煌星
煌星 【きらぼし】 美しく輝く無数の星のこと。
使い残した花火を始末してしまおうと、が花火を出してきた。盆前に『葵屋』の皆が家に来た時に買ったものだ。「なんだ、線香花火しか残ってないじゃないか」
出された花火を見て、蒼紫がつまらなそうに言う。
派手な花火は全部使ってしまったらしい。大人数でやる時はどうしても派手なものからやってしまうものだ。
「仕方ないわよ。やっぱり派手なものの方が盛り上がるもの」
「それはそうだが………」
それは蒼紫も解るが、それなら尚更派手な花火を買い足しておいて欲しかった。二人で線香花火なんて、盛り上がりようが無い。
「まあ良いじゃないの。二人で線香花火も風情があるわ」
「そうだなあ………」
に明るく言われると、蒼紫もそんな気がしてきた。二人で静かに線香花火というのは夏の終わりに相応しいのかもしれない。
は一旦台所に引っ込むと、今度は西瓜を持ってきた。
「西瓜も全部食べちゃいましょう」
「ああ」
西瓜の季節ももう終わりだ。これは今日買ったものだが、もう熟れ過ぎていて中が少しぱさついていた。夕食後に食べて夏の終わりを感じたものである。
気が付けば寝苦しかったはずの夜もいつの間にか過ごしやすくなって、今夜は特に秋を感じるほどに涼しい。
「夏も終わりなんだなぁ………」
これまでずっと季節の移り変わりを気に留めることの無い生活だったせいか、知り合ってからは時の流れが速く感じられる。ついこの間梅雨が明けたと思っていたのに、もう秋が来るのだ。
と出会ってから蒼紫は変わったと誰もが驚くけれど、一番大きな変化はこうやって食べ物や夜風に季節の移り変わりを感じるようになったことだと彼は思う。それは他人から見れば些細なことなのだろうが、そんな些細なことに気付けるようになったのは、それだけ心に余裕が生まれたということだ。
当時は気付かなかったけれど、闘いに明け暮れていた頃は自分と四人の部下のことしか見えていなかった。視野狭窄になって修羅に堕ち、そこから這い上がった後もそれは変わることは無かった。それはもう自分の性分なのだと思い込んでいたのかもしれない。
けれど、自分とは全く違う普通の人生を歩んできたと出会って、今まで知らなかったことを沢山知った。何も起こらない静かな毎日の過ごし方や、何も起こらない中にも小さな楽しみがあること。二人で目的も無く出歩いてみたり、小動物を可愛がってみたり、飲めない酒を少しだけ飲んでみたり、一つ一つは取るに足らないことでもとても楽しいと思う。そういうことは御庭番衆の書物には書かれていなかったし、先代御頭や翁にも教わらなかったことだ。
「どうしたの? ぼんやりして」
いつの間にやら庭に出て花火を始めていたが、くすくす笑いながら蒼紫を見上げた。
「あ、いや……何だかあっという間だなあと思って」
「そうねぇ………」
パチパチと小さな音をたてて弾ける火の玉を見詰めながら、が呟くように応える。
微かな風に揺らされて、風鈴が小さく鳴った。少し前なら涼しげに聞こえたその音色も、今では夏の名残りを惜しんでいるように聞こえる。
少し寂しげな風鈴の音も静かな線香花火も、夏の終わりの空気によく似合う。夏の終わりというのは、他の季節に比べて何故か少し物悲しい。
「昔はもっと夏が長かったような気がするけど………。いやぁねぇ、歳を取ったのかしら」
も蒼紫と同じように時の流れを早く感じていたらしい。そう言って小さく苦笑した。
歳を取る毎に一年を短く感じるようになるという。確かにそれもあるだろうが、二人が出会ってから時間の流れが速く感じるようになったのは、二人で過ごす時間が楽しいからではないかと蒼紫は思う。楽しい時間もまた、過ぎていくのは早い。
「あっという間なのは、毎日が楽しかったからなのかもしれないな」
「あら、今年は何処にも行かなかったじゃない。夏らしいことだって、皆で花火をしたくらいだし」
しみじみとする蒼紫に対し、は少し不満げだ。
付き合い始めの頃は色々なところに出かけていた二人だが、蒼紫の出不精のせいで最近は何処にも行っていない。最後に二人で出掛けたのはいつだったか思い出せないほどだ。蒼紫の性格は解っているからもせっつくようなことはしないが、ここまでになると流石に不満である。何処かへ行くことだけが“楽しい毎日”とは言わないが、これは何とかして欲しい。
何となく雲行きが怪しくなったのを察知して、蒼紫は慌てて弁解するように言う。
「何も無くても、と一緒にいることが楽しいんだ。だから一年があっという間なのだろう」
何も無くてもと一緒にいるだけで楽しいというのは、本当だ。一緒に食事をしたり、一日のどうでもいい話をするのは楽しい。
四人の部下と旅していた頃や『葵屋』での生活には不満は無く、恵まれていたとは思うが、やはり“御頭”と“その他”の一線を越える付き合いは出来なかった。常に御頭であることを求められているような気がして、人前でもそうでない時でも“御頭”に相応しい振る舞いを意識していたと思う。御頭として生きるのはそれはそれで良かったけれど、やはり少し窮屈に感じていたのかもしれない。
“御頭”の蒼紫を知らないといるのは、そんな今までに比べて驚くほど楽なものだった。は蒼紫が御頭だった頃を知らないから、御頭であることを求めない。少しだらしないところを見せても許してくれる(叱られることもあるが)から、蒼紫は気楽で楽しいと思えるのだろう。
「何も無くても楽しいなら、何処かへ行ったらもっと楽しいんじゃないかしら?」
ちらりと蒼紫を見上げ、は小さく笑う。
二人での生活が楽しいのは、も同じだ。何処にも行かなくなった今も、以前と変わらず楽しいと思う。だからこそ二人で何処かへ出かけたらもっと楽しいと思うのだ。
これからは気候も良くなって、行楽には絶好の季節だ。紅葉狩りに行くも良し、観月会へ行くも良し、秋祭りもある。全部行くのは無理でも、どれか一つくらいは行きたい。
「そうだなあ………」
何処かへ遊びに行くのを想像するのは、蒼紫も楽しい。ただ、それを行動に移すとなると、何となく腰が重くなってしまうのだ。要するに面倒臭がりなのだろう。
しかし面倒臭がってばかりでは、蒼紫は良くてもは楽しくないだろう。どちらか一方だけが楽をしていては、本当に楽しい生活とは言えない。
「じゃあ、もう少し涼しくなったら何処かへ行こうか」
「何処かって?」
何気無い会話として流されるかと思いきや、はしっかり食いついてくる。微笑んでいるが、約束を取り付けるまでは逃がさないといった雰囲気だ。
「何処かへ行こうか」「そうねぇ」という会話を繰り返して結局何処にも行かずに今日まで続いていたから、今度はきっちり話を固めておこうと思っているのだろう。確かに具体的な話をしておかなければ、いつものごとく有耶無耶になってしまいそうである。
適当に言っていたものだから、何処に行くかと尋ねられると蒼紫は悩んでしまう。想像するだけなら楽しいが、実際に出かけるとなると引き籠りな性格の彼には大変なことなのだ。これまた適当に約束をしては後が大変である。
人生の一大事のように悩む蒼紫の姿に、は可笑しそうにくすくす笑う。
「旅行に連れて行ってって言ってるわけじゃないんだから。近場でいいのよ」
「じゃあ、『葵屋』で観月会があるから―――――」
「それは“お出かけ”じゃないでしょう」
確かに近場でも良いとは言ったけれど、『葵屋』はいくら何でも近過ぎる。蒼紫の実家同様のところではないか。
『葵屋』ではも蒼紫も“お客様”扱いで、世間でいう嫁のようなことはしなくて良いけれど、それでもやはり本当の客のようにのびのびとは楽しめない。蒼紫も『葵屋』にいる時は家にいる時と様子が違うし、の考える“二人でお出かけ“の雰囲気にはなれないのだ。
「うーん………」
漸く思いついた提案もに即座に却下されて、蒼紫はますます悩んでしまう。
眉間にしわまで寄せて、そんなに悩むことかと思うほどの悩みっぷりに、は見ていて何だか気の毒になってきた。元々が外出が好きではない性質だから、選択肢の幅が狭いのだろう。付き合い始めの頃のあの外出の頻度は、彼にしては奇跡的なことだったのかもしれない。
「ま、今すぐ決めろとは言わないから。本格的に涼しくなるまでに決めてくれれば良いわ」
「………うん」
慰めるように言われて蒼紫は少し気まずそうな顔をしたが、とりあえず結論を先送り出来てほっとしたらしい。眉間に深く刻まれていた皺も消え、蒼紫は晴れ晴れとした顔になる。
しかし、この様子では秋になっても行き先は決まらないようだ。最終的にはが決めてやらなければならないようである。
行き先だの何だのを蒼紫に仕切ってもらって自分はそれに付いていくというのがの理想だが、当分は無理なようだ。まあ、が決めた行き先に蒼紫が付いてくるというのも、悪くないといえば悪くはないのだが。彼女が何処そこへ行きたいといえば、蒼紫は黙って付いて来るのである。自分に選択権があるのは良いことだと思うようにすることにする。
悩みから解放された清々しい顔で庭に下りると、蒼紫も線香花火を始めた。
線香花火しか残っていないことにつまらなそうな顔をしていた蒼紫だったが、初めてみると楽しいらしい。パチパチと弾ける火の玉にじっと見入っている。
霖霖ではないのだからそんなに真剣に見入るほどのものでもないだろうに、とは可笑しくなるが、こういう何気ない小さなことの積み重ねが“何処にも行かなくても楽しい毎日”なのだろうとも思うのだった。
そういえばこの二人、初期の頃は色々お出かけしてたよなあ。いつ頃から何処にも行かなくなったのか。
っていうか、何から何まで主人公さんにリードされまくってるな、この蒼紫。これまでの人生は周りを引っ張ってきたから、これからの人生は誰かに引っ張られたいのかもしれません。