どうか神さま、私を忘れないで。

 引っ越し続きで地元の祭りには参加したことの無いだが、何処にいても初詣だけは欠かさないようにしてる。この時だけは、土地の神様にお願いを聞いてもらおうというわけだ。
 困った時の神頼み、というのは図々しいと思ってはいる。日頃は不信心なくせに、こういう時だけ頼んで聞いてもらえるものだろうか。今まで斎藤が見つからないところをみると、聞いてもらえていないのかもしれない。一応、賽銭ははずんでいるのだが。
 斎藤がもうこの世にいない、ということだけはあり得ないと思う。きっと何処かで生きているはずだ。新選組時代にあんなに死線を潜り抜けてきたのだから、殺されたって死ぬわけがない。
 ただ、生きていたとして、違う誰かと新しい家庭を持っていないか、それだけが不安だ。あれから十年が過ぎてしまったのだ。





 斎藤たちが京都を離れて暫くして、も京都から避難した。新選組の関係者だと知られたら、捕らえられて拷問を受けるかもしれないから逃げるよう、周りから強く勧められたからだ。
 斎藤と連絡を取ることが難しくなって、京都を離れることだけはどうしても避けたかった。それでも逃げることを選んだのは、妊娠を知ったからだ。
 子供を産んで、世の中が落ち着いたら、また京都に戻ればいいと考えていた。周りもそう言ってくれたし、落ち着いたら元の生活に戻れると、も軽く考えていた。その時は。
 けれど予想以上に世情は悪化していき、いつの間にやら新選組は、“逆賊”にされていた。もう二度と京都には戻れないと思った時に、山崎の死と近藤の処刑を立て続けに知り、もう何もかも終わりだと思った。あの状況で一を無事に産めたのは、今でも奇跡だったと思う。
 頼る家族もいない中で、初めてのお産を一人でこなし、手探りで赤ん坊の世話をして、本当にあの頃の自分は良くやったと褒めてやりたい。
 娘は父親に似るというけれど、一も斎藤に似ていると思う。性格まで似たらどうしようかと思ったが、そこは素直に育ってくれた。斎藤が見たら、いい子に育ったと言ってくれるだろう。
 いつか斎藤に再会した時、一番に一を見せたい。斉藤は子供ができたことを知らずに京都を離れたから、きっと驚くだろう。いきなりこんな大きな子供の“お父さん”というのは少し不安だが、親子なのだからきっと大丈夫だと思う。何しろ一は斎藤に似ているのだ。自分に似た娘が可愛くないわけがない。
 ただ、一が懐いてくれるかが気になるところだ。斎藤は付き合ってみれば優しい男なのだが、とにかく顔が恐い。も最初の頃は、話しかけるのを躊躇ったほどである。一が“お父さん”をどんな風に想像しているか分からないが、いきなり斎藤を「お父さんよ」なんて紹介したら、びっくりするかもしれない。





 まあ、そんな想像も、斎藤が今も独り身であることが前提なのだが。もしも斎藤に新しい家庭があったら、も一も厄介な存在になる。
 斎藤が誰かと新しい家庭を持っているなんて想像したくないが、十年という月日は何が起こっても不思議はない。可能性としては十分にあり得ることだ。
 戦争から帰ってきて、待っているはずの妻が消えていたら、関わりを恐れて逃げたと思うのが自然だろう。実際、は逃げたのだ。腹にいた一を守るためとはいえ、戦っている斎藤たちを見捨てたと言われても仕方がない。
 逃げた妻を忘れるため、そして新しい人生をやり直すために、斎藤が再婚していたとしても、には何も言えない。もし、斎藤との再会を果たして、そんな現実が待っていたとしたら、は静かに身を引く覚悟はしている。
 けれど、やはり斎藤には今でも独り身でいてほしい。が斎藤を捜し続けているように、斎藤にもを捜していてほしい。
 一年に満たなかったけれど、と斎藤は確かに夫婦だったのだ。「何があってもずっと一緒だ」と斎藤は言ってくれた。どんなに離れても、二人は夫婦であり続けると信じたい。
「お母さん、初詣、何時から行くの?」
 襖が開いて、寝起きの一が出てきた。今日ばかりは一人で起きられたらしい。
「それより、新年のご挨拶でしょ」
 は穏やかに窘める。
 そういえばも一くらいの頃、こうやって山崎に言われていたことを思い出した。親子とはいえ、変なところは似るものだ。
 一は面倒臭そうに正座して、頭を下げる。
「明けましておめでとうございます」
「はい、おめでとうございます」
 も頭を下げた。
 きっと一は、毎日顔を合わせているのにわざわざ新年の挨拶をするなんて、変だと思っているのだろう。も子供の頃はそう思っていた。新年の挨拶が一つの区切りのようなものだったと思うようになったのは、いつからだっただろう。
 挨拶周りをする親類のいない一にとって、新年の挨拶をする相手はだけだ。維新が無ければ、一にも賑やかな正月を迎えさせてやることもできたのだろうが。
 あの頃は大勢の人間がいて、それは毎日賑やかなものだった。新選組の羽振りが良かった頃は、料亭を借り上げて宴会をしたものだ。芸者や酒の楽しさはには解らなかったが、みんなが楽しそうだったから、楽しかった。
 一にはあんな豪勢な正月を味あわせてやることはできないが、せめて楽しい正月にしてやりたい。賑やかなところに連れて行って、出店で何か買って、あの頃ののように「楽しかった思い出」にしてやりたい。
「御節を食べたら、行きましょうね」
 この辺りには大きな神社があるらしい。いろいろな店が出て、それは賑やかなことだろう。一には、いつもと違う華やかな着物を着せて、目一杯楽しませてやろう。
 は微笑んで立ち上がった。





 正月だからとが出したのは、桜色の綺麗な振り袖だった。若い頃に、父親代わりの人が作ってくれたものらしい。
 御一新の前は羽振りのいい生活をしていたことは一も知っていたが、にもこんな着物を着ていた時代があったというのが想像できない。
「まだ一寸大きいかと思ったけど、そうでもなかったわね」
 帯を締めながら、は華やいだ声で言う。
「お母さんがお嫁入りの時に着たものだけど、一はお父さんに似て背が高いから」
 はよく、一のことを「お父さんに似ている」と言う。目が似ているとか、仕草が似ているとか、まるで何かを確認しているかのようだ。会ったことの無い“父親”を、一にも身近に感じてほしいのかもしれない。
 しかし言われる一には、少々複雑だ。父親がどんな顔だったが知らないが、男のようだと言われているような気分になる。父親に似た娘というのは、には嬉しいものなのかもしれないが、娘本人には微妙なものなのだ。
「お嫁入りは、黒い着物じゃなかったの?」
 一が想像する花嫁姿は、黒の大振袖に角隠しだ。これは良い着物だとは思うが、花嫁衣裳らしくはない。
 は懐かしげに小さく微笑んで、
「あの頃は用意する時間も無かったの。一日も早く一緒に暮らさないと、明日はどうなるか判らない時代だったから」
 一には想像もつかないが、若い頃は随分と物騒な世の中だったようである。それにしたって、嫁入りの準備もできなかったというのは、ただ事ではない。羽振りの良い生活をしていたというなら尚更だ。
 一の疑問に気付いたのか、はくすっと笑って、
「お父さんと一緒になるのは、なかなか許してもらえなくてねぇ。やっと許してもらって、大急ぎで一緒になったのよ」
「………それって、許してもらえないような人だったの?」
 婚礼の準備もできないくらいギリギリまで許してもらえなかったなんて、父親はよほど難ありの人物だったとしか思えない。人に恨まれているとか、警官には捜してもらえないとか、曰くありげな人物だとは一も思っていたが、御一新の前からその調子となると、何が良くて結婚したのか不思議になってきた。
「そんなことはないと思うけど………。普通の人と一緒になってほしい親心、ってやつだったのかしらね。お父さんは普通とは一寸違ってたから………」
「………………」
 やっぱり一には、父親のどこが良かったのか理解できない。十年も捜しているのだから、にとっては魅力のある男だったのかもしれないが、反対した周囲の意見が正しかったのではないかとさえ思えてくる。実際、父親はすぐに行方不明になったのだ。
 けれどは、そんな男を十年も想い続けている。相手はもう死んでしまったかもしれないのに。生きていたとしても、もうのことなど忘れてしまっているかもしれないのに。
 ずっと心の中にしまっていたことを、一は思い切って口にしてみた。
「もし、お父さんが私たちのことを忘れてたら、どうする?」
 帯を締めていたの手が止まった。もまた、同じことを考えたことがあったのだろう。
 いくら信じているとはいえ、その可能性が頭をよぎらないわけがない。この十年、その可能性を何度も打ち消してきたのだろう。それを娘の口から突きつけられて、動揺しないわけがない。
 長い沈黙の後、は再び手を動かしながら言った。
「そんなことないわ。忘れるなんて、絶対無い」
 一に答えるのではなく、自分に言い聞かせているかのようだ。何か、強いまじないのようにも聞こえた。
<あとがき>
 初詣の準備だけで終わってしまった……。次回は初詣編です。
 それにしても主人公さん、苦労してたんだねぇ(ほろり)。早く斎藤に会わせてあげて、家族揃った生活をさせてあげたいものです。
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