恋のから騒ぎ

 長すぎる粘土弄りの期間を経て、やっと窯入れにこぎ付いた。これが焼き上がれば、比古との縁も切れる―――――はずだったのだが………。
「………………」
 焼き上がった茶碗を見て、は絶句した。
 窯に入れる前は何の問題も無かったはずなのに、何故か真ん中に大きな皹が入っていたのだ。試しに水を入れてみると、じんわりと染み出してくる。これでは茶碗として使えない。
「よくあることだ。ま、気にすんな」
 比古は軽く言ってくれるけれど、やはりは落ち込んでしまう。
 何が悪かったのか、には全く判らない。窯の温度が良くなかったのだろうか。しかし比古の作品には割れているものが一つも無いのだ。狙ったようにのだけが割れているなんて、何かの陰謀としか思えない。
 しかし窯に入れたのは他でもない自身であるし、周りにあった器は割れていないのだから、比古が何か細工をしたというのは考えられない。純粋にの茶碗に何かあったということなのだろう。
「何で私のだけ割れてるのよ! おかしいじゃない!」
 八つ当たりなのは解っているが、それでも言わずにはいられない。
「初心者にはよくあることだし、俺ほどの腕前でもたまにある。こればっかりは運だな」
 の抗議も、比古は右から左である。こういうことは当たり前すぎて、いちいち取り合っていられないということか。
 比古の態度で、皹割れは珍しいことではないということは解った。だからといってには何の慰めにもならないが。
 皹割れた茶碗をじっと見る。運で決まるというのなら、いくら作ってもこの茶碗のようになってしまうというのもあり得るわけだ。そう思ったら、いつまでも茶碗が完成しないような気がしてきた。
「次の窯入れまでに沢山作っときゃ、どれか一つくらいは当たるんじゃねぇの?」
 他人事だと思って、比古は気楽なものである。こういう時は先生らしく、助言をしたり慰めたりするべきだと思うのだが。
 前々から本人には教えるつもりは無いようであるし、比古の性格からいって助言だの慰めだの期待できるわけがない。そう思ったら、も落ち込んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
 落ち込んでいても、皹が塞がるわけではないのである。それならば比古の言う通り、一つでも多く器を作っておくのが建設的だ。
 気を取り直して、は粘土の準備を始めた。





 気候が良いせいか、轆轤の回りも良いような気がする。庭を吹き抜ける風も心地良い。外で何かをするには絶好の季節だ。
 比古も今日は魚釣りに出ている。こういう日には陶芸などやってられないのだそうだ。この前は夕飯の調達のためだと言っていたが、やっぱりぶらぶらしているだけではないかとは思う。
 こんな良い天気であれば、仕事なんかしていられないという気持ちは解る。比古のような自由人なら尚更だろう。こういう生活をしたいがために山籠もり生活をしているのではないかとさえ思えてくる。
「今日も精が出るわねぇ」
 が轆轤を回していると、お近が声をかけてきた。彼女も休みの度に山歩きとは、精が出るものである。
「新津さんなら、川で魚釣りしてますよ」
 轆轤を回しながらが言う。
 お近の目的は比古なのだ。あんな男のどこが良いのかと思うが、こうやって山奥にまで通ってくるのだから、には解らない魅力があるのだろう。
 しかし残念なことに、比古はそれほどお近に関心を持っていないらしい。せっかく妙齢の女が通ってきてくれているのだから応えてやればいいのにとは思うが、こればかりは部外者には口出しできないことだ。
「あなた、いつもほったらかしにされてるみたいだけど、本当に比古様に習ってるの?」
 お近が来る時は大体は一人だから、不思議に思われるのは尤もだ。も本当に比古に習っているのか疑問に思っているところである。
「一応そういうことになってますけど………。でも殆ど本で勉強してるから、本が先生かも」
「じゃあ此処に来る意味無いんじゃない? 何しに来てるの?」
 何だかよく分からないが、お近の口調が少しきつくなった。
 何しに来てるの、と言われても、も困ってしまう。自身も何しに来ているか分からない時があるくらいなのだ。強いて言えば、父親に言われているから、だろうか。
 は轆轤を止め、真剣に考える。
 お近のことを毎回山歩きに精を出していると思っていたが、だって似たようなものだ。しかもの方が通っている頻度が高い。端から見れば、熱心に比古に会いに行っているように見えているかもしれない。
 そのことに気付いて、ははっとした。ひょっとしてお近は、を恋敵と思っているのではあるまいか。そう考えれば、やたらと様子を窺っている感じも、一寸きつい口調も理解できた。
「違いますから! そういうのじゃありませんから!」
 は慌てて否定する。お近と争うなんてとんでもない。こちらからお願いして引き取ってもらいたいくらいなのだ。
 お近はというと、まだ疑わしげな目をしている。口で否定したところで、実際は足繁く通っているのだから当然だ。
 こういう状況には慣れていないから、は非常に気まずい。できることなら逃げ出したいくらいだ。
 この状況を何とかしなければと必死に考えていると、比古が魚釣りから戻ってきた。
「何だ、お前も来てたのか」
 とお近の間の空気は緊迫しているというのに、比古の声は暢気なものだ。こういう空気には鈍感なのだろう。
「まあ、比古様!」
 比古を見た途端、お近を取り巻く空気がぱあっと明るくなる。声まで華やいで、恋する女というのは変わり身が早い。
「お魚、何か釣れました? 今日はお酒をお持ちしましたのよ。一緒に飲みましょう」
 一目散に比古に駆け寄ると、お近は小娘のようにはしゃいだ声を上げる。比古とはなかなか会えないから、姿を見るだけでも嬉しいのだろう。
 そういう姿を見ると、比古も応えてやればいいのに、とは思う。こういうことは一方の気持ちだけではどうしようもないことだが、こんなに好きでいてくれるのだから、少しは応えてやるのも礼儀というものだ。
 お近は手土産まで持参してくれているというのに、比古の態度は素っ気ないように見える。そうするとお近はますますはしゃいだ声を上げて、には訳が分からない。素っ気なくされるとますます燃える女もいるらしいから、お近もそういう女なのかもしれない。
 まあ、男女のことは部外者には解らないものである。ひょっとしたら比古もああ見えて嬉しいのかもしれない。
「おい、お前も一緒にどうだ?」
 比古が当たり前のようにを誘う。
 お近は比古と二人で飲むつもりで持ってきただろうに、がいては邪魔だろう。そういうところが本当に鈍感な男だ。
「私はまだ作業が残ってるから―――――」
「遠慮すんなって」
 せっかくが空気を読んだというのに、比古は強引である。こんな鈍感な男が相手だなんて、はお近が気の毒になってしまった。





 女側が明らかに男のことが好きなのに、男側が全く気付いていないという場合、部外者はどう立ち回ればいいのか、には見当が付かない。二人の邪魔にならないように小さくなっているのがせいぜいだ。
 囲炉裏を挟んで、比古とお近が並んで座っているのを観察する。お近は女房のように比古の世話をしていて、比古も当たり前のようにそれを受けている。から見れば、付き合いの長い恋人同士のようだ。
 比古はお近のことを何とも思っていないように言っていたけれど、本当なのだろうかと疑ってしまう。本当にどうでも良い相手だったら、こんな風に世話をさせないと思うのだ。はっきりさせるのが面倒だとか、もっと言えば、責任の無い気楽な関係でいたいのではないかと勘繰りたくなる。
 比古はそれで良いかもしれないが、本気で好きらしいお近はきちんとしてほしいだろう。無関係なだって、この状態を見せられてモヤモヤしているくらいなのだ。
「どうした、ぜんぜん食ってねぇじゃねぇか。腹でも痛いのか?」
 いきなり比古に話しかけられて、はぎょっとした。
「べ……別にそんなんじゃないから!」
 箸が進まないのは、目の前の二人が気になっているせいだ。比古がもっとはっきりした態度を見せていれば、だって安心して魚に集中できるのである。
 しかし考えてみれば、全くの部外者であるが二人の関係に気を揉むのもおかしな話だ。二人がどうなろうと、には関係無いではないか。
 否、比古とお近が付き合うことがあれば、は父親のおかしな妄想から解放されるのだ。これほどありがたいことはない。早く二人にきちんと付き合ってもらいたいと思っている。
 けれどこうやってお近が比古の世話をしているところを見ていると、何故かの胸はモヤモヤしてしまうのだ。好きなはずの川魚も、何となく喉を通らない。
 きっと、お近のことが心配なのだろうと、は思う。こんな男のために女のいい時期を無駄に費やすのは、同じ女として可哀想だ。きちんとする気があるのか無いのか、比古ははっきりさせるべきだろう。比古の態度がはっきりしたら、だって安心するのだ。
 差し出がましいようだけど、お近が帰ったら比古を問いつめてみようか。しかしが口出ししたことでお近の立場が悪くなるようでは困る。けれどこのままの状態では、もモヤモヤするし―――――
 楽しそうなお近と、何だかよく解らない態度の比古をチラチラ見ながら、は一人で苦悩するのだった。
<あとがき>
 主人公さん、お近さんと師匠の関係が気になって仕方がないようです。そんなことより自分の心配をした方が良いんじゃ……。
 まあ、目の前でいちゃいちゃ(?)されたら、嫌でも気になりますよね(笑)。主人公さんの言う通り、師匠ははっきりさせるべきだと思うよ。
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