兎部下さんシリーズです。

夢見草

夢見草 【ゆめみぐさ】 サクラの異称。
 桜の開花宣言が発表されたかと思ったら、あっという間に満開になった。公園では昼間から花見客で溢れ返っている。
 年度末の怒涛の忙しさから解放されたと斎藤も、今日は花見だ。新年度が始まって、新人が本格的に配置されればまた忙しくなるはずだから、つかの間の休息というやつである。
 斎藤としては花見よりも昼寝をしたいくらいなのだが、がどうしてもと言うから仕方がない。先日、「家の中にいるばかりで、こんなの自分が思っているのとは違う!」と不満をぶちまけられ、暫くはの希望を受け入れることになってしまったのだ。
 あまり乗り気ではない斎藤とは反対に、は久々の外出にご機嫌だ。跳ねるような足取りで斎藤の前を歩いている。
「此処にしましょう」
 良い具合に空いていた桜の木の下に敷物を広げ、は風呂敷包みを開けた。
 花見が余程楽しみだったのか、今日の弁当は三段重ねの気合の入ったものだ。これだけのものを作るなら、今朝は相当早起きをしたに違いない。
「大したもんだ。大変だっただろう」
「そうでもないですよ」
 斎藤が感心すると、は嬉しそうにふふっと笑った。
 そうでもない、なんて言ってはいるが、下拵えやら何やらを考えれば、いつもの弁当とは全く違う気合の入りようであることは、料理を殆どしない斎藤にも判ることだ。これは何が何でも完食しなければ、申し訳が立たないだろう。
「お菓子もお酒もありますから、じゃんじゃん食べてくださいね。じゃ、いただきまーす!」
 元気良くそう言うと、は早速箸を取った。斎藤も軽く手を合わせて箸を取る。
 毎度のことながら、の弁当は美味い。歳の割には少し子供っぽくて、どん臭く見えるけれど、家事能力は人並み以上だと斎藤は思う。誰にでも一つはずば抜けた特技があるということなのだろう。
 こういう弁当を食べられるなら、たまには外出も悪くはない。食べ物に釣られているようではあるが、もこんなに喜んでいるようだし、疲れたとか面倒臭いとか言っていないで積極的に出かけるようにしようと斎藤は思う。
 桜は今日が盛りといった様子で、次の休みになどと言っていたら葉が見え始めて見苦しくなっていただろう。桜は満開になるのも早いが、散るのも早いものだ。雨が降ればもっと早くなる。
「しかしまあ、今日は人が多いな」
 食べながら斎藤は辺りを見回す。
 今日は世間も休日だけあって、周りは団体客だらけだ。二人だけで花見など、斎藤とくらいなものである。大人しく弁当を食べているのも、二人くらいなものだ。花見とは名ばかりの宴会ばかりで、別に桜の木の下でなくても良いのではないかと斎藤は思う。
 まあ要するに、昼間から酒を飲む口実が桜なのだろう。も斎藤が昼間から酒を飲むのは少し嫌な顔をするが、今日は積極的に勧めてくるくらいなのだ。どうして桜の木の下でなら昼酒が許されるのか斎藤には解らないが、大っぴらに飲めるのだから理由はどうでも良い。
 ただ、こうやって昼間から酔っ払いだらけとなると、喧嘩だの揉め事が起こりやすくなるものだ。今日は非番で管轄も違うのだから、斎藤が気にすることではないのかもしれないが、やはり職業柄気になってしまう。
 そんな斎藤の考えを敏感に察知して、は少し不機嫌な顔をする。
「今日くらい、お仕事のことは忘れてくださいよ」
「あ……悪い」
 今日は久々の外出なのだ。こういう時くらいは日常を忘れてぱあっといきたいものである。
「ま、あれだ。お前も飲め」
 気分を切り替えるように明るい声を出すと、斎藤はの盃に酒を注いだ。
「ありがとうございます」
 も機嫌を直したように笑うと、酒を一気に飲んだ。
 斎藤と付き合うようになって、は酒が強くなった。以前はすぐ赤くなっていたのだが、最近ではなかなか顔色が変わらない。飲んでいれば強くなるというが、も斎藤と飲んでいるうちに耐性が出来たのだろう。もともと酒飲みの素質があったのかもしれないが。
 すぐに赤くなるのも可愛いが、斎藤のような酒飲みの相手をするとなると、ある程度は強くないと務まらない。差しつ差されつををするには丁度良い相手だ。
 子供だ子供だと思っていたけれど、斎藤が知らない間には成長している。二十歳を超えた大人を捕まえて“成長”というのはおかしな表現だが、斎藤にはそれ以外に適切な表現が思い浮かばない。
 出会った頃の印象が強すぎて忘れがちだったが、はもういい大人なのだ。今後のことを真剣に考えなければならない歳でもある。
 勿論、のことは真剣に考えている。付き合いも長いのだから、そろそろきちんとした形にしなければならないとは思ってはいるのだが、何となく今日までずるずる来てしまっているのだ。
 同じくらいの年頃の女に比べるとかなり子供っぽいが、は意外としっかりとしている。仕事も家事もきちんとこなしているところは、仕事ばかりの斎藤よりもしっかりしているかもしれない。子供だ子供だと思っているのは斎藤だけで、周りから見ればは立派な大人だ。
「どうしたんですか?」
 いつの間にか真剣に考え込んでしまっていた斎藤に、が怪訝な顔をした。
「いや………」
 どう言ったものかと、斎藤はますます考え込む。
 思い立ったが吉日という言葉もあることだし、とりあえず先のことを軽く話し合っておくべきか。今日話しておかなければ、また暫くはそういう機会が巡ってこないような気がしてきた。
 こういうことは勢いだ。しかも新年度の始まりであり、人生の一大事を話し合うには絶好の時期だと思う。そう思ったら、話す機会は今日しかないような気がしてきた。
「まあ、何というか、いろいろ考えるにだ………」
 いざ口にするとなると、何から言い出せば良いのか分からない。神妙な顔で唸り出す斎藤に、はますます不思議そうな顔をした。
 不思議そうな顔でじっと見られると、斎藤は困ってしまう。そういう癖なのかもしれないが、斎藤が口を開くとは必ず大きな目で彼の顔をじっと見る。何でもない時は可愛らしいと思えるその仕草も、こういう時は困りものだ。
 いろいろ考えた挙句、斎藤は口を開いた。
「今まであまり気にしてなかったが、お前も婚期を逃しつつあるんだよなあ」
「余計なお世話ですっ!」
 斎藤の失礼な物言いは今に始まったことではないが、流石にこれにはも顔を赤くした。
 何やら真剣に考えているようだと思っていたら、こんなことを言い出すとは。確かに23ともなれば、世間では子供の一人や二人いてもおかしくない歳ではある。の同期も半分以上は結婚退職しているし、先月も一番仲が良かった同期が縁談が纏まったからと退職した。そういうこともあっての発言なのだろうが、ものには言いようというものがあるだろう。
 ぷうっと膨れるにお構いなしで、斎藤は話を続ける。お構いなしというより、話を先に進めることで一杯一杯なのかもしれない。
「そこでだ。前にも言っていた約束をそろそろ果たさんといかんと思うわけだ」
「約束?」
「ほら、いつだったか言っただろう。お前が嫁き遅れたら、俺が責任持って引き取ってやる、って」
「あっ………」
 雛祭りの時の斎藤の言葉を思い出し、はさっきとは別の意味で頬をぽっと紅くする。
 「雛人形は雛祭りが終わったらすぐに片付けないと嫁き遅れる」とが言った時、斎藤がそんな約束をしてくれたのだ。あの時はもっとずっと先の話だと思っていたけれど、まさか今日言ってくれるなんて。嬉しくて嬉しくて、夢じゃないかと思うくらいだ。
 でも夢じゃない証拠に、斎藤の顔は少し紅くて、何だか怒ったような顔でから視線を逸らしている。彼は飲んでも顔色が変わることが無いから、顔が紅いのは酒のせいじゃない。そして、その酒も今日はまだ少ししか飲んでいないから、言っていることも酔った勢いではないと思う。
「うわぁああ………」
 この嬉しさをどうすれば良いのか分からなくて、は身悶えしてしまう。どうすれば良いか分からないくらい嬉しいなんて、生まれて初めてだ。
 斎藤と結婚したら、一日中一緒なのだ。毎日一緒に食事をして、一緒に仕事をして―――――まあその辺りは今でもやっているが、結婚したら寝るのも起きるのも一緒だ。これは大きい。
 二つの蒲団を並べて寝るのか、一緒の布団で寝るようになるのか分からないが、はどっちでも良いと思う。一緒の布団で寝るのが理想だけど、斎藤の仕事はもの凄く遅くなる時もあるし、は寝相があまり良くないのだから、別の布団でと斎藤に言われても仕方が無い。
 布団の心配もそうだが、結婚式も大変だ。白無垢を着るべきか、黒い大振袖を着るべきか。綿帽子の方が可愛いと思うけれど、角隠しも花嫁さんという感じで捨て難い。斎藤はどちらが好みなのだろう。
 想像が色々なところに飛んで、の頭は大変だ。“結婚”という単語は、妄想を無限大に広げてくれる。
「まあ、具体的な話は、仕事が落ち着いてからだが」
 完全に夢の世界に入り込んでいるを現実に引き戻すように、斎藤が釘を刺しておく。
 今は少し落ち着いたが、またすぐに忙しい毎日が始まる。事件が起これば、もっと忙しくなる。の両親への挨拶とか結婚に纏わる手間をいろいろ考えると、今すぐというのはどう考えても難しいだろう。人生の一大事なのだから、何事も準備万端にしてやりたい。
「そっか………。そうですよね………」
 今すぐの話ではないのかと、は少ししょんぼりしてしまう。冷静に考えてみれば、仕事のことが無くても嫁入り支度だの何だので、今すぐというのはどう考えても無理なのだが。
 でも、今すぐでなくても、とにかく斎藤に求婚されたのが嬉しい。花束と贈り物を持って、というが日々妄想していたのとは少し違うけれど、満開の桜の木の下で、というのも最高だ。
「ああ、でも嬉しい。早く落ち着かないかなあ」
 新年度は始まったばかりで、これから何が起こるか分からないけれど、一日も早く落ち着いた日が来ないかと思う。そして事件も無く世の中が平穏無事であれば、もっと良い。
 斎藤と暮らすようになったら毎日が楽しいだろうが、大変なことも色々あるだろう。不測の事態に備えて、今日から本格的に斎藤との生活を想像しようと、は気合を入れるのだった。
<あとがき>
 というわけで、何とかプロポーズにこぎつけることが出来ました。何だか上から目線なのは、これが私と斎藤の限界です(笑)。
 まあこれで一応、最終回……かな? 気が向いたら何か書くかもしれませんけど、とりあえず最終回です。あんまり続けててもグダグダになりますしね。
 何だかんだで4年近く続いたシリーズでしたが、今までありがとうございました。
戻る