剣術なんて大嫌い
御一新で生活が良くなった者もいる一方で、悪くなった者もいる。家では、御一新なんて偉い人が何かやっている程度の出来事で、劇的な変化は無かった。せいぜい、が断髪して、自転車を乗り回すようになったくらいである。けれど打撃を受けた者にとっての御一新は、人生をひっくり返されるほどの大打撃だったようだ。武士は失業し、剣術道場もいつの間にか別の建物に変わっていることが増えた。使用人が集金に行ったら、夜逃げした後だったということもあった。
時流で淘汰される商売があるのは仕方がない、と思うのは、が生き残った側だからだろう。もし御一新と共に禁酒例が出されでもしていたら、そんな暢気なことは言ってはいられない。
実際、日本各地で食い詰めた士族が反乱を起こしているし、この前も九州で大きな戦争があった。政府が勝って反乱も収まるかと思っていたが、未だに小さなものは起こっている。政府要人が不平士族に襲われる事件も起こっているし、治安はまだ安定しそうにない。
それに比べれば小さなことではあるが、最近の父親を悩ませているのは、食い詰め剣士のタカリだ。撃剣会をやるので寄付しろだの、番付表を買えだの、何だかんだ言って金を取ろうとするのだ。断ると、試合を見せてやると称して店先で暴れるものだから、本当に始末に負えない。客がいれば怪我をさせるわけにはいかないから、結局幾ばくかの金を握らせて帰しているのが現状だ。
ああいう輩がいるのは新聞で知っていたが、まさか自分の店に来るとは思わなかった。警察に言って見回りを強化してもらおうかとも考えたが、残念ながらあまりあてになりそうもない。こちらも剣士を雇って備えようという案も出たが、まともな人間かどうかを見極めないと、余計にややこしいことにもなりかねない。
どうしたものかと頭を悩ませながらが自転車を漕いでいると、男たちの怒声が聞こえてきた。声の出所は『屋』である。また剣士崩れが金をタカリに来たのだ。
は店の前に自転車を止めると、大声で稽古気の男たちを怒鳴りつけた。
「またタカリに来たの?! うちはもう一銭も出しませんから!」
の声に、男たちが振り返る。
どいつもこいつも無駄に体格が良いから怯んでしまいそうになるが、それを悟られたら負けてしまう。は自分を奮い立たせるように男たちを睨みつけた。
纏め役らしい男が、にやにやと笑いながらに近付く。
「タカリとは人聞きの悪い。これは協力のお願いですよ」
男の慇懃な口調が腹立たしい。“協力”なんて言いながら、無理矢理金を出させるのがいつもの手ではないか。
「うちは剣術なんて興味無いって、いつも言ってるでしょ! 今日という今日は、店先で暴れてもお金は出しませんから!」
「これ、………」
父親がおろおろしながら止めに入ろうとする。娘の身に何かあってはと危惧しているのだろうが、そういうことだから不逞の輩につけ込まれるのだと、は思う。一度屈したら、こういう輩は何度でもやってくるようになるのだ。
男は相変わらず小馬鹿にするようににやにやしている。こんな威勢の良いことを言っても、一寸脅せばすぐに金を出すと思っているのだろう。
「それは残念。お嬢さんは剣術をまともに見たことがないようだ。どんなものか、此処でお見せしましょう」
金を出さなければ此処で暴れるぞ、と脅しているらしい。白熱しすぎたとか言って、店の物を壊すのが見え見えだ。客だって怯えて寄りつかなくなるし、立派な営業妨害宣言である。
それくらいなら、と小銭を握らせて帰したくなる店主たちの気持ちは、も解る。けれどそうやって餌付けをするから、こうやって何度も来るようになるのだ。ここは何が何でも金を出さないという姿勢を貫くのが大事だ。
「私は剣術なんて大嫌いです。あんなもの、廃れて当然よ」
剣術をやっている全ての人間がこんな輩だとは思わないけれど、こういう輩がいるからは剣術が嫌いだ。これでは恐喝のために剣術をやっているようなものではないか。
「何だと?!」
取り巻きたちがに突っかかろうとするのを、纏め役の男が制する。一応女が相手であるから、なるべく手荒なことは避けようとしているのだろう。に手を出して警察沙汰になったら、“寄付”どころではなくなってしまう。
纏め役の男は駄々っ子を相手にするかのように溜め息をついて、
「最近は無条件に西洋のものが良いという風潮が蔓延っているようだが、お嬢さんもその一人のようだ。何とも嘆かわしい」
これではまるで、がおかしいような言い方である。おかしいのは明らかに相手なのだが。
「人を脅してお金を巻き上げるなんて、剣術なんて無くなった方が清々するわ! 廃れさせてるのは私じゃなくて、あなたたちよ!」
「このっ………! 女だと思って大人しくしてりゃ、いい気になりやがって!」
若い男が、に向かって木刀を振り上げた。脅しに決まっているが、は思わず身を固くしてぎゅっと目をつぶる。
「はい、そこまで」
突然、聞き覚えのある男の声がした。そっと目を開けると、そこには男の木刀の先を掴んだ比古がいた。男の腕に力が入っているように見える割には、片手で軽く受けている。
「女相手に大人げ無い奴だなあ」
いきなり比古が割って入ってきたことにはも驚いたが、木刀を受けられた男はもっと驚いたようだ。
「このっ………!」
男は木刀を振り回そうとするが、比古がしっかりと握っているせいでびくともしない。男も剣術をやっているくらいだから腕力はありそうなものなのだが、比古はそれを遙かに上回っているらしい。
以前から熊みたいな男だと思っていたが、腕力も熊並みとは思わなかった。ここまでくると、流石のも引いてしまう。
「何だ、弱っちいくせに意気がってんじゃねぇよ」
心底呆れたように言うと同時に、比古は木刀を放した。反動で、男が勢いよく後ろに倒れる。
「弱い者虐めは趣味じゃないが、せっかくだからお前らの剣術とやらを見せてもらおうか」
そう言うと、比古は外套を軽くめくって腰の日本刀を見せた。その途端、男たちの顔色が変わる。
男たちもだが、もこれには顔を青くした。廃刀令が発布されて随分経つというのに、まだ帯刀している者がいるとは。此処で騒ぎを起こされたら、比古も逮捕されてしまう。山暮らしで世情に疎い人だからというのは通用しないだろう。
比古のことは別にしても、店先で真剣を振り回されるのは非常に困る。は慌てて比古と男たちの間に割って入った。
「とにかく、うちは剣術なんて興味ありませんから! 番付もいりませんし、寄付もしません! かえってください」
全力で拒絶するの言葉も、男たちには助け船だったようだ。一斉にほっとした顔をした。いくら何でも真剣を相手にするほど馬鹿ではなかったらしい。
纏め役らしい男が再び厳めしい顔を作り、偉そうに胸を張った。
「まあ、興味のない方に無理強いをするわけにはいきませんからな。では、失礼」
「いやあ、お陰様で助かりました。近頃はああいう輩が増えましてな。頭を痛めとったんですよ」
金を取られずに厄介者を追い返せて、父親は上機嫌だ。比古を座敷に上げて、酒と食事まで出している始末である。
ああいう輩にはいつも困らされていたから、父親が比古に感謝するのはにも解る。今日のことで、暫くはああいう輩も店には寄りつかないだろう。
しかし、刀をちらつかせて追い返したのは如何なものかと、は思うのだ。幸い、今日は大人しく引き下がったから良かったものの、もし男たちが挑みかかってきたらどうするつもりだったのか。第一、帯刀は法律違反である。
「今日はこれで済んだけど、もしあいつらがかかってきたらどうするつもりだったの?」
「別に。俺は勝てる相手にしか喧嘩は売らねぇし」
が怒っても、比古は平然としている。
態度も言い種も、本当にふざけている。お近が「比古様は本当に強い人」と言っていたくらいだから、多分強いのだろうとは思うが、何人もいる相手を挑発するのはやりすぎだ。きっといつもの自惚れなのだろう。
だからは、剣術をやっている輩が嫌いなのだ。乱暴者だし自信過剰だし、おまけに他人に迷惑をかけるしで、良いところなんて一つも無い。だから文明開化の世の中に取り残されることになるのだ。
「大体ね、何で刀なんて差してるのよ。廃刀令知らないの?」
「お前こそ、女子の断髪禁止令知らないのか?」
「………………っ!」
まさかそこを突っ込まれるとは思わなかった。山暮らしのくせに妙なことには詳しい男である。
確かに女子の断髪禁止令は出ているが、それと廃刀令は別だ。女が短髪にしていても誰かに迷惑をかけるわけでもないし、あれは頭の固い男の寝言みたいなものだろう。治安維持のための廃刀令とは違う。
「わっ、私のことは関係無いでしょ!」
「同じだろ。あれだぞ、最近じゃ、西洋人の間で簪が流行ってるらしいぜ? お前も髪伸ばしたらどう?」
「うるさい! 私はこれでいいの!」
本当に、余計なことは知っている男である。そう言うところが本当に苛々する。
欧米の婦人の間で簪が流行っていることくらい、だって知っている。けれど、髪が短い方が手入れが楽なのだ。この楽さを知ってしまったら、今更伸ばすなんてできない。
それに今から伸ばしたら、比古に言われて伸ばし始めたみたいではないか。そう思われるのが嫌だから、尚更伸ばしたくない。
「女は髪が長いのが一番だと思うんだがなあ。何なら俺が簪を見立ててやろうか?」
比古がしみじみと言う。すると父親まで一緒になって、
「新津さんもこう仰ってるんだ。お前もいつまでもそんな頭してないで、普通にしなさい」
の髪は短いだけで、そんな奇抜なものではない。大体、“普通”とは何なのか。長い髪が良いというのは、好みの問題だろう。
はむっつりとして、
「それならお近さんに買ってあげたら? あんなに熱心に通ってくれてる人だもの。喜ぶんじゃないの?」
髪の長い女と言われて、すぐに思いついたのがお近だった。髪は長いし、比古を好いてくれているのだから、彼女にこそ買ってやればいいのである。
お近の名前が出たのは予想外だったようで、比古は一寸驚いた顔をした。
「お近は関係無いだろ」
「だって、あんなに熱心に通ってくれてるじゃない。簪の一本くらい買ってあげても罰は当たらないでしょ」
「新津さん、そんな方がいらっしゃったんですか?!」
お近の存在を知って、父親が身を乗り出して食いついてきた。
父親にしてみれば、比古は娘婿と決めた男である。勝手に思い込んでいるだけなのだが、そんな彼に女の陰がちらついているとなったら黙ってはいられないに決まっている。
何も知らない比古は当然、父親の反応にびっくりである。そりゃあ彼にしてみれば、何をそんなに責めるように問われるのか、訳が分からないだろう。
「そんなもこんなも、遊びに来てるだけだよ。山歩きが好きなんだろうよ」
「ひどい! 何その言い方!」
あまりにも無神経な比古の言い種に、無関係なはずのが憤慨した。
あれだけ熱心に通って、あんなに好意を露わにしているのに、何が“山歩きが好き”だ。比古に“照れ隠し”なんて上等なものがあるわけがないから、きっと本気で言っているのだろう。あれで何も感じないなんて、鈍感なんてものじゃない。
さっきの男たちもそうだが、剣術をやってる男というのは人間性に問題があるのかもしれない。そういう奴らがやってるものなら、廃れるのも当然だ。
お近には悪いが、こんな男が良いなんて、男を見る目が無さすぎる。もっとまともな男は他にもいるだろうに、何でよりにもよって比古なのか。には理解できない。
「何カリカリしてんだよ? 腹減ってんのか?」
比古も比古で、の怒りの理由が解らないらしい。それがまた苛立たしくて、は我がことのように腹が立った。
一瞬、フラグが立ったような気がしたんですが、気のせいだったようです(笑)。
師匠、このシリーズでは定期的に町に出てきてるような気がします。そんなんだったら、わざわざ配達させないで自分で買いに行けばいいのにねぇ……って、それを言ったらこの話が成立しなくなるわけですが(笑)。