巡り来る少女
時々、昔の夢を見る。不思議とその夢は、新選組三番隊組長として得意になっていた頃のものではなく、敗走して京を離れる頃の夢だ。夢の中では、女が泣いている。といって、まだ結婚して一年足らずの妻だった。あの頃はもう、十八になっていただろうか。人妻らしさよりも、娘時代の名残が強く残っていた。
待っているから、絶対帰ってきてね―――――その台詞のところで、斎藤は目を覚ましてしまう。そして、夢の中のかつての妻を思い出し、胸を痛めるのだ。
京を離れ、北へと敗走し、結局会津で終戦を迎えた。その後は会津藩士と共に斗南に流され、漸く許されたのは明治を何年も過ぎてからだ。
一部の会津藩士には、アメリカに渡って農業を始めた者もいたらしいが、斎藤は日本に残って各地を転々とした。勿論、を捜すためだ。
京都で待っているかと思いきや、反政府狩りを恐れて転居してしまったらしい。誰にも迷惑をかけぬよう、親しい人間にも行き先を告げなかったそうだ。
あの時代なら、が待てなかったのは仕方のないことだ。だからこちらから見付けようとしたのだが、結局は無理だった。あても無く一人の人間を見付けるなど、冷静に考えれば不可能なのだ。
そして今、会津時代の伝で、斎藤は警視庁に奉職している。仕事の内容は新選組時代とあまり変わらないが、かつての敵の組織に組み込まれてしまったのは奇妙な感じがする。これも時代の流れというものなのだろう。
今の斎藤の姿を見たら、はどんな顔をするだろう。相変わらずの仕事だと笑うか、時代に流されたと失望するか。
そうやって日々の生活に追われているうちに、のことを思い出すことは少なくなっていった。その代わり、忘れた頃に夢を見る。いつも泣いているのは、忘れようとしている斎藤を責めているのかもしれない。
けれど、行方知れずになった女を、今更どうしろというのか。ももう、斎藤のことは忘れて、新しい家庭を築いているかもしれないではないか。あれから十年が過ぎたのだ。
十年―――――言葉にすると短いが、人生を変えるには十分な時間だ。短い結婚生活も、子供がいなかったのも、今となっては幸いだ。きっとは、斎藤の知らない男と幸せに暮らしていることだろう。
泣いている夢を見るのは、こちらの未練なのだろう。女の「待っているから」を鵜呑みにするほど、斎藤も純情ではあるまいに。
「十年、か………」
寝返りうち、斎藤は呟く。
もう、というにも、まだ、というにも微妙な時間だ。しかし夢に見るということは、まだ斎藤の中では過去のものとして始末できていないのだろう。
それぞれ別の人生を送っているのだから、早く忘れてやるのがのためだ。そう言い聞かせて、斎藤は寝直した。
公園の長椅子でぼんやりするのが、警邏中のささやかな楽しみだ。署内にいたのでは、ぼんやりする暇も無い。
こう天気の良い日に、煙草をふかしながら無の境地に入るのは、気分が良いものだ。旨い珈琲でもあれば、最高なのだが。
と、目の前に影が入り込んで、長椅子が小さく軋んだ。
長椅子の端に、十歳前後の少女が座っていた。神谷道場の弥彦とかいう子供よりは年上の雰囲気だから、十歳は超えているかもしれない。
あまり裕福な家ではないのか、少女の身なりは質素なものだ。しかし清潔にはしているようである。
誰かを待っているのか、少女もまた、ぼんやりとしている。この年頃なら子供たちの輪に入って一緒に遊びそうなものだが、知ってる子供がいないのだろうか。
似てるな、と斎藤は思った。京都にいた頃、寺の境内で遊ぶ子供たちを眺めていた幼いの姿に、よく似ている。
ずっと大人の世界にいたは、子供の世界に入れずにいた。子供相手が得意な沖田は他所の子供の相手をしていて、そこで仕方なく相手をしていたのが斎藤だった。今思えば、あれが二人の始まりだったのだろう。
当時は若かったとはいえ、これくらいの歳の少女と遊んで、挙げ句に結婚までしてしまうとは、今考えると犯罪ではないだろうか。別に斎藤は“少女が好き”というわけではないのだが。
それにしても、本当によく似ている。顔立ちは違うが、雰囲気というか佇まいというか、ぱっと見はあの頃のにそっくりだ。この年頃の少女というのは、皆こんな感じなのだろうか。
「………何ですか?」
少女が怪訝な顔で斎藤を見た。じろじろ見すぎていたらしい。
「あ、いや………」
斎藤は慌てて目を逸らす。
制服姿だったから良かったものの、私服だったら通報ものだ。年端もいかぬ少女をじろじろ眺める中年男など、ただの不審者である。
「その……あれだ、吸っていいか?」
場を誤魔化すために、斎藤は煙草を取り出した。さっきから吸ってるくせに、今更そんなことを訊くのもおかしいが、少女は特に不審に思わなかったらしい。黙って頷いた。
「ああ、うん………」
意味不明なことを呟きながら、斎藤は煙草に火を点ける。煙草を吐き出し、今度は気付かれないように注意深く斎藤を見た。
あの頃のは、十二歳だったか。親がいないせいか、周りの大人にやたらと甘えたがっていた。それが最初は鬱陶しかったのだが、懲りずに甘えてこられるうちに根負けして、いつの間にか好きになっていた。
あの当時のは、特別美少女だったというわけではない。隣にいる少女と同じく、ごく普通の容姿だった。成長するにつれて、可愛くなっていったと思う。この少女は切れ長の目で鼻筋が通っているから、可愛いというよりは、美人に育つだろう。
一寸声をかけてみようか、と考えてみる。断じて不埒な気持ちがあるのではなく、“怪しい警官”から“優しい警官”に昇格するためだ。斎藤は別に、少女が好きというわけではない。
「………遊ばないのか?」
様子を窺いながら、斎藤は声をかけてみる。
「母を迎えに行かなきゃいけませんから………」
無視されるかと思ったが、意外と普通に答えてくれた。視線を微妙に逸らしているのは、警戒しているからなのか。
「へぇ……親の迎えとは、偉いな」
「別に……買い物の荷物持ちをしないといけないから………」
「お手伝いか。ますます偉いな」
「お母さん、立ち仕事で疲れてるし………。二人きりの家族だから、私が助けてあげなきゃって………」
“母”から“お母さん”に変わったところを見ると、多少は気を許してきたらしい。褒めたのが良かったのか、制服の威力か。視線を合わせてくれないのは、相変わらずだが。
「親父さんはいないのか………」
「多分、死んだと思いますよ」
初対面の人間が相手だというのに、驚くほど冷たい口調である。関係無い斎藤が鳥肌が立つほどだから、よほど禄でなしの父親だったのか。
失敗したと後悔している斎藤に気付かないのか、少女は言葉を続ける。
「会津戦争に行ったきり、今日まで音沙汰無しなんだから、死んだんでしょ。お母さんも諦めればいいのに」
「諦める?」
“会津戦争”という言葉に、斎藤はどきりとした。
「待ってるんです、お父さんが帰ってくるの。お父さんを見たって話を聞いたら、すぐに飛んで行っちゃう。だから私、三年以上同じところに住んだこと無いんです」
「そりゃ大変だな」
煙草を足で揉み消し、斎藤は潰れた吸い殻に視線を落とす。
この少女の母親は、生きているか死んでいるか判らない夫を捜し続けているのか。子供がいるとはいえ、十年も諦めきれないというのは、よほどいい男だったのだろう。消えた男以上の男が現れれば、女はあっさりと前の男のことは忘れるものだ。
はどうだろう。は、斎藤を忘れられる男に出会ったのだろうか。それともこの少女の母親のように、どこかで斎藤を待ち続けているのか。
子供がいたら、もしかしたら待ってくれていたかもしれない。しかしあの時、二人の間に子供は無かった。
「………戦死の知らせが無ければ、生きてるかもしれない。あったとしても………」
あの戦争は悲惨なものだったが、生き残りはいた。斎藤もその一人だ。自分のことがにどう伝わったか知らないが、確かに斎藤は生きている。
「ま、どっちでもいいですよ。合ったことも無い人ですし」
少女の口調は他人事だ。会ったことも無い父親なら、見ず知らずの他人と同じなのだろう。
「会ったことも無い人、か………」
少女の言葉を呟いて、斎藤は少し寂しい気分になった。
少女が生まれる前に別れたのなら、父親は彼女のことを知らないかもしれない。父親が生きていたとしても、見ず知らずの他人として擦れ違っている可能性もある。けれど互いに知らぬ者同士なら、それっきりだ。
「あっ!」
時計台を見て、少女は声を上げた。
「もう行かなきゃ」
「なあ」
立ち去ろうとする少女に、斎藤は尋ねる。
「あんたと親父さんの名前、教えてくれないか? 会津にいた奴なら、もしかしたら知っているかもしれない」
少女は少し考える。が、制服で信用したのか、すぐに答えた。
「山口一。お父さんも同じ名前です」
「………………」
懐かしい名前に、斎藤は言葉を失った。姓も名もそれぞれありふれているが、その組み合わせは昔の斎藤と同姓同名だ。
斎藤の変化に気付いて、少女は首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「いや……良い名前だな」
平静を装いたかったが、あまりうまくいかなかった。無関係とはいえ、昔の名前と同じ人間だなんて、心臓に悪い。
少女はにっこり笑って、
「お父さんのこと、何か判ったら教えてください。知らない人だけど、お母さんに会わせてあげたいし。私、大体この時間にいますから」
そう言うと、一は駆けていった。
「山口一か………」
一の後ろ姿を見送って、斎藤は煙草に火を点ける。
奇妙な偶然があったものである。会津戦争も、“山口一”の名も、遠い昔の名前だと思っていたら、こんな形で目の前に現れるとは。
子供は苦手だが、あの少女にはまた会いたい。できることなら、母親にも会ってみたいものだ。
「お母さん!」
菓子屋の裏口から出てきた女に向かって、一は声を張り上げた。
女はまだ三十路前のような外見だ。一とはあまり似ていない。
「お店まで来てくれなくてもよかったのに」
口ではそう言いながら、母親は嬉しそうだ。ただでさえ親子の時間は少ないのだから、少しでも一緒にいられるのは嬉しいのだろう。
「だって、擦れ違いになるかもしれないでしょ?」
「大丈夫よ。通る道は決まってるんだから」
「私が来たいからいいの!」
一は強く言い張る。
いつも話したいことはあるけれど、今日は特に沢山ある。公園で会った警官のことや、もしかしたら父親の手がかりを掴めるかもしれないこと。話したらきっと、母親は喜んでくれるだろう。
二人で帰ろうとしていると、中から菓子屋の主人が顔を出した」
「さん、これ、持って帰りなさい。形が崩れて店に出せないものだけど」
そう言って、母親に紙袋を手渡す。一が迎えに行くと、いつもこうやって菓子をくれるのだ。
「いつもすみません。ほら、一も」
は深々と頭を下げる。一も一緒に頭を下げた。
金は無くても、行く先々でこうやって親切にしてくれる人がいる。父親がいなくても、一は何も不自由は感じない。
だから一は父親に会ってみたいと思ったことは無いけれど、あの警官が捜してくれるというのなら、捜してもらおうかな、と一寸思った。父親が見つかって、それがまともな男なら、少しは生活が楽になる。ももう苦労しなくて済む。
今度あの警官に会ったら、お願いしてみよう。と並んで歩きながら、一は決めた。
以前書いた『あなたに似た人』をシリーズとして書きなおしてみました。出会いはあえて変えてみた(笑)。
最初に書いた時は、結末は読み手任せにしたのですが、家族を再会させてほしいという感想をいくつか頂きましたので、今回はハッピーエンドの予定です。っていうか、ドリームの基本はハッピーエンドですよね。
一応、10話前後で完結させる予定です。タイトル通り、おっさんと少女の話が中心になるかと思いますが、お付き合いください。