いつもの調子

 東京から、神谷道場ご一行様がやって来た。京都の夏を満喫する旅なのだという。祇園祭だの川床料理だの、薫は早速京都案内の冊子を見て何処から行こうかと浮かれている。
「そういえば、蒼紫の姿が見えないようでござるな」
 客室に通された剣心が、思い出したように言った。
 剣心たちが来たということで、操を始めとする『葵屋』の面々は仕事の合間を縫って客室に顔を出しに来てくれたのだが、蒼紫だけはまだ来ていない。京都に来た折には茶の湯くらいなら付き合うといっていたが、まだそういう気分にはなれないのだろうか。
 が、対面に座っていた翁は、堪えきれないようにニヤニヤと笑って、
「今日は仕事が早く終わったと言って、さんの家に行ったようじゃ」
「“さん”?」
「蒼紫の恋人じゃよ。前から休みの度に出かけていたが、最近は仕事が終わった後も逢っているらしくてな」
「えええええ――――――――っっっ!!!」
 翁の言葉に、同室していた全員が驚きの声を上げた。そして剣心が次の言葉を発する間も無く、興味津々の顔で翁の前に集まる。
「“蒼紫の恋人”ってどんな女なんでぇ?!」
「っていうか、いつの間にそんなもん作ったんだよ?!」
「あの蒼紫が“恋人”って言ったんですかっ?!」
 翁の前に首を突き出して矢継ぎ早に質問を浴びせかける三人に、翁は楽しそうにうひょひょと笑う。予想通りの反応に満足しているようだ。
 要望に応えて翁は、蒼紫がお姫様抱っこでを連れてきた日のことから掻い摘んで説明した。足を怪我したを甲斐甲斐しく世話していたことや、二人でいる時は楽しそうな声が聞こえるなど、聞き手が喜びそうな部分を重点的に話す。
 話を聞き終えて、全員が感に堪えないような唸り声を上げた。まさかあの蒼紫にそんな女が出来ていたとは。しかも、甲斐甲斐しく世話するだの楽しそうな声だの、彼らが知っている蒼紫からは想像を絶する姿だ。いや、それよりも、蒼紫がその女を口説く姿というのが、一番想像を絶する。あんな無表情で陰気な男が、どうやって女を口説いたのだろう。
 それより何より、問題はその“”とかいう女だ。翁の話ではなかなかの美人であるらしいが、そんな美人がどうして蒼紫みたいな男と付き合っているのだろう。そもそも、あんな男と付き合えるなんて、一体どんな女なのか。
 腕を組んで考えていた左之助が、突然真顔で言った。
「蒼紫の奴、その美人に騙されてるんじゃないか?」
 美人であれば、相手など選り取りみどりである。何もあんな面白味の無い陰気な男と付き合う必要など無いではないか。
「や、それはいくら何でも………」
「そんなことあるわけないだろう」
 左之助の失礼な物言いを嗜めようとした剣心の声に、蒼紫の不機嫌な声が重なった。
 見上げると、いつの間にやら翁の後ろに蒼紫が立っていたのだ。いつからそこに立っていたのか、翁の話に夢中になっていた4人には全く気付かなかった。流石は元御庭番衆である。
 蒼紫は立ったまま、不機嫌な顔で翁に言う。
「大体、翁も翁だ。どうでもいい事をペラペラと………」
「まあまあ。
 それよりも蒼紫。明日、みんなで京都見物をしようと思っているでござるが、おぬしも一緒に行かんか? 拙者、最近の京都はよく知らぬ故、案内をしてもらえると非常に助かるのでござるが」
 このままでは雲行きが怪しくなりそうだったので、剣心が取り成すように話題を変えた。
 が、蒼紫はにべも無く、
「悪いが明日は先約が入っている」
「またさんのところか? あんまり通い詰めるのも、しつこいと嫌われるぞ」
「余計な世話だ」
 翁のからかいには慣れているのか、蒼紫は顔色一つ変えずにぶっきらぼうに応えると、そのまま出て行ってしまった。女が出来ても、愛想が無いのは相変わらずのようである。
 しかし、翁にからかわれるほどという女に逢っているとは、どうやら本当に熱愛中らしい。二人きりの時は楽しそうな声が聞こえたというし、女の前では別人になっているのだろうか。あの蒼紫をそこまで変えるという女を見てみたい。
「明日の京見物だけど………」
 薫が三人の顔を窺うように見ながら口を開いた。
 一応夏の京都を満喫する旅ということで来たのだが、これは京都の夏どころではない。京都の夏は来年も来るが、蒼紫の遅すぎる春はもしかしたら来年には終わっているかもしれないのだ。それどころか、最初で最後の春かもしれない。
 それは左之助も弥彦も同じ意見らしく、妙に張り切って言う。
「こりゃあ、観光どころじゃねぇぞ。蒼紫が夢中になってる女とやらを確かめねぇとな!」
「おう! あいつがどんな顔で女に会ってるのか見てやろうぜ!」
「そうよね! やっぱりみんなも気になるわよね?!」
 左之助と弥彦の賛同を得て、薫は嬉しそうな声を上げた。誰だって、他人の色恋には興味津々なのだ。それがあの四乃森蒼紫のなら、なおさらである。
 どうやって蒼紫を尾行しようかと盛り上がり始めている三人に、剣心が遠慮がちに口を挟む。
「覗きはいかんでござるよ〜」
「何、人聞きの悪いこと言ってんだよ。偵察だよ、偵察!」
「蒼紫がとんでもねぇ性悪女に引っかかってたらどうするよ? 俺たちが確かめてやらなきゃな」
 弥彦も左之助も尤もらしいことを言っているが、純粋な好奇心だけで動いているのは、その表情を見れば明らかだ。
 蒼紫も隠密をやっていたのだから、素人が尾行をしてもすぐに気付かれるに決まっている。撒かれるだけなら良いが、回天剣舞の一つもお見舞いされたらどうするのか。あの手の人間は、秘密を守るためなら何でもしかねない。
 が、そんなことを言ったところで聞く耳を持ってくれそうもないし、剣心は早々に諦めの溜息をついた。
「じゃあ拙者、一人で見物に行くでござるよ」
「何言ってるの。団体行動は乱しちゃ駄目!」
 蒼紫の尾行にあくまでも消極的な剣心に、薫が軽く目を吊り上げてぴしゃりと言う。まるで尾行をしない剣心が悪いことをしているみたいだ。
 尾行をするのに“団体行動”というのもおかしな話だが、いつの間にやら蒼紫の尾行は京都旅行の大事な行程の一つになっているらしい。蒼紫にはいい迷惑だろう。
「翁殿からも何か言って欲しいでござるよ」
 自分が何を言っても無駄だということを悟って、剣心は翁に助け舟を求めた。いくら彼らが勝手に盛り上がっても、翁の口から止められれば思い直すはずだ。
 が、肝心の翁は羨ましそうな様子で、
「儂も組合の会合が無ければ、一緒に尾行したかったんだがのう………」
「………………」
 どうやら尾行を悪いことだと思っていたのは、剣心だけだったらしい。蒼紫も大変なものだと、剣心は心の中で溜息をついた。





 翌日、蒼紫は昼食を済ませると『葵屋』を出て行った。剣心たちも早速、蒼紫のあとを尾行する。
 一度は修羅道に堕ちて翁にまで剣を向けた蒼紫だったが、今ではあれほどの闘争心も消えてしまったかのようだ。街の雰囲気にすっかり溶け込んでいて、知らない人間からは何処ぞの若旦那にしか見えないだろう。変われば変わるものだと、四人は心の底から感心した。
 蒼紫が変わったのは、のせいなのだろうか。操たちの話によると、は蒼紫の過去を殆ど知らないらしい。何も知らないだからこそ、癒せる傷もあるのかもしれない。蒼紫を此処まで変えたという女に、ますます興味を覚えた。
「蒼紫の奴、全然気付いてないみたいだな」
 八百屋で大きな西瓜を買い求めている蒼紫を物陰から窺いながら、弥彦が低い声で言う。
 弥彦の言う通り、蒼紫は自分がつけられているとは夢にも思っていないのか、『葵屋』を出て以来、一度も彼らの方を振り返っていない。かつては御庭番衆の御頭まで勤めた男であるのに、との付き合いですっかり平和ボケしてしまっているのだろうか。
「あんなでけぇ西瓜、どうするつもりだ?」
 買った西瓜をぶら下げて再び歩く蒼紫の後ろ姿を見ながら、左之助が不思議そうに呟いた。と食べるのであろうが、二人で食べるには大きすぎる西瓜である。昨夜、『葵屋』の夕食後に西瓜が出た時は蒼紫はあまり食べていなかったから、が食べるのだろうか。余程西瓜が好きな女らしい。
 店が建ち並ぶ大通りから、民家が集まる細い道へと入る。それまで脇目も振らず歩いていた蒼紫が、小さな家の前で足を止めた。
さん」
 これまで聞いたことの無い優しい声で、蒼紫は家の主人に呼びかける。程なくカラリと戸が開き、すらりとした女が現れた。
 剣心たちからは横顔が少ししか見えないが、美人の雰囲気はある女である。『葵屋』の全員が口を揃えて“一寸色っぽい美人”と言っていたが、あながち贔屓目ではないようだ。遠目で見た限りでは、蒼紫が夢中になってもおかしくない女かもしれない。
 蒼紫はに西瓜を渡すと、身を屈めて何やら耳打ちをする。と、は小さく目を瞠り、それから口許に手を当てて小さく笑った。蒼紫が冗談でも言ったのだろうか。蒼紫の冗談など、想像を絶する。
 が、それよりも信じられないのは、蒼紫が口許に微笑を浮べていることだ。あの無愛想で無表情の男が微笑を浮べるなど、こうやって自分の目で見ても信じられない。
「………えれぇもん見ちまったな」
 唖然とした声で、左之助がそれだけ言う。薫も大きく目を見開いて、
「あの人、笑うんだ………」
 志々雄騒動の後に『葵屋』に逗留した時も今回も、蒼紫の笑顔というのは一度も見たことが無かった。ずっと一緒に暮らしている操でさえ、見たことが無いらしい蒼紫の笑顔を、は当たり前のように引き出しているのだ。蒼紫にとって、本当には特別な存在らしい。
 は両手で西瓜を抱えて、一旦家の中に姿を消した。暫くして、今度は巾着袋を持って外に出てくる。どうやら二人で外出するらしい。
 戸に鍵をかけると、は蒼紫に何やら楽しげに話しかける。蒼紫もそれに対して何やら応えると、当たり前のようにに手を差し出し、も当たり前のようにその手を握った。
「これはこれは………」
 この光景には、流石の剣心も声を漏らしてしまった。他の三人は声を出すことすら出来ず、石のように固まっている。
 あの様子では、蒼紫とはいつも手を繋いで歩いているようである。蒼紫はそういうことを一番嫌いそうな男なのに、まさか自分から手を差し出すとは。人間、変われば変わるものである。此処まで蒼紫を変えたという女に、漸く剣心も興味を覚えた。
 手を繋いで歩く二人を、更に追跡する。
 店先に飾られているものを見て話し合ったり、不意に立ち止まって塀に張られている芝居の広告を読んだり、二人の姿は普通の恋人同士と何ら変わりが無い。が主に喋って、蒼紫は相槌を打っていることが殆どなのだが、その様子がまた睦まじくて、遠くから見ている剣心たちは当てられっぱなしだ。
「………何やってるのかしら、私たち?」
 自分のやっていることの空しさに漸く気付いたように、薫が突然呟いた。他人の逢い引きを覗くのは楽しいと思っていたが、ああも睦まじい姿を見せられると、自分は一体何をやっているのだろうと考えてしまう。
 あんな木石のような蒼紫さえ、好きな女と街中で手を繋いで歩いている。なのに自分は剣心と手を繋いで歩いたことなんか、一度も無い。ああいう風に一緒に歩けたら良いなあ、なんて薫は剣心をちらりと見るが、剣心はそんな薫の気持ちには全く気付いていないようだ。
「なあ、あいつら、ち…ちゅーとかしてるのかな?」
「そりゃお前ぇ、あいつらだっていい歳なんだぜ? ちゅーどころか、いくところまでいってるに決まってんだろ」
「いやあ、蒼紫は堅い男でござるから、まだそこまではいってないでござろう」
 薫の心境の変化など気付かない様子で、男三人は何だか妙な盛り上がりを見せている。彼らにとっては、蒼紫の尾行は楽しい娯楽らしい。
 四人でつけられているのに蒼紫ももまだ尾行には気付いていない様子で、今度は広い公園に入っていく。最近出来たらしく、まだ何もかもが新しい。
 蒼紫は公園の売店で何やら買うと、小さな紙袋をに渡して何やら言う。それから公園の中心にある大きな池に連れて行った。どうやら買ったのは、鯉の餌らしい。
 公園には身を隠すものはあまり無くて、4人は池から少し離れた所にある木の長いすの陰に隠れて蒼紫たちの様子を窺う。少し近付き過ぎたかと思うが、完全に二人の世界に入っている蒼紫にはまだ気付かれていないようである。今の蒼紫には、以外のものは何も見えていないらしい。
 は早速池の縁にしゃがむと、鯉の餌を投げた。と、もの凄い勢いで鯉が集まってきて先を争って餌に食いつこうとする。
「きゃ―――っ!! すご―――いっっ!!」
 ばしゃばしゃと水飛沫を上げて餌を争う鯉に、がはしゃいだ声を上げる。大人しそうな女に見えたが、こんな声を出すことも出来るらしい。
 悲鳴を上げながらも、は楽しそうに餌を放る。そのたびに鯉は派手な水飛沫を上げて、も楽しげな悲鳴を上げた。蒼紫もが持っている紙袋から餌を掴み取ると、遠くに放り投げる。すると鯉の群れはそれを追いかけて水飛沫を上げながら奥に移動する。
 が餌を手前に投げて鯉が戻ってくると、その度に蒼紫が餌を遠くに投げて群れを動かす。鯉は広い池を行ったり来たりして、はその様が可笑しいのか「かわいそう」などと言いながらも声をたてて笑った。その姿を見て、蒼紫も楽しそうに微笑む。
「………楽しそうだな、あいつら」
 長いすの背から目だけを出して、左之助がじっとりと呟く。
 鯉を相手に戯れながら二人の世界に入っている蒼紫たちはそうでもないかも知れないが、彼らを観察しているこっちは暑くて堪らない。京都の夏は暑いと聞いてはいたが、これでは日射病になりそうだ。というか、熱々の二人に当てられて、暑苦しいといったらない。
 餌袋が空になったか、は袋を丸めると近くのごみ入れに投げ捨てた。それからまた手を繋いで公園を出て行く。
「帰るようでござるな」
 ほっとしたように、剣心が呟いた。このくそ暑い中をこれ以上引き摺りまわされたら堪らない。まあこの場合は、剣心たちが勝手に付いて来ているのであるが。
 帰りの道すがらも、蒼紫とは楽しそうに話し合っている。さっきの池の鯉の話をしているのだろうか。話の合間に、は物を投げるような身振りをしたり、妙な手振りをつけている。それに対して蒼紫は楽しそうに頷いていて、のことが可愛くて可愛くて堪らないといった感じだ。
 漸く家に着いて、蒼紫もと一緒に家に上がり込む。今度は二人であの西瓜を食べる気らしい。
「俺たちも帰るか?」
 家に入られたら、流石に様子は窺えない。袖で顔の汗を拭いながら、弥彦が訊いた。が、左之助は諦める様子は無く、
「裏の塀から覗けるんじゃねぇか? 家に着いてからが本番だろうが」
 何を想像しているのやら、意味ありげにニヤニヤと笑っている。
「覗きは犯罪じゃないの?」
「今更そんなこと言うなよ。行くぞ」
 薫の言葉を軽く流すと、左之助は家の裏手に回った。





 家の裏手の木塀は板と板の間に細い隙間があって、家の様子を窺うことは出来そうだ。目を凝らせば、庭と縁側の様子だけは見える。
 何を言っているのかはよく聞き取れないが、蒼紫との声がする。閉められていた縁側の戸が全開にされ、の姿が現れた。
 は庭に下りると、井戸の方に歩く。それからつるべを取って、からからと桶を上げた。桶の中には例の蒼紫が買っていた大きな西瓜が嵌っていて、どうやら外出していたのは西瓜が冷えるまでの暇潰しだったらしい。
「ちゃんと冷えてるみたい。すぐに用意しますね」
 桶を井戸の縁に置いて西瓜をぺたぺたと触りながら、は縁側に立っている蒼紫に言った。
 縁側に立っている蒼紫の姿は客といった感じではなく、既に我が家にいるように馴染んでいる。もしかしたら、『葵屋』にいる時よりも馴染んでいるかもしれない。知らない人間から見たら新婚の夫婦に見えるのではないかと思うくらいだ。
 桶を地面に置いてが西瓜を抱えあげようと身を屈めると、蒼紫が縁側から下りてきた。西瓜を持ってやるのかと思いきやそうではなく、何やら耳元で囁く。と、が一瞬頬を染めて、意味ありげにくすくす笑いながら蒼紫の肩を平手で軽く叩いた。
「では、温くなるといけないから、西瓜は戻しておきましょう」
 蒼紫も楽しそうにそう言うと、西瓜を井戸の中に戻した。
 顔を近付けて何やら小声で囁きながら、二人は縁側に上がる。それから葦簾よしずを床まで下ろして、家の中が完全に見えなくなってしまった。
「ねえ、これってもしかして………」
 家の中で行われることを想像したのか、薫は頬を赤らめた。蒼紫が耳元で囁いた後のの笑いや、この暑いのに葦簾を床まで下ろして完全に閉めきってしまうなんて、それしか考えられない。
 左之助も同じことを考えたらしく、うーんと唸って、
「このくそ暑い中、真昼間からたぁ、随分とお盛んだなあ」
 堅そうに見せかけながら、蒼紫もやるものである。遅すぎる春に、まさしく狂い咲きといったところか。
 昨日の翁の話では、蒼紫は毎日のように此処に通っているというが、まさか毎日のようにやっていたりするのだろうか。このくそ暑い昼間からやっているくらいだから、やっているのかも知れない。そう思うと、蒼紫も蒼紫であるが、相手をするも相当なものだ。
「やっぱ、ああいう堅物ほど、一度味をしめたら止まらないんだろうなあ」
「子供の前で何てことを言うんだ、お前は」
 左之助の言葉に、蒼紫の声が重なった。ぎょっとして四人が振り返ると、そこには不機嫌顔の蒼紫と笑いを堪えているが立っていて―――――
「うわぁっっ?!」
 予想外の二人の出現に、四人が同時に声を上げる。家の中にいるものと思い込んでいたから、剣心でさえ油断していた。
「お……おぬしら、家の中にいたのではなかったでござるか?!」
「お前たちに覗かれていては、落ち着いて話も出来ん」
 気まずさで慌てる剣心とは対照的に、蒼紫は落ち着いた声で応える。
 もくすくすと笑いながら、
「西瓜が冷えていますから、皆さんも食べて行ってくださいな」
 あの西瓜は二人で食べるのではなく、みんなで食べるつもりで買っていたらしい。ということは、最初から尾行に気付いていたということか。
 物陰に隠れて様子を窺っていた姿も二人に見られていたのかと思うと、気まずいやら恥ずかしいやら、四人は返事も出来なくなってしまうのだった。





「いやあ、二人で家に籠ったから、俺ぁてっきり………」
 相変わらず不機嫌顔の蒼紫に、左之助が豪快に笑いながら言った。
「お前たちが覗いているから、少し期待に応えてみようとやってみた。まさか本当に引っかかるとはな」
 にこりともせず、蒼紫は応える。と二人で喋っていた時はあんなに機嫌が良さそうだったのに、剣心たちの前では別人のようだ。あの微笑みは、にだけの“とっておき”らしい。
 しかし、そんな悪ふざけをするとは、蒼紫も変わったものである。昔の彼なら、そんなこと思い付きもしなかっただろう。以外の人間の前でのつまらなそうな表情は相変わらずだけど、随分と砕けた男になったらしい。これもの影響だろうか。
 そのは今、台所で西瓜を切っている。西瓜を切っている間、蒼紫が客人の相手をしているのだが、その姿が他人の家だというのに我が家のように寛いだ様子で、まるで神谷道場御一行で蒼紫の家庭に遊びに来たような妙な気分になってしまう。
 が席を外しているうちに、というわけでもないのだが、弥彦が突然興味津々の顔で訊いた。
「なあ、ぶっちゃけた話、二人はどこまでいってるんだ?」
「弥彦っ!」
 弥彦のマセた質問に、薫が顔を赤くして鋭い声を上げる。まだ10歳のくせに、弥彦はマセているというかスレているというか、時々とんでもないことを言う。否、子供だからこそとんでもないことを言うのだろうか。
 注意をしながらも、そこは薫も気になるところで、男二人もそれは同じらしい。蒼紫の答えを待つように、じっと顔を見ている。
 興味津々の八つの目で見詰められて流石に気まずいか、蒼紫は思わず視線を逸らしてしまった。蒼紫が視線を逸らすなんて、珍しいことだ。
「どうでも良いだろう、そんなこと」
「弥彦じゃねぇんだから、お手々ニギニギで終わりじゃねぇだろ? もうやることはやってるよなあ?」
 答えない蒼紫を追求するように、左之助がずいと身を乗り出して訊いた。その言葉に、蒼紫は一瞬にして顔を真っ赤にする。
「そっ……それはっ………」
「何? まだやってねぇの? まさか、今日みてぇにお手々繋いで鯉に餌やって終わりって逢い引きばっかなのか?」
「こっ……鯉に餌やりするだけじゃなく、見世物小屋に行ったり芝居見物したりもしているっ」
 具体的な関係を訊かれてうろたえているのか、蒼紫は間抜けな受け答えをしてしまった。別に左之助も、逢い引きの行き先を聞きたいわけではない。
 今までだったら絶対に見られない蒼紫の反応に、左之助は面白そうにニヤニヤ笑いながら、
「そうか、まだやってねぇのか。まさか、やり方知らねぇわけじゃねぇよなあ?」
「左之助、それは言い過ぎでござるよ」
 剣心が一応窘めるが、でも口許が可笑しそうに緩んでいる。
「お前、随分と奥手なんだなあ」
 弥彦にまで呆れたように言われ、蒼紫もどうして良いのやら分らなくなって、疲れたようにがっくりと項垂れてしまった。
 蒼紫だって、このままで済ますつもりはないし、やり方を知らないわけでもない。ただ、きっかけが掴めないというか、機会が無いだけだ。別に急いでコトを進めなくても良いと最近では思っているし、外野からやいやい言われることではない―――――はずだ。
 しかし、弥彦のような子供にまでそう言われるということは、やはり自分たちの関係は遅すぎるのだろうかとも思ってしまう。も蒼紫のことを奥手だと歯痒く思っているのだろうか。
「お話が弾んでいるようですね。はい、西瓜をどうぞ」
 台所には全く話が聞こえていなかったのか、切った西瓜を盆に載せたがにこにこ笑いながら声を掛けた。そして西瓜を客人の前に置くと、蒼紫の隣に座る。
「いただきまーす」
 一斉に西瓜に手が伸びる。
「それで、何のお話をなさってたの? 随分と楽しそうな声が聞こえていたようですけど」
 にこにこ笑いながら、が蒼紫に訊いた。
 一瞬言葉に詰まったように固まると、蒼紫はまた頬を染める。まさか、やったやってないの話をしていたとは、には言えない。
 不思議そうに小さく首を傾げるに、剣心が笑いながら言った。
「いつの間にこんないい人を見つけたのかと、訊いていたところでござるよ」
「そうそう。さんたち、どこで知り合ったんですか?」
 やっと自分でも仲間に入れそうな話題に流れて、薫は興味津々といった様子で身を乗り出してに訊いた。





 後片付けを手伝って帰ると言う蒼紫を残して、剣心たちはの家を辞した。後片付けを手伝うというのは口実で、これから本当の二人きりの時間を楽しむのだろう。それを覗き見するというのは、流石に野暮というものだ。
 西瓜を食べて二人の馴れ初めを聞いて、あまり込み入った話は出来なかったが、は蒼紫には勿体無いくらいのいい女であることは判った。奥手な蒼紫にはぴったりののんびりした性格のようで、そういう意味では似合いの相手のようだ。彼女でなければ蒼紫とは付き合えないのではないかとさえ思えてくる。
「そりゃあ蒼紫も毎日のように通いたくなるよなあ。あの人に逃げられたら後が無いぞ、多分」
 子供のくせに、弥彦は知った風な口を利く。その言葉に、剣心は苦笑して、
「まあ、あの様子では殿も蒼紫を本当に好いているようでござるし、大丈夫でござろう。まあ、いい人のようで何よりでござる」
「でも、あの二人も人が悪いわよねぇ。つけられてるの判ってて、何でもないように振舞ってるんだもの」
 二人の様子を思い出して、薫はくすくすと笑った。他人に観察されているのを判っていながら、いつもと同じように振舞えるなんて、蒼紫はともかくとしても大したものである。大人しそうに見えて、意外と神経が太いようだ。まあ、そういう女だから、蒼紫と付き合っていけるのかもしれない。
「あ――――っっ!!」
 突然、左之助が大声を上げた。その声のあまりの大きさに、前を歩いていた薫がビクッと肩を震わせる。
「何よ、びっくりするじゃないの」
「もしかして蒼紫の奴、あの人を見せびらかしたかったんじゃ………」
「あ………」
 左之助の言葉に、それぞれ思い当たるふしがあったのか、小さく声を上げた。
 蒼紫はそういうことを隠したがる性格のはずだが、あえて撒くこともせずに尾行を許したというのは、つまりそういうことだったのだろう。あれだけの美人を捕まえたら、知っている人間に見せびらかしたいという男心は解らないでもない。『葵屋』の人間には、既に知られていることでもあるし。
 ということは、蒼紫の計略にまんまと乗ってしまったということか。自分の意思で尾行して他人の逢い引きを覗き見るのは楽しいが、見せびらかされたと思うと何だか面白くない。やっていることは同じなのだが、気分の問題なのだろうか。
「今日一日、無駄に使ったみたいだな」
 弥彦の言葉に一同、どっと疲れた出てきた。旅行に来ているのに観光もせず、一日何をやっていたのか。まあ珍しいものは見られたけれど、それも見せつけられていたのだと思うと、何だか何もかもが空しい。
 疲れ果ててしまったように、薫が大きく溜息をついた。
「………明日は、ちゃんと京見物に行こうね」
 一同その言葉に異存は無く、無言で頷いたのだった。
<あとがき>
 “いつもの調子”ということで、普段のデートの様子を追跡ってことで。
 明治時代のデートって何をするのかよく解らないんで(自由恋愛も無かっただろうからなあ)、見世物小屋とか芝居見物とか散歩ぐらいしか思い付かないんですけど、実際のところはどんなもんなんでしょう?
 しかし蒼紫、今回は一寸浮かれた人になってますねぇ。『葵屋』に主人公さんを連れて来たことで、何かが吹っ切れたんでしょうか。しかし、神谷道場御一行様にまで見せびらかしたのは、我ながら一寸キャラ違うかも………。いや、私のドリームはいつもキャラ違うけど(笑)。
 第三者の観察という形式は非常に楽で書きやすいんですけど、あんまり絡みを書けないのが難点ですね。
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