やさしさが減りました。なぜですか。
縁が香蘭のお下がりだと知ってから、顔を見るたびに苛々する。あんな女の手垢の付いた男なんて汚らしい。何が“白馬の王子さま”だ。不用品を押し付けられただけではないか。父親も父親だ。大事な一人娘の従者にそんな不潔な男を用意するなんて、何を考えているのだろう。きっとあの女に色仕掛けで押し付けられたに違いない。父親から見ればまだ“若い女”なのかもしれないが、あんな年増にデレデレするなんて情けない。
それ以上に許せないのは、縁と香蘭の関係だ。あの様子では若い燕をやっていたに違いない。あんな年増女の相手をしていたなんて、想像しただけで腸が煮えくり返りそうだ。
使用人の経歴なんて今まで気にしたことがなかったけれど、今回は駄目だ。よりにもよって、香蘭だなんて。の知らないところであの女と比べられていたのだとしたら、屈辱以外の何物でもない。
せめて他の女だったら―――――そこまで考えて、やっぱり無理なことに気付いた。縁が他の女と楽しくやっているところを想像するだけで腹が立つ。
別に縁が王子さまなわけでもなし、彼の女関係なんてにはどうでもいいはずだ。何処の誰と楽しく過ごそうと関係ないはずなのに、想像しただけで苛々するなんて、一体どういうことなのだろう。
「腹立つなぁ………」
それもこれも、きっと香蘭のせいだ。あの女が関わると碌なことが無い。きっと疫病神に違いないのだ。
ムカムカしながら、は茶に口を付けた。
あの日以来、の当たりがきつい。あの女の態度の悪さは今に始まったことではないが、香蘭に会ってからというもの、縁の顔を見れば腹を立てるという具合なのだ。
それならに近付かなければいいだけのことなのだが、何故か彼女のほうからに近付いてくるのだから、逃げようが無い。わざわざ自分から寄ってきて、勝手に腹を立てているのだから、一体何をしたいのか。ただ八つ当たりのネタを探しているとしか思えない。
後で知ったことだが、元々は香蘭を嫌っていたらしい。派手で人目を引く香蘭は、から見れば、主役の座を奪う敵なのだろう。二人とも女王気質だから、仲良くなれるわけがない。
ただでさえ険悪な二人の仲を決定的にしたのは、香蘭がの父親と接触したことらしい。は“誘惑した”と言い張っているが、多分それは違うだろうと縁は思っている。香蘭は若い男が好きなのだ。見た目も冴えない禿げかけた親父など、いくら金を持っていても相手にするはずがない。多分、投資の話でも持ちかけたのだろう。
それがきっかけで縁はの父親に引き取られることになったわけだから、とは違う方向で彼も香蘭を恨んでいる。香蘭も馬鹿ではないから、いつかこうなることは分かっていただろうに、縁に一体何の恨みがあったのか。女というのは情がなくなると、いくらでも鬼になることが出来るらしい。
香蘭との生活も不愉快なことが多かったが、ここでの生活も違う方向できつい。いつかのし上がるためとはいえ、女に振り回される生活というのは情けないものだ。このままでは、のし上がる前に神経をやられそうである。
「はぁ………」
縁はこの世の終わりのような溜め息をついた。
世の中には巴のような出来た女もいるというのに、何故あんなしょうもない女ばかり引き当てるのだろう。もしかして、巴のような女の方が希少なのだろうか。や香蘭のような女が標準だとしたら、縁は男に走ってしまいそうである。
「あら、そんなところにいたの?」
縁が今後の人生いついて思い悩んでいると、が部屋に入ってきた。まだことらが何もしていないというのに、いきなり喧嘩腰だ。
思い当たる節はいくつもあるが、いきなりこの態度というのはいただけない。自然と縁も不機嫌になる。
「いたら悪いか」
「当たり前でしょ。あんたの顔見ると苛々するのよ」
別に此処はの部屋ではない。使用人だが縁も使うのを許されている部屋だ。こうなると言いがかりである。
が苛々するのは彼女の都合だ。縁には関係ない。いくら使用人とはいえ、の勝手な都合で縁の行動まで制限されるのは迷惑だ。
「この部屋は俺も使っていいはずだが。引き籠っていろとでも言うのか」
「あの女のところにでも行けばいいじゃない。良くしてもらってたんでしょ?」
そう言っては嘲笑うように鼻を鳴らす。元々憎々しい顔をしているが、その顔がいつにも増して憎々しい。
香蘭に関わるもの全てが嫌なのだろう。嫌いな相手ならそうなる気持ちも解らないではないが、そんなことは縁の知らぬことである。そんなに気に入らないのなら、さっさとクビにでもすればいいのだ。
そもそも縁は、別に香蘭に良くしてもらった覚えは無い。と方向性は違うが、同じくらい厄介な女だったのだ。もしかしたら、そういう女を引き寄せる何かを持っているのかもしれない。
「別に良くしてもらった覚えは無いぞ」
「若い燕のくせに」
は心底忌々しげに吐き捨てる。
「お前なぁ………」
あの日以来、二言目にはこれである。そんなことを言っているうちは王子様なんて来ないだろうと縁は思う。
「何よ、本当のことじゃない。若い燕が嫌なら、男妾? ああ、いやらしい!」
「〜〜〜〜〜〜」
いやらしい、と言いたいのは縁の方だ。自称お嬢様のくせに、どうしてそんな下品な言葉を知っているのか。こういうところに育ちが出るのだろう。
こんな下品な言葉を連発するということは、それがが一番気にしているとことということか。香蘭の“お下がり”というのも、そういう意味なのだろう。
それこそ縁にはとばっちりである。彼がの“王子さま”ならともかく、そうではないのだ。それなら過去に亘って操を立てる義理もあるだろうが(それも無茶な話だが、)、縁にはそんな義理はない。縁の過去に何があろうと、“王子さま”ではないのだから、には関係のないことだ。
「昔のことをグダグダとうるさい奴だな。俺のことはどうでもいいだろ」
「どうでいいけど! どうでもいいけど、本当のことでしょ!」
どうでもいいなんて言いながら、はやけにむきになっている。本当にどうでもいいと思っていいるなら、最初から話題に持ってこないと思うのだが。やはりただの八つ当たりなのだろう。
少女らしい潔癖さなのかもしれないが、のあの性格では“潔癖”なんて縁が無いような気がする。ならば、香蘭への対抗心か。別に縁を取り合っているわけではないのだから、無視していればいいと思うのだが。
「もうあの女とは何も無いんだから、今更グダグダ言われても困る。気に入らないならお父様に言えばいいだろう」
「お父様に言ったって、帳消しになるわけじゃないでしょ!」
「いや、王子さま役を変えてもらえよ」
「………………っ!」
意外にもは言葉に詰まってしまった。そこは考えていなかったらしい。
そんなに気に入らないなら、さっさとクビにすればいいのだ。の性格なら、すぐさま父親に言いつけていると思っていたから、言っていなかったとは縁には意外だった。
何か言うかと縁が待っていると、は言葉に詰まったのを誤魔化すように更に大きな声で言った。
「お父様はあんたをクビにする気が無いんだもの。年増女どころか、男にも取り入るのが上手いのね。いやらしい!」
なにをどうしたら、“いやらしい”という発想になるのか、の頭の中を見てみたい。
否、縁にもの考えていることは大体解っている。解るだけに、その発想にはげんなりだ。いくら何でも、あの親父の相手は嫌である。
「流石にそれは無い。俺を何だと思ってるんだ」
「男娼」
そんな言葉を恥ずかしげも無く堂々と言われると、縁も返す言葉が無い。怒るより先に、乾いた笑いが出てしまった。
「お前なぁ………」
「何よ!」
笑ってしまったのを、馬鹿にされたと思ったらしい。は顔を真っ赤にした。
「あのオッサンとやるくらいなら、香蘭とやった方が何倍もマシだ」
香蘭も香蘭で嫌な女だったが、それでもまだ女である。加齢臭漂う男よりは、まだ我慢できる。
その言葉が気に入らなかったのか、はますます激昂する。
「やっぱり香蘭の方が良いんだ! それなら香蘭のところに戻ればいいじゃない男娼にはお似合いよ!」
「………………」
別に香蘭が良いとは言っていない。の父親を相手にするよりは良いというだけだ。
しかしこれほどまでに香蘭との過去に拘るなんて異常だ。嫌いな相手だからというのを超えている。嫌味連発なのも、の嫉妬のように思えてきた。
「……ひょっとして妬いてるのか?」
「何言ってんの! 馬鹿じゃない?!」
やっぱりというか、即座に否定されてしまった。確かにその通りだ。がこんなことで嫉妬するわけがない。
縁にはその程度もことだが、にはこの上ない侮辱だったらしい。顔を真っ赤にして激怒した。
「自惚れるのもいい加減にしてよ! もういい!」
こんなに怒るなんて図星なのかと疑いたくなるが、がそう言うのなら違うのだろう。じゃあ何がそんなに腹が立つのかと突っ込んでやりたかったが、これ以上言うと手を付けられなくなりそうだから縁は黙っている。
は激怒したまま部屋を出て行った。
この苛立ちを嫉妬の一言で片付けようだなんて、縁はどれだけ自惚れているのだろう。返す返すも腹が立つ。この苛立ちは絶対嫉妬なんかではない。
一寸顔が良いからって、いい気になりすぎだ。香蘭はあの顔が気に入ったのかもしれないが、は男を顔だけで選ぶような頭の軽い女ではないのだ。香蘭なんかと一緒にしないで貰いたい。
この苛々の原因はきっと、世間に香蘭と同じ種類の女だと勘違いされるのを恐れてのものだろう。断じて嫉妬なんかではない。
それなら縁が言ったように父親に言ってクビにすれば済む話なのだが、それは思いつかなかった。前にも同じようなことを言って、逆に説得された経験があるから、最初から諦めていたのだろう。今回もきっと、くだらないと言われるに決まっているから、父親には相談できない。
「ああもう、腹立つなあ」
縁が少しでも申し訳無さそうな顔をしたら少しは違っていたのかもしれないのに、そんな様子も見せないから余計に腹が立つ。少しくらい今の主人に気を遣うのが礼儀というものではないのか。
ぶつけようの無い怒りで頭が爆発しそうだ。は苛々しながら部屋に戻っていった。
最初からあんまり優しさもなかったけど、そのなけなしの優しさが減りました(笑)。フラグって何だろうね?(笑)
それにしても主人公さんは何でこんな下世話な言葉に詳しいんだ。お嬢様設定のはずだったんだがなあ。