これが愛か 足が棒だ

 婚礼の儀は、比古が天涯孤独の身の上ということもあって、家族だけで行うのだそうだ。派手なことが好きそうな男だから、自分の取引先を呼んで盛大にやりたがると思っていたから、そんな小さな式で納得するとは意外だった。
 まあ、比古には比古なりの事情があるのだろう。過去に何があったのかは知らないけれど、山に籠もって必要最低限の人間としか関わらない生活をしているくらいだから、派手派手しく式を行って人間関係を広げるようなことはしたくないのかもしれない。
 比古のこれまでの経歴については疑問に思うことは多々あるけれど、彼が何も言わないならの方から強いて訊こうとは思わない。知ったところで今更どうしようもないし、世の中には知らない方がいいこともある。
 結納を済ませてしまったら、あんなに悩んでいたのが嘘だったように吹っ切れてしまった。ここまできたら覚悟を決めるしかないのだし、悩んだところで何も変わりはしないのだ。
 どうやってもこの結末になるというのは、例の狸様の力なのだろうか。狸だと見くびっていたが、神通力は確かだったらしい。その神通力は、金運の方で使ってもらいたかったものである。
 金運については、相変わらず変化は無い。玉の輿にでも乗れればよかったのだが、比古との縁談が確実なものとなってしまった今では、それも絶望的だ。最後になでたのが愛情運の胸だったのが悪かったのか。一番最後の願いしか聞いてくれないのなら、金運の金の玉を撫でるに留めておけばよかった。
「今からでも撫でておこうかしら………」
 御神体の狸様の金の玉をじっと見て、は呟く。
「狸の金玉なんか見つめてんじゃねぇよ。そんなに触りたいなら、俺のを触らせてやるって。せっかくだから、玉といわず竿も―――――」
「何てこと言うのよっ!!」
 神社という神聖な場所での下品発言に、は顔を真っ赤にして怒鳴る。こんな品性下劣な男と縁付けるなんて、狸様はどういうつもりなのだろう。
 怒鳴られても比古は全く堪えていないようだ。御神体の股間を見てにやにやしながら、
「狸様なんて言っても、俺の圧勝だな」
 この男は、何の勝負をしているのか。は呆れて言葉も出ない。
「まあいいや。今日はお礼参りだからな。さっさとこいつを納めて帰るぞ」
 比古の言う通り、今日はお礼参りに来たのだ。今回は比古が作った狸の置物持参である。
 新作の狸は、狸様を小型にしたようなものだ。細かいところまでよく再現している。何だかんだ言って、やはり才能はあるのだろう。
「あんた、狸の置物を作る才能があるのね」
「片手間で作ったものにすら才能が迸ってしまうのは、困ったものだ」
 やれやれと言いたげな比古だが、やれやれなのはの方だ。一寸褒めたらこれである。自己肯定は大事だが、それも度が過ぎると毒にしかならないといういい見本だ。
 狸様はどうしてこの男をの婿と見込んだのだろう。狸様は人を見る目が無い。それとも、細かいことには拘らない、器の大きな狸様なのだろうか。残念ながらは、狸様ほど器の大きな人間ではないのだが。
「此処に置いとくか」
 比古は、狸の置物を狸様の横に置く。狸様と比古の作った狸が並んでいると、まるで親子のようだ。
「こうして見ると、我ながら良くできてるなあ。新境地が開けたかもしれん」
 自分の作品なのに、比古はしみじみと感心する。狸の置物が新境地とは、ますます比古の生活は狸だらけになりそうだ。
「よくよく狸に縁があるのねぇ」
「俺もそう思う」
 比古はの顔をじっと見た。この男の言いたいことは、にもよく分かる。分かりすぎるから、無視してやった。





 祝言を挙げて晴れて夫婦になった後も、は相変わらず町に住み、比古は山に住んでいる。変わったのは、互いの家に泊まるようになったことくらいか。
 に山暮らしなどできないし、今は特に不便は感じないから、暫くはこの状態が続くことになるのだろう。比古も誰かとの共同生活には向いていないようだから、この形が一番いいのかもしれない。子供ができたら、そうも言っていられなくなるのだろうが。
「あっつ〜………」
 自転車を押して山道を登るは、全身にうっすらと汗をかいている。
 春が過ぎ、山はもう初夏の気候だ。これから梅雨が来て夏になれば、ますます山登りが辛い季節になる。
 こうなってくると、比古が町に住むのが一番の解決策だと思うのだが、何処に窯を置くかが問題だ。妥協案で麓の人里まで下りてきたらと話したこともあるのだが、近所付き合いやもろもろの人間関係に煩わされたくないと言われてしまった。本当に我侭な男である。
 やはりが山に住むしかないのかとが考えていると、比古と狸が山道を下りてくるのが見えた。
「あれ? 今日は来る日だっけ?」
 今日は配達日だと前から決まっていたのに、比古はすっかり忘れていたらしい。きっと何処かへ出かける途中だったのだろう。危うく行き違いになるところだった。
「今日は配達の日でしょ! まったく、どうせ家に来るんだから、その時にお酒を持って帰ればいいのに」
 そうすればだってこの暑い中、きつい思いをして山道を登らなくても済んだのだ。
「こういうことでもないと、お前こっちに来ないだろ」
「まあ、そうだけど………」
 仕事でもなければ、誰かこんな山に通うものか。だって忙しいのである。
 そう考えると、よく山に来ていたお近は凄い。自分の仕事もあるだろうに、これが愛の力というやつか。
 ということは、には愛が足りないということなのだろうか。いくら流されやすい性格といえども、愛の無い相手と結婚まですることはないと思うのだが。
「せめて麓の村に住んでくれればねぇ」
 問題なのは、この険しい山道なのだ。麓の村までだったら、だっていつでも通える。
 が、比古はけんもほろろに、
「それは嫌だって言ってるだろ」
「あんたね、少しは人に合わせることを覚えなさいよ。もういい歳なんだから、病気でもしたらどうするの」
 今はまだ殺しても死ななそうな健康体であるが、比古はもう四十三なのだ。ある日突然倒れることがあるかもしれない。山の中では、医者だってなかなか往診には行けないだろう。かといって、この巨体を病院に運ぶのも難しい。その時になって後悔したって遅いのだ。
 山の中で気ままな自給自足生活というのは、若い時にしかできないことだ。歳を取ったら、便利な町中で暮らすのが一番だとは思う。
 が、比古は豪快に笑い飛ばして、
「今まで病気なんかしたこと無いんだから、大丈夫だって」
 真剣に心配しているというのに、この男ときたら。今までずっと病気したことが無いからといって、これからもずっと同じだという保証はどこにも無いのだ。少し先のことも想像できないのだろうか。
「これからは分からないでしょ! あんたが病気したって、こんな山奥じゃ簡単に看病にも行けないんだから」
「へぇ、看病してくれるのか」
 何が可笑しいのか、比古はにやにやする。
「当たり前でしょ。あんたの奥さんなんだから!」
「自覚あったのか」
 比古は意外そうな顔をした。彼よりもの方がびっくりである。
 結婚前も後も殆ど変わらない生活をしているけれど、一応比古の妻という自覚はあったらしい。
「そりゃあ、まあ………」
 改めて自分の立場を認識すると、何だか恥ずかしくなってきた。今更照れるのもおかしなものだが、言葉にしてみるとやっぱり照れる。
 想像していた結婚生活とはかなり違ってしまったけれど、が比古の妻だという事実に変わりはないのだ。しかも今は“新婚さん”というやつである。これは照れる。
 一応“新婚さん”なのだから、も仕事でなくても山小屋に通うべきだろうか。比古は前よりも足繁く通っているのだから、もそれなりに誠意を見せなくてはならないだろう。
「そうよね、奥さんなんだから、たまにはそっちに行かないと………」
 山道を登るのは大変だが、途中までなら自転車があるから比古よりは楽なはずだ。お近だって徒歩であんなに通っていたのだから、妻であるができないはずがない。
「通うのもいいが、山暮らしも悪くはないと思うんだがなあ」
 が通うと言っているのに、比古はまだ少し不満が残るようだ。本当は通うのではなく、が比古の山小屋に住むことを望んでいるのだろう。夫婦になったのだから、それは当然のことだ。
 けれどはまだ、山小屋に移る決心がつかない。けれど通い続けていれば、そのうち気が変わる日が来ることもあるだろう。もしかしたら、比古の方が山を下りてくる気になるかもしれない。先はまだまだ長いのだ。
「町の暮らしも悪くないと思うけどね」
 山暮らしも一応考えてはみるけれど、できれば比古が山を下りてくるのが望ましい。
 早いところ夫婦として落ち着かないといけないなあ、と思いつつは言った。
<あとがき>
 収まるところに収まったところで、シリーズ終了。最終話だというのに、やっぱりセクハラ発言ありか……。狸様と何の勝負をしてるんだか(笑)。
 師匠は結婚しても自由人のようです。結局どこに定住するんだろうな、この二人?  
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