問題なのはむしろ大人。

 外灘(バンド)の英国人の邸宅で開かれる夜会に、も出席するらしい。父親が武器商人をやっていると、白人の世界にも顔出しを許されるようだ。
 普段は漢服で生活していても、この時ばかりは白人と同じくドレスを着る。そして、パーティーの度にドレスどころか、下着から何から新調するらしい。
 ドレスだけでも高額なのに、パーティーの度に一式揃えるなど、縁には馬鹿げているとしか思えない。百歩譲って、人目に触れる靴や小物ならまだしも、絶対に見せる機会など無い下着まで新調するというのは、頭がおかしい。
 女の衣装狂いは生まれ持った病気だから仕方ないとして、周りは何をしているのか。いくら屋敷の女帝が恐ろしいとはいえ、誰か一人くらい諫める者がいてもいいだろうに。を教育する立場である家庭教師さえ、一緒になって衣装を選ぶ始末だ。
「やっぱり仏蘭西製の生地は色が良いわねぇ。国産よりも上品だわ」
「染料が違いますもの。あら、こちらの柄なんか、お嬢様にぴったり」
 外灘(バンド)の仕立屋が持ってきた生地見本を見比べて、と家庭教師が楽しげに話している。まだ子供のはともかく、三十路を超えた家庭教師までもが一緒になってはしゃぐなど、本当に馬鹿じゃないかと縁は思う。縁がこの屋敷の主人だったら、こんな家庭教師は即刻クビだ。
「ねえ、こっちとこっち、どっちが良いと思う?」
 二枚の生地を両肩にかけて、が尋ねる。
 そんなことを縁に訊かれても困るのだが、男の意見も聞いてみたいのだろう。未婚の娘にとって、社交界に出るのは、結婚市場に出品されることを意味するのだ。自分の好みも大事だが、男受けも重要な要素である。
 が、正直言って縁は、毎回衣装を新調する浪費家より、手持ちの衣装を巧く使い回す堅実家の女が良い。お洒落な女は見ているだけなら楽しいけれど、結婚するなら金銭感覚がしっかりした女が一番だ。
「持ってるドレスの中から選んでやる。好きなのを持ってこい」
「は? 意味が分かんないんだけど?」
 は途端に不機嫌になる。
「ドレスならもう十分持ってるだろう。一回しか袖を通さないなんて、勿体無い」
「前に着たドレスなんて着て行ったら、笑われるじゃない。あんたは知らないだろうけど、みーんな他の人の服を見てるんだから」
 また“みんな”である。他人の服をしつこく覚えている暇人がいるものか。たとえそんな人間がいたとしても、それは女である。男は、女の服なんて覚えてなどいない。
 仮に男が覚えていたとしても、毎回違うドレスでは、とんでもない浪費家だと思うだけだろう。少なくとも縁はそう思う。
「誰もそこまで見ていないだろ。自意識過剰だ」
「何ですってぇ?!」
 は鬼の形相でつかつかと縁に歩み寄ると、胸ぐらを鷲掴みにする。
「私はみんなの注目の的なの! みんなが私の周りに集まるんだから! あんたと違ってね!」
 白人の中で清国人が珍しいから集まっているのだろうと思ったのだが、縁は黙っている。それを言ったら、が激昂するのは目に見えているのだ。
 そういう年頃なのだろうが、誰もが自分に注目していると思いたいのだろう。屋敷の中が自分中心だから、外でもそれが通用すると思っているのかもしれない。何とも迷惑な話だ。
「王子さまに見初めてもらうには、とにかく目立たなきゃ駄目なの。で、どっちが良い?」
「何処かの王子が来るのか?」
「そういう王子さまじゃなくて、何処かにいる“私の王子さま”よ。まだ巡り会えないけど、きっと素敵な人なんだわ」
 さっきまでの荒れ具合は何処へやら、は目をきらきらさせる。感情の振れ幅の大きな女だ。
 頭の中をお花畑にするのは勝手だが、“王子さま”なんて、自分が“お姫さま”にでもなったつもりか。“お姫さま”なんて可愛いタマではないだろうに。
 そう突っ込んでやりたかったが、縁は黙っている。日頃の行いを一つ一つ聞かせて説教してやりたいところだが、どうせ聞きやしないだろう。運良く聞いたとしても、周りがそれ以上にを褒めちぎって、結局は反省しないから同じだ。
 そう考えると、よりも周りの大人の方が性質が悪い。このまま誰も修正してやらなければ、の王子様は一生やってこないだろう。たとえやって来たとしても、この性格では裸足で逃げ出す。
「王子さまに見初めてもらいたいなら、もっと自分を磨いたらどうだ?」
 はっきり言ったらまた大爆発しそうだから、少し遠回しに言ってみた。
「だから磨いてるじゃない。で、どっちが良いの?」
 には遠回しすぎたか、あっさり聞き流されてしまった。
 にとっては、外側を飾りたてることが、“自分を磨く”なのだろう。子供の発想である。本当にいい女なら、飾りたてなくても、その美しさが際立つものだ。巴は派手なものを一切身に付けていなかったが、よりも遙かに美しかった。
 に“内面の美”を説いたところで、理解させるのは不可能だろう。果てしなく「で、どっちにするの?」と返されるのがオチである。
 頭の悪い女と話すのは、本当に疲れる。何もかもが面倒臭くなって、縁は左肩の無地の生地を指さした。
「そっち」
「えー? 地味すぎない?」
 選べと言うから選んでやったのに、また文句である。じゃあ訊くなよ、と縁は苛々してきた。
「じゃあ、自分の好きな方にしろ。俺に訊くな」
「決められないから訊いてんじゃない。ちゃんと考えてよ」
 は自分の言っていることを理解しているのだろうかと、縁は心配になってきた。無地が良いと言ったのに、ちゃんと決めろとは何なのか。
「だから左で良いって」
「そんな適当じゃなくて、ちゃんと選んで!」
 何が気に食わないのか解らないが、も苛立っているようだ。全く訳が分からない。
 そうやって言い争っていると、父親が部屋に入ってきた。
「随分と賑やかだな。衣装選びか?」
「聞いてよ、お父様! 縁ったら酷いのよ」
 いきなりの告げ口である。そんなものは聞き流しておけば良いものを、父親も真剣に聞いているから始末が悪い。
 の生まれ持った気性にも問題があるのだろうが、最大の問題は父親だ。娘の言うことを聞くのを、一番の愛情だと勘違いしている。これではまともな人間に育つわけがない。
「うーん………」
 の言い分を聞いて、父親は悩ましげに唸る。唸ってないで叱れ、と縁は思うのだが。
「あいつは社交界のことを何も知らないからな。お前が一から教えてやりなさい。そうすれば自分の過ちに気付いて、恥入るだろうさ。無知な人間に根気よく教えてやるのも、上流の人間に必要な素養だぞ」
「え〜?」
 は不満そうな声を上げる。
 「え〜?」と言いたいのは縁の方だ。一寸聞くと、を優しく説き伏せているようだが、これでは縁が全面的に悪いようではないか。何処まで本気で言っているのか知らないが、子が子なら、親も親だ。
 呆れ果てている縁をちらりと見て、はわざとらしく溜息をつく。
「こんなんじゃ、パーティーが心配だわ。今から教えて、間に合うのかしら」
 心配なのはむしろ、の頭と性格である。これを表に出すなんて、公害だろう。
 盛大に溜息をつきたいのは縁の方だ。これを公の場でエスコートしろだなんて、無理すぎる。
 絶望している縁の姿を、反省していると勘違いしたのか、の機嫌が良くなった。本当におめでたい女だ。
「ねえ、お父様。今度のドレスの生地、どっちが良いと思う?」
「右のが良いな。この色は肌がより綺麗に見える」
「さすがお父様ね! 私もこっちが良いかなって思ってたの」
 の機嫌は最高潮だ。逆に、縁はますます不機嫌になる。
 最初から決めてたなら、わざわざ訊くなよ、と言いたい。相手を試しているのか何なのか知らないが、面倒臭い女だ。
「じゃあ、生地はこれで良いとして、次はレースね。どれにしようかしら〜」
 は上機嫌でレース見本を並べ始める。また、ああでもない、こうでもないと時間をかけて選んで、必殺の「どっちが良い?」攻撃が来るのかと思うと、縁はうんざりした。
 この分だと、ドレスの形が決まる頃には日が暮れてしまうだろう。よくもまあ、こんなくだらないことで一日を潰せるものだ。
 ある意味感心している縁の横に、父親がつつっと寄ってきた。
「次は失敗するなよ」
「そんなことを言われても………」
 縁はの好みなど知らないのだから、失敗するなと言われても困る。というか、と縁の好みは反対なようだから、多分また失敗する。
 頼り無い様子の縁を見かねてか、父親はとっておきの秘密を教えるように耳打ちする。
「微妙に前に出している方を選べ。あと、何か褒めろよ。大体それで機嫌が良くなる」
「えー………」
 そこまで気を遣わなければならないのかと、縁はげんなりした。いい女が相手なら、いくらでもお世辞もご機嫌取りもするが、相手はアレである。何一つ縁の特にならないではないか。
 否、の覚えがめでたくなれば、武器商人の道が開けるかもしれないから、全く利益が無いわけでもない。しかし、成り上がるためにそこまでやるのは、まだ抵抗がある。がもう少しまともな女だったら、太鼓持ちも抵抗が薄かったかもしれないが、この性格では無理だ。
「これができるようになったら、大抵の女は落とせるようになるぞ。金を貰って、そっちの勉強もできるなんて、いい仕事だとは思わんか?」
「………………」
 ぜんぜん思わない、と真っ向否定したかったが、今後のことを考えて黙っている。
 父親はのことを世界一可愛いと思っているから、一日中そんな娘の相手をできる縁のことを、世界一の幸せ者だと思っているのだろう。そこからもう間違っているのだが。
 これまでの問題はの性格によるものだと思っていたが、問題なのは父親だ。こいつを何とかしないと、の性根は永遠に曲がったままだろう。
 親離れ子離れが一番の課題か。難しそうだが、これをやらないと、縁はお先真っ暗である。
 きゃっきゃ騒ぎながらレースを選んでいると、それを目を細めて見ている父親を横目で見て、縁は溜息をついた。
<あとがき>
 一日一度は姉さんのことを考えるのは、縁の習性です(笑)。いや、こんな主人公さん相手にしてたら、嫌でも姉さんと比較したくなるか。
 ここの家は親父が駄目だな。どんな娘でも、父親にとっては世界一可愛い娘なんだろうけど(高橋英樹も真麻のことを「こんなに可愛いのに……」と言ってたね。いや、真麻は良い子だと思うけど、二枚目俳優の娘にしては……)、これは駄目だ。
 縁、頑張って主人公さんの性格を直してやれ(笑)
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