おとなもこどももおねーさんも
近頃、銀座のパン屋で発売された“あんぱん”なるものが話題になっている。パンの中に餡子が入っているそうで、洋風の饅頭のようなものらしい。連日行列ができるほどの大盛況ぶりだと、新聞にも書いてあった。明治に入ってからというもの、肉食だのパンだの、これまで日本人が口にしたことのない奇妙な食べ物を見聞きすることが増えた。西洋に追いつけとばかりに国は西洋食を推し出しているが、奇妙な食べ物に奇妙な行儀作法は一般庶民にはなかなか馴染まない。手本となるべき政府要人ですら、自宅に近代的な台所をあつらえたものの、日常の食事は和食で通していると聞く。西洋料理というものは日本人にとって、相当な忍耐を強いるものなのだろう。
そんな中での“あんぱん”の大人気ぶりは、衝撃的な事件だった。斎藤も戦時中にパンを食べたことがあるが、何だかボソボソして奇妙な食べ物だと思った記憶がある。しかし“あんぱん”というのは従来のパンとは違い米麹を使っていて、酒の風味のする甘いパンなのだそうだ。しかも時間が経っても固くならないらしい。
話を聞くと斎藤が知っているパンとは随分違うようだが、一体どんなものなのだろうか。西洋食にも甘いものにも興味はないが、“あんぱん”というものには興味がわいてきた。
というわけで、休日の朝から斎藤は銀座に赴いたのであるが、まだ開店間もないというのに件のパン屋には行列ができていた。一日に一万五千個を売り上げたこともあるというのは、誇張ではなかったらしい。
饅頭みたいなパンにこんな行列ができるなんて呆れたものであるが、その一部になっている斎藤が言えたことではない。こんな行列ができるほどのパンならば、何が何でも食わなければならないような気がしてきた。
それにしても―――――と斎藤は辺りを見回す。
暫く見ないうちに、銀座も様変わりしたものである。お雇い外国人の設計によるレンガ造りの建物が並び、日本とは思えない風景だ。斎藤が目指すパン屋も、レンガ造りの建物の中にある。
こんな中に立っていると、自分も文明開化に染まったような気分になって、何だか妙な感じだ。この雰囲気に煽られて、とりあえず“あんぱん”を食わねばならぬと並んでいる者もいるかもしれない。それくらい、この辺りの雰囲気は西洋風なのだ。
「あら、警部補も“あんぱん”を買いに来たんですか?」
開化気分に浸っていると、同じ署で小間使いをしているに声をかけられた。パン屋の袋を持っていて、どうやら彼女も“あんぱん”を買いに来たらしい。
「………ああ」
別に疾しいことをしているわけではないが、非番の日に職員に会うのはどうも具合が悪い。しかも“あんぱん”の行列に並んでいる最中である。大の男がパンを買うのに並ぶなんて、見た目の良いものではない。
質問には答えのだからさっさと帰ればいいものを、は更に話しかける。
「何か意外ですねぇ。警部補って、こういうのには興味が無いと思ってました」
「別に興味があるわけじゃない」
こんな行列に並んでおいて興味が無いとは無理があるが、興味津々と思われるのも何となく癪である。
斎藤の答えに、は可笑しそうに笑って、
「その割には行列に並ぶんですね。あ、この辺りだと一時間近く待ちますよ。お店に並んでるのが売り切れたら、追加分が焼き上がるまで待たなきゃいけないですし」
「そんなにか!」
行列を見て待たされるのは覚悟していたが、そんなに待たされるとは予想外である。しかし驚いているのは斎藤だけのようで、周りは平然としたものだ。“あんぱん”を買いに来た者にとっては、そんなことは大したことではないのだろう。
たかがパンに大の大人が一時間も並ぶなんて、世の中は暇人ばかりのようだ。あいにく、斎藤はそこまで暇ではない。
待ち時間を聞いたら、せっかくの開化気分も萎んでしまった。がっかりしている斎藤に、は慰めるように、
「よかったら一個お分けしましょうか? 余分に買いましたし」
「………いいのか?」
散々待たされて買ったであろう“あんぱん”を分けてくれるとは、菩薩のような女である。光の加減だろうが、後光が差しているようにも見えてきた。
「日保ちするから、いつもまとめて買うんです。そういう人、多いみたいですよ」
「なるほど………」
だから一日一万五千個も売れるのかと、斎藤は納得した。しかしまとめ買いの客のせいでこんなに待たされるのなら、個数制限を設けてほしいものである。
「じゃあ、遠慮なく分けてもらうことにしよう」
というわけで、店に入ることなく“あんぱん”を手に入れることができたわけであるが、の話によると店の中はまるで西洋のパン屋のようであるらしい。それを見るのを楽しみにしている者もいるという。西洋のパン屋というものがどんなものか斎藤には想像もつかないけれど、とにかく凄いのだろう。話のタネに一寸見ておきたい気もしたが、まあいい。
初めて手にする“あんぱん”は、酒饅頭のようにふわふわしている。斎藤が食べた兵糧パンとは別物のようだ。
「何だか饅頭みたいだな」
手触りを確かめるようにパンを揉みながら、斎藤は独り言のように呟く。もっと洒落たものを想像していたのに地味な見た目で、こんなもののために並んでいたのかと思うと複雑な気分だ。
「私はお饅頭より好きですよ。何となくお洒落だし」
「そうか?」
こんな茶色い饅頭もどきのどこがお洒落なのか、斎藤にはさっぱり解らない。こんなものがお洒落なら、色鮮やかな細工菓子はお洒落大王である。まあ若い女というものは流行りのものは何でもお洒落に見えるらしいから、こんな地味な見た目でもパンだというだけでお洒落に思えるのかもしれない。
ひょっとして味がお洒落なのかもしれないと、斎藤は袋を開けて一口食べてみる。噂通りかすかに酒の香りがするような気がしたが、風変りな酒饅頭のようだという感想しか思いつかなかった。どうやら斎藤には“お洒落”を理解する心は無いようだ。
「それに、パンを食べると頭が良くなるらしいですよ。脚気も治るらしいですし、凄いですよね」
どこで言い含められたのか知らないが、はすっかりパン信者のようである。脚気が治るというのは新聞記事にもなっていたが、頭が良くなるというのは初耳である。こんなものを食べて頭が良くなるなら、誰も苦労はしないと斎藤は思うのだが。そもそも、そんな戯言を信じている時点で、パン信者のの頭はそれほど良くなってはいないだろう。
しかし、こういうものは携帯には便利である。日保ちもするというし、張り込みに持って行くには良いかもしれない。
「まあ、頭が良くなるかは別にして、中身を変えれば弁当代わりに良いかもしれん」
「餡子の代わりにお惣菜を入れたら良いかもしれないですね。あ、これ売れるかも!」
はこの案をいたく気に入ったらしく、はしゃいだ声を上げた。
こう賛同されると、言ってみた斎藤も名案のような気がしてきた。パンは西洋の米のようなものだから、握り飯のような具を入れても問題ないのではないだろうか。そうすれば、“あんぱん”のようなおやつではなく、立派な食事になる。
これは世紀の大発明かもしれない。惣菜が入ったパンなど、まだどこも売り出していないのだ。
「“あんぱん”より大儲けが出来そうだな」
“あんぱん”はあれだけ売れているのだから、それ以上となると材料費を引いてもとんでもない額になる。警官よりもいい商売だ。
洒落たレンガ造りの建物の中でパンを作る自分の姿を想像すると妙な感じだが、入ってくる金を想像すると斎藤は楽しくなってきた。こんな一攫千金の案が思い浮かぶなんて、パンを食べて頭が良くなったのかもしれない。
「じゃあ、パン職人の修業をしないといけないですね。四〜五年はかかるらしいですけど、頑張ってくださいね。私、絶対買いに行きますから」
「そんなにかかるのか?!」
無邪気なの言葉に、斎藤はいきなり奈落の底に突き落とされたような気分になった。
考えてみれば、料理人の修業だって年単位である。前人未到のパンを作ろうと思ったら、四〜五年はかかるのも当然だ。しかしそんなにかかるとなると、順調に開業に漕ぎ着けたとしても斎藤は四十になってしまう。やはり一攫千金というのは簡単にはいかない。
「パンと作るというのは大変なんだなあ………」
こんな饅頭のようなものでも、技術を習得するのに何年もかかる。西洋のものというのは、日常の食べ物にも凄い技術が詰め込まれているらしい。西洋人というのは、日本人よりも遥かに賢いようだ。
これはの言う通り、パンを食べたら頭が良くなるのかもしれないと、斎藤は一寸思った。
私が子供の頃、「頭が良くなる○○パン」っていう看板があったのですが、今もあるのかなあ。
あんパンは明治七年に木村屋が売り出したのが初めてだそうで、当時はガチで一日に一万五千個売り上げていたようです。ちょっとした社会現象ですね。明治八年に宮内省御用達になったので、明治十一年にはもっと売れていたかもしれません。
ところであんパンって、地方によって月餅のようなものがあったり、カステラ生地のものがあったりするようで、思ったより奥の深い世界のようです。