好きと愛してる

 蒼紫が『葵屋』にを連れてきて、一週間ほどが過ぎた。初日に「この人の面倒は全部俺が見る」という宣言は今でも守られていて、朝に顔を洗う盥を部屋まで持ってくることに始まって、三度の食事を運んだり部屋の掃除をしたり、風呂に入れないのためにお湯を張った盥を運んでやったり、布団の上げ下ろしまで全て蒼紫がやっている。流石に洗濯と厠に連れて行ってもらうのだけはが遠慮して、お増やお近の手を借りているのだが。
 正直、蒼紫にの世話が出来るとは、『葵屋』の面々は最初から思っていなかった。3日もしないうちにお増とお近に押し付けると睨んでいたのだが、今日まで続いているとは驚きである。この様子では、が完治するまで此処で世話をし続けるようだ。
 そんなわけで、最近の『葵屋』での夕食の話題は、もっぱら蒼紫の様子である。
「ほんと、毎日楽しそうに世話してるよなあ、蒼紫様」
 今日の蒼紫の様子を思い出して、白尉がしみじみと言った。
 これまで『葵屋』では、何をしていてもつまらなそうな無表情を通していた蒼紫だったが、が来てからは、無表情は相変わらずであるが、どことなく楽しげなのだ。暇さえあればのところに行って、何か不足は無いかと訊いては甲斐甲斐しく世話を焼いている。あんなに細々と動く人であったのかと、御庭番衆の頃からの付き合いである彼らも驚くほどだ。
「やっぱり愛よねぇ………」
 妙に芝居がかったうっとりした表情を作って、お近がおどけた様子で言う。
「そういや、あの人の部屋から、蒼紫様の楽しそうな声が聞こえたことがあったぞ」
「え―――――っっ?!」
 白尉の報告に、その場の全員が驚きの声を上げた。
 あの蒼紫が声をたてて笑うなんて信じられない。彼らが知っている蒼紫の笑いは、部下を鼓舞するような自信の笑みか、敵に向けられる冷笑しかないのだ。それが楽しそうに声をたてて笑うとは。蒼紫の楽しそうな表情というのも想像できないが、笑い声なんかもっと想像できない。
 まあ蒼紫も人間であるから、彼なりに楽しい時もあるだろうし、声を上げて笑いたい時もあるだろう。いつも奥の部屋に籠ってご隠居様のような生活をしているから忘れがちだが、蒼紫も一応若い男なのだ。好きな女といれば楽しかろうし、二人きりで話していれば笑うこともあるだろう。
 しかし、それにしたって―――――
「それって本当なのっ?」
 楽しそうに笑う蒼紫を想像しようと無言で考えている一同に、遅れてきた操が怒ったような鋭い声で訊いた。
 蒼紫に親しくしている女がいたというだけでも衝撃的だったのに、その女と楽しげに笑っていたなんて。操が見たくて見たくて堪らなかった蒼紫の楽しげな姿を、が当たり前のように見ているのかと思うと、悔しいやら悲しいやら、自分でもどうして良いか分らなくなるくらい衝撃的だ。
 そういえばに話しかける時の声と、操たちに話しかける時の蒼紫の声はどことなく違う。抑揚の無い口調は同じなのだが、何というか、に話しかける時は声の感じが柔らかいような気がするのだ。それってやっぱり、は“特別”ということなのだろうか。空白の期間はあったものの、昔からずっと一緒だった操よりも、昨日今日現れたの方が“特別”ということなのか。
 自分の膳の前にぺたんと座ると、操は膝の上で拳をきゅっと握り締める。
「どうしてあの人なの? あの人、蒼紫様のこと何にも知らないじゃない。蒼紫様のことを何にも知らないくせに、どうしてあの人の方が良いの?」
 が此処に来た次の日、操は少しだけ言葉を交わしたことがあった。その時、は『葵屋』がどれくらいの規模の料亭兼旅館かということも知らなかったし、どうして皆から“蒼紫様”と呼ばれているのかも知らなかった。蒼紫がこれまでどんな人生を送ってきたのかも知らないと言っていたし、訊いたことも無いとさえ言っていた。好きな相手のことを全く知ろうとしないなんて、操には信じられない。は本当に蒼紫のことを好きなのかということさえ、疑いたくなる。
 蒼紫だってそうだ。自分のことを知ろうともしないのことを、おかしいと思わないのだろうか。好きな人には自分のことを知ってもらいたいとは思わないのだろうか。
「昔の自分を知らない人だからこそ、素の自分を出せるのかもしれないなあ」
 ふと思いついたように、黒尉が呟いた。
「“御頭”の蒼紫様を知ってる俺たち相手だと、やっぱり蒼紫様も“御頭”として振舞わなければならないと思うだろ。でも、“御頭”の蒼紫様を知らないあの人にだったら、“御頭”として振舞わなくても良いじゃないか。“御頭”をやらなくて良いんだから、やっぱりあの人といるのが蒼紫様も楽で良いんじゃないのかなあ」
「あー、それはあるかも」
 賛成するように、お増がぽんと手を叩いた。
 明治になって江戸城御庭番衆がなくなっても、元御庭番衆の彼らにとっては蒼紫はいつまでも“御頭”だし、蒼紫もそれを感じているから今更“四乃森蒼紫”という個人に戻ることが出来なくて、“御頭”を演じ続けている。たとえば蒼紫が思い切って普通の26歳の青年になったところで、今度は『葵屋』の面々の方がそんな彼を受け入れることが出来ないだろう。楽しそうに笑う蒼紫を想像できないのが、その証拠だ。
 けれど、は違う。は『葵屋』で働いている四乃森蒼紫という人しか知らないから、どんな蒼紫も抵抗無く受け入れることが出来るのだ。素の自分を受け入れてくれる人だから、今の蒼紫にとっては誰よりも大切な人なのだろう。
「じゃあ、私たちの前では蒼紫様は無理してるの?」
 蒼紫が感情を表に出さずにいつも静かで、それでいていざという時には頼りになる存在であるのは、そういう人なのだと操は思っていた。小さい時からそんな蒼紫しか知らなかったし、『葵屋』にいる時はいつもそうだったから。けれどそれは、蒼紫がそう演じ続けていただけだったというのか。本当は、そんな人ではないというのか。
 確かに、自分と同じくらいの頃の蒼紫と自分を比較してみると、あまりにも違いすぎる。御庭番衆御頭だった蒼紫は今の操よりもずっとずっと大人で、翁とそう変わらないように見えていた。よく考えれば15やそこらの少年がそんなに老成しているのは不自然なことで、そう思うと蒼紫はその頃から周囲が望む“御頭”になるために無理をしていたのだろうかと思う。
 操の問いに、黒尉が一寸考えて答える。
「まあ、俺たちの前で“御頭”を演じるのも、あの人の前で“御頭”ではなくなるのも、どっちも蒼紫様にとっては自然で楽なことだとは思いますけどね。ただ、あの人といる方が、俺たちといるより楽だってことですよ」
「自分のことを知ろうともしない人なのに?」
「追求されないから良いということもあるわよ」
 まだ納得できない様子の操に、お近が言った。





 黒尉とお近の言うことを夜中まで考えていたけれど、やっぱり納得できなくて、操は朝食を済ませると早々にの部屋に向かった。どうして蒼紫の昔のことを知ろうとしないのか、それで本当に蒼紫のことが好きだといえるのか、徹底的に問い詰めるつもりだった。
 も既に朝食を済ませていたらしく、縁側に出て昼に出すらしい大量のインゲン豆の筋取りをしていた。世話になっているのにいつまでもお客様では悪いと思っているらしく、こういった座って出来る単純作業を手伝っているのだ。
「あら、操ちゃん。おはようございます」
 筋を取る手を止めて操を見上げると、はにっこりと微笑んだ。の笑い方はとても上品で、大店のご新造さんみたいだと操はいつも思う。こういうのが蒼紫は好きなのだろうかと、一寸思った。
 の足は初日に比べると大分腫れも引いて、多少は引き摺ってはいるものの、少しくらいなら一人で歩けるくらいまで回復している。そろそろ今日辺りには帰るんじゃないかと、操はこの2、3日思っているのだが、まだ帰る様子も見せないし、蒼紫の世話焼きぶりも相変わらずで、こんなことを思ってはいけないとは思っているのだが、それでもいつになったら帰るのだろうと思ってしまう。
 じっと無言で見下ろしている操に、は笑顔を崩さずに言った。
「心配しなくても、2、3日中には帰りますよ。いつまでもこちらにお世話になっているわけにもいけませんし、家のことも心配ですし」
「別にそんなことっ………」
 心のうちを見透かしたかのようなの言葉に、操は真っ赤になって慌てて否定する。もしかしては、操に疎まれていることに気付いていたのだろうか。それを蒼紫に告げ口されていたとしたら………。
 それを想像すると、操は一気に血の気が引いていくのを感じた。
 赤くなったり青くなったり忙しいを見上げ、は可笑しそうにくすくすと笑う。そして、
「操ちゃんも四乃森さんのことが好きなのね」
 本人には悪気はないのだろうが、笑いながら言うのが何だか馬鹿にされたような気がして、操はまた顔を真っ赤にする。
「そ……そうよ! さんなんかよりずっと前から、蒼紫様のことが好きだったんだから! さんなんか、蒼紫様のこと、何にも知らないくせにっ!」
 思わず激情に任せて、一気にまくし立ててしまった。
 今まで胸の内に蟠っていたことを叩きつけるかのような操の言葉に、は驚いたように大きく目を瞠った。今までこんな風に言葉をぶつけられたことが無かったのだろう。状況を受け入れられられないのか、はそのまま硬直して微動だにしない。
 暫く肩で息をしての言葉を待っていた操だったが、驚きの表情のまま固まってしまっているに、怪訝そうな顔をする。
「………さん?」
 目玉が乾いてしまうのではないかと思うほど大きく眼を見開いているの眼前で、操は掌をひらひらとさせる。それにはっとしたように、は漸くぱちぱちと何度か瞬きをした。
「―――――ああ………。
 そうね。私はあなたたちに比べたら、四乃森さんのことを何にも知らないわ。でもそれは、これから知っていけば良いことでしょう?」
「“これから”って、知ろうともしてないくせに。本当に好きなら、蒼紫様の昔のこととか、私たちにも訊くはずだわ」
 蒼紫が御頭だった頃のことを知らないくせに。蒼紫の心の傷も心の闇も、何も知らないくせに。知ろうともしないということは、蒼紫のそういう部分を引き受ける気が無いからだ。自分にとって気持ちの良い、上っ面だけの蒼紫しか好きじゃないからに決まっている。本当に好きなら、それさえも受け入れようと努力をするはずだ。
 蒼紫の全てを受け入れる覚悟も無いくせに偉そうにしているように見えるに、操はますます腹が立つ。こんな女に蒼紫の心が独占されているなんて、信じられない。
 怒っている操に、は一寸考えて、
「好きだから、何も訊かないのよ。四乃森さんが話さないのだから、知る必要はないわ。四乃森さんが昔どんな人だったにしても、今の私とあの人には関係無いもの」
「関係無いって………」
 きっぱりと言い切るの言葉に、操は唖然とした顔をした。好きな人の昔のことなんか関係ないときっぱり言い切るの感覚が、操には解らない。本当に相手のことが好きなら、過去も何もかも共有したいと思うのが普通のはずだ。
 は再びインゲンの筋取りをしながら、口許だけで微笑む。
「私たちが御一新を経験したのは、操ちゃんくらいの歳の頃かしら。あの頃のことを思い出したくない人は、沢山いるわ。私もそうだし、多分四乃森さんもそう。だから私は四乃森さんの昔の話は訊かないし、四乃森さんも私の昔のことは訊かないの。昔のことは知らないけれど、今とこれからのことを知っていけば良いと思ってる。それじゃ駄目かしら?」
「…………………」
 の口調は何でもない世間話をしている時と同じだけど、その言葉は操には重く感じられた。の過去に何があるのか操は知らないけれど、彼女にも辛い過去があったのだろうということは察することが出来る。自分に辛い過去があるから、蒼紫の過去にも触れないのだろうか。自分に思い出したくない過去があるから、今とこれからしかいらないと言うのだろうか。
 けれど、自分と知り合う以前の相手のことを知らなくて、不安にならないのだろうか。もしかしたらとんでもない過去を持っている人なのではないかと疑ったりしないのだろうか。
「蒼紫様のこと、何も知らなくて不安じゃないの?」
「どうして? 何を不安に思うことがあるの? 此処に来て、四乃森さんが皆に慕われていることが判って、それだけで十分だわ」
 そう言うと、はふわりと微笑んだ。




「へーぇ、あの人、そんなこと言ってるんだ。本当に蒼紫様のことを信頼しているのねぇ」
 操の話を聞いて、お増が感心したように言った。
「それって、信頼しているってことなの?」
「そりゃそうよ。昔のことを知らなくても良いなんて、余程蒼紫様のことを信用していないと言えないわよ。特に蒼紫様って、ああいう何も喋らない人じゃない? 普通なら、気になって気になって仕方ないわよ」
「ふーん………」
 操にはよく解らないことだが、お増にはの気持ちが解るらしい。好きだから何も訊かなくて良いという気持ちは、大人にならないと解らないものなのだろうか。
 そういえば、お近も黒尉も同じことを言っていた。考えてみれば、操以外の此処の人間はとそう変わらない年代で、御一新を複雑な立場で迎えた者たちだ。や蒼紫と同じように思い出したくないこともあるだろうし、だからこそ“好きだから”昔の事を訊かないという人が良いのだろうか。
「過去なんかどうでも良いなんて、きっぱり言い切るなんてね。愛がなきゃ言えないわ。あの二人、ひょっとしたらこのまま結婚しちゃうかもよ」
 楽しそうな口調でお近が言う。どうやら彼女は、蒼紫とをくっ付けたいようだ。
 お近の言葉に、操はぷうっと頬を膨らませる。確かには操よりもずっと大人で上品で、おまけに美人で良い人そうだけど、でも蒼紫と結婚するかもだなんて。
「あたしの方が先に蒼紫様を好きになったのよ。あたしの方が蒼紫様のこともよく知ってるし――――――」
「好きになるのに順番なんか無いわよ。選ぶのは蒼紫様なんだから」
 優しい声で、けれどぴしゃりとお近が言った。口ごもってしまう操に、お近は続けて言う。
「何も知らない人だから、“御頭”じゃない蒼紫様の人生をやり直せるんじゃないかしら。蒼紫様を“御頭”から解放してあげられるのは、あの人しかいないと私は思うのよ」
「私じゃ駄目だっていうの?」
「操ちゃんの“好き”とあの人の“好き”は、種類の違う“好き”だもの。それに蒼紫様の“好き”も、操ちゃんや私たちに対するのと、あの人に対するのとは違うものだわ。それは解るでしょ?」
「…………………」
 それは操にも解る。自分の“好き”との“好き”は、明らかに種類が違う。そして、悔しいけれど、蒼紫の“好き”が自分に対するのとに対するのでは違うことも。
 と蒼紫の間にある感情というのは、最近よく流行小説の中で使われる“愛してる”というものなのだろうか。その人のためなら何でも出来て、その人の良いことも悪いことも全て受け入れることが出来る、“好き”よりも強い感情のことらしいけれど、あの二人の感情はそれに近いのかもしれない。
 だから蒼紫はの前でだけは楽しそうに笑うのかもしれないし、は蒼紫の秘密の過去に何一つ不安を持たないのだろう。二人の間にはもう、自分が入り込む余地は無いのだと思うと悲しい。けれど、お近の言う通り、それで蒼紫が幸せになれるのなら諦めるしかないのだと、操は思った。




「本当に四乃森さんのことを好きなら、四乃森さんの昔のことも知りなさいって、操ちゃんに叱られてしまいました」
 蒼紫と向かい合って昼食を摂っていたが、午前中の一部始終を話して楽しそうに微笑んだ。
 ああいう風に素直に感情をぶつけてくる少女を、は可愛いと思う。自分があれくらいの歳の頃は、あんなふうに相手に感情をぶつけていただろうかと考えるが、よく思い出せない。そして今は、もうそんな風には出来ないと思う。だから、そうできる操が羨ましい。
 きっとあの子は、皆に大事に守り育てられたのだろう。素直で性根が真っ直ぐな可愛いあの少女に、蒼紫が心を奪われなかったのが不思議なくらいだと、は思う。
 楽しそうに微笑んでいるとは対照的に、蒼紫は箸を止めて表情を硬くする。
「俺の昔のこと、知りたいですか?」
 死んでしまったの許婚は、勤皇派の男だった。そして蒼紫は、江戸城と将軍を警護する御庭番衆の最後の御頭。世が世なら、敵同士だった人間だ。の許婚に直接手を下したのは新選組だったらしいが、けれど同じ佐幕派の人間であるというのは紛れも無い事実で、それを知ったらの自分を見る目が変わるのではないかと、蒼紫は怖ろしかった。
 いつまでも隠し通せるものではないということは、蒼紫だって解っている。『葵屋』にいれば誰かからか御庭番衆のことを聞きつけるかもしれないし、自身も『葵屋』の人間関係を不思議に思っているような節がある。誰かの口から耳に入るよりも、蒼紫自身の言葉で話した方が良いだろう。もしが知りたいと言うのなら、今が話すべき時なのかもしれない。
 が、は少し首を傾げて、
「四乃森さんは話したいですか?」
「え………?」
 そんな質問をされるとは思わなくて、蒼紫はきょとんとした顔をしてしまった。
 話したいかと問われれば、できればには死ぬまで秘密にしておきたい。の前でだけは“御頭”ではない自分でいたかったし、“御頭”であることを知らない彼女と新しい人生をやり直したかった。とだったら、きっとやり直せる。
 無言の蒼紫に、は穏やかに微笑む。
「四乃森さんが話したくないなら、それは知る必要の無いことですわ。私にだって四乃森さんに話していないこともあるのだし、この歳まで生きていれば秘密があるのはお互い様。そうでしょう?」
「………それで、良いんですか?」
 本気でそう言っているのか探るような目で、蒼紫はを見る。
「あなたにどんな過去があるにしたって、『葵屋』の皆さんに慕われている、私の知っている四乃森さんに変わりはありませんから」
「ありがとうございます」
 どうやら本心からの言葉らしいの言葉に、蒼紫は箸を置いて頭を下げた。
 この人を選んで良かった、と蒼紫は改めて思う。普通の女だったら、操にそんなことを言われたら過去を詮索せずにはいられなかったはずだ。傷付いた過去を持っている人だから、は他人の過去の傷にも敏感になって、触れてこないのだと思う。痛みを知っている人だから、相手を傷付けない方法も知っている。
「でもね、一つだけ心配なことがあるんです」
 不意に、の声が少しだけ暗くなる。何だろうと蒼紫が顔を上げると、は困ったような顔をしていた。
「操ちゃんみたいに真っ直ぐな可愛い人が近くにいるなんて。いつか四乃森さんが操ちゃんに心を移してしまうんじゃないかって、心配になるんです」
 何を言い出すかと思えば。どうやら操のことを話題にしたのは、このことを言いたかったらしい。もしかして焼きもちを焼いてくれているのかと思うと、蒼紫は嬉しくなる。邪魔な膳さえなければ、この場で抱き締めたいくらいだ。
 気を抜くと顔がだらしなく緩んでしまいそうで、蒼紫は顔の筋肉に力を入れた。けれど、やっぱり口許は緩んでしまう。
「操はまだ子供です。そういう対象じゃない」
「でもこれから大人になります。それに、操ちゃんは四乃森さんのことが好きなんですもの」
「そりゃあ………。まあ、兄のように慕ってはくれますけどね。あの子が大人になる頃はもう俺はおじさんですよ」
「そういう好きじゃないのに………」
 蒼紫の能天気な言葉に、はぼそっと呟く。操と一緒に暮らしているというのに、蒼紫はちっとも解っていない。あまりにも近すぎて、かえって気付かないのだろうか。
 この一週間ほど蒼紫の様子を見ていて、思ったより気が回る人だと見直したけれど、こういうところはやっぱり鈍感だ。がこんなことを思うのは変だけど、操が気の毒になってくる。
「何か言いましたか?」
 の言葉は聞こえなかったらしく、蒼紫が怪訝な顔をした。
「いえ、別に」
 曖昧に微笑んで、は小さく首を振る。操には悪いけれど、蒼紫が本当の気持ちに気付いていないというのは、にとっては好都合だ。このまま黙っていようと思う。
 蒼紫は不思議そうにを見ていたが、大したことではないと思ったか聞き違いと思ったか、それ以上は追求しなかった。代わりに、嬉しそうに笑って、
「それにしても、操みたいな子供相手に焼きもちを焼いてくれるなんて」
「べっ…別に焼きもちなんか………!!」
 の顔が一瞬にして真っ赤になる。その反応が可笑しかったのか、蒼紫は小さく噴き出した。
「操が大人になろうが、俺の気持ちは変わりませんよ」
「笑いながら言われたって、説得力ありません!」
「それは失礼」
 蒼紫は一つ咳払いをすると、表情を引き締めた。そして今度は、の目を真っ直ぐ見て言う。
「操が大人になっても、他の女性が現れても、俺はさんだけを見ていますよ」
 その言葉はまるで愛の告白で、は嬉しすぎて頭がくらくらしてきた。何か言ったら泣いてしまいそうだし、返す言葉も思いつかなくて、は小さく頷くことしか出来なかった。
<あとがき>
 操ちゃん、振られ役ですね。すみません。石投げないで下さい。私だって蒼×操推奨女なんです、本当は。
 今回は『葵屋』の人々の視点から話を進めてるんですが、まあこういった他人視点から見たドリームっていうのも、たまには良いかもなあ。また使おう。
 しかしこの二人、折角同じ屋根の下にいるんだから、もう一寸いちゃいちゃシーンがあっても良かったですねぇ。あ、でも人目があるから、逆に出来ないかな。
 ところで最近、迷っているんですけど、このシリーズはどうオチ付けたらいいでしょうか? 何本かストーリーは脳内で出来上がってるんですけど、完結編だけ出来てないんですよ。こんなオチが良いというアイディアがありましたら、是非ご意見をお願いいたします。
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