手を繋いで

 近くの神社で縁日があるから行きましょう、とに誘われた。縁日なんて久し振りである。花火も上がるそうなので、蒼紫にしては珍しく夕方からの外出となった。
「お待たせしました」
 鳥居の前で待っていた蒼紫の前に、下駄をカラコロ鳴らしながらが駆け寄った。今日は縁日ということで、紺地に蝶の浴衣を着ている。
 浴衣姿のを見るのは初めてのことだ。いつもの渋い色合いの着物を着たも落ち着きがあって良いが、浴衣姿というのも仄かな色香が漂って良いものである。
「どうしました?」
 ぼんやりとした顔で何も言わない蒼紫に、は不思議そうな顔をして首を傾げる。
 一寸見たつもりが、すっかり見惚れてしまっていたらしい。蒼紫は一寸恥ずかしそうに視線を逸らして、そのまま参道の方を見た。
「今日は人が多いですね。はぐれないようにして下さいよ」
 そう言うと、蒼紫は鳥居をくぐった。蒼紫の反応を不思議に思いながらも、はそれ以上追求はせずに後を付いていく。
 先日、の家で口付けを交わした二人だが、その後の関係は相変わらず進展していない。他人行儀な喋り方も相変わらずだし、一緒に歩く時も身体が触れ合わないように微妙な距離を取ってしまう。これでは“恋人同士”というよりも、“ちょっと親しい知り合い”みたいだ。

<恋人……だよなあ……?>

 二人の関係をどう表現して良いのやら、蒼紫はいつも迷ってしまう。休みの度に外で会ったりの家に遊びに行ったりするし、一度だけとはいえ接吻だってしたことがある。単なる“親しい友人”だったらそんなことはしないし、多分のことは“恋人”と言っても良いだろうと蒼紫は思っている。
 けれど、はどう思っているのかというと、ちょっと自信が無いのが現状だ。女の独り暮らしの家に入れてくれるし、一度だけとはいえ唇を許しているのだから、も同じように思っていると思う。けれどそれらしい素振りは見せてくれないし、どうも微妙なところだ。
 周りの男女連れをそれとなく観察してみると、相手の足を踏むのではないかと心配してやりたくなるくらいくっ付いて歩いていたり、指を絡めるように手を繋いだりしている。やはりこういう時は、手くらい繋いだ方が良いのだろうか。
 しかし、二人とも二十歳をとうに越えたいい大人である。子供じゃあるまいし、手を繋いで歩くなんて恥ずかしくてやってられないという気持ちもある。はどう思っているのだろうか。
さん」
 出店で何か買おうかと、蒼紫は振り返ってに声を掛けた。が、そこにいたのは見知らぬ娘で―――――
「えっ……?!」
 娘も驚いた顔をしているが、蒼紫の方がもっと驚いた。てっきり付いてきているものと思い込んでいたから、まさかはぐれていたとは思いもよらなかった。
 この人込みではぐれたとなったら、捜すのは厄介だ。も蒼紫を捜してうろうろしているだろうし、おまけに女は誰も彼も似たような格好をしている。これで捜し出せるだろうかと、蒼紫は少し不安になった。
 とりあえず、もと来た道を戻ってみる。もしかしたらどこかの出店で引っかかっているかもしれない。
 人の流れと逆方向に、人を掻き分けて歩きながら紺色の浴衣を着た女を探す蒼紫の目に、小鳥を売る出店の前でうろうろしているの姿が映った。もはぐれたことに気付いていたらしく、不安そうな表情で同じ所を行ったり来たりしている。
さん!」
 駆け寄りながら名前を呼ぶと、心細そうだったの顔がぱっと明るくなった。そして、ちょっと怒ったように上目遣いに軽く睨んで、
「もう、何処に行ってたんですか?」
 それはこっちの台詞だと、蒼紫は思う。蒼紫は普通に歩いていたのに、勝手に立ち止まって夜店を覘いてはぐれてしまったのは、の方じゃないか。夜店を覘きたい気持ちは解るが、一声かけてくれたら待ってやっていたのに。
 が、の顔を見ると、何故かそんな当たり前の反論も出来なくなってしまう。相手が操だったりお増やお近だったら説教の一つもおまけに付けてやるのだが、どうも相手にはいつもの調子が出ないのだ。駄目だなあと思いながらも、まあ仕方ないと思う。これが世に言う“惚れた弱味”というやつなのだろうか。
 最近気付いたことであるが、は見た目はしっかりしているようだが、案外どんくさいというか、トロいところがあるらしい。こうやってちょっと人が多いところを歩くと、必ず一度ははぐれてしまうのだ。すれ違う人を避けたり、前を歩く人の間をすり抜けながら歩くというのが苦手らしい。それに気付いて、二人で歩く時は蒼紫も極力気を付けているのだが、それでもこうやってはぐれてしまうのだから、困ったものである。
 気付かれないように小さく溜息をつく蒼紫に、は言葉を続ける。
「四乃森さん、どんどん先に行っちゃうし、追いかけようと思っても人が邪魔で追い付けないし。そしたら姿が見えなくなって、どうしようって思ったんですよ?」
 拗ねたように唇を尖らせてぶつぶつ言うの姿は、置いてきぼりを食らった子供みたいだ。歳不相応なほど落ち着いた風情の彼女が、こんな子供っぽい姿を見せることもあるのだということも、最近気付いた。
 “どんどん先に行っちゃう”と言われても、蒼紫は普通に歩いているつもりである。この速さで歩いていても、より小さい操でも苦も無く付いてきていたし、これで問題無いと思っていた。けれど考えてみれば、操も『葵屋』の女衆もいわゆる“普通の女”ではない。普通の女には、この速度は一寸辛いのだろうか。
「俺は普通に歩いていたつもりだったのですが………」
「普通じゃないです!」
 困惑したように言う蒼紫に、は強い口調で否定した。
「四乃森さん、絶対歩くの早いですよ。大体、貴方と私では、歩幅が全然違うし。私、いつも走って追いかけてるんですから」
「そうだったんですか?!」
 初めて知る意外な事実に、蒼紫は思わず目を見開いて頓狂な声を上げてしまった。
 確かにと一緒に歩いていて、小型犬みたいに忙しない歩き方をする人だなあとは思っていた。そういう歩き方が癖の人間は結構いるから、もそうだと思っていた。まさか無理して付いてきていたとは、想像もしなかった。
 が蒼紫に付いてこれないのを、単にどんくさいのだと思っていたが、これが世間の“普通”だったらしい。普通の女というのは随分とゆっくりと歩くものだと思ったが、考えてみれば、男と女では身体の大きさが違う分、歩幅も小さいのだから、男よりも歩く速度が遅いのは当然である。ふと周りを見渡せば、確かに女を連れている男というのは、概して歩くのが遅い。
 女と歩く時は速度を落として歩かなければならないのかと、蒼紫は一つ勉強になった。と付き合うのは、新発見の連続である。
「全然気付かなかった……。すみません」
「私も早く歩くようにしますから、四乃森さんももう少しゆっくり歩いてくださいね」
 申し訳なさそうにする蒼紫に、はちょっと言い過ぎたと思ったのか、いつもより柔らかな口調で微笑みながら言った。
 ゆっくり歩いてくださいね、と言われても、どれくらいの速さで歩けば良いのか、蒼紫には今ひとつよく分からない。ゆっくり歩いているつもりでも、無意識にもとの速さに戻ってしまうかもしれない。何か良い対策はないだろうか。

<ああ、そうか………>

 そうならないように、手を繋いで歩けばいいのだ。手を繋いで歩けばの歩く早さも判るし、こうやってはぐれることも無い。何より、にずっと触れていられて、親密さが増すような気がする。
 手を繋いで歩くなんて子供じゃあるまいしと思っていたが、実用的であるし、なかなか良いものかもしれない。はぐれないように手を繋ぎましょうと言えば、だって嫌だとは言わないはずだ。
「またはぐれたらいけないから、手を繋いでおきましょうか」
 さり気なく言おうと思っていたのに、鼓動が早くなっていくのが自分でも判る。顔が紅くなっていないだろうかとか、いかにも手を繋ぎたくて堪らないような顔になっていないだろうかと心配になって、それがますます蒼紫の心拍数を上げていく。
 一寸驚いたような顔をして、は差し出された手と蒼紫の顔を交互に見た。手を繋いで歩こうなんて、そんなことを言う人だとは思わなかった。そういう人前でベタベタするような行為は嫌いというか、苦手な人だろうと勝手に思い込んでいたのだ。だからは、蒼紫と歩く時は一寸距離を取っていたのに。
 誰かと手を繋いで歩くというのは何年振りだろうかと思う。最後に手を繋いで歩いた相手は、死んでしまった許婚だった。あの頃はまだ14歳の子供で、4つ年上の許婚と手を繋いで歩くのは、兄と手を繋いでいるような気分だった。けれど、この歳になって男の人と手を繋ぐというのは、多分恋人でもない限りそんなことはしない。

<恋人……なのよねぇ?>

 休みが合う日はいつも一緒にいるし、一度だけとはいえ口付けを交わしたことだってある。他人行儀な喋り方は相変わらずだけれども、は蒼紫の“恋人”だ――――――と思う。多分。今ひとつ自信は持てないけれど。
 手を繋いで歩いたら、傍から見れば恋人同士に見えるだろう。そういう風に見えたらいいなと思う。
 差し出された手に、がそっと手を重ねた。その手を包み込むように握られて、彼の手の大きさに一寸ドキッとする。
 予想外に小さいの手に、蒼紫も一寸ドキッとする。強く握ったら潰れてしまいそうな感じで、手を握るというよりは上からかぶせるといったような中途半端な力加減になってしまう。
「じゃあ、行きましょうか。それとも、何か買いますか?」
「あの……あれ、あの文鳥が……」
 出店の台に並べられている小さな鳥篭の中の文鳥を指差した。沢山の人の気配と強い光に興奮しているのか、小さな鳥篭の中を落ち着き無く跳ね回っている。
「文鳥……ですか?」
 食べ物か小物を買うかのと思ったら、小鳥である。こういうところで買う生き物は、大抵すぐに弱って死んでしまうのに。蒼紫も子供の頃、夜店でひよこを買ったことがあったが、箱の中に入れていたら翌朝には冷たくなっていたことがあった。あの文鳥も、今は元気が良さそうに見えるけれど、明日はどうなっているか分かったものではない。
 あのひよこがたった一晩で死んでしまった時、とても悲しかった記憶がある。にはあんな思いはさせたくない。
「文鳥だったら、そのうち小鳥屋で買ってあげますよ。夜店の鳥は弱いから」
「あの文鳥が良いんです。あんなに元気なんだから、大丈夫ですよ」
 止める蒼紫を振り切るように、はさっさと巾着から財布を出すと、夜店の主人に金を払って鳥篭を受け取った。はこうと思ったら他のものが見えなくなるところがあって、しかも一寸頑固だったりするのだ。
 の手にぶら下げられて小さく揺れる鳥篭の中で、文鳥は相変わらず落ち着き無く動きながらチチッと小さく鳴いている。その愛らしい姿を眺めながら、は嬉しそうに目を細めた。
 そんな彼女の姿を見ていると、この文鳥には一日でも長く生きていてもらいたいと思う。蒼紫は文鳥自体には何の興味も持っていないが、文鳥が死ぬことによってが悲しむのは非常に困るのだ。
「一人暮らしなのに、鳥なんか飼って大丈夫なんですか?」
 嬉しそうなの気持ちに水を差すかもしれないと思いながら、蒼紫は心配そうに尋ねる。の仕事が休みの時は良いけれど、そうでない日は昼間はあの家には誰もいないのだ。外に出していたら野良猫や蛇に食われるかもしれないし、そうでなくても十分に鳥の相手をしてやれないのではないかと思う。
 が、はにっこりと微笑んで、
「一人暮らしだから飼うんです。家に帰って誰もいないよりは、何か生き物の気配がある方が良いでしょう?」
「………ああ……」
 『葵屋』で大勢の同居人に囲まれている蒼紫と違って、はあの小さな家で一人で暮らしているのだ。家に帰っても出迎えてくれる者はいないし、一緒に食事をする者もいない。蒼紫が来ない日は、はいつもあの家で独りでいるのだ。あの小さな家でぽつんと独りで座っているの姿を想像すると、蒼紫は胸が締め付けられるような思いがした。
 独りは気楽だとは言うけれど、でもやはり寂しいという気持ちはあるのだろう。こんな小さな鳥でも家にいてくれるのなら、何もいない部屋よりはマシなのかもしれない。そう思うと、この文鳥にはますます死んでもらっては困る。
 生き物は、どんなものでも一匹で飼うと早死にしてしまうと聞いたことがある。この文鳥も、つがいにしてやれば長生きするかもしれない。
「明日、もう一羽買ってきましょう。鳥だって、昼間一羽でいるよりは、相手がいた方が良いに決まってる」
「そうですね。でも、この子が雄か雌か判らないから………」
「じゃあ明日、この文鳥を持って、一緒に小鳥屋に行きましょう。店の人間なら、雄雌の違いが判るはずだから」
「はい」
 嬉しそうに、は大きく頷いた。
 文鳥を買ったら、それを口実にちょくちょくの家に遊びに行ってみようかと、蒼紫は思う。今は二人の休みが合う日だけしか行っていないから、十日に一度くらいしか会っていない。残りの九日はは独りで過ごしているわけで、それは小鳥でも飼って寂しさを紛らわせたくもなるだろう。蒼紫もそろそろ会う周期を短くしたいと思っていたので、これが良いきっかけになるかもしれない。
 そう考えると、一度は買うのを反対した文鳥だが、買って良かったと思うのだから、勝手なものである。蒼紫は心の中で苦笑した。
「そろそろ花火大会が始まりますよ」
 思い出したように懐中時計を開いて、蒼紫が言う。忘れかけていたが、今日は文鳥を買いに来たのではなくて、花火を見に来たのだ。
 早めに場所を取らないと、窮屈な場所で立ち見という羽目になってしまう。会場に向かって歩き出そうとした蒼紫を、が強い力で引き留めた。
 何をするのかと不審そうな顔で振り返る蒼紫に、は悪戯っぽい目をして言った。
「二人っきりで見られる場所に行きましょう」





 に連れて行かれたのは、神社の本殿の裏手にある石段を登った処だった。此処にも小さな祠があるのだが、そんなものはこの辺りの人間にも忘れ去られているのか、昼間でも誰も寄り付かない場所だ。蒼紫も、こんなところがあるなんて知らなかった。
「此処は木に囲まれているから、みんな見えないって思ってるけど、此処に座ったら、ほら―――――」
 に言われるままに祠の横にある大きな石に座る。と、殆ど同時に炸裂音がして、夜空に大輪の花が咲いた。
 の言う通り、此処に座ると上手い具合に木の陰にならずに花火が見える。仕掛け花火は流石に見えないが、邪魔者がいない場所で二人きりで見られるのだから、そんなことは問題ではない。
「よくこんな穴場を知ってましたね」
「ええ、まあ………」
 感心する蒼紫に、は言葉を濁した。
 この場所を教えてくれたのは、の許婚だったのだ。遠い昔のことだし、死んでしまった相手のことだから、蒼紫にも正直に言っても良さそうなものだが、何故か言えなかった。よく分からないが、彼のことを話題に上らせるのは、蒼紫に悪いような気がする。
 蒼紫も察するところがあったのか、それ以上追求しない。代わりに、の手を握っていた手にきゅっと力を入れた。
「来年も再来年も、此処で花火を見ましょう」
 来年も再来年も、その後もずっと、と二人で花火を見よう。死んでしまった許婚よりも同じ時間を過ごして、沢山の思い出を作ろう。が許婚のことで蒼紫に気を使わなくても良くなるように、二人で手を繋いで色々な所に行こう。
 蒼紫の言葉に驚いたのか、強く握った手に驚いたのか、は少し目を瞠って蒼紫の顔を見上げた。が、すぐに花が綻ぶように顔中で微笑む。
「はい」
 そう答えると、は蒼紫の手を強く握り返した。
<あとがき>
 川床でお食事デートはどうした、という突っ込みは、とりあえず保留してください。鱧を食べる話は、私が実際に川床で鱧を食べてから書きますので。多分、7月後半には書けるはずです。食べに行くのが、7月15日の予定なんで。
 しかし、たかだか手を握るだけの話なのに、二人とも一体何をやっているのか。“容赦なし”(裏参照)の直後に書いた話とは思えませんなあ。つか、ちゅーしていおいて、手を握るのは一寸躊躇うなんて、順序が逆ですがな。まさかこんな続きを書くなんて思わなかったんだよぅ(泣)。行き当たりばったり過ぎ。
 今回お買い上げの文鳥さんは、また別の話で絡んでくると思います。つか、絡ませないと文鳥さん、書き逃げになるわな。ああ、後先考えずに書くから………。
戻る