おかげ様で天下無敵。
お嬢様の相手をする簡単なお仕事です―――――なんて絵に描いたような胡散臭い話に乗ってしまったのが、運の尽きだった。“死の商人”として一代で財を成した男の娘なのだから、禄でもない女だろうということに、どうして気付かなかったのか。給金に目が眩んでしまったことは認める。武器商人と誼みを通じておこぼれに与りたいという下心もあった。後ろ盾の無い外国人が魔都・上海で生きていくのは難しい。
我が儘放題に育てられた娘なんて、一度キャンと言わせれば大人しくなるというのも、今思えば見通しが甘かった。大陸の女は化け物級である。
「白馬の王子様みたいなのが良いって言ったのに、何で白髪頭の男なの?」
これが、お嬢様の第一声だった。
自分が白馬の王子様という柄ではないことくらい、縁だって理解している。しかし総白髪に触れるのは如何なものか。こういうことは腹にしまっておくのが礼儀というものだろう。
自分の想像と違っていたのが来て、お嬢様はご機嫌斜めなようだ。斜めになりたいのは縁の方である。いくら金のためとはいえ、これの相手は正直しんどい。
が、父親は娘の態度を諫めるどころか、逆に機嫌を取るように、
「白い馬はそこらにいるが、こんな見事な白い髪は滅多にないぞ。みんなに自慢できるじゃないか」
こんな風に親が甘やかすから、こんな禄でもない娘が出来上がるのだ。父親にとってはどんな娘でも世界一可愛いのかもしれないが、縁から見たらそれほど可愛くもない。これが世界一なら、巴は宇宙一だ。
それ以前に、この父親も縁を何だと思っているのか。“みんなに自慢できる”なんて、縁は流行の犬猫ではない。
本当に、親も親なら子も子である。この武器商人から見れば、縁は吹けば飛ぶような存在かもしれないが、この扱いは彼も怒っていいはずだ。ここで怒らなかったら、怒るところが無くなってしまう。
「………帰る」
ふざけるなと怒鳴りつけたいのを堪えて低い声で言うと、縁は踵を返した。
「ちょっ……待ってくれ!」
父親が慌てて縁を追いかける。そして縁の肩を抱くようにして小声で説得を始めた。
「ああでも言わんと、娘が納得せんのだよ。可愛い娘に妙な虫を付けたくない親の気持ちは解るだろ? な?」
どうやら縁は、親の意に添わぬ男を寄せ付けないための番犬として呼ばれたらしい。あんな娘なら、放っておいても男の方から逃げていくと思うのだが。
それに、男避けなら婆やでも付けておけば事足りる。番犬が大事な娘を襲う可能性を考えていないのだろうか。まあ、あんな娘をどうこうしようと思うほど、縁も勇者ではないが。
縁が黙っているのを隙が出来たと勘違いしたのか、父親は饒舌になる。
「侍女や婆やでは嫌がるんだ。自分を守ってくれる白馬の王子様ってやつに憧れているらしい。そういう年頃なんだろう。だから一寸だけそういうのに付き合ってくれないか? 仕事の出来次第で報酬も弾むし、私の知り合いも紹介しよう。この世界でやっていくつもりなら、君にとっても悪い話だと思うがね。どうだ?」
「………………」
金は勿論欲しい。人脈だって、この国で生きていくには命綱のようなものだ。この男の知り合いというのなら、かなりの大物揃いのはずである。彼らが縁の後ろ盾になってくれるというのなら、前途洋々だ。
しかし―――――縁は娘をちらりと振り返る。
相変わらずの不機嫌顔で、これの相手は前途多難のようだ。あの我が儘そうな娘の相手をして苦難の日々を送るか、父親の紹介に賭けて人生一発逆転を狙うか。
「失礼だが、君のような男が成功する機会は、今しかないように思うが。私以外に誰が君なんぞを拾うかね?」
黙り込んでいると、今度は父親は高圧的に出てきた。
悔しいが、それは彼の言う通りである。どこの馬の骨とも判らない外国人を自分たちの仲間に入れるほど、この国の人間は優しくはない。
「………紹介の話、本当だろうな?」
相手の目を睨み付けるようにして、縁は念を押すように尋ねる。
父親は怯むことなく、気持ち悪いほどの作り笑顔で、
「当然じゃないか。男の約束だ」
「………………」
この国の人間は身内との約束は命懸けで守るようだが、それ以外は平気で裏切る。この父親が縁の身内ならこれほど強い味方はいないのだが、今の関係ではいつ裏切られるか分かったものではない。
縁の不信感を察したのか、父親は思い切った提案をした。
「それなら親子の杯を交わそう。それで私と君は親子同然だ」
娘の遊び相手に対するのにしては必死すぎる。余程なり手がいないのか、ほかに何か企みがあるのか。
しかし親子の杯は重い。これをやって約束を反故にしたら、この世界での信用は完全に無くなってしまう。
そこまでするというのなら、あの娘の相手も我慢できよう。いつか成り上がったときに仕返ししてやると思えば、多少のことは見逃せる気がした。
「分かった」
快諾とはとてもいえないが、縁は承知した。
お嬢様の名前はといい、歳は十五になったばかりなのだそうだ。日本人のような名前なのは、若い頃に馴染みだった日本人ダンサーから取ったものらしい。もしかしたら父親は、本当はそのダンサーと結婚したかったのかもしれない。
初対面で禄でもない娘だということは承知していたが、実際に一緒に過ごしてみると、思った以上に最悪だった。自分の思い通りにならないとすぐに不機嫌になるし、若い侍女を怒鳴りつけるのは当たり前。この国の女の悪い部分を凝縮したような性格だ。どうやったらこんな娘に育ちあがるのか、生産者である父親に訊いてみたい。
そもそも父親が娘のご機嫌を窺っているような状態だから駄目なのだ。そんなことをするから、自然と使用人たちもを中心に動くようになる。周りがそうだからの勘違いが更に激しくなり、もう完全にこの屋敷の女帝だ。
この調子だと行き着く先は西太后だな、などと考えながら観察していると、が話しかけてきた。
「ねえ、あんたのその髪って、生まれつきなの?」
「違う」
男女問わず、若白髪に触れるのは失礼極まりないというのに、はずけずけと訊いてくる。“失礼”の基準を教えられていないのか、縁が舐められているのか。
の表情を見ていると、後者のようだ。実に当たり前のように縁を見下している。お嬢様と使用人なのだから仕方の無いことだが、このあからさまな見下し感は勘に障る。
「じゃあ、どうしてそんな頭になったの? 染めてるわけじゃないんでしょ?」
「言いたくない」
こんな女に自分の過去は話したくない。縁は横を向いて拒絶した。
縁の反応に、は大袈裟に驚いた表情をした。上海屈指の武器商人の父親にすら逆らわれたことが無いのに、使用人如きが逆らうとは想像もしていなかったのだろう。
「あら、どうして? どうしてそんな頭になったのか、誰だって興味があるじゃない。ねえ?」
は側にいる侍女に同意を求める。
「え? ええ……まあ………」
困惑した表情を浮かべながら、侍女は躊躇いがちに頷いた。縁に悪いと思っていても、この家の女帝には逆らえないのだろう。
我が意を得たりとばかりに、は得意顔になる。
「ほら、みんな気になってるのよ。言いなさい」
侍女一人に訊いただけで、何が“みんな”だ。しかも侍女は明らかに義理で同意しているではないか。自分の意見を全体の意見にすり替えるなんて、女の駄目なところを煮染めたような性格だ。
答えたくはないが、これ以上拒否し続けていても話が長くなるだけだろう。この女は退くということを知らないのだ。
「心労だ」
渋々ながら縁はそれだけ答えた。
「心労って?」
が興味津々に身を乗り出す。
きっとの頭の中では波瀾万丈の物語が作られているのだろう。確かに縁の人生は波瀾万丈なものだが、それは他人に話すようなものではない。特にこの女のような、他人の不幸話を娯楽か何かと勘違いしているような人間には。
「別に何でもいいだろ」
「えー、何でぇ?」
は完全に縁に身の上話を娯楽と思っている。自分が何不自由無い生活をしているから、“不幸”というものがどういうものなのか知りたいのだろう。
「話したくない」
「えー、つまんなーい」
そうすれば縁が折れると思っているのか、はぷうっと膨れる。そんな顔をされても、縁は余計に苛つくのだが。
本当に、この女は他人の神経を逆なでする才能に恵まれすぎている。そのことに本人が全く気付いていないのだから性質が悪い。
縁がむっつりと黙り込んだままなのを見て、やっとどうやっても話す気が無いと解ったのか、は話題を変えてきた。
「じゃあ、代わりに何か面白い話をしてよ。今日はお出かけも無いから退屈なのよね〜」
面白い話と言われても、縁にそんな持ちネタがあるはずもない。お嬢様の相手というから、ひたすら相手の話に頷いていればいいと思っていたのに、こっちが話を提供する側だったとは。
それなら話し上手な人間を雇えばよかっただろうに、どうして縁に白羽の矢が立ったのか。あの父親の考えが解らない。
「そんなものは無い」
考えても無駄だから縁は即答した。
「………つまんない男」
完全に失望したらしく、は吐き捨てるように呟いた。
「お父様はどうしてあんたみたいなのを雇ったのかしら」
それは縁の方が訊きたい。彼の性格も外見も、の要望から大きく外れているようではないか。
も気に入らない、縁も彼女の相手は無理となったら、この話は不成立である。それならそれでさっさと御破算にした方がお互いのためだ。
「じゃあ、お父様に言って、別の男を連れてきてもらえ」
の口から断れば、流石に父親も諦めるだろう。あてにしていた収入が無くなるのは痛いが、自分の精神衛生の方が大事だ。
が、意外にもは拒否した。
「駄目よ! パーティーに間に合わなくなっちゃう」
どうやら縁はパーティーの席でをエスコートする役もしなければならないらしい。だから“白馬の王子様”でなければならないのかと納得した。
におもしろい話を提供するのも無理だが、パーティーでのエスコートも難しい。ああいう人の多い席は苦手だ。
「そういうのは一寸………」
「あんた、よく見たら顔だけは合格点だから、多少のことは大目に見てあげる。ちゃんとエスコートしてよね」
どこまでも上から目線である。縁が辞めないように頼み込むという発想は無いらしい。
ここまで傍若無人に振る舞えたら、人生は楽だろう。本当に、どうやったらこんな人間が出来上がるのか、縁は一度じっくりとの父親と話したくなった。
今回の主人公さんはとことん上から目線です。縁、苦労するなあ……。
まあ“夢見るお嬢様”なところもあるみたいなんで、頑張って“白馬の王子様”ならぬ“白髪の王子様”になっていただきたい。頑張れ、縁!