陶芸修業、始めました

 訳の分からない成り行きで、は陶芸を始めることになってしまった。配達の他に、轆轤を回しにあの山奥に行くのである。面倒臭いが、今更引っ込みがつかないから仕方がない。
 父親は、が足繁く新津の許に通っていることを喜んでいるようだ。の仕事を減らしてまで、陶芸を習いに行かせようとしている。何が何でも新津にを貰ってもらいたいらしい。
 そして新津はというと、別に変化は無い。相変わらず偉そうで、まともに教えようともしない。自分からやってみろと言ったくせに、いい加減なものである。
「少しは先生らしいことしなさいよ。これじゃ、何しに来てるのか分かんないじゃない」
 轆轤を止めて、は文句を言う。
 新津の所で茶碗を作るのは良いとして、碌に道具の使い方も教えてくれないのだ。これではいつまで経っても通い続けなければならなくなる。
 が、新津は意地悪く笑って、
「こんなもの、ちょちょっとできるんだろ? 教えるほどのもんでもねぇよ」
「〜〜〜〜〜〜」
 確かにちょちょっとできると言ったのはだが、素人の言葉をそのまま受け取るなんて、大人げないではないか。そこは聞き流して、それとなく教えてくれるのが大人の男だと、は思う。
 道具の使い方とかコツくらい教えてもらわないと、ド素人のにはどうにもこうにもできない。かといって、あんな奴にこちらから教えを請うのは腹が立つ。
「お父さんから、教えるように言われてるでしょ!」
「言われてねぇし」
「“よろしくお願いします”って言われてたじゃない」
「教えてくれとは言われてねぇぞ」
「〜〜〜〜〜〜」
 それは屁理屈というものだろう。は顔を朱くして唸った。
 新津がわざとやっていることは、ニヤニヤ笑いで判る。自転車のことといい、この男はをおちょくらずにはいられないらしい。
 本当に父親は、この男の何を見込んだのだろう。娘が片付かないのを悲観しすぎて、目が曇っているとしか思えない。焦ってハズレを引く典型だ。
 新津にも父親にも苛々する。は舌打ちをして、再び轆轤を回し始めた。





 こんな山奥に通うのはくらいなものかと思っていたら、意外にも女が通ってきていることを知った。とそう変わらない年格好で、なかなかの美人である。
 どこかの御用聞きかと思っていたら、『葵屋』という料亭の仲居なのだそうだ。しかも仕事ではなく、個人的に遊びに来ているのだという。
 新津のような根性悪にそんな女がいたとは、意外だった。あんな男のどこが良いのだろう。には不思議でならない。
「あら、今日も陶芸? 熱心ねぇ」
 粘土をこねているに、女が話しかける。女の名前は“お近”といったか。
 多分お近は、が新津を狙っていると思っているのだろう。一寸警戒しているようだ。
 は別にあんな男などいらないし、引き取ってくれるというのなら、熨斗を付けて渡したいくらいである。
「お近さんも熱心ですね。こんな山奥まで、女の足では大変でしょうに」
 この件については皮肉でも何でもなく、は素直に感心している。あの山道をものともせずに通うその根性には、頭が下がる思いだ。
 お近は何でもないようにふふっと笑って、
「比古様に会うためだもの。どうってことはないわ」
「へ〜え………」
 それは大したものである。お近は余程あの男が好きなのだろう。
 そういえばお近は、新津のことを“比古様”と呼ぶ。比古というのが、新津の本名なのだろうか。
「“比古”っていうのは、新津さんの本名なんですか?」
「本名はまた別にあると思うけど……そんなことも知らないの?」
 お近は驚いた様子を見せた。
「はあ……新津さんとは最近の付き合いなもんで」
 あの男についてが知っているのは、新進陶芸家というくらいだ。陶芸で身を立てる以前のことは知らない。
「ふーん………」
 お近はにんまりとする。どことなく優越感に満ちた笑い方だ。
 そして、とっておきの秘密を披露するように言った。
「比古様はね、飛天御剣流の継承者なのよ。陶芸家は、世を忍ぶ仮の姿ってわけ」
「へー………」
 飛天ナントカ流と言われても、には何のことか見当もつかない。まあ、格闘技か何かの流派だろうと考える。
 道理で、陶芸家にしては異様に体格が良かったわけだ。の中で一つ疑問が解決した。
 の薄い反応に、お近は不満げだ。
「最強の剣術の流派なのよ」
「そう言われましても………。剣術には興味無いですし………」
 明治に入ってから、剣術は衰退の一途を辿っている。警察に剣術師範として仕官できるなら恵まれている方で、食い詰め剣士が剣舞をやると言って店の前で暴れて、店主から金をせしめる事件が問題になっているくらいだ。
 幸い、比古には“陶芸家・新津覚之進”という生き方があったから良かったものの、陶芸の才能が無ければ店先で暴れるゴロツキ剣士になっていたところだ。勘違い俺様だが、才能があって良かったとは思う。
「新津さんでも比古さんでもいいですけど、今は普通の陶芸家です」
 最強の流派だか何だか知らないが、陶芸家を否定されたような気がして、はむっとした。何故反発を覚えたのか自分でも解らないが、多分、“陶芸家・新津覚之進”を否定されることで、陶芸の真似事をやっている自分も否定されたような気分になったのかもしれない。
 最強の流派といっても、弟子もとらず、本人ももう剣術をやっている様子は無い。時代の流れを察して、剣術は廃業したのだろうと思う。今更剣術家と持ち上げられても、比古も困るだろう。
「いざという時は、剣術家に戻るのよ。あの時は素敵だったわぁ………」
 その時のことを思い出したのか、お近はうっとりとする。どういう状況だったのかには分からないが、剣術家の比古は格好良かったのだろう。
 まあ何というか、比古には惚れてくれる女がいることは分かった。そういう女がいるのなら、の出る幕は無い。父親には悪いが、この話はお流れになりそうだ。
 自信過剰な俺様男を引き取ってくれるなんて、天使みたいな女ではないか。これを逃したら、比古には次は無いと思う。
 比古の色恋沙汰なんてどうでもいいが、頑張ってくれる女がいるというのなら、応援してやった方がいいだろう。
「えーっと、まあ、頑張ってください」
 やる気の無さが見え見えだったのか、せっかく応援してやったのに、お近は変な顔をした。





 陶芸はお稽古事として聞こえが良いと父親は言っていたが、お茶やお花と違って体力勝負である。陶芸家が男ばかりな理由が理解できた。最強の流派とかいう飛天ナントカ流を極めた比古が陶芸家に転向したのも、体力的な理由だったのだろう。
「ねえ」
 轆轤を回している比古に、が声をかける。
「何だ?」
 大事なところらしく、比古は顔も上げない。
「お近さんとは、どこまでいってるの?」
「何の話だ?」
 相変わらず轆轤を回し続ける比古に、動揺の色は全く無い。お近の完全な片思いなのか、大人だから隠すのが巧いのか。
 比古の色恋沙汰なんてどうでもいいと思っていたが、隠されるとなったら知りたくなるのが人情だ。は純粋な好奇心で訊いてみた。
「あの人、結構よく来てるじゃない。付き合ってるんでしょ?」
「別に」
 比古の答えは素っ気ない。この様子では、本当に男女の付き合いは無いらしい。
 ということは、お近の片思いか。片思いでこんな山奥まで来るなんて、ますますご苦労なことである。いや、片思いだからこそ、この山道も苦にはならないのか。
「付き合わないの?」
「何で?」
 何で、と改めて問われると、も答えに詰まってしまう。しかし、あんなに熱心なのだから、付き合ってもおかしくはないと思うのだ。
 仮に比古に付き合う気が無いとしたら、早めに言ってやるのが優しさだろう。こんな山奥まで来てくれてるのに態度をはっきりさせないのは、流石に人としてどうかと思う。
「だって、あんなに熱心じゃない。付き合いも長いみたいだし」
「そんなに長くないけどな。って、何でお前がそんなに気にするんだ?」
「何で、って言われても………」
 これまた答えに困る質問だ。ただ気になっただけなのだが、比古には“何となく”というのが分からないのだろうか。
 が困っていると、比古が急にニヤニヤしだした。こういう時は碌でもないことを思いついた時だ。
「お前、妬いてるのか?」
「なっ……何言っ………!」
 あまりにも酷い勘違い発言に、は顔を真っ赤にして絶句する。
 その発想は無かった。の何を見たら“妬いてる”なんて言葉が出るのか。そこまで自惚れられるなんて、幸せな頭をしているというか、少しおかしいのかもしれない。
 の反応に勘違いを加速させたのか、比古はますます嫌な笑い方をする。
「ま、俺は一人の女に縛られるつもりは無いけどな」
 この男は一体何を言っているのか。そんなことを言って許されるのは、若い色男だけだ。比古は顔立ちは良いかもしれないが、若くはないし性格も口も悪いしで、そんな台詞を吐く資格は無いとは思うのだが。
 顔だけは良いから昔は多少もてたかもしれないけれど、普通に考えて、比古はもう色男を気取っている歳ではないだろう。勘違いを拗らすと大変なことになってしまうのだなあ、とはしみじみ思った。
<あとがき>
 主人公さんも師匠も、どっちもどっちな性格だな(笑)。
 地の文でいつまでも新津呼ばわりは違和感があるので、急遽お近さん登場。これで遠慮なく比古呼ばわりできる。主人公さんは変わらず「新津さん」だろうけど。
 しかし師匠……いつまでも二十代の兄ちゃんじゃないんだぜ。明治なら十代で卒業せんといかん台詞だろ(笑)。四十代は初老になるんだが(辞書には「もと、四十代の別称」とある)、師匠のセルフイメージは何歳なんだろうな。
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