ああ言えばこう言う

 月に何度も山登りをしているせいか、脚が逞しくなったような気がする。太股も脹ら脛も以前より硬くなっているようだ。
 自転車は下半身を鍛えると聞くけれど、これはいくら何でも鍛えすぎだ。このままいくと、比古のようになってしまうのではないかと心配になってきた。
 変な外套に隠れて今まで気付かなかったが、比古はとんでもない筋肉の持ち主だ。いくら剣術家だったとはいえ、あれは異常である。きっと、山篭もり生活であんな身体になってしまったのだろう。
 貧相よりは筋肉がある身体が良いに決まっているが、あそこまでとなると引いてしまう。男でも引いてしまうのだから、女のが筋肉ダルマになったらと思うとぞっとする。
「そんな簡単に筋肉は付かねぇよ」
 には深刻な悩みだというのに、比古は可笑しそうに笑い飛ばした。
「だって、脚がカチカチになってるのよ。ムキムキになったらどうしてくれるのよ!」
「そりゃ肉が引き締まっただけだ。お前、よっぽどダルダルだったんだな」
「なっ………?!」
 あまりにも失礼な物言いに、は顔を真っ赤にする。“ぷにぷに”とか“ぷよぷよ”とか、言い方は他にもあるだろうに、よりにもよって何故それを選ぶのか。ダルダルなんて、よほどがだらしない体型をしているようではないか。
 比古に見せるつもりは無いが、の身体にダルダルなところなんて無い。腹も二の腕も“ぷにぷに”で収まる程度だ。
「そんなだらしない身体してませんから!」
「だらしない身体って、何か響きがやらしいな」
 は真剣に怒っているというのに、にやにや笑って茶化されてしまった。この男は、とまともに話す気など無いのだ。
 もう、話せば話すほど苛々してしまう。は憤然として、陶芸の準備に入った。
 と、その後ろ姿を見て、比古が思いついたように言う。
「そういや、ケツの形が良くなったんじゃね?」
「〜〜〜〜〜〜」
 珍しく褒めたと思ったら、これである。比古にそんなところを褒められても嬉しくも何ともない。というか、言ってることが助平親父だ。
 比古と話していると、想像していた“新津覚之進”からどんどん遠ざかってしまう。山に篭もっている陶芸家というのは、もっと高尚で、俗っぽいものを遠ざけた生活を送っていると思っていたのに。比古を見ていると、よりも俗まみれではないか。
 呆れてものが言えないに、よせばいいのに比古は得意げに提案する。
「ついでに粘土をこねて上半身も鍛えたらどうだ? 乳の形も良くな―――――」
「うるさいっ!」
 は粘土を引きちぎって、比古の顔に投げつけた。





 相変わらず比古は何も教えてくれないけれど、何となく器らしいものができた。ちょちょいというわけにはいかなかったが、やればできるものである。本屋で買った入門書のお陰だ。
 比古はというと、いつの間にやら何処かへ行ってしまったようだ。さっきまでその辺にいたはずなのに、姿が見えない。
 がいても姿が見えなくなるのは、いつものことだ。いつだったかは、近くの川で魚釣りをしていた。陶芸家というのは、想像していたより暇な職業らしい。
 比古が暇なのは結構だが(それで生計が成り立っているのか不思議だが)、がいる時くらいは気を遣って近くにいるべきだろう。教えることは無くても、のことは父親から「よろしくお願いします」と言われているのだ。もしが猪や野犬にでも襲われたらどうするのか。
「ねぇ、出来たんだけどー!」
 近くにいるかもしれないと、声を張り上げてみる。が、返事は無い。また魚釣りに行っているのか。
 川まで行くのは面倒だが、ここから先は比古に頼らないとどうしようもない。仕方なくは立ち上がった。





 川と畑に行ってみたが、比古の姿は無かった。狩りか薪拾いに行ったのだろうか。山に入られたら、も探しようが無い。
「もぉ………」
 腰に手を当てて、は腹立たしげに溜め息をついた。
 教える義理は無いと言っていたが、が来ているのだから、出かけるなら出かけるで一声かけるべきだろう。人と関わらない気ままな生活が長いとはいえ、これはひどい。そんなふうだから、町で生活できなくなったのだろうとさえ思えてくる。
「どうしようかなあ………」
 このまま比古が見つからなければ、はやることが無い。こんな山の中でぼんやりしていても仕方がないし、もう帰ろうかとも思う。
 が、帰ろうにも比古に一言言わないと、が遭難したと思うかもしれない。あの男がを心配するとは思えないが、父親との絡みもあるから、一応捜しはするだろう。
 それなら置き手紙をして帰るか。山小屋にも筆と紙くらいはあるだろう。
 そう考えて山小屋の方を見ると、一筋の煙がたなびいているのが見えた。
「………は?」
 あれは窯から出ているものだろう。散々うろうろして、あんなところにいたのか。
 陶芸家なのだから、窯にいるのは当たり前のことだ。しかし、何でそこにいるのかと、理不尽な怒りがこみ上げてきた。
「何なのよ、もう!」
 腹立たしげに吐き捨てると、は山小屋に向かって走り出した。





「何でそんなところにいるのよ?! 捜したじゃない!」
「は?」
 いきなりに怒鳴りつけられて、比古はきょとんとした。陶芸家が窯の前にいて怒られるのだから、当然である。
 は構わず怒鳴りつける。
「川にも畑にもいないし! 何処に行ってるかと思ったら―――――」
「一番に此処に来いよ」
 比古の声は冷静だ。に怒鳴られても何とも思わないのだろう。
「まさか此処にいるとは思わないでしょ!」
「陶芸家なんだから、此処にいるに決まってるだろ。何で川に行くんだよ?」
 比古の返しは尤もである。ただし、彼がまともな陶芸家だったら、だが。
 が此処に通うようになって結構経つが、比古がこうやって窯の前にいるのを見るのは初めてのことなのだ。此処にいるなんて、思いつきもしなかった。
「何よ、いつもブラブラしてるくせに」
「晩飯の調達をしてんだよ。お前と違って、家に帰ったら飯が出てくる身分じゃないんでね」
 そう言いながら、比古は窯の小窓を覗き込んで火の勢いを確認する。
「私だって、そんな身分じゃないし………。ご飯だって作ってるもん」
 家族の食事は母親が作ることが多いが、使用人に出す食事はも作っている。比古の想像するようなお嬢様生活ではないけれど、の声は言い訳するような弱々しいものになってしまう。
 比古は完全自給自足生活だから、店で買えば済むと違って、毎日自分で食料を調達しなければならないのだ。遊んでいるように見えて、しっかり生活のために働いているのである。ブラブラしていると決めつけて、一寸申し訳ない気がした。
 気ままなようで、山の生活は大変だ。自由を満喫するために不便な生活を引き受けているのだから、腹の据わった人間嫌いである。その辺は、も素直に感服した。
 一寸だけ見直したに気付いていないのか、比古は火力を強めながら独り言のように呟く。
「“もん”とか可愛ぶってんじゃねぇよ。気色悪ぃ」
 珍しく評価した直後に、これである。比古は聞こえていないと思っているようだが、不思議とこういうことはしっかり聞こえているのだ。
「………そういうことは、思ってても黙ってなさいよ」
「お前、耳良いな」
 が苛々しても、比古は何処吹く風だ。人と関わらない生活をしていると、言って良いことと悪いことの区別や、他人の感情に疎くなるものらしい。こういう人間になってはいけないという見本だ。
 本当に父親も梅も、比古の何処を見て“いい人”と言っているのか。二人の目が節穴なのか、限定で嫌な奴なのか悩ましいところだが、どっちにしても腹が立つ。
 こうなったら、一日も早く器を完成させて、この男と縁を切らなければ。
「器、出来たんだけど」
 比古を捜していたのは、これを伝えるためだったのだ。くだらない言い合いをしたいわけではないのである。
 比古は相変わらず関心無さそうに、
「へー、思ったより早かったじゃねぇか。あんな本でも役に立つもんだ」
 褒めているのか小馬鹿にしているのか微妙なところだが、まあいい。次の窯入れの時にの作品も入れてもらえれば、晴れてこの男から解放されるのだ。
「ま、あんたより役に立ってくれたみたいね。これで山登りから解放されるわあ」
 比古と月に何度も不毛な会話をしなくて済むのもそうだが、山登りから解放されることが何よりも嬉しい。比古は簡単に筋肉は付かないと言っていたが、このまま山登りを続けていればムキムキになるのは時間の問題だ。
 晴れ晴れとした顔のに、比古は意地悪くにやりと笑う。
「そう簡単にいけばいいけどな」
 あとは窯に入れるだけなのに、何を言っているのだろう。一寸引っかかったが、比古の根性の悪い言い方は今に始まったことではないから、は黙って聞き流した。
<あとがき>
 女性の筋肉は、上半身で男性の70%程度、下半身で85%程度しか付かないと言われているので、主人公さんが師匠のようになることはないと思うよ。師匠の筋肉の付き方も、プロテインを飲んでるか、ドーピングしてるとしか思えないんだけどね(笑)。
 この二人、そろそろ歩み寄らせないといけないんだけど、全く歩み寄る気配無し。師匠、少しは気を遣え!
戻る