自分良ければすべてよし。

 が夜会に出席するということは、付き添いの縁もそれなりの格好をするということである。従者らしい服装かと思っていたが、正装で出席させるという。夜会であるから当然、イブニングスーツだ。こっ恥ずかしいが、シルクハットも必須らしい。
 付き添いだから既製服だろうと思っていたら、何とオーダーメイドだそうだ。シャツは木綿ではなくリネン、カフスも流行りのセルロイドらしい。ただの付き添いにまで着飾らせるなんて、頭がいかれているとしか思えない。
「既製服で十分だろ、これ?」
 採寸をされながら、縁は往生際悪く言ってみる。男の場合、良いものを一着作っておけば、体型が変わらない限り長く着られるが、これは少々やりすぎだと思う。これでは縁も招待客のようだ。
 が、は涼しい顔で生地を選びながら、
「身体に合ってない既製服なんて、みっともないじゃない。あ、それから、そのボサボサの頭、きっちり撫でつけてね。それから、カフスもいくつか揃えないと。男の服って、小物が勝負だから」
「……………」
 何だか、が着るみたいな感じになってきた。他人の服にまで熱心とは、ご苦労なことである。
 当の縁はというと、まるで着せかえ人形にでもなったようで、面白くない。従者には従者らしい服装があるだろうに、これでは分を弁えずに社交界に乗り込む成り上がり者だ。
「こんなに大袈裟にしなくても………」
「私に恥をかかせる気? あんたは黙って言うことを聞いてればいいの!」
 一寸縁が不服を申し立てると、すぐこれだ。一体、自分をどれほど偉いと思っているのだろう。
 しかし縁がこんな盛装をしては、のお目当ての“王子さま”は近付いて来ないのではないか。付き添いではなく、婚約者か何かと勘違いされそうだ。
「分を弁えた服じゃないと、売約済みだと思われるぞ?」
「王子さまは、その障害を乗り越えてやって来るものなのよ」
 縁のせっかくの忠告も、には何処吹く風だ。それどころか、自分の妄想にうっとりとしている。
 出会った時から馬鹿だと思っていたが、予想を超える馬鹿である。王子様のような上品な男は、略奪なんて下品なことはしない。人のものを欲しがらないのが“紳士”というものだ。
 多分、の中では、“王子様の理性も吹き飛ばしてしまう魅力的な私”という設定になっているのだろう。おめでたいというか、一度、頭から氷水をぶっかけて目を覚まさせてやりたい。
「あんたは顔しか取り柄がないんだから、黙って言うこと聞きなさい」
 酷い言いようである。縁にだって取り柄はある。倭刀術とか、の従者になることになった人脈だって、そうだ。可愛げも無い、頭も悪い、買い物しか能のないとは違う。
「俺にも取り柄くらいある」
「何よ?」
「倭刀術」
「刀を振り回すなんて、野蛮ね」
 縁の自慢も、にかかれば失笑ものだ。彼女には、ダンスや話術のような社交的な特技こそが、素晴らしいものなのだろう。あんなもの、縁には女みたいにしか見えないのだが。
 大体、倭刀術が野蛮なら、の父親は何なのか。今でこそ実業家面しているが、昔はマフィアそのものだった。
「お前の父親も、大概だぞ」
 無駄だとは思うが、縁も一応反抗してみる。
 案の定、はすました顔で、
「でも今は実業家だわ」
「真っ黒だけどな」
「真っ黒でも、あんたみたいなゴロツキよりマシよ」
「………………」
 そのゴロツキを紳士風に仕立て上げるのはどうかと縁は思ったが、不毛な会話になりそうだから止めた。
 が見てくれに必死になるのは、生まれのせいなのかもしれない。元マフィアの娘が上流社会に入ろうとするなら、見た目を取り繕うしかないのだ。それにしたって、陰ではいろいろ言われているだろうが。
 そう考えると、が可哀想な女に思えてきた。王子様願望も年齢特有のものではなく、上流社会への憧れなのだろう。烏がどうやっても孔雀になれないように、マフィアの娘も上流婦人にはなれないのに。
 分を弁えて烏の幸せを探せ、と説教したくなったが、縁は黙っている。人並みの頭があればそのうち気付くのだから、わざわざ現実を突きつけて悲しませることはない。気付かなかった時は―――――まあ、ご愁傷様だ。
「とにかく、あんたは黙って私の言うことを聞いてればいいの!」
 薄々現実に気付いているのか、少し腹を立てたように、は言い放った。





 外灘に限らず、この国では清国人より白人の方が地位が高い。特に外灘は列強国の植民地のようになっていて、清国人が立ち入ることのできない場所もあるほどだ。
 そんな中で白人主催の夜会に招かれるということは、の父親の社会的地位は高いのだろう。ゴロツキ上がりとはいえ、上海一の武器商人という肩書きは、白人たちも無視できないらしい。
 その娘であるも、白人社会に受け入れられているようだ。有色人種を野蛮人だと思っている彼らが、を淑女として扱っている。は自分自身が認められたと思っているようだが、白人たちが見ているのは、彼女の背後にある資産だろうと縁は思う。
 しかしまあ、屋敷の中は驚くほどに欧米だ。支那服の人間がいないのは勿論、会話は英語が中心である。驚いたことに、も英語を喋っている。
 馬鹿だ馬鹿だと思っていたのに、これは予想外だ。笑って頷いたり、否定するような仕草をするところを見ると、相手の言うことを理解しているらしい。縁は素直に感心した。
 これだけ話せたら、パーティーは楽しいだろう。考えてみれば、屋敷を訪れる友人もいないのだから、いい発散の場だ。訪れる友人がいないのは、の性格のせいだろうが。
 それにしても、暇である。縁は英語が話せないし、理解もできないのだから、ぼーっと突っ立っているしかない。これが深夜まで続くのかと思うと、始まったばかりだというのにうんざりしてきた。
「ちょっと、少しは楽しそうにしなさいよ」
 白人男性に笑顔を振りまきながら、は小声で叱りつける。
「何で?」
 楽しそうにしろと言われても、縁は少しも楽しくないのだ。無茶な注文である。
「あんたがつまんなそうにしてると、雰囲気が悪くなるのよ。少しは察しなさい」
「別に俺のことなんか気にしてないだろ」
 嫌がらせでも何でもなく、縁は素直な感想を述べる。
 実際、白人たちは、縁には話しかけもしない。使用人は家具みたいなものだから、どんな顔をしていようと構わなそうだ。
 が、はそうは思っていないようで、
「してるわよ。彼は退屈してるのか、って言われたのよ。恥ずかしいったら」
 顔は笑顔で声は不機嫌だなんて、器用な芸当ができるものだ。今夜はに感心してばかりである。
 それはともかくとして、縁が退屈しているのは事実なのだから、どうしようもない。のように、笑いながら怒るなんて曲芸はできないのだ。
「まあ、退屈だしな」
「とにかく、笑顔でいなさい。私が笑ったら、一緒に笑うの。いいわね?」
「何で?」
「あんたが英語が解らないって知られたら、恥ずかしいからでしょ! そんなことも解らないの?!」
 単純に不思議だから訊いただけなのに、ついにの堪忍袋の緒が切れたらしい。やっと声と表情が一致した。
 縁もやっと理解はしたが、しょうもない見栄を張るものである。解らないものは解らないで、それでいいではないか。
 と、白人女性が不思議そうな顔で近付いてきた。そしてに話しかける。
 は何やら応えて、楽しそうに笑った。縁はどうしようかと思ったが、さりげなく肘で突かれたので、仕方なく作り笑いをする。
「は……ははは………」
 どの辺りで笑いを止めればいいのかも判らない。“エスコート”は縁には高度すぎる仕事のようである。





 一応、無事にパーティーは終わった。が、馬車に乗った途端、の怒りは爆発だ。
「愛想良くして、って何度も言ったのに、何あれ? 愛想笑いもできないの?!」
「何言われてるか判らないのに、へらへらできるか」
 縁は悪びれずに応える。
 殆どの白人は、有色人種を見下している。相手が縁のような言葉が判らない人間となったら、それを良いことに言いたい放題だろう。うかうか笑っていたら、馬鹿にされていた、なんてこともありえるのだ。
 は盛大に溜め息をついた。そして、何かを決めたように、きっと縁を見る。
「わかった。じゃあ、明日から英語の特訓よ。次のパーティーまでには、一通り覚えてもらうから」
「いや、それは無理だろう」
 縁はと違って、自分の力量は弁えている。今でこそ自在に操れる上海語も、習得するには一年以上かかった。細かい言い回しまで含めると、数年がかりだ。次のパーティーがいつかは知らないが、一ヶ月二ヶ月で何とかしろとは無茶すぎる。
 が、は無茶とは思っていないようで、
「死ぬ気になったら、何でもできるわよ。できないなんて、根性が足りないんだわ」
 の口から根性論が出てくるとは思わなかった。“根性”という言葉から一番遠いところにいるくせに。
 縁はもう、唖然として言葉が出ない。自分だって習得には何年もかかったろうに、根性だけで何とでもなると思っているのだろうか。
 言葉が出ないのを納得したと勘違いしたか、は小鼻を膨らませて得意顔をした。
「また恥をかかせたら、承知しないんだから。わかった?」
「えー………?」
 そんな、の都合だけで決められても困る。しかしそう言っても聞いてもらえるはずが無く、縁は嫌な顔をすることで、精一杯の反抗をするのだった。
<あとがき>
 主人公さん、意外にも英語はペラペラなようです。縁よりレベル高いな。性格は悪いけど(笑)。
 そして縁は、明日から英語の猛特訓です。主人公さん直々にレッスンしてもらうのかな。発音間違えたらブチ切れられたりして(笑)。うわあ、辛そうだ………。
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