困らせたい
「ここらへんにあると思うんだけどなあ………」斎藤の机の引き出しを探りながら、は独り言のように呟く。
以前に解決した事件の書類をまとめた帳面が急に必要になってさっきから捜しているのだが、どうしても見付からないのだ。の机の中には無かったから、斎藤の机に入っているとしか思えないのだが。
斎藤にも訊いてみたかったのだが、彼は何処に行ったのやら昼前から姿が見えないのだ。本当はこうやって机の中を漁るのは斎藤が嫌がるのでしたくないのだが、どうしても今すぐ必要だと川路大警視が言うので仕方が無い。
斎藤の引き出しの中は、彼の几帳面な性格をそのまま表しているように、綺麗に整理整頓されている。一番下の深い引き出しに書類や帳面が整然と並べられていて、それを一つ一つ取り出して中身を確認していく。
「うーん………これも違うか………。あれ?」
帳面をパラパラと捲っていたの手が止まった。仕事の日誌かと思っていたが、どうも文章が報告書らしくない。どうやら、斎藤の個人的な日誌のようだ。
斎藤に日記を付ける習慣があるなんて知らなかったし、日記を付けているところなど見たことも無いのだが、日付を見ると最近も付けているらしい。の目を盗んで書き続けていたのだろうか。
斎藤がちまちまと日記を書いているところを想像すると可笑しいが、何をそんなにちまちまと書いているのか非常に興味をそそられる。こういうのは見てはいけないと思いながらも、は適当なところを開いてじっくりと読み始めた。
『○月×日 の机の中に、鍵付きの箱を見つけた』
そういえばいつだったか、斎藤が墨汁を借りるのにの机の中を漁ったと言っていたことがあった。その時のことだろう。
自分の名前が出てくると余計に気になって、はそのまま読み進めていく。
墨汁を切らしてしまったので、斎藤は仕方なくの机から借りることにした。事務所に行って備品を貰ってきても良いのだが、取りに行くのが面倒臭い。それに最近、経費削減とやらで、書類を束ねる紐一本貰うのも何に使うのか理由を説明しないといけないのだ。
二段目の引き出しを開けて墨汁を探していると、引き出しの奥に見覚えのある箱を見つけた。色がところどころ剥げているが、かつては朱色の染料が塗られていたと思われる木の箱だ。椿の模様が彫りこまれているそれは、かなりの年代物のようである。
「なんだ、あいつ………。まだこんな物を持っていたのか………」
箱をそっと取り出すと、斎藤は懐かしそうに呟いた。
この箱は幕末の頃、斎藤がの19歳の誕生日に買ってやったものだ。鍵付きの小箱が欲しいと言われて、なかなか希望通りの品が見付からなくて、屯所近くの小間物屋を何軒も回ったのを憶えている。
この箱の中には簪だの根付だのの小物や、何処で手に入れてきたのかよく分らない硝子玉や綺麗な色の貝殻のような、にとっては宝物と思われるガラクタが大切に保管されていた。幕末のごたごたでとっくに捨てられていると思っていたし、斎藤も今の今まで箱をやったことすら忘れていたから、懐かしさも一入だ。
今はこの箱に何を入れているのだろうと、斎藤は蓋に手をかける。が、鍵がかかっているらしく、蓋はびくともしない。買ってから10年以上経っているし、ちゃちな作りの鍵だったからとっくに壊れていると思ったが、意外と丈夫に出来ていたらしい。それともの物持ちが良かったのだろうか。10年前のものにしては傷みもそれほど無いようだし、大切に使っていたのかもしれない。
どうせ碌なものは入ってないと思うが、こうやって鍵がかかっていると中身が気になって仕方が無くなってくる。斎藤は一寸考えてると、昼の仕出し弁当に付いていた爪楊枝を鍵穴に突っ込んで中をかき回してみる。
元々甘い造りの鍵だったのか、古くなって金具が甘くなっていたのか、中でカチリと音がして造作も無く蓋が開いた。
「ほう………」
果たして、箱の中は10年前と同じくつまらないものが詰まっていた。“九州の石岡君”とやらから送られた絵葉書に、いつ使うつもりなのか分らない口紅。それに、もう二度と使わないと思われる、遠い昔に斎藤が買ってやった簪―――――つくづく物持ちの良い女である。
どれもこれも斎藤の目にはガラクタにしか映らないが、にとっては大切な思い出の品々なのだろう。とはいえ、一銭の価値も無さそうなガラクタを大切に隠し持っているとは、犬みたいな女である。
ガラクタを一つ一つ取り出して眺めていると、掌に乗るくらいの小さな菓子箱が入っていることに気付いた。取り出してみると、まだ中身が入っているようである。そういえば昔も、後で食べるつもりの乾菓子をこの箱に入れていたことがあった。
「『風月堂』か………」
箱の裏に書かれている屋号を見て、斎藤が呟く。新聞にも時々広告を出している、洋菓子の店だ。先日の新聞でも、“チョコレート”なる欧州の菓子を新発売したと話題になっていた。
蓋を開けてみると、十字に仕切られた箱の中に丸くて黒いものが4つ収まっていた。和菓子には無い甘い匂いがする。指先で軽く叩くとどうやら硬いものらしく、爪に当たるとカチカチと音がした。どうやらこれが“チョコレート”というものらしい。
この箱の中に入れているということは、斎藤のいない隙に一人で食うつもりなのだろう。高価な菓子らしいからその気持ちは解らないではないが、でも内緒で食おうという根性が斎藤には気に入らない。甘いものはあまり好きではないから、別に積極的に食べたいとは思わないが、一粒食べてみたら? くらいは言ってもらいたいものだ。
斎藤は菓子箱を戻して元通り小箱の鍵をかけると、それを持ったまま一寸考える。
「一寸困らせてやるか」
ニヤリと笑うと、斎藤は箱を持ったまま本棚の上に積まれた空の段ボール箱を引き摺り下ろした。
「斎藤さんが持ち出したんだ!」
この日の日記を読み終えたが、憤然と呟いた。
あの日の夕方、外出から帰ったが二段目の引き出しを開けた時、奥に隠しておいた小箱が消えていて、言葉が出ないくらい驚いたのだ。あの箱をまだ持っているということを知られるのも何となく恥ずかしかったし、入れている物が物だけに斎藤を問い詰めることもできなかった。
あれを隠したのは斎藤だったのか。道理で、がさがさと引き出しを漁るの様子を面白そうに見ていたはずだ。
憤然としながらも、は日記を読み進めた。
『○月×日 箱が無くなったことに気付いて、は昨日から落ち着きが無い』
昨日の夕方に執務室に戻ってきて、引き出しから小箱が無くなっていることに気付いて以来、はそわそわと落ち着きが無くなっている。ガラクタばかりでもにとっては大事な宝物なのだから、当然だろう。
出勤してからも、暇さえあればは朝からずっと引き出しの中を漁っている。整理している風を装って、自分の私物が入っている棚もガタガタと漁っているが、そこにも無いことを何度も確認すると、不思議そうに首を傾げている。昨日の昼過ぎまでは引き出しに入っていたものが煙のように消えたのだから当然だろう。
問い詰められたら何と答えようかと斎藤は朝から考えていたのだが、その甲斐も無くは彼には一言も訊いてこない。あの箱の存在を斎藤に知られたくないのだろうか。それとも中身が問題なのだろうか。
「さっきから何をガサゴソやってるんだ? 落ち着かない奴だな」
口許が緩みそうになるのを必死に堪えて、斎藤は憮然とした様子を装って尋ねた。
「べ……別に。一寸私物を整理しようかと思って。暇だし」
も平静を装おうとしているようだが、目が泳いでいる。その反応が面白くて、斎藤はニヤリと口許を歪める
「ほう………。俺はてっきり探し物でもしているのかと思ったぞ」
「探し物なんて無いよ」
「そうか。何か探しているのなら、手伝ってやろうかと思ってたんだが」
心にも無いことを言うと、斎藤は書類に目を落とした。
実はあの小箱は、が今漁っている棚の上に置かれている段ボール箱の中に入っている。昨日まで本棚の上にあった段ボール箱が移動しているのだから、少しは不審に思いそうなものなのだが、は段ボール箱の存在にすら気付いていないようだ。斎藤には目線と同じ高さだが、には一寸頭を上げなければ見えない高さだから、視界に入っていないのかもしれない。
そういえば妻の時尾もそうだが、小さい人間というのは、自分の視界に入らない高さは“存在しない世界”と認識しているようだ。時尾が戸棚の上に埃が溜まっていることを斎藤に指摘されるまで気付かないように、も頭上の段ボール箱の存在を彼に指摘されるまで気付かないのかもしれない。しかし、すぐに見付けられても面白くないので、斎藤はまだ教えてやるつもりは無いが。
あのチョコレートの賞味期限は、あと10日くらいはあったはずだ。賞味期限が切れるのが先か、が見つけ出すのが先か。発見した時のがどんな顔をするかと思うと、斎藤は楽しくて堪らない。
いかにも楽しそうな文章に、悔しくて顔が紅くなっていくのが自分でも分る。は乱暴に頁を捲って先を読んだ。
『○月×日 あれから一週間過ぎたが、まだ棚の上の段ボール箱に気付いていないようである』
相変わらずは箱を捜し続けている。どうしてもう少し視線を上げて不審な段ボール箱を探ろうと思わないのか、斎藤には不思議で堪らない。
このままでは本当に賞味期限を切らしてしまいそうなので、斎藤は仕方なくのいない隙に小箱を移動させてみることにした。お楽しみの菓子が賞味期限を切らしたら、流石に可哀想である。
高い所に隠したのがいけないのなら、逆に低い所に隠してみることにした。今度は斎藤の机の下にある、古い書類を詰めている段ボール箱の中だ。書類の下に隠すと見付けられないかも知れないから、普通に書類の上に置いてそのまま箱の蓋を閉める。
の私物が入っている所は大概探したはずだから、そろそろ斎藤の私物を漁り始める頃だ。此処に隠したら、いくら何でも探し出せるだろう。あとは、斎藤が出来るだけ執務室を空けるようにすれば大丈夫だ。
「いい加減見つけてくれよ」
此処にいないに言い聞かせるように、斎藤は段ボール箱を撫でながら呟く。
軽い悪戯のつもりで隠したのに、チョコレートが食えなくなってしまったら洒落にならない。これで斎藤が隠したとバレたら、に殴られるのは確実だ。食べ物の恨みは怖ろしいのである。
そんなことをしていると、が戻ってきた。
「斎藤さん、何してるの?」
机の下に入り込んでいる斎藤に、が怪訝そうに尋ねる。
斎藤はいつもと同じ様子でゆっくりと立ち上がると、膝の埃を払いながら、
「一寸気になることがあって、昔の書類を見てたんだ。お前が戻ってきたなら、巡回に行ってこようかな。夕方まで戻らんから」
「はーい」
斎藤の行動を全く疑う様子を見せず、は自分の机に座った。
『○月×日 箱を隠してから10日目。何故見つけられないのか不思議で堪らない』
斎藤がいない隙にが彼の机の引き出しや私物の棚を漁っている形跡があるのだが、まだ例の箱を見つけることが出来ないようだ。ここまで見つけられないと、いっそ尊敬に値する。
そろそろ本格的にチョコレートの賞味期限が危ない。こうなったら最後の手段を使うしかないだろう。
相変わらず暇さえあれば棚を漁っているに、斎藤はさり気ない風を装って話しかけた。
「探し物が見付かるまじないを知ってるか?」
「だから探し物なんてしてないって言ってるでしょっ!」
どこから見ても探し物をしているようにしか見えないくせに、は意地を張ってそのことを認めようとはしない。何をそんなに意地を張ることがあるのか斎藤には理解できないが、なりに思うところがあるのだろう。
子供みたいなの反応に笑いが出そうになったが、それを堪えて斎藤は落ち着いた口調で言う。
「まあ聞け。俺の田舎ではな、探し物を探し出してくれる“無い無いの神様”というのがいるんだ。両手を合わせて“無い無いの神様”と三回唱えて、探している物を見つけてくださいとお願いしたら、元の場所に戻しておいてくれるんだ」
真剣な顔で説明するが、勿論そんなものは口から出任せである。
「何よそれ。そんなもので見付かるんだったら、誰も苦労しないわ」
「ま、要は落ち着きが肝心ってことだな」
面白くなさそうに口を尖らせるに、斎藤は尤もらしく言うと席を立った。
「一寸出かけてくる」
「何処に行くの?」
「一寸な。30分もしたら戻る」
素っ気無く応えると、斎藤は部屋を出て行った。
扉を閉めて、斎藤は廊下の突き当りまで足音を立てて歩いた。そしてそのまま回れ右をして、今度は足音を忍ばせて扉まで戻る。
扉に耳を付けると、がまたガサゴソと探している音が聞こえてきた。斎藤がいない間に心置きなく探すつもりなのだろう。
実はあの小箱はまた移動して、再びの机の二段目の引き出しに戻してある。けれど、今まであれほど探して無かったから、引き出しはもう開けていないらしい。灯台下暗しとはこのことだと、斎藤は可笑しくて堪らない。
暫く物を動かす音が聞こえていたが、埒が明かないと思ったのか、大きな溜息の音を最後に静かになってしまった。
「あれ、本当なのかな………」
ぼそっとが呟く声が聞こえた。そしてもう一度小さく溜息をつくと、
「無い無いの神様、無い無いの神様、無い無いの神様。私の赤い箱を探してください」
<本当にやってるし!>
危うく大爆笑しそうになって、斎藤は慌てて口を押さえた。けれど笑いは止まらなくて、全身を痙攣させながらその場にしゃがみこんでしまう。
あんな戯言を本当にやるとは。は見た目は若いけれど、もう30を超えたいい大人なのだ。それで「無い無いの神様」とは、可笑しくて堪らない。
しかし、それをやってしまいたくなるほど切羽詰っていたのだろうか。まあ、チョコレートの賞味期限は迫っているし、恐らく大枚はたいて買ったのだろうから、焦っていたのは確かかもしれない。
暫くして再びが動く気配がした。そして、引き出しを開けるような音が聞こえる。
「あ! あった――――っっ!!」
最初にあった二段目の引き出しを開けたのだろう。の驚いたような嬉しそうな声が聞こえた。
そこまで読んで、は脱力して斎藤の机に突っ伏してしまった。
あの時、斎藤は凄いなあと思ったものだが、凄くも何ともない。全部斎藤が仕組んだことで、それにうっかりが乗ってしまっただけなのだから。
箱が消えた時は本当にどうしようかと思ったし、行方が気になって夜もおちおち眠れなかったのに。それだけに、見つかった時は涙が出るほど嬉しかった。けれど、種明かしをされてしまえば、腹が立つやら情けないやら、一暴れしたいくらいだ。勿論そんなことをしたらまた転勤の憂き目に遭うから、できないけれど。
「お前、何やってるんだ?」
机に突っ伏してぷるぷる震えているを発見して、戻ってきた斎藤が頓狂な声を上げた。
その声に、は電光石火の動きで立ち上がると、斎藤の目の前に日記を突き出して怒鳴りつける。
「何よこれっ?! どういうことっ?!」
「それは………!!」
目を充血させ、眦を吊り上げて問い詰めるの迫力に押されて、斎藤はそのまま絶句してしまった。
「こうやって裏で私のこと笑ってたのね?! ひどい!!」
「や……一寸落ち着け。裏で笑うとかそういうのじゃなくて………」
「あの時の私の気持ち、解る?! あんたは軽い気持ちだったかもしれないけど、私はっ………!!」
零れ落ちそうなほど目に涙を溜めて、は顔を真っ赤にしてまくし立てる。
箱を隠したくらいでそんな泣くほどのことかと、斎藤は今更になって驚いた。そんなにあの箱の中身は大切なものだったのか。
ふと後ろに目をやると、のただ事ではない金切り声に不審に思ったか、職員たちが部屋を覗いている。「痴話喧嘩らしい」だの「藤田警部補が警部補に何かしたらしい」だの、ぼそぼそと聞こえてきて斎藤には非常に居心地が悪い。後ろの連中は確実に斎藤との関係を誤解しているだろう。
だが、はそんな見物人の様子に気付いていないのか、とどめのように言い放った。
「藤田さん、ずっと私の気持ちを弄んでたんだ! 私のこと、玩具にしてたなんてっ………ひどいよ! 最低っっ!!」
叩きつけるようにそう言うと、は顔を覆って走って出て行った。
何だか芝居がかった展開に、斎藤は引き留めるのも忘れて見送ってしまった。そういえばは昔から、感極まるとこんな芝居がかった言動をしていたような気がする。興奮するうちに状況に酔ってしまう性質なのだろう。
けれどのそんな性格を知らない見物人たちはそう思っていないようで、人でなしを見るような冷たい目で斎藤を見ている。あのの言葉では、どう解釈しても斎藤がを弄んで捨てたのだとしか聞こえないのだから当然だ。
「藤田君」
妙に優しい猫なで声で、川路大警視が斎藤の肩を叩いた。ただ事ではない人だかりに、川路も気になってやって来たのだろう。
斎藤が振り返ると、優しい声とは裏腹に、川路の表情は怒りで引き攣っていた。
「さっきの君の話について、詳しく聞かせてもらおうか」
「や、これは誤解なんですよ」
いつもは堂々としている斎藤だが、今回ばかりは状況が状況だけに落ち着きを失ってしまっている。それが更に怪しさを強調して、周囲の視線は更に痛くなる。
ただでさえ数少ない女性職員、しかも美人で愛想の良いは、警視庁の人気者なのだ。斎藤が目を光らせているから誰も手を出せなくて、遠巻きに見ているしかない高嶺の花だったのに、よりにもよって監視者の斎藤がに手を出していたとなったら、そりゃあ非難轟々である。しかも斎藤は妻子持ちで、は弄ばれたと泣いていたのだ。どこから見ても、斎藤は最低の悪党だ。
川路は引き攣った顔のまま、斎藤の肩を掴む手にギリギリと力を込める。
「誤解かどうかは、取調室で聞かせてもらおう。みんなも真実を知りたいようだしな」
同感だと言わんばかりに、見物人たちは斎藤を睨んだまま頷いた。どうやら、この見物人たちも取調室に来る気らしい。
これから吊るし上げられる自分を想像すると、斎藤は目の前が真っ暗になるような気がした。最初は軽い悪戯のつもりだったのに、何処を間違ってこんな大事になってしまったのだろう。
斎藤が取調室で尋問を受けている頃、は警視庁近くの甘味処で抹茶を飲んでいた。さっきまでは泣いていたはずなのに、目は全く腫れていなくて、表情も楽しげだ。
<今頃、警視庁は大変なことになっているだろうなあ>
あれだけ派手に騒いでやったから、斎藤もただでは済まないだろう。見物人の中には川路大警視もいたようだったし、多分今頃みんなに吊るし上げをくっているはずだ。その状況を想像すると可笑しくて、笑いがこみ上げてくる。
これまでずっと斎藤には遊ばれてきたのだから、たまにはこっちが困らせてやらなければ損だ。箱の件は確かに悔しかったけれど、でも斎藤を困らせてやる絶好の機会だったし、実際困らせてやることが出来たのだから、良しとしよう。
それにしても、斎藤もあの箱のことを憶えていたとは思わなかった。あれは、斎藤が初めてにくれた贈り物だったのだ。だから御一新のごたごたの時も絶対に手離さなかったし、色も剥げて鍵も甘くなっていたけれど、捨てられなかった。初めて好きになった人から初めて貰った物というのは、その男と別れた後でもなかなか捨てられないものらしい。
あの箱が無くなった時、箱の中身のことよりも、箱自体の行方が心配だった。箱の中身も勿論の宝物だったけれど、箱そのものが一番の宝物だったのだ。斎藤はそのことに気付いてはいないようだったけれど。
「そろそろ戻った方が良いかな………」
懐中時計を見て、は呟く。警視庁を飛び出して、30分ほどが過ぎていた。
斎藤が何を言ったところで、があれだけ派手な芝居を打ったのだから、誰も信用しないだろう。左遷だの降格だの話がややこしくなる前に、の口から本当のことを話してやらなくては。
でもその前に―――――
「すみませーん! 抹茶のお替りと、おはぎ下さーい」
店員に向かって、が声を張り上げる。
斎藤を困らせてやるなんて機会は滅多に無いのだから、もう一寸だけ困らせてやろう。そうすれば、少しはに対する扱いも変わるかもしれないし。
くすくすと楽しそうに笑って、は残りの抹茶を一気に飲んだ。
『風月堂』で日本初のチョコレートが発売されたのは、明治11年だそうです(星新一著『夜明けあと』より)。そうか、『るろ剣』の時代にはすでにチョコレートは発売されていたのか………。ということは、“チョコ”のお題の時は素直にチョコレートネタでも良かったな。ま、今更だが。
“困らせたい”ということで、最初は斎藤が主人公さんを振り回す話にしようかと思ったんですが、それでは他所様のドリームと大して変わらなくなってしまうので、逆転で主人公さんの仕返し話に変更。しかしこの後、どうやって誤解を解くつもりなんだろう………? つか、解けるのか?
このシリーズの二人はラブラブモードっていうよりはコントって感じですねぇ。ほら、ラブ入ったら不倫だし。不倫ドリームっていうのも書いてみたいけれど、どんなもんでしょう? やっぱりドリームでそれはナシか(笑)。