子供時間、最後の恋人。
人の少なそうな時間を見計らって出たものの、やはり元旦の神社は混雑している。これだけ人がいて、それぞれに願い事をするのだから、聞く神様は大変だ。神道の神様は耶蘇の神様のように全知全能というわけではないらしいから、みんなの願いを聞き入れるのは難しいだろう。そうなると氏子優先されるから、初詣にしか来ないの願いは後回しにされそうだ。賽銭ははずんでいるのだから、どうにか割り込みができるといいのだが。こんな賑やかな神社にいると、初めて斎藤と二人で行った祭りのことを思い出す。屯所近くの小さな神社だったが、あの頃なりに精一杯お洒落して行ったものだ。
あの時は林檎飴を食べたり、金魚掬いをしたり、今思うと特別なことは何もしてなかったが、今までで一番楽しい祭りだった。斎藤が意外と金魚掬いが下手だったことも、射的で特賞の景品を貰ったことも、今となっては大切な思い出だ。
一もいつか、そういう人と祭りに行く日が来るのだろう。どんな相手と行くのか楽しみであり、心配でもある。
が斎藤に出会ったのは、丁度一くらいの歳だった。一はまだ子供だけれど、女の子の成長はあっという間だ。そろそろ「好きな人ができた」と告白される日を覚悟しておかなければならないのかもしれない。
親になって分かったのは、やはり“娘の相手”についての心配だ。はまだ女親だから、恋する娘の気持ちに理解を示せそうな気がするが、血の繋がらない山崎は本当に寿命の縮まる思いだっただろう。何か間違いがあってはとか、とにかく先々のいらぬ心配ばかりしていたように思う。
あの頃は心配性だと思っていたが、可愛い娘を何処の馬の骨とも判らぬ男に掻っ攫われるのは、確かに男親には愉快なものではない。素性が知れている斎藤ですら面白くないようだった。
そう思うとも、いつか一が好きな人を連れてきた時、山崎のように面白くない気持ちで一杯になるのだろうか。山崎のようにあからさまなイビリはしないと思いたいが、こればかりは実際に相手を見なければ何とも言えない。
「お母さん、金魚掬いやりたい!」
一が元気一杯に金魚救いの屋台を指差す。櫛でも簪でもなく金魚掬いをねだるところは、まだ子供だ。これがいつか装飾品になった時、は慌てることになるのだろう。
「うちには金魚鉢が無いでしょ」
「丼に飼えばいいじゃない。金魚は上から見るのが通なんだって」
が窘めても、一は聞く気配が無い。
そもそも「金魚は上から見るのが通」なんて、何処から仕入れた知識なのだろう。の知らないところで、一はどうでもいい知識を仕入れてきているようだ。少しずつ親の知らない世界を広げていって、最終的には親離れしていくのだろう。一の成長が嬉しい反面、いつか自分の手の届かないものになるのかと思うと、親としては寂しくなる。
けれどもそうやって大人になったのだ。山崎に秘密を作ったり、彼より大切な人ができたり、それが当たり前のことだとしても、あまりいい娘ではなかったのかも知れない。
「金魚を飼うのはいいけど、ちゃんと世話できる?」
「水換えと餌やりだけだもん。できるよ」
の確認にも、一は強気だ。よほど金魚が欲しいのだろう。
「じゃあ、ちゃんと面倒を見るのよ」
もう一度念を押して、は金魚掬いの屋台に向かった。
一は全く掬えなかったが、は赤い和金と黒い出目金を掬うことができた。赤と黒の金魚を白い器に入れたらきっと映えるだろう。
しかし姿に特徴のある出目金はともかくとして、色のついた小魚のような和金は、上から見ても面白くも何ともない。一は上から見るのが通だと言っていたが、やはり金魚鉢を買った方がいいような気がした。
「やっぱり金魚鉢、買った方がいいかしらねぇ」
たかが金魚で予想外の出費になりそうで、は自然と憂鬱な声になる。
が、一は能天気なもので、
「大丈夫よ。お巡りさんが昔住んでいた家では、大きな瓶に飼ってたんだって。深めの容器に水草を入れてやっとけばいいって言ってた」
金魚を上から見るのが通だとか、金魚鉢でなくてもいいと教えたのは、一のちょっかいをかけている警官だったのか。子供好きな警官なのだろうと思いたいが、一は同い年の子よりも体が大きいから、変な下心があるのではないかと、は疑ってしまう。
何より、一が警官と親しくなるのが気に食わない。警察なんて、警視総監を頂点とした薩摩の巣窟ではないか。十年も前に終わったことと言われるかも知れないが、山崎と斎藤を奪われたの恨みは一生消えない。
「警官は私たちの敵だって言ったでしょ!」
思いの外、強い口調で言ってしまったらしく、一は萎縮した。
「だって、いい人そうだったし………。会津の人だって言ってたし、お母さんも会えばきっと―――――」
「会津から警官なんて、裏切り者じゃないの。余計信用できないわ」
会津藩が最後の最後まで抵抗したことは、も知っている。従軍した外国人の話によると、幕府側で最も勇敢に戦っていたのだそうだ。その中には斎藤もいただろう。
そうやって戦って、戦後は貧しい土地に流され、新政府にさんざん痛めつけられたのに、それでも政府の犬に成り下がるなんて、には信じられない。
「そんなことないよ!」
今度は一が強い口調で反論した。
「警察には会津の人も結構いるって。もう戦争は終わったんだよ。新しい世の中になったんだから、みんなで新しい国を作らなきゃいけないって、お巡りさんも言ってたし」
一の反論に、は驚いた。少し前まではが強くいったらしゅんとなっていたのに、一体どうしたことだろう。これが“成長”というものなのか、例の警官に言い含められているのか、には判断がつかない。
どちらにしても、一の反撃には戸惑うばかりだ。親子といえど別人格で、子は親の思い通りにならないことは頭では解っているが、新政府への感情は共有できていると信じていたのに。
「お母さんもあのお巡りさんに会ったら分かるよ」
の動揺に気付いていないのか、一は笑顔で言った。
斎藤と再会するまでは母一人子一人寄り添って生きていくのだと思っていたけれど、いつの間にやら一には一の世界ができていたらしい。これからどんどん自分の世界を広げていって、いつかの手の届かないところへ行ってしまうのだろう。一の反論を受けて、はしみじみと思った。
御一新前のことを、一は全く知らない。新政府の下での日本が当たり前のもので、その中で一の価値観は作られていく。がどんなに話して聞かせても、それを止めることはできないのだろう。
「新しい世の中になったんだから、みんなで新しい国を作らなきゃいけない」と、例の警官は言ったらしい。会津の人だというその警官は、どんな思いでそう言ったのだろう。には想像もつかない。それとも想像もつかないの方がおかしいのだろうか。
それまで黙っていた一が、何かに気付いたように顔を上げた。
「あっ、お巡りさんだ!」
「え?」
が止める間もなく、一が駆け出した。
一が駆け寄ったのは、背の高い痩せた男だ。顔はよく見えないが、あまり若くはないらしい。会津戦争に従軍していたのなら、三十路は超えているだろう。
新政府の犬とはいえ、娘が世話になっているのだから、母親として挨拶をしておくべきか。あの警官が一に何を吹き込んでいるかも気になる。
少々躊躇ったが、は二人に近付く。
「………え?」
警官の顔がはっきりと見えた瞬間、は全身の血が凍り付く思いがした。
“似てる”どころの騒ぎではない。髪を切り、少し老けたが、間違いなくあれは斎藤だ。
「斎藤さん!」
が一番馴染んでいた名前が口をついて出た。
夫婦ではあったけれど、“二郎さん”と呼んでいた期間はごく僅かなものだった。の中の夫は、改名後の“山口二郎”ではなく、“斎藤一”だ。
男もその声に驚いて、を見た。
「………?」
やはり斎藤だ。斎藤が例の警官だったなんて。
山崎も土方も近藤も非業の死を遂げて、斎藤自身も悲惨だったという会津戦争を生き抜いたのに、どうして警官なんかになったのだろう。新政府に関わらない仕事なんて、いくらでもあったはずなのに。
そんなことより、斎藤は一が自分の娘であることを気付いているのだろうか。娘だと気付いて近付いたのか、知らずに近付いたのか。迷信じみたことを言うつもりはないが、二人の血が引き寄せたのだろうか。
斎藤もも、互いを凝視したまま動かない。再会できたら、こんなことを言おう、あんなことを言おうと考えていたのに、言葉が出てこない。
斎藤も突然のの出現に驚いただろうが、それはも同じだ。しかも警官だなんて。会津戦争でひどい目に遭わされて、それでも薩摩の巣窟に仕官するなんて、一体何があったのだろう。には訳が分からない。
「どうしたの? 知り合いなの?」
一はわざとらしいほど明るい声で尋ねる。子供ながらに異様な雰囲気を察しているのだろう。
「え……ええ、そう………。知ってる人、よ」
斎藤を凝視したまま、引き攣った声で答えるのが、今のには精一杯だった。
金魚は上から見るのが通だと吉川晃司が言ってたけど、そうなの? 吉川晃司、生きた魚は捌けるけど、金魚が死んだらマジ泣きするんだそうです。その話聞いて一寸好きになった(笑)。
まあそんなわけで初詣。殆ど主人公さんの思い出話になりましたな。そして、子を持って初めて解る親心。一ちゃんの今後が心配だ(笑)。
ある在日米人の話によると「日本人は勇敢と聞いたが、新政府の前に会津藩のほかは臆病そのもの」だったとか。「千人の部下がいれば、この国を支配してみせる」とも。一方的すぎて斎藤も大変だったんだろうな。
次回はやっと主人公さんと斎藤が絡めそうです。良かった……。