徹底的に邪魔してやる。あいつが動く音がするたびに、大声を出してみたり、羽をばさばさといわせた。そうやって音を立てると一瞬だけ外がしんとするけれど、でも僕が動きを止めるとまた音がする。こうなったら根競べだ。眠くてたまらないけれど、さんを守るためだから我慢しなきゃ。
そうやって何度も繰り返していると、さんが小さく笑う声がした。
「ちぃちゃん、焼きもちを焼いてるんだわ。だから今日は……ね?」
「…………………」
くすくすと可笑しそうに笑うさんとは対照的に、あいつは心の底から残念そうな溜息をついた。
焼きもちを焼いてるんじゃなくて、さんを守りたかっただけなんだけど、目的は果たせたんだからまあ良いや。あいつが本当に諦めてさんから離れる気配がしたのを確かめて、僕も漸く目を閉じた。
「ちぃちゃん、おはよう」
さんの優しい声と共に風呂敷が剥ぎ取られて、周りが急に眩しくなった。もう朝が来たのか。昨日は寝るのが凄く遅かったから、太陽の光が目に痛い。
目がしぱしぱして、何度も瞬きをする。そうしているうちに光に目が慣れて、さんとシノモリサンの姿が見えた。さんはいつものように御機嫌だけど、あいつは不機嫌そうだ。昨日、散々邪魔してやったことを根に持っているのだろう。
さんは風呂敷を片付けると厨房に消えた。朝御飯の用意をするのだろう。あいつの分も作ってやらなきゃいけないんだから大変だ。少しは気を遣って、朝御飯の前に帰れば良いのに。
そう思いながらあいつの様子を観察していると、あいつも僕の視線に気付いたのか、音を立てないようにそっとこっちに近付いてきた。
「おい、こら」
柵ギリギリに顔を近付けて、低い声で僕を呼ぶ。無視してやっても良かったんだけど、それじゃあ逃げてるみたいだから、僕もシノモリサンを見た。
じっと見上げていると、シノモリサンは柵の間から指を突っ込んで、いきなり僕の頬をパシッと叩いた。勢い良く叩かれたものだから、顔が思いっきり横を向いてしまう。首が痛い。
すぐに体勢を立て直したが、今度は上から頭をパシッと叩かれた。
「折角良いところだったのに、邪魔しやがって。このバカ鳥が」
さんに聞こえないように小声でブツブツ言いながら、シノモリサンは間髪入れずに何度も僕の頭を叩く。その度に僕の身体は何度も前のめりになって、危うく止まり木から落ちそうになった。
“鳥肉”の次は“バカ鳥”かよ。こいつの言葉には本当に品ってものが無い。さんもこんな下品な男に付き合ってやることもないのに。きっと優しいから突き放すことが出来ないのだろう。
けれど、僕はさんほど甘くはない。何度も叩かれっぱなしで泣き寝入りっていうのは絶対に嫌だ。
あいつの指が一瞬止まったところで、僕はあいつの指先に思いっきり噛み付いてやった。此処が一番痛いってことは、何度も噛み付いているから学習済みだ。
「痛っ………!! こいつ………!」
咄嗟に指を抜くと、シノモリサンは籠の出入り口を乱暴に開けて手を突っ込んできた。僕を捕まえて握りつぶすつもりなのだろうか。
捕まえられたらどうしようもなくなってしまう。僕は狭い籠の中を飛び回りながら、何とかもう一度噛み付く機会を窺う。
「何やってるんですか?!」
騒ぎを聞きつけて、さんが厨房から出てきた。
「やっ……これはっ………!」
シノモリサンは慌てて手を引っ込めたが、もう遅い。
さんは心底怒った顔でこちらに来ると、両手で抱え込むように僕の籠を持ち上げた。そしてシノモリサンを睨みつけて、
「こんな小さいちぃちゃんを苛めるなんて。そんなだから、ちぃちゃんに嫌われるんですよ」
「でもこいつ、文鳥のくせに凶暴なんですよ。これ見てくださいよ。絶対こいつ、人の肉の味を覚えてますから」
必死な口調でそう言いながら、シノモリサンは僕に噛み付かれた指先をさんに見せる。その指先には血が滲んでいた。思いっきり噛み付いてやったんだから当然だ。
それにしても、人の肉の味を覚えているなんて人聞きの悪い。僕はシノモリサン以外の人は噛まないのに。大体あいつに噛み付くのも、あいつが僕を叩くからじゃないか。
シノモリサンの必死の訴えに、さんは今度は僕の方をじっと見た。もしかして、僕を凶暴な文鳥だと疑ってるのだろうか。僕は断じて凶暴な文鳥じゃない。
「ち?」
小さく鳴いて、僕は首を傾げながらパチパチと瞬きをする。さんが一番好きな僕の仕草だ。こうするとどんな時でもさんは笑ってくれる。
案の定、僕のこの姿を見て、さんは口許を綻ばせた。そしてもう一度シノモリサンを睨んで、
「そんなことあるわけないでしょう。こんなに可愛いのに。どうせ、四乃森さんがちぃちゃんを怒らせたんでしょ?」
そうそう。今日はあいつの方から仕掛けてきたんだ。
さんは僕の籠を抱えたまま粟が入った袋を取ると、シノモリサンから離れたところに座った。そして籠の出入り口を開けて僕を呼び寄せる。どうやら朝御飯を食べさせてくれるらしい。
僕が掌の上に乗ると、さらさらと目の前に粟が零された。
「さん、鳥の前に人間の朝御飯は………?」
「ちぃちゃんを苛める人の朝御飯なんて、後回しです!」
弱々しく声を掛けるシノモリサンに、さんはぴしゃりと言い切った。やっぱりさんはシノモリサンなんかよりも僕のことが好きなんだ。あんな図体のでかい可愛くない奴なんかより、僕を可愛いと思うのは当然のことだけどね。
今日は朝からとっても良い日だ。さんはシノモリサンのことを怒っているから、今日一日は僕がさんを独占できるに違いない。さんが僕に夢中になっているところを、あいつに見せ付けてやろう。
御飯を食べながらさんを見上げると、凄く楽しそうににこにこしている。僕を見てこうやって笑ってくれることが、さんを独占することよりもずっと嬉しい。これからもこうやって、僕だけを見て笑ってくれたら良いなあと思う。
ちぃちゃん、主人公さんは蒼紫に苛められてるわけじゃないと思うよ?
書きながら思ったんですが、文鳥の首とか頬とか、一体何処なんだろう………? っていうか、これをドリームと言って良いものやら。明らかにドリームじゃないですね。すみません。こんな嫉妬するちぃちゃんの話になるはずではなかったのですが………。
書いている本人は非常に楽しかったのですが、企画としては明らかに失敗ですね。文鳥の独り語りなんて、誰が聞きたいんだって話なんだが。でも勿体無いんでUPしましたけど。
次回からは普通のドリームに戻りますので、これに懲りずにこれからもよろしくお願いいたします。