そのうち、どこかが、目的地。

 幼い頃から、一は一つの場所に住み続けたことが無い。長くて三年、短い時は半年も住めなかった。が、父親らしい人を見た、という話を聞きつけると、その土地に引っ越してしまうせいだ。
 日本各地を旅する生活というのは貴重な経験で、人によっては羨ましいと言われるかもしれないが、一にはいい迷惑だ。友達はできないし、引っ越しと転職の繰り返しで、生活はカツカツなのだ。
 一としては、見ず知らずの父親を捜すより、何処かに定住したい。生死の判らぬ父親にしがみつき続けるのではなく、そろそろ新しい生活に目を向けてほしい。明治ももう十年が過ぎたのだ。
「ねえ、お母さん」
 朝食を食べながら、一は思い切って話を切り出してみる。ゆっくりと話せる時間なんて、家で食事している時くらいしかないのだ。
「何?」
「お巡りさんに、お父さんを捜してもらうのって、どうかな?」
「え………?」
 の顔が、さっと強張った。
「この前知り合ったお巡りさんがね、会津戦争のことを知ってるんだって。だからお父さんのことも―――――」
「駄目っ! 警察なんて、新政府の犬なのよ!」
 がもの凄い剣幕で反対した。こんなに血相を変えるなんて、少し異常だ。
 戦争が終わってすぐなら、幕府についていたというだけで捕らえられることがあったのかもしれない。けれど、もう明治も十年が過ぎたのだ。函館で最後まで戦った榎本武揚が政府に取り立てられたくらいである。今更会津藩の残党を捕らえるはずがない。
「今更そんなことしないよ。あのお巡りさんだって、そんなこと―――――」
「お父さんを恨んでる人は、今もきっと沢山いるわ。だから、巡査なんか信用しちゃ駄目」
 一が反論しようとしても、は聞く耳を持たない。どんな人間かなど関係なく、役人というだけで信用できないらしい。
 御一新の頃、はとても苦労したらしい。父親の関係で、一時は官軍から逃げ回っていたと聞いたこともある。そのころの苦労を思えば、巡査なんか信用できない気持ちも理解できる。けれど、あの巡査だけは違うと、一は思うのだ。
 それより、十年経っても許されないなんて、父親は何をやったのだろう。幕臣で偉くなった者は何人もいる。会津藩主も赦されて、嫡男は華族になった。彼らが許されて、一の父親が許されない道理は無い。
 一は、父親のことを殆ど知らない。知っているのは、剣術がとても強かったことと、会津戦争で戦ったらしいということだけだ。もう少し大人になったら全てを話すと、は言っていた。今はまだ話せないようなことをしていたのだろうか。
 自分の父親が悪人だったら嫌だなと一は思うが、の様子では“悪人”とは違うような気がする。悪人だったら、十年も捜し続けたりはしないだろう。けれど、今も恨んでいる人がいるというのなら、あまり良いことはしていなかったのかもしれない。当時は正しかったことでも、今では悪いことになってしまうことがあるのは、一も理解している。
 一はそれ以上何も言わず、食事を再開させた。





 人助けというわけではないが、斎藤も“山口一”なる人物について調査してみることにした。警視庁にも会津出身の者はいる。そっち方面の聞き込みだ。
 しかし、もう十年も昔のこと。ただでさえ記憶が薄れている上に、混乱していたあの戦場では、親しい相手でもない限り覚えてはいない。“山口一”という名前も、当時は使っていなかったかもしれないのだ。人生の区切りに名前を変えることは、よくある。
 手がかりが名前だけというのも、人捜しには困難だ。せめて外見の特徴や、所属が分かればいいのだが。
 次に一に会う時には、何か良い情報を持って行ってやりたいと思っていたが、この調子では無理なようだ。分かりきっていたことだが、残念である。
「よう」
 公園で一の姿を見つけ、斎藤は声をかけた。
「あ………」
 長椅子に座っていた一が立ち上がった。
「お父さんのこと、何か分かりましたか?」
「それなんだがなあ………」
 斎藤は長椅子に座る。一もその隣に座った。
「名前だけじゃ、どうにもならん。他に何かないか? どんな人だったとか、どの辺りの出身とか」
 がっかりするかと思ったが、一は残念がる風でもない。斎藤の捜査には期待していなかったのだろう。
 十年も前に生き別れた、生きているかも死んでいるかも判らない人間を、名前だけで捜すのは無理なことくらい、子供にだって解る。
 一は黙って首を振った。
「だよなあ………」
 相手は自分が生まれる前にいなくなった男である。一が知るわけがない。
「お母さんは、お巡りさんに捜してもらうのは嫌みたいで、何も話してくれないし………」
「ふーん………」
 自力で捜したいのか、警官が関わるのは都合が悪いと思っているのか。警官を嫌がるというのは、もしかしたら父親はお尋ね者なのかもしれない。
 犯罪者だとしたら、面倒なことだ。警官が犯罪者家族と親しくするわけにはいかない。
「もう一度確認するが、本当に親父さんは会津戦争に行ったのか?」
 子供相手に単刀直入には言えない。斎藤は遠回しに訊いてみた。
 一は不思議そうな顔をしたが、斎藤が本当に訊きたいことには気付かなかったらしい。気を悪くするようでもなく、素直に答える。
「それは間違いないです。剣術がとても強かったらしくて、だから死んだりしないって、お母さんが。でも―――――」
 一はそのまま黙り込む。言って良いものか迷っているようだ。母親に口止めされているのかもしれない。
 これ以上聞き出すべきか、斎藤も迷うところだ。子供相手であるから、強く押せば喋るだろう。しかしそれは母親に秘密を作らせるということで、幼い一には辛い思いをさせるかもしれない。
 子供は苦手だが、わざわざ嫌な思いをさせるほど積極的に嫌っているわけではないのだ。本人が話したくないなら、斎藤もこれ以上深入りする必要は無いだろう。
 斎藤も黙っていると、一が思い切ったように尋ねた。
「あの戦争で恨まれてる人って、今でも見つかったら捕まるんですか?」
「え?」
 予想外の質問である。驚きながらも何と答えようかと考える斎藤に、一は堰を切ったように話し始めた。
「お母さんが、お父さんは沢山の人に恨まれているから、お巡りさんに頼んだら捕まるって。悪いことをしたわけじゃなくて、徳川の味方をしただけなのに。十年も前のことだし、徳川の人間も偉くなってるし、今更捕まるなんて無いですよね?」
 母親が何と言ったか知らないが、一の口調は切羽詰まっている。
 戦後すぐなら、残党狩りはあった。けれど今は、警察の中にも会津出身者がいるくらいだ。西南戦争の時は会津出身者の部隊が活躍し、昔よりは風当たりも弱くなった。一の母親が心配するようなことは何も無い。
 恨まれているというのなら、斎藤も相当恨まれているだろう。新撰組だった頃も、それが瓦解した後も、沢山の人間を斬ってきた。そんな彼も、名前を変えて警官として生きている。
「今更そんなことはしない」
「そうですよね。よかった〜」
 一はほっと胸を撫で下ろす。父親が捕まるかもしれないと思って、斎藤に話したことを悔やんでいたのだろう。
 安心させるように、斎藤は付け足した。
「俺もあの戦争では、会津側だった。それでも警察官をやってるんだ」
「そう……だったんですか」
 一は、まじまじと斎藤を見る。そうやって凝視されるとと、斎藤は何故か照れてしまった。
 珍しいものを見るような一の目は、何故かを思い出させる。目の形は全く似ていないのだが、好奇心を隠そうともしない強い目の輝きは、と同じものだ。この年頃の少女というのは、そういうものなのだろう。
「じゃあ、お父さんと同じなんですね」
 一は嬉しそうに微笑む。父親と同じ境遇だった人間が新政府の中に溶け込んでいることで、希望が見えたのだろう。
「そうだな。人に恨まれてるのも同じだ」
 一の雰囲気が明るくなったのにつられて、斎藤も軽口を叩く。
 話を聞くほど、一の父親と斎藤は似ている。あの時代、こういう人間は珍しくなかったのだ。
「そういうことだから、お袋さんに言って安心させてやれ。手がかりを話す気になったら、また改めて捜そう」
「はい!」
 一は元気良く返事をする。初めて会った時は興味無さそうだったが、やはり父親の消息は気になるのだろう。あるいは、母親の願いを叶えてやりたいのか。
 何にしても、この東京に父親がいるのなら、一たちに会わせてやりたい。家族は揃って暮らすのが一番だと、“家族”というものに縁が薄かった斎藤は思う。
 それに、一も大きくなったのだから、いつまでも各地を転々とする生活を続けるわけにもいくまい。そろそろ、何処かにしっかりと根を下ろした生活をしなければならない時期にきている。
 一の父親がどんな人間で、何処にいるのか判らないが、再会が良い結果になればいいと、斎藤は思う。そして、早く父親捜しの旅が終わることを願った。
<あとがき>
 私は一回しか引っ越ししたことないし、県外に住んだことも無いんだが、全然違う土地に住むっていうのはどんな感じなのかなあ。寅さんのような旅人的生活は一寸憧れます(そんな良いもんじゃねぇよ、と言われそうですが)。
 そういえば斎藤も、警官になるまでは旅人的生活だったんだよなあ。歳は離れ過ぎですが、旅人的生活経験者同士、二人は気が合うようです。
 でも、傍から見たら不審者だよね、斎藤(笑)。
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