芸術って、何?
いつものようにが配達から帰ってくると、待ちかねたように使用人たちが出迎えてきた。配達の出迎えなんて珍しい。「お嬢さん、ささ、奥へ」
「旦那様がお待ちかねですよ」
「あ、その前に、お着替えとお化粧を」
男女入り乱れた使用人たちから矢継ぎ早に言われ、には何が何だか解らない。
が唖然としているうちに部屋に引っ張り込まれ、女の使用人が勝手に箪笥から着物を出して、畳に並べる。本気で何が何だか解らない。
まるでが帰ってきたらこうすると打ち合わせていたかのような、異常な手際の良さだ。一体何が起こったのだろう。
「畏まった席じゃありませんから、あまり仰々しいのはいけませんね。これなんか、堅苦しくもなく、娘らしくて良いんじゃありません?」
そう言って明るい色の着物を勧められたが、目的が何なのか解らないには答えようが無い。
使用人の様子を見ると、客が来ているらしいことは解った。おそらくに会いに来たのだろう。が、使用人たちがこんなに騒ぐ理由が解らない。
「何なの、一体?」
ただの知り合いなら、着物だ化粧だと言わないはずだ。は、何だか嫌な予感がした。
そして嫌な予感ほど当たるもので、使用人はにこにこして言う。
「新津さんがいらしてるんですよ。旦那様に茶碗を持って来られたんですけどね、折角だからお嬢さんもご挨拶にと」
「は?」
家にまで営業とは、新津も意外と仕事熱心なものである。しかし、がわざわざ会いに行く義理は無いではないか。
どうせ父親のことだから、なし崩しに見合いの席を用意するつもりなのだろう。何故か解らないが、父親は新津を気に入っているのだ。
「………馬鹿馬鹿しい」
この一言に、の感想が凝縮されている。
はあんな失礼な男は嫌いだし、新津だってをおちょくるだけで、そんな目では見ていないはずだ。父親だけが乗り気だなんて、滑稽すぎる。
「このままで良いわよ」
「いけません! さあ、着替えて。さあさあ!」
おばちゃん特有の迫力で圧されると、流石のも圧倒されて言葉が出ない。このまま抵抗を続けていたら、この場で無理矢理脱がされそうだ。
「わ……分かったわよ………」
新津のためにお洒落をするのは、甚だ不本意だが仕方がない。場合によっては折れるというのも大事だ。
使用人たちを追い出し、は渋々ながら鏡台に座った。
たとえ嫌々であっても、化粧をしろと言われればきちんとやってしまうというのが、女の性というものだ。別に新津に良く見られたいというわけではないが、きっちりと化粧をすると、は父親の部屋に向かった。
襖の向こうでは、父親の楽しげな声が聞こえる。何の話をしているのかは分からないが、この様子ではまた変な焼き物を買わされそうだ。
「失礼します」
中からの返事を待たず、は襖を開けた。
「おお、やっと帰ってきたか。ささ、入りなさい」
娘の不作法は全く気にしていないように、父親は上機嫌に招き入れる。
同室の新津はというと、別に何とも思っていないようだ。折角いつもと違う化粧をしているというのに、気付かないのだろうか。
それより、家の中だというのに、いつもの変な外套を脱がないというのは何なのだろう。新津なりのこだわりの逸品なのかもしれないが、部屋の中では脱ぐのが礼儀だろう。
「帰ってくるなり、着替えろだの化粧しろだの、何なの? お父さんが期待するような事なんて無いから」
いきなりは喧嘩腰だ。見合いのつもりだか何だか知らないが、新津が相手というのが気に入らない。
が、父親はそんなことは全く意に介さないようで、
「まあまあ。とりあえずこの茶碗を見てみなさい。味のある、良い茶碗だろう」
そう言って大ぶりの茶碗を見せられたが、には全く解らない。鈍い色の、華やかさの欠片も無い茶碗だ。
伊万里焼きとか鍋島焼きとか、鮮やかな絵が描かれているものならともかく、これのどこを褒めればいいのか。侘び寂びを理解するにははまだ若すぎるし、何より作者がアレである。何も考えずに適当に作ったに違いない。
とはいえ、も客商売であるから、思ったことを正直に言うわけにはいかない。何かそれらしいことを言わなくてはと、茶碗を手に取ったまま真剣に考える。
「別に無理しなくてもいいぞ」
の内心を見透かしたかのように、新津はにやにやして言う。
せっかく人が褒めるところを探しているというのに、その言い種は何なのか。まるでが焼き物のことを何も知らないようではないか。確かに何も知らないのだが。
そっちがその気なら、にだって考えがある。誰が芸術品として評価してやるものか。
「丈夫そうで、良いんじゃありません? 食器は割れないのが一番ですもの」
芸術家気取りの男に、これは痛烈だろう。お前の作品は日常使いで十分だと言っているようなものだ。
これには、新津より父親が慌てた。
「これ、この茶碗は―――――」
「正直だな。思った通り、面白い女だ」
馬鹿にしてやったつもりなのに、新津は大笑いしている。
「焼き物ってぇと、知った風な口を利く輩が多いが、所詮は食器だからな。使いやすいのが一番だ」
「………………」
何故か新津は褒め言葉と受け取ったらしい。陶芸家というのは気位が高いものと思っていたが、新津はそうでもなかったのか。それとも、絶大な自信から来る余裕なのか。
日頃の言動から後者だろうが、の嫌味を大人の態度でかわしたのは、少し見直した。良い奴ではないが、悪い奴でもないらしい。
「ま……まあ、長持ちするのが良い食器だと思います」
反発するのが子供っぽく思えて、は渋々ながら褒めることも言う。
陶芸を始めてすぐに有名人になり、新人の作品にしては馬鹿みたいな値段で取り引きされているような人間だから、芸術家気取りで、作品を実用品扱いなんかしたら機嫌を損ねるかと思っていたのだが、意外と普通の感覚の持ち主のようだ。は少しだけ見直した。
が、少しだけ見直したところで、新津はぶち壊しにするようなことを言う。
「ま、お子さまには芸術は解んねぇよな」
「〜〜〜〜〜〜」
見直したのは撤回だ。こいつはやっぱり勘違い天狗野郎だ。
確かにには芸術は解らないが、この何の変哲もない茶碗をべた褒めするのもおかしい。これくらいなら、一寸練習すればにだって作れる。
「こんなのが芸術なら、私だって陶芸家になれるわ。粘土をこねるだけじゃない」
「これ、それは失礼だろう」
の反論を、父親がすかさず窘める。しかし、の反発は止まるところを知らない。
「こんな何もない茶碗、私だって作れるもの」
「へ〜………」
相変わらず新津はにやにや笑っている。何も知らない素人が好き勝手言ってるとでも思っているのだろう。
その小馬鹿にした顔が、ますますを腹立たせる。自転車のことにしても、この男はを馬鹿にしているのだ。
町一番のハイカラ娘として一目置かれている自分が、こんな山男に馬鹿にされるなんて、今までにない屈辱だ。
「じゃあ、作ってみるか?」
「え?」
意外な言葉に、は固まってしまった。
売り言葉に買い言葉とはいえ、この展開は考えていなかった。茶碗くらい、が本気を出せばちょちょいと作れるだろうが、彼女には仕事がある。仕事をほっぽりだして道楽というのは、使用人の手前、やりづらい。
しかし父親は名案と思ったようで、乗り気になって手を叩く。
「そりゃあいいですな。新進気鋭の陶芸家に教えてもらうなんて、ありがたいことじゃないか」
新津とをくっ付けたい父親には、渡りに船なのだろう。“お稽古事”としても聞こえが良い。
父親は大賛成なようだが、は大困惑だ。啖呵を切ったのはよかったが、いざそうなると、非常に困る。
「え……、あ、ちょ………」
「何だ? やっぱり無理か?」
「そんなことないわよっ!」
困惑するが、新津に煽られると、引っ込むわけにはいかない。こうなったら意地である。
「茶碗なんか、ちょちょいと作ってやるわ!」
煽りに弱いのは性分なのだろう。言ってしまった後、は後悔した。
煽り耐性無いなあ、主人公さん。Twitterやったら絶対炎上してるタイプだな(笑)。
でもまあ、一寸前進? お父さんも心配してるんで、とっとと比古のところに片付いてください(笑)。
ところで師匠の作品って、どんな感じのだ? 繊細な作品とか想像出来んのだが。