いやなこと、言われたの。

 詐欺師野郎の一件で少しはも大人しくなるかと期待したが、無駄なことだった。あんなことなど無かったかのように、今日も縁相手に大威張りである。
「退屈ねぇ………。あんた、何か面白い話してよ」
 いつものことながら、無茶振りである。面白い話をしろと言われて即座にできるのであれば、縁には違う人生が拓けていたと思う。
「口の巧い男は碌でなしだって、まだ学習してないのか」
「口の巧い男はモテるって、まだ学習してないの?」
 まさに、ああ言えばこう言うだ。あと二、三回は騙されないと懲りないのかもしれない。しかしが懲りるまで騙され続けると、縁が心労で倒れそうだ。
「それにね、騎士道精神は貴婦人崇拝の精神なの。白馬の騎士を気取るなら、少しは勉強しなさい」
「………突っ込みどころが分からん」
 あくまで上から目線のの言葉に、縁の顔が引きつった。
 誰が白馬の騎士で、誰が貴婦人なのか。はまた新しい設定を考え付いたらしい。
 王子様が駄目と分かったら次は騎士とは、節操が無い。そもそもは、縁の白馬の騎士役には否定的だったではないか。彼女の中でどんな心境の変化があったのか、謎すぎる。
 王子様でも白馬の騎士でもいいから、早く現れてくれないものか。誰よりも彼の登場を待っているのは、皮肉にも縁の方のようである。





 白馬の騎士とやらがどんなものなのか、にもよく分からないらしい。具体的に何をさせればいいのか分からないお陰で、無理難題を押し付けられなくて幸いだった。
 縁が考えるに、騎士というのは軍人である。所属によっては王の警護もするようであるから、の護衛を生業にしている縁は十分騎士だろう。貴婦人崇拝とかいう謎の言葉を聞いたが、は貴婦人ではないのだから、これは無視してもいいだろう。
 今回は妙な勉強をしなくてもいいと安心していたが、すぐに甘い考えだと思い知らされることになった。
「いろいろ考えてみたけど、騎士になるなら私に純愛を捧げることから始めればいいと思うの」
「お前はもう何も考えるな」
 の少ない脳みそで考えて結果がこれかと思うと、縁は頭が痛くなってきた。馬鹿の考え休むに似たりとは、このことである。
 嫌がらせの無茶振りかと思ったが、は大真面目のようだ。自分が縁の純愛を捧げるに相応しい貴婦人だと本気で思っているとしたら、頭がおかしい。
 の頭の具合を心配する縁をよそに、彼女は得意げに話を続ける。
「まあ、私が相手だと引け目を感じるだろうけど、基本は崇拝だもの。崇拝なら、心置きなくできるでしょ?」
「崇拝とは随分偉くなったものだな」
 縁が女を崇拝するとしたら、相手は姉の巴しかいない。奇跡的に崇拝の対象が存在したとしても、それはとは正反対の女だ。
「私を守るために、嫌いな相手に頭を下げに行く屈辱に耐えたくらいだもの。あんた、王子様の素質は無いけど、騎士の素質はあるわ」
 一応、なりに褒めてはいるのだろう。しかし、これっぽっちも嬉しくないのが不思議だ。
 は縁が香蘭を蛇蝎のごとく嫌っていると思っているようだが、別にそういうわけではない。嫌いなのは事実だが、その加減はには負けると思う。
 そこまで大層なものじゃないと言いたいところだが、それを言うとが怒り狂いそうなので黙っている。どうやらにとっては、蛇蝎のごとく嫌っている相手に頼っても彼女を助けようとした、という事実が大事なようなのだ。
「そうね、あとは騎士に相応しい礼儀作法を身につけてもらわなきゃ。あんた、やっぱり話術の勉強をしなさい」
 はどうしてもその結論に持っていきたいらしい。騎士なんか関係なく、自分の退屈しのぎのためなのは見え見えだ。
「話術と礼儀作法は関係無いだろう」
「だって、パーティーの時だって、話しかけられても黙ってるじゃない。失礼にもほどがあるわ」
 そこを突っ込まれると、縁は返す言葉が無い。縁が黙っているのは言葉の問題もあるが、喋ってボロが出てはいけないという気遣いもあるのだ。そんな縁の努力を真っ向否定とは、本当に思慮が足りない。
 は困り果てたように溜め息をついて、
「別にあんたに小説に出てくる騎士みたいな台詞は求めてないから。どうせ無駄だし。だけどね、相手に方に失礼の無いくらいにはしてもらわないと」
「はいはい」
 こういう流れの時は聞き流すに限る。いちいちまともに聞くから、腹も立つのだ。
 もし縁がパーティーで話すようになったら、どんなことになるか。いっそ、次のパーティーではが望むように喋り捲ってやろうかと、縁は考えた。





 社交界では、突然姿を消したリチャードの話題で持ちきりだ。西洋人のパーティーには出席することの無かった男だが、素行不良の男爵令息のことは有名だったらしい。上流階級の世界は狭い。
 貴族のドラ息子は珍しいものではないけれど、現地の女相手に結婚詐欺のようなことを繰り返していたとなると、話は別だ。しかも忽然と姿を消したとなったら、噂好きな人間の想像力を刺激するらしく、いろいろな話が飛び交っている。
 訴えられそうになって国外に逃亡した、本国の警察が動き出して姿をくらました、というのはまだいい方で、まずい筋の女に手を出して殺されただの、借金で首が回らなくなって自殺しだだの、死んだ扱いにされたものもある。縁も、多分死んでいるだろうとは思っているが。
 あの日以来、縁はリチャードの姿を見ていない。にちょっかいをかけなければ関わりになりたくない種類の人間だから、消息を調べたいとも思わなかった。あの男が生きていようが死んでいようが、正直どうでもいい。
「最近は租界も物騒になったものです。今はどこに行ってもこの話題ですもの」
 半開きにした扇子で口元を覆い、嫌悪感を露にして年嵩の貴婦人が言う。あんな事件を起こしたリチャードは、貴族社会の面汚しなのだろう。
 けれど縁は、嫌悪の中にも面白がっている様子を見逃さなかった。自分に関係ない醜聞は、退屈な日常の格好の刺激剤なのだ。
「やっぱり噂通り殺されたのでしょうか。恐ろしいですわ」
 若い貴婦人が興味津々に尋ねる。こちらは若い分素直に感情が出てしまうようだ。
「いろいろ恨みを買っていたようですし、殺されていても不思議はありませんわ」
 しれっとした顔で、は言う。こちらの社交界ではとリチャードの関係は知られていないのか、誰も面と向かっては突っ込んでこない。たとえ知っていたとしても、犯罪絡みとなれば、面と向かって追求する者はいないだろう。
 知っていてにこの話を振っているとしたら底意地の悪い連中だし、相手が何も知らないと思って無関係の振りをしているの姿は滑稽に映るだろう。縁だって、公式の席では婚約者という触れ込みになっているのだから、まんまと浮気された間抜けということになる。事情がどうであれ、縁には面白い席ではない。
「女性絡みにしても、借金にしても、碌でもない男には変わりありません。そんな男の話なんてくだらない」
 被れるだけの猫を被った上品な口調で、縁はこの話題を打ち切ろうとする。が、年嵩の貴婦人に軽く跳ね除けられてしまった。
「あら、くだらなくなんかありませんわ。あの男はこの国の女性を狙っていたそうですもの。これから先もこういう男は現れるでしょうから、さんのような女性には大事な話ですよ」
 確信は持てないけれど、この女やとリチャードのことを知っているような気がした。二人は租界で会っていたのだから、一緒にいる姿をこの会場の中の誰かに見られなかったはずがない。一人でも目撃者がいれば、すぐにこの狭い世界に広まるだろう。
 そう思うと、親切めかして微笑む貴婦人の顔も底意地の悪いものに見えてきた。も香蘭も性悪だが、目の前の女の性悪さはねっとりとした感じで、性悪女には慣れている縁にも気持ちが悪い。
「男爵婦人の座をちらつかせていたと聞きますけど、異教徒の外国人が本国の貴族社会に受け入れられるのがどんなに難しいことか。こちらの国の方は、よくお解りになっていない方が多いようですわねぇ」
 やはりこの女は全部知っているのだろう。知らないとしても、の前で言うなんて喧嘩を売っているとしか思えない。
 若い貴婦人は流石にやりすぎと思ったか、気まずそうな顔をしている。が、連れを止めるほどの気概は無いらしく、黙ったままだ。
 おそらく年嵩の貴婦人は、肌の黄色い人間が自分たちの世界に出入りしているのを嫌っているのだろう。は有力者の娘で利用価値があるから我慢していたところを、今回の件で格好の叩くネタが見つかったといったところか。
 この閉鎖的な社会に、が好意的に受け入れられているとは、縁も思ってはいなかった。好意的に扱っていたとしても、それはの背後にあるものに対してか、下手をしたら珍獣的な扱いだろう。だからといって、面と向かって喧嘩を売るような真似はどうかと思うが。
 隣のを見ると、聞き流しているような顔をしているけれど、目が怒っている。流石にこの席では表立って怒りを露にできないらしい。
 黙っているに、年嵩の貴婦人は気持ち良さそうに話を続ける。
「それぞれ相応しい相手というものがありますもの。最近は社交界に出入りする層が広がって、勘違いする方もいらっしゃるようですけど」
 明らかにへの当て擦りだ。この女は余程のことが気に入らないらしい。
 の方を見なくても、彼女が怒り狂っているのが判る。抑え込んでいる分、怒気がただ事ではない。隣に火薬庫があるような気分だ。
 は「相手の方に失礼の無いよう」なんて言っていたけれど、こういう輩だっているのだ。気を遣うのが馬鹿馬鹿しい。
「空気悪すぎダろ………」
「今、何と仰いまして?」
 誰にも判らない日本語で呟いたのだが、縁の表情で大体のところは察したらしい。年嵩の貴婦人がむっとした。
 縁はよそ行きの表情を作り直して、
「他人の色恋沙汰を気にするとは、御自分がそういうことに縁が無いか、相手の方にご不満があるのかと思われますよ」
「まあっ………」
 年嵩の貴婦人は顔を紅くして絶句した。図星を刺されて言葉が出ないらしい。
 縁は面白くなって、更に言う。
「彼女の心配をするより、ご自分の心配でもなさったら如何ですか? 最近は、現地の女性に夢中になって家庭を顧みない外国人男性が増えているとか」
「あなたっ………」
 女の紅い顔がますます紅くなる。彼女にとって、一番痛いところを突いたらしい。
 せっかくだから、二度とに絡まないように止めを刺しておくことにした。縁はの肩を抱き寄せて、
「彼女のことは心配無用です。何があっても私が守りますから」
 そう言うと、縁は場を立ち去った。





「馴れ馴れしく触らないでよ」
 二人から見えなくなった所まで行った途端、は荒々しく縁の手を振り払った。
「俺だって好きでこうしたわけじゃない」
 縁だってどうせ抱くなら、もっといい女の肩を抱きたい。成り行きでこうなっただけだ。
 あの年嵩の貴婦人には、ああするのが一番利くと思ったからやっただけであって、実際効果はあった。の読む小説に出てくるような台詞を言うのはこっ恥ずかしかったが、あれを併せないと効果半減だから仕方が無い。
「あの女の亭主は、清国の女を囲って家に帰ってこないんだと。で、お前相手に鬱憤晴らしをしようと思ったんだろ。そういう相手なら、ああするのが一番効く」
「何であんたがそんなこと知ってるのよ?」
 パーティーでは殆ど会話なんかしない縁がそんなことを知っているなんて、には不思議なのだろう。
「パーティーの休憩の時に、男だけの部屋に行くだろ。その時に聞いた」
 パーティーで殆ど喋らない縁は口が堅いと思われているのか、男同士の秘密の話をしやすいらしい。訊いてもいないことを勝手にぺらぺらと喋って、秘密をネタに強請る危険を想像できないのかと心配になるほどだ。
 縁が善良な男だからいいようなものの、もしリチャードのような悪党だったら、絶対に強請りをやっていただろう。女相手の詐欺より、こっちの方が確実に実入りが良いのではないかと、縁は思う。
「あんたって凄いのねぇ」
 は心底感心したように縁を見上げた。こんな賞賛の眼差しを向けられたのは初めてだ。の感心するところはおかしい。
 巧みな話術なんか無くても、こうやって無口を生かすことができるのだ。縁が弁舌爽やかなお喋り野郎だったら、あの無礼な女に反撃などできなかった。
 縁は得意げに、
「一寸は見直したか」
「まあ、一寸はね」
 馬鹿じゃないの、くらいは言われるかと思っていたら、意外にもの反応は好意的である。がこんな反応を見せるなんて、どこか具合が悪いのではないかと心配になるほどだ。
 やはり熱でもあるのではないかと思っていると、そんな縁の不審げな様子が伝わってしまったのか、はむっとした。
「せっかく見直してあげたんだから、素直に喜びなさいよ」
「いや、今までが今までだから………」
「まあいいわ。さっきのは一寸スカッとしたし。ありがと」
 むすっとしたままはぶっきらぼうに言うと、は逃げるように外に出た。
 に感謝されたのは初めてのような気がする。びっくりしすぎて、一瞬何が何だか分からなかった。
 にどんな心境の変化があったのか分からないけれど、感謝の心を知ったのは良いことだ。これからもこれが続くことを、縁は心から願った。
<あとがき>
 自分で“善良”とか言うなよ、縁(笑)。まあ、今のところは犯罪は犯してないんで、“善良”といえば“善良”かもしれんが。比較対象がおかしいよな。
 王子様路線はどうやら無理っぽいので、白馬の騎士路線でいくことにしました。これなら多分いける……かな?
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