星祭
星祭 【ほしまつり】 七夕に同じ。
町に買い出しに出ていたが小さな笹を持って帰って来た。買い物をしたらおまけで貰ったのだという。「今夜は七夕ですからね。短冊も付けてくれましたよ」
そう言っては色違いの五枚の短冊をひらひらさせる。
「へぇ………」
何でおまけが笹なのかと不思議に思っていたが、そういうことだったのかと比古は納得した。今日が七月七日なのは知っていたが、何故か七夕と結び付いていなかったのだ。
買い出しなどの雑用を全てに任せて山に籠りきりの生活をしていると、どうも世間の行事を忘れしまっていけない。同じことを繰り返す毎日な上に、他人と接する機会が極端に少ないものだから、季節の移り変わりに疎くなってしまうのだろう。
「先生、短冊に何かお願いごと書きます? お互い、今更嬉しがって七夕やる歳でもないですけど、折角ですから」
おまけとはいえ笹を持って帰って来たのだから、は七夕を楽しみにしていると思っていたのだが、予想外に冷めている。女はそういうことが好きだと比古は思っていたのだが、に限ってはそういうわけではないらしい。本人の言う通り、今更嬉しがって七夕をやる歳でもないからなのかもしれないが。
が嬉しがって七夕をやる歳ではない以上に比古もそんな歳ではないから、短冊にお願いごとなんていう気分にはなれない。そんなこっ恥ずかしいことなんぞできるものか。星にお願いというのも馬鹿馬鹿しい。そんなことをするより星見酒の方が何倍も楽しいというものだ。
「そんなものより星を肴に酒の方が良いだろ」
「先生はそればっかりですね。まあ良いですけど。じゃあ今夜は星見酒といきますか」
一応提案はしてみたものの、も七夕より晩酌の方が良いらしい。弱くてすぐ潰れるくせに、この女も酒が好きなのだ。
比古は許した覚えは無いのだが、いつの間にやら彼が晩酌をする時はも御相伴に与ることが習慣になっている。多分今夜もしょうもないことを喋りながら一緒に飲むつもりなのだろう。否、あの言い方では絶対一緒に飲む気だ。
酒は独りで静かに飲んでこそ美味いものである。それをのようなうるさい女が一緒にいては、酒の味も雰囲気も全部ぶち壊しだ。それにどうせ一緒に飲むのなら、もっとしっとりと色気のある女が良い。
「俺は一人で飲むけどな」
外の様子では今夜は満天の星を見ることができるだろう。空の上の恋人たちに思いをはせつつ“独りで”飲むのは悪くない。
比古の宣言を聞いているのかいないのか、は上機嫌に鼻歌を歌いなが夕飯の支度を始めた。
そしてその夜、比古の予想通り雲一つ無い満天の星空である。天の川もはっきりと見え、いつぞやが言っていたように天に架かる道のようだ。きっと今頃は織姫と彦星も無事に川を渡って逢瀬を楽しんでいることだろう。
空の恋人たちは愛しい相手と楽しい時間を過ごしているが、地上の比古はというといつものようにと晩酌である。今日こそは独りで飲もうと思ってが寝静まるまで待っていたというのに、わざわざ起きてきたのだ。普段は蹴飛ばしても起きないくらいの勢いのくせに、なぜこういう時に限って起きてくるのか。
「先生ったら水臭いですねぇ。飲むんだったら起こしてくだされば良かったのに」
そう言いながらは手製のぐい飲みにだばだばと酒を注ぐ。酒には湯呑では駄目だと思って作ったらしいが、ぐい飲みというよりは茶碗のような代物である。特大湯呑といい茶碗のようなぐい飲みといい、彼女の作品は豪快過ぎる。
「………お前と飲みたくねぇから黙って出てきたんだろうがよ」
比古がぼそっと呟くが、当然は気持良く無視である。師匠が苦虫を噛み潰した顔をしていることも、彼女には些細なことなのだろう。
「しかしまあ、晴れて良かったですねぇ。これなら織姫と彦星も無事に会えるってものですよ」
星を見上げ、は我がことのように上機嫌だ。
昼間は嬉しがって七夕をやる歳でもないと言っていただが、色紙で飾り付けをした笹も持参している。いつの間にそんな物を作っていたのか知らないが、何だかんだ言って七夕をやりたかったのかもしれない。
「かささぎの橋を渡って織姫が彦星に会いに行くんだったか? 自分から会いに行くなんて積極的な女だな」
星には興味は無い比古だが、それくらいの昔話は知っている。
「織姫はかなり積極的ですよ。彦星が空に昇る三時間くらい前から待ってるくらいですからね。で、沈む時は一緒に沈むんです」
は星が好きな女のようだから、比古よりも遥かに詳しい。三時間くらい前と具体的な数字を上げてくるということは、本で読んだかじっと観察したことがあるのだろう。観察していたとしたら、好きとはいえ恐ろしい執念である。
恐ろしい執念といえば、織姫も大概だ。彦星が現れる三時間も前から待っているなど、比古には考えられない。余程彦星に惚れているのだろうが、三時間も待たされれば大抵の人間は帰ってしまうだろう。比古なら30分もしないうちに帰る。まあ、星の三時間は人間の三時間とは違うのかもしれないが。
男が現れる三時間も前から待っていたり、男が現れればいそいそと橋を渡って会いに行ったり、織姫はかなり彦星に夢中のようである。そういえば二人が川の対岸に住まわされるようになったのも、二人が仕事を放ったらかしで遊んでばかりだったからだというが、この様子では織姫が彦星の仕事の邪魔をしていたのではないかと比古は疑いたくなる。男の都合を考えずに追いかけ回す織姫の姿は、まるでと蒼紫のようだ。も自分の歳も考えずに蒼紫に夢中である。
彦星と織姫を蒼紫とに置き換えて想像してみたら、比古は彦星に同情したくなった。年に一度しか会えないようになったのも、あまりにも積極的な織姫に辟易した彦星がそういう風に仕向けたのかもしれないとさえ思う。
比古の想像など思いもよらないは、酒を飲みながら上機嫌に言う。
「外国では、織姫は急降下する鷲、彦星は空を飛ぶ鷲らしいですよ。急降下する鷲の方が積極的なのは当然ですね」
「彦星、獲物じゃねぇか」
織姫と彦星をと蒼紫で想像していたものだから、今度は急降下で蒼紫に襲いかかるを想像してしまい、比古はげんなりしてしまった。しかもその想像はあながち的外れではないと思う。
「あははー、そうですねぇ。怖いなあ、織姫。今まで気付きませんでしたよ」
自分を織姫に重ねられているとは思っていないは膝を叩いて大笑いする。続けて、
「彦星、余程いい男なんですよ。で、織姫が押しまくって手に入れた、と。私も織姫を見習わなきゃ」
何を企んでいるのか、はふふふと笑った。その笑いが比古には恐ろしい。
が織姫を見習って更に積極的に動いたら大変なことになりそうだ。『葵屋』に毎日押し掛けたり、蒼紫の行く先々で待ち伏せしそうである。
「あんまり積極的な女もどうだかなぁ………」
女だから受け身でなくてはならないとは思わないが、積極的なというのは恐ろしい。比古相手に暴走しているうちはまだ良いが、蒼紫のような思い詰める男相手に暴走された日には悲惨な結末しか想像できない。暴走するのせいで蒼紫が寝込んだりしたら、比古が『葵屋』に対して顔向けが出来ないではないか。
比古が蒼紫のことをそこまで気にしてやる義理は無いのかもしれないが、自分のところの居候が他所様に迷惑をかけて知らんぷりというのは道義的にまずいだろう。しかも蒼紫は昔の弟子の知り合いである。全く知らぬ相手であれば知らぬふりを通せようが、色々な方面で係わりがあるとそうもいかない。
そういう浮世の柵が嫌だから山奥に引っ込んだというのに、のせいで台無しだ。まったくこの女は比古に面倒の種ばかり持ちこんでくる。
むっつりとしている比古の顔を横目で見て、はにやりと笑う。
「あら先生、焼きもちですか? 大丈夫ですよ、私は織姫みたいに男に夢中になって先生のことを放ったらかしになんかしませんから」
「何言ってやがんだ、この大馬鹿野郎」
何で比古が焼きもちを焼かなければならないのか。勘違いも大概にしろと言いたい。
「あんまり押し過ぎると男も逃げたくなるって言ってんだよ。彦星も年に一回だからあんまり感じねぇかもしれんが、これが毎日だったら相当うぜぇぞ?」
「あら、星の寿命を人間の時間に換算すると、年に一回の逢瀬は二秒に一回会ってるのと同じらしいですよ?」
「何だ、そりゃ?! じゃあ七夕を祝ってやる義理なんか無ぇじゃねぇか」
の無駄知識に比古もびっくりである。二秒に一回も会っているのなら、一緒に暮らしているのと同じではないか。
ということは、織姫と彦星はと蒼紫ではなく、と比古のようなものである。織姫がどんな女なのか知らないが、みたいな女だとしたら比古は心の底から彦星に同情する。
はふふっと笑って、
「だから、いい男を手に入れようと思ったら積極的にならなきゃ駄目なんですよ。それこそ急降下する鷲みたいにね」
「………………」
急降下する鷲のように積極的なを想像したら、比古は背筋がぞっとした。これは何が何でも彼が蒼紫の身を守らなくては。
積極的すぎる女がいると周りの男が大変である。彦星を見上げ、彼はどうやって積極的すぎる女と付き合っているのだろうと比古は考えた。
折角の七夕だっていうのに、この二人ときたら………。
星の寿命を人間の寿命に換算すると〜の話は、初めて知った時はびっくりしました。仕事を放り出していちゃこいてるから織姫と彦星は年に一度しか会えないようにされたって聞いていたのに、二秒に一回会ってるんじゃ大して罰になってないじゃん。っていうか、お前らそんなに会ってたら仕事は………? 織姫の機織り機は兎も角、彦星に飼われている牛はちゃんと世話をしてもらってるんだろうか。