こころは込めていませんが、いつもお世話になっております。

 助けてもらったのだから縁には何かしら礼をしておけ、と父親から言われた。使用人が主人を助けるのは当然のことだとはは思うのだが、縁は特別らしい。
 まあ、縁がいたから狩猟小屋まで辿り着けたのは、も認める。一人では野宿も出来なかったし、山を下りることすら難しかっただろう。しかしそれは、縁がしっかり気球を操縦していれば起こらなかったことなのだ。
「………めんどくさ………」
 素敵な王子様への贈り物を考えるのは楽しいだろうが、相手は縁である。別に喜ばせたい相手でもないし、が何かあげたところで喜びもしないだろう。
 そもそも、あの男が喜ぶところなんて想像ができない。いつも仏頂面で、楽しそうな顔なんて碌に見たことが無いのだ。
 パーティーも嫌い、本も読まない、これといった趣味も無さそうな男である。一体何が楽しくて生きているのか。楽しいことを探そうという気も無さそうな男なのだから、には全く理解できない。
 野宿をした時に少し聞いただけであるが、縁はこれまで苦労して生きてきたようだ。あの白髪頭も、心労でそうなったと言っていた。これまでの生活がそんなものなら、楽しむということを探す余裕など無かったかもしれない。
「………………」
 縁があんなふうに捻くれてしまっているのも、これまで要らぬ苦労をし続けていたからなのだろう。が楽しいことを教えてやれば、ひょっとしたら心を入れ替えて素直になるのではないだろうか。
 素直な縁というのも想像がつかないけれど、あの性格が直れば少しはマシになるだろう。元々顔立ちは悪くはないのだ。あの捻くれた性格が矯正されれば、何処に連れて行っても自慢できる従者になるだろう。
「よしっ!」
 からの礼は、“縁の楽しみを見つけてあげる”で決まりだ。乗馬や狩りなら、男の縁も楽しいだろう。これが趣味になったら、社交にも使える。
 そうと決まったら善は急げだ。は早速乗馬用の服を出した。





「………何だ、その格好?」
 乗馬服姿のを見て、縁が驚いた顔をした。
「乗馬よ、乗馬! たまには運動もいいでしょ」
「………………」
 せっかくが誘ってやったというのに、縁は冷めた目をしている。乗馬にも興味を示さないようだ。今までやったことが無いから、その楽しさが想像できないのかもしれない。
「今度は乗馬の会でもあるのか? お前もご苦労なことだな」
 どうやら次のパーティーに向けての特訓だと勘違いしているらしい。縁は心底うんざりした顔をした。
 これまでが提案してきたものがパーティー絡みのものばかりだったから、またかと思うのも解る。しかし全部、縁の役に立つものばかりではないか。が一方的に押し付けていると思われるのは心外である。
 今回はパーティーに関係無く、縁の趣味を見つけるためなのだ。それなのにこの反応というのは腹が立つ。
「何よ、せっかくあんたの趣味を探してやろうと思ってたのに!」
「そんなものは必要無い。余計な世話だ」
 縁の態度はにべも無い。彼のために考えてやっているというのに、本当に可愛げの無い奴だ。
 趣味なんて必要無いなんて言う縁の精神の貧しさは、には理解できない。時間と金を費やす余裕が無かったと言うかもしれないが、どんな貧乏人だって趣味の一つや二つくらい持っているはずだ。
 そう、どんな階級の人間にも楽しみはあるのだ。何を楽しむかは階級によって違うのだろうが。
 縁には、の階級の趣味は高尚すぎて理解できないのだろう。しかしも、縁のような階級の人間がどのようなものを楽しむのか、さっぱり分からない。彼女の周りにはそういう種類の人間はいないのだ。
 こうなったら徹底調査である。
「出かけるわよ。さっさと準備しなさい」
 町に出て、庶民の生活というものを観察するのだ。庶民の娯楽を知れば、縁にぴったりの趣味も見つかるかもしれない。
「乗馬じゃなかったのか?」
「そんなものより楽しいものがあるわ」
 縁のことなど関係無く、庶民の楽しみに興味が出てきた。にとって、下町は山奥と同じくらいの“秘境”なのだ。
「ほら、さっさと行くわよ。早く!」
 急展開すぎて何が何だか分かっていない縁を引っ張って、は強引に立ち上がらせた。





 乗馬に行こうと言ったかと思えば町に出たいなんて、の気紛れは今に始まったことではないが、何かの病気なのではないかと縁は疑いたくなる。女は気紛れな生き物だと分かってはいても、は異常だ。
 当のはというと、自分が誘ったくせに何故か不機嫌だ。いつもの行動範囲と違って薄汚いからかと思ったが、そういうわけではないらしい。その辺りに関しては、何もかもが珍しいようで、見るもの全てに興味津々なようだ。
「ねえ、あれ何やってるの?」
 馬車を停めさせて、が外を指差した。
 の視線の先では、数人の老人が固まって何かをしているようだ。こんな路地で暇な年寄りがやっていることは大体察しがつく。
「ああ、あれは蟋蟀こおろぎを勝負させて賭けをしているんだ」
蟋蟀こおろぎ?」
 には想像のつかない娯楽らしく、目を丸くした。虫なんての生活に関わりのないものの上に、それを賭けの対象にしているのが不思議なのだろう。
 しかし虫を使った娯楽に嫌悪感は無いらしく、は面白そうな顔をして馬車から飛び降りた。
「あっ、こらっ………!」
 治安の行き届いた大通りとは違い、迷路のように入り組んだ下町はどんな人間がいるか分かったものではない。厭というほど金の匂いをさせたは、すぐに掏摸やかっぱらいの餌食になるだろう。
 まったく、世間知らずのお嬢様のお供は大変だ。こんなことまで契約には入っていないはずである。
 とはいえ、このまま知らぬふりを決め込むわけにもいかない。縁も渋々馬車を降りた。
「どっちかに賭けるといいのよね。あんた、出して」
 この国の金持ちは大抵賭け事が好きなようであるが、もそうらしい。こういう下層の遊びであっても、興味を引かれるのだろう。
 この歳で賭博好きというのはどうかと思うが、それは個人の問題である。問題は、何故縁が金を出さなければならないのかということだ。の方が金を持っているのだし、そもそも遊ぶのは彼女なのだから、縁が出すのはおかしい。
「何で俺が」
「だって、お金持ってないもの」
 申し訳なさそうに言えば多少は可愛げがあるものを、は大威張りだ。
 自分で誘っておいて金が無いというのはどういうことか。まさか昼飯も縁に出させるつもりだったのか。
「財布はどうした?」
「そんな下品なものは持ち歩かないわよ。後で家に請求に来るものでしょ、普通?」
 の常識によると、財布を持ち歩くのは卑しい行為らしい。ということは、の目から見ると大多数の人間が卑しいということになる。
 思えば、いつも一緒にいるというのに、が現金を触っているところを見たことが無い。彼女の買い物は、屋敷に商人がやって来るにしても店に出向くにしても、署名だけで終わっているのだ。現金は使用人が扱うものであり、使用人が扱うものは卑しいものだと認識しているのだろう。
 だからといって、縁がの遊ぶ金を出してやる義理は無い。
「金が無いなら見るだけにしろ」
「倍にしてあげるって言ってるのに」
「何だ、その人間のクズみたいな台詞」
 自分をよほど上等な人間だと思っているようだが、の言っていることはその辺の破落戸と同じだ。人間の品性というのは生まれや育ちで決まるものではなく、生まれ持った性質で決まるのだろう。
「何でもいいから出しなさい。減ったところで、お父様に言えばいいでしょ!」
 そう言うが早いか、は縁から財布を奪い取ると中身をひっくり返した。
「意外と持ってるじゃない。
 じゃあ、こっちにこれを全部」
 縁の金だと思って、の賭け方は乱暴だ。考える間も無く、勢いよく金を出した。
「ちょっ………!」
 には端金なのかもしれないが、縁にはなけなしの金である。これが無くなったら次の給料日まで文無しだ。は父親に請求しろと言うが、縁に返すか分かったものではない。
 取り返そうとする縁の手を掠めて、銅元らしい男が金を取り上げてしまった。
「大丈夫よ。私、博才はあるんだから」
 唖然としている縁の横で、は自信満々に笑った。





 蟋蟀こおろぎを戦わせて賭けるなんて、単純ではあるが、想像以上に楽しかった。周りの雰囲気のせいなのかもしれないが、競馬を見るよりも興奮したくらいだ。 
 おまけに、縁の金を全部賭けた最初の勝負が大勝ちしたのを皮切りに最終的に持ち金は三倍以上に増えた。我ながら天才だとは思う。きっと日頃の行いがいいせいだろう。
 庶民の娯楽というのは、たちの遊びのように洗練されてはいないが、面白いものである。蟋蟀こおろぎなんて何処にでもいるものらしいから、ピクニックに行った時に社交界の皆に披露するのもいいかもしれない。
 はとても楽しかったのだが、縁は相変わらずつまらなそうだ。縁の楽しみを見つけてやるのが目的だったはずなのに、だけ楽しんだのでは話にならない。おまけに増やした分の金は受け取らないしで、これではいつまで経っても借りを返せないではないか。
「せっかく外に出たんだから、何かやりたいことはないの?」
「別に」
 が何度聞き出そうとしても、縁のつまらなそうな態度は変わらない。本当に面白味のない男だ。
「じゃあ何か買ってあげるわ。お金もあるんだし」
 も面倒臭くなってきた。やりたいことが無いのなら、何か買い与えて済ませたいところだ。
「元々は俺の金だ。偉そうに言うな」
「いらないって言ったの、あんたでしょ。私は返すって言ったんだからね」
 人が優しくしてやっているというのに、ああ言えばこう言うで可愛げの無い。これだから下賤な男は嫌いなのだ。
 本人はいらないと言っているが、何か適当に買い与えて済ませることに決めた。縁に必要なものかどうかは別として、何か買ってやったという事実があれば、父親も文句は言わないだろう。
 何かそれらしいものがないかと周りを見回していると、花売りの少女がいた。まだ十にも満たない子供のようだが、こんな歳から働いているなんて感心だ。
「これ、全部ちょうだい。お釣りはいらないわ」
 売り物を全部買ってやれば少女は帰って遊ぶことができるし、貧しい者に施しをしてやるのは気分の良いものだ。花は贈り物にも最適であるし、どうせ縁は花のことなんて分からないのだから、安物で十分だろう。
 少女は目を丸くして、すぐに花を纏める。売り物をまとめ買いする客など初めてなのだろう。
 今日は賭けにも勝ったし、良いこともした。父親の言いつけも済ますことができて、とてもいい日だ。
「ほら、あげる」
「何のつもりだ?」
 花を突き出すと、縁が怪訝な顔をした。女から花を貰うなんて初めてのことなのだろう。縁に花をくれてやる物好きな女などいるはずがない。
「この前のお礼よ」
「は?」
 縁はますます訝しげな顔をした。暫くそうした後、何が可笑しいのかいきなり笑いだした。
「なっ……何よ?!」
 感謝するかと思いきや、この反応である。は顔を紅くしてむくれた。
「お前が礼なんて言葉を知ってるとはな」
「それくらい知ってるわよ! 大体これはお父様が―――――」
 そこまで怒鳴って、は言葉を飲み込んだ。言われたから仕方なく、なんて言ったら、後で父親に叱られてしまう。
 言いたいことは山ほどあるが、そこはぐっと飲み込んで、は改めて言った。
「とにかく、お礼はしたからね!」
「ふーん………」
 花束とを交互に見て、縁はにやにや笑う。貧相な花束を貰って喜んでいるわけではないことだけは確かだ。
 笑いの意味はともかくとして、つまらなそうだった縁が笑ったので良しとしよう。可愛げの無い男ではあるが、笑えば少しは可愛げがあるかもしれない。いつもよりは多少はマシ、という程度ではあるが。
「ほら、帰るわよ」
 用が済んだら、こんなところに長居は無用だ。は馬車に向かって歩きだした。
<あとがき>
 というわけで前回の続きみたいな感じになってしまいました。主人公さん、その歳で博打好きなのか……。
 中国の金持ちはギャンブル好きなイメージがあるのですが、これって私だけ? 麻雀から連想しているのかもしれませんけど、カジノにも結構いるような気がします。賭け事に対する考え方が日本と違うのかもしれません。
 そういえば昔のヨーロッパの貴族もトランプを使ったギャンブルが好きですよね。
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