留紺

留紺 【とまりこん】 「これ以上、濃くならない」という意味の紺。
 暑い盛りも漸く過ぎ、午前中は過ごしやすくなった。比古の陶芸再開の時季も近い。
 というわけで、今日は朝から粘土堀りである。
 この山の山頂近くに、陶芸に適した土がある。比古が此処に山小屋を建てたのは全くの偶然であるが、天才だけあって無意識のうちに何か閃くものがあったのだろう。
 陶芸を始めたのも、一寸思いついたからだった。粘土の存在に気付かないうちから陶芸をやろうと思いつき、偶然にも粘土を発見し、暇潰しのはずが新進陶芸家として一寸した有名人になってしまったのだから、比古は自分の才能が恐ろしくなる。
「先生〜、どれくらい持って帰りますかぁ?」
 せっかく自分の天才ぶりに酔っていたというのに、の無神経な声に邪魔されてしまった。
 まったくこの女は、いつでも何処でも比古の邪魔をしてくれる。そもそもこの粘土掘りにを連れてくるつもりは無かったのだ。勝手に付いてきて比古の邪魔をするのだから、鬱陶しいことこの上ない。
「自分が使う分だけ採ればいいだろ」
 面倒臭そうに比古は応える。
 自分が使う分だけといっても、非力なには大した量は掘り出せないだろう。比古がの分まで採掘することになるだろうが、まあ仕方がない。
「じゃあ沢山いりますね」
 どれくらいを目標にしているのか分からないが、は張り切って鍬を振るう。
 そんなに最初から飛ばしていては後が続かないだろうと思うが、まあいい。むしろさっさとへたばって帰ってくれた方が、比古には楽だ。
 の様子を見ながら、比古も採掘を始める。
 動作が大きい割にはチマチマとしか掘り出せないとは反対に、比古は一度の動作で彼女の何倍も掘り出す。粘土の採掘は力仕事なのだから、女には向かな作業なのだ。
 粘土の採掘だけではない。粘土を小屋に運んで、柔らかくなるまで捏ねて、出来上がった器を窯に運び込んで―――――陶芸は力仕事の連続だ。一人でやるには難しいことだらけだろう。いつか一人前になりたいと言っているが、彼女だけの力でこなすのは難しいと比古は思う。
「そんなんじゃ、日が暮れても終わんねぇぞ」
 が掘り出した粘土を見て、比古が言う。
「土が硬いから………。でも、すぐに追いつきますから」
「どうだかねぇ」
 最初からの力など当てにしてはいないが、こうチマチマとしかできないなら小屋に帰った方が良いのではないかと思う。留守番でもやることは山ほどあるのだ。
 にはに合った仕事があって、比古には比古に合った仕事がある。こういう力仕事は比古には合うが、には合わない。
「ここは俺がやっといてやるから、お前は帰れ。どうせ大して掘れねぇんだしよ」
「いえ、自分の分は自分で掘りますから」
 何を意地になっているのか、の態度は頑なだ。その心意気は買うが、本当にが使うだけの粘土を掘り出そうとしたら、明日になっても終わらないだろう。
 素直に比古に任せれば、少しは可愛げがあるものを。そういう可愛げの無さも、前の結婚が破綻した原因なのではないかと思う。
 まあ、一度やらせてみれば、自分の力というものが解るだろう。比古もケチな男ではないから、が必要な分を掘り出せなくても、自分の分を分けてやるつもりだ。





 そんなこんなで昼近くになる頃には背負い籠に山盛りの粘土を掘り出すことが出来た。勿論、山盛りになっているのは比古の籠だけであるが。
 当分の量は確保できたから、今日の作業はこれで終了だ。もう少ししたら日差しもきつくなる。
「じゃあ帰るか。腹も減ってきたしな」
「あ、私、もう少しやって帰ります」
 さっさと帰り支度を始める比古に、はまだ鍬をふるいながら応える。
 が掘り出した粘土は、まだ籠の半分にもなっていない。比古と同じ量は無理としても、それなりの量は掘り出したいのだろう。
 しかしそんなのを待っていたら、比古は昼飯にありつけなくなってしまう。天才の比古は料理の腕も天才的だが、自分で作るのは面倒臭い。そもそも家事はの仕事なのだ。
「俺の飯はどうすんだよ?」
「そんなの、朝の残りを適当に食べてくださいよ」
 自分の都合で昼飯を作らないくせに、比古には残りものを食えとは。弟子と認めたわけではないが、弟子を自称するなら、師匠の昼飯くらいちゃんと作れと言いたい。比古が弟子だった頃は、のようなことを言おうものなら、即座にぶっ飛ばされたものである。
 熱心なのは良いことだが、本業を疎かにしてまで熱中するのは如何なものか。に言わせれば、飯炊きは本業ではないのだろうが、粘土は十分な量があるのである。わざわざが掘り出す必要は無いのだから、比古の昼飯を作るべきだろう。
「粘土は十分あるだろう。あんまり採っても使い切れねぇぞ」
 大量に持ち帰ったところで、使い切る前に粘土が乾燥して使い物にならなくなってしまうのがオチだ。の維持のために貴重な粘土を無駄にするわけにはいかない。
 だが、は頑として受け付けない。
「沢山作るから、いくらあっても足りないくらいですよ」
「無くなったら、また採りに来りゃ良いだろうが。お前にゃ力仕事は無理なんだから、変な意地張ってねぇで帰るぞ」
 比古の強い口調で言われ、は一旦手を止めて黙り込む。一寸強く言い過ぎたかと思ったが、はこれくらい言わないと分からない女だ。そして、これくらいでへこたれる女ではない。
 暫く何やら考えていたようだったが、は鍬を置いた。
「………じゃあ、せめて荷物持ちをします」
 少し落ち込んでいるように見えたが、は比古の籠に手を伸ばした。粘土掘りで役に立てなかったから、せめて重い方を持ってそれなりの役に立つところを見せたいのだろう。
 だが、この仕事も力仕事である。籠に山盛りの粘土を背負って小屋に戻るとなると、粘土堀よりも重労働だ。
 案の定、籠を背負ったまでは良いものの、の脚はふらついている。
「あ、無理すんなよ。自分の持てって」
 心底面倒臭そうに比古は言う。
 変な意地を張ったり、自分の実力以上のことをやろうとしたり、は本当に面倒臭い女だ。こういうがの強い女は本当に扱いづらい。
 だが、こういう性格の方が、職人としては成功するのだろう。比古は何をやっても天才的な才能を発揮してしまうかわよく分からないが、知っている陶芸家はこんな性格の輩が殆どだから、何となくそう思う。
「だ……大丈夫ですか―――――うわあっっ!!」
 よたよたしながら一歩踏み出そうとした途端、は仰向けにひっくり返る。
「うわっ?!」
 が倒れる前に、比古が慌てて後ろから支えた。
「危ねぇなあ。だから言っただろうが」
「だって………」
 少しは反省しているようだが、は悔しげな顔で俯く。
「だって、粘土を掘るのも運ぶのも先生任せにしてたら、いつまでも自分でできなくなっちゃいますもん。だからせめて、運ぶのだけでも自分の力でやれるようにならないと………」
「だからってわざわざ無理するこたぁねぇよ」
 自分の力以上のことを無理にやったところで、無駄に時間がかかるだけだ。それくらいなら、それぞれ役割分担した方が効率が良い。それぞれに粘土を掘ったり運んだりしたところで、その後の作業はどうせ二人一緒にやるのだ。
 が、はまだ不服そうだ。
「でも、いつかは全部一人でやらなきゃいけなくなるし………。それなら早いうちに慣れておかないと………」
「ふーん………」
 確かにそれはの言う通りだと比古も思う。一人前の陶芸家になったら、は独立して何処かへ出て行くことになるだろう。そうなれば、今日の作業は誰の手も借りずに一人でやることになる。
 出て行け出て行けと言っていたが、何故か比古はが独立していた後のことを考えたことが無かった。いつか出て行く人間なら、今から全部一人でやらせるのが筋だ。
 は比古と違って毎日のように轆轤に向かっているだけあって、技術は上がってきている。そう遠くないうちに比古の山小屋を出て行くことになるだろう。
 弟子に出て行かれるのは前にも一度経験しているから、別に寂しいとは思わない。人間というのは一人で生きて一人で死ぬものだ。が出て行って一人になったところで、また昔の生活に戻るだけなのだから、何とも思わない。けれど―――――
「お前もいつかは出て行くんだよなあ………」
 一人になることを望んでいたはずなのに、が出て行く時のことを想像すると、妙な寂寥感を覚える。別に、が出て行っても困ることなど何一つ無いのだが。
 どことなく寂しげな声になってしまった比古に、は意外そうな顔をする。
「先生、いつも出て行けって言ってるじゃないですか」
「うん、まあ、そりゃそうだけどな」
 に突っ込まれるまでもなく、それは比古も解っている。静かな生活に戻りたいから、にはすぐに出て行ってもらいたいと思っているのは、今でも変わらない。
 しかし、こんな無茶な力仕事をさせるくらいなら、を此処に置いておく方がマシなのではないかとも思う。無茶をやられて足腰を壊されでもしたら、いくらどうでもいい女が相手でも寝覚めが悪いというものだ。は自分の力量も弁えずに無茶をやりかねないから、監視してやる人間が必要だろう。
「ま、あれだ。無理するくらいなら、ずっと此処にいればいいんじゃねぇか?」
「………え?」
 初めての言葉に、は驚きで目を丸くした。しかしそれよりびっくりしたのは、言った比古の方だ。
 何というか、もっと違うことを言うつもりだったのだが、一番言ってはいけない言葉が出てしまった。色々考えているうちに、つい口が滑ってしまったらしい。
「いっ……今のは無し! 口が滑っただけだからな! あれだ、要するに、無理すんなってことだ」
 比古は慌てて訂正したが、そっちはの耳には入っていないようで、嬉しそうににやにや笑いだす。
「じゃあ、無理しないようにします。だからさっきの、もう一回言ってくださいよ」
「だから無理すんなって」
「そうじゃなくて、もう一つ前の」
「…………っ!」
 また言ってしまったら、はその言葉を担保にずっと此処に居座る気だ。言わなくても居座る気満々のようだが。
 比古は自分の籠を担ぐと、無言でさっさと歩きだした。調子の悪いことは無視に限る。
 も自分の籠を担いで、慌てて比古の後を追う。
「あー、先生、待ってくださいよー! さっきのもう一回言ってくださいって!」
「うるせえ! 無駄口叩いてねぇでさっさと帰るぞ。こっちは腹が減ってるんだ」
「無駄口じゃないですよぉ。大事なことですって」
「大事じゃねぇよ、バーカ」
「ひどぉい! 減るもんじゃないのに。ケーチ!」
 二人で速足で山道を下りながら、延々と言い争う。いい歳した大人二人が大人げなさすぎだ。
 しかしとずっといるということは、こういうことである。ひょっとして人生最大の失言をしてしまったのではないかと、比古は一寸後悔してしまうのだった。
<あとがき>
 というわけで、これにてシリーズ完結です。拍手お礼から始まったこのシリーズ、長かったなあ。
 「ずっと此処にいればいい」が“弟子”としてなのか、それ以外の意味も含まれているのかは微妙ですが。まあこの二人のことだから、長年連れ添った熟年夫婦のようにぬるーい雰囲気のままやっていきそうですが。
 しかし師匠、早くも後悔してるようだけど、大丈夫か?
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