愛しているなら態度で示せ!
何だかよく分からないが、は狸に似ていると言われるのが嫌らしい。「こんなに可愛いのになあ………」
蜜柑で満腹になって毛繕いをしている狸の頭を撫でながら、比古は呟く。
不細工な生き物にたとえられて怒り出すなら理解できるが、狸である。女の顔は大雑把に狸顔か狐顔に分けられるのだから、狸に似ていると言うのは怒るほどのことではないと思うのだが。
もしかしては、狐に似ていると言われたかったのだろうか。狐顔のお近のことを美人だと思っているようだから、そうなのかもしれない。
しかし、比古の好みは狸顔なのである。狐に似ているなんて嘘は言えない。
「うーん………」
のことを気に入っていることは伝えたし、の両親もこの縁談には賛成している。ここまで話が進んだら後は祝言を待つばかりのはずなのに、何が不満なのだろう。
稼ぎについては、所帯を持つに十分なだけのものはある。自分で言うのも何だが、超絶美形で天才肌の新進陶芸家で、しかも天才剣士となったら、黙っていても女が寄ってくるものである。その上でわざわざを選んでいるのだから、普通なら泣いて喜ぶものだろう。こんな男でも不満だなんて、は異常に理想が高いのだろうか。
「先生、ご飯の用意ができましたよ」
珍しく考え込んでいる比古に、縁側からの母親が声をかけてきた。
「お、やっと飯か」
飯と聞いたら、悩みも吹っ飛んでしまった。腹が減っている時に難しいことを考えたところで、いい知恵など出ないのだ。
がカリカリしていたのも、きっと腹が減っていただけだろう。満腹になれば、落ち着いて話しもできるというものだ。
「今日の飯は何だ?」
「鰤ですよ。御得意様から一本いただきましてねぇ」
「そりゃいいな」
鰤なんて、山籠もり生活では食えないものだ。此処に来るとそういうものばかり出してくれるのだから、家が比古を歓迎しているのは明らかである。も、お近のことがあった手前、意地を張って引っ込みがつかなくなってしまったのだろう。その気持ちは比古にもよく解る。
まあ、今日はあれだけ言ってやったのだから、ももう意地を張るまい。今頃、これまでの自分の行いを後悔しているかもしれない。あの性格だから素直に謝るということはないだろうが、そこは比古も器が大きいから快く許してやろう。
それにしても、夫婦になる話をした日の夕食が鰤とは縁起がいい。地方によっては、嫁入りした年の正月に婚家から嫁の実家へ鰤を送る習慣があると聞く。今回は少し違うが、細かいことは気にしない。
「今日は鰤尽くしですよ」
上機嫌の比古に、母親もにこにこして応えた。
今日は御馳走だったというのに、は不機嫌なままだった。満腹になれば機嫌も直るかと思いきや、まだ意地を張っているらしい。ひょっとしたら、鰤の切り身が比古より小さかったのがいけなかったのかもしれない。
鰤の切り身くらいでそんなに怒るほどのことかと比古は呆れるが、そこも受け入れてやるのが男の器の見せ所である。も、もしかしたら比古の器の大きさを試しているのかもしれない。女というものは男を試したがる生き物である。
がその気なら、比古も応えてやらねばなるまい。幸い、鰤大根がまだ残っていると母親が言っていた。これを肴にしてサシで飲めば、いくらでも素直になるだろう。
「おーい、いるかー?」
鰤大根と酒を持って声をかけると、の部屋の襖が少しだけ開いた。
「何? まだ帰ってなかったの?」
このつっけんどんな言い方がまた、比古を試しているつもりなのだろう。本当に嫌っているのなら、居留守を使うはずである。
女というものは、つれない素振りを見せれば男が靡くと思い込んでいる節がある。若い女向けの本でもそう教えているらしいし、も素直にそれを実行しているのだろう。ものには加減というのがあるのだが、それは経験の浅い女には分からないものだ。
そんな若い女の勘違いも含めて愛でてやるのが、年上の男というものである。比古はにこやかに、
「せっかくだから一緒に飲もうと思ってよ」
「………あんた、まだ飲むの? さっきも飲んでたでしょ」
呆れたように言いながらも、は部屋から出てきた。そして後ろ手に襖を閉めながら、
「別にいいけど、そんなに飲んで帰れるの?」
「当たり前だろ―――――って、部屋に入れてくれねぇのかよ」
「当たり前でしょ! 嫌なら一人で飲めば?」
親がいるとはいえ、自分の部屋に男は入れたくないらしい。もう親の許しを得た仲だというのに、身持ちの堅いことだ。妻にするにはそれくらいがいいのかもしれない。
まあ、の部屋で飲むのもいいが、縁側で月を見ながら飲むのもいいものだ。この時期は空気が澄んで夜空も綺麗である。女は雰囲気を大事にすると聞くから、きっと比古と夜空を見ながら酒を飲みたいのだろう。遠回しな誘いである。
「おう、じゃあ夜空を肴に飲むとするか」
「鰤大根じゃないの?」
「それも食うけどよ。お前、風流って奴だよ」
「ふーん………」
の目は不審げだ。比古が一人で鰤大根を食ってしまうと疑っているのかもしれない。
は若いから、風流よりは食い気なのだろう。比古は酒を飲めればいいのだから、鰤大根は全部に譲ってもいいのだが。
「じゃ、行こうぜ。あんまり遅くなると冷えちまう」
比古はそう言うと、の返事を待たずに歩き始めた。
酒屋の娘だけあって、は酒が強いようである。比古とほぼ変わらない速さで杯を空けている。
比古の妻になるのなら、酒に強いことが外せない条件だ。さっさと潰れられては面白くない。そういう意味でもは合格だ。
「へぇ、お前、結構強いな」
「酒屋の娘だもの。これくらい平気よ」
褒めてやったのに、相変わらずの応えは可愛げが無い。一体何が不満なのか。
「まあ、俺の女房になるなら、これくらいはないとな」
「誰が女房よ。私は認めないから」
引っ込みがつかないのか何なのか、の態度は頑なだ。親も賛成しているというのに、何処まで意地を張り続けるつもりなのだろう。安売りする女は論外だが、あまりお高く留まっているのも大問題だ。
比古の器が大きいとはいえ、そろそろ限界だ。はで素直になる頃合を見失っているのかもしれないが、そんなのを待っていたらどんどん話が拗れてしまう。
ここは一つ、大人である比古が正しい方向へ導いてやるべきだろう。本当に若い女というのは手がかかる。
「お前さあ、何が気に入らねぇんだよ?」
「誠実さが無い人は嫌いです。それに人のことを狸狸って、狸と人の区別がつかない人は嫌」
「俺ほど誠実な男はいないぜ?」
が嫌がるからお近のことも切ったし、他の女も近付けていない。並の男には簡単なことだろうが、何もしなくても女が寄ってくる比古には並々ならぬ努力が必要なのだ。
この時点で誠意は見せているのにまだ足りないなんて、は貪欲な女だ。これ以上何を求めているのか。
「一人の女に縛られるのは御免だって言ってたのは、何処の誰だったかしら?」
肝心なことは忘れているくせに、どうでもいいことはよく覚えている女だ。確かに以前はそう思っていたが、気が変わるということもあるではないか。
「気が変わったんだよ」
「どうして?」
「そりゃあ、お前………」
ここまできてやっと、が何を言わせたいのか、比古にも理解できた。惚れたとか愛してるとか、女はそういう言葉が好きだが、比古はどうも軽薄に感じて好きではない。そもそも、これまでの行動で解りそうなものではないか。好きでもない女の要求をここまで聞いてやるほど、比古もお人好しではないのだ。
困惑する比古を追い立てるように、は言う。
「それならまた気が変わるかもしれないでしょ。気に入ったなんて言葉で済ませるような人なんだもの」
「そんなコロコロ変わってたまるか」
「じゃあ証拠を見せてよ」
「だから、まあ、それは………」
比古が言うまで、グズグズ続けるつもりのようだ。酔っていないように見えるけれど、は絡み上戸なのかもしれない。
がそうなら、比古も酒の勢いを借りてと考えたが、残念ながら勢いを借りれるほど酔えない。勢いで言ったところで、それはそれで無限に絡まれそうだ。
黙り込んでいる比古の態度が気に入らなかったらしく、は不機嫌になって、
「やっぱりその程度じゃない」
お近の訪問を断り、の家に通いつめているというのに、“その程度”で片付けるとは。山から『屋』まで通うのがどんなに大変か、だって解っているだろうに。の言って欲しい言葉が無いというだけで、不誠実だのその程度だの、あまりにも理不尽だ。
「お近を切って、こうやって店に通ってるのに、まだ解らねぇのかよ」
「狸は名前で呼ぶくせに、私は“お前”だし」
「そりゃあ、あれだよ、アレ……狸と人は違うだろ」
「ふーん、私は狸以下なんだ?」
の口調はますます刺々しくなる。
と狸とどちらが上かといわれれば、もちろんが上だ。いくら比古が人間嫌いとはいえ、狸を女房にする気は無い。
と、鰤大根の匂いに誘われたのか、狸が比古の足元に擦り寄ってきた。
「ほら、愛しの狸ちゃんが来たわよ」
皮肉たっぷりに言うと、はすっと立ち上がった。
「お邪魔しちゃ悪いから、もう寝るわ。おやすみなさい」
「おい、狸は………」
比古が止める間もなく、はさっさと部屋に戻ってしまった。
何だかよく分からないが、お近の次は狸に嫉妬しているらしい。そりゃあ、惚れただの愛してるだのは言わないけれど、それはお近にも狸にも言っていない。その代わりは特別扱いしていたつもりだ。だってそれは解っているだろうに、どうしてそんなにつまらない言葉に拘るのだろう。
「名前か………」
じっと見上げている狸を見ながら、比古は呟く。
狸を“”と呼んで、のことも“”と呼んだら、それはそれでややこしくなるような気がする。まあ、がそれでもいいと言うのなら名前で呼んでもいいのだが―――――
「………………」
の目の前で名前を呼ぶ自分を想像したら、何故か恥ずかしくなってきた。名前を呼ぶだけで恥ずかしいなんて子供ではあるまいし、我ながら驚きだ。剣心ですら、薫のことを名前で呼んでいるというのに。
多分剣心の場合は、薫を女と意識する前から名前呼びしていたから、その後もすんなりと呼ぶことができたのだろう。一目惚れというのは、こういう時に厄介である。
「好きだから呼べないってこともあるのになあ………」
そう言いながら狸の頭を撫でると、狸は不思議そうな顔をして比古を見上げた。
結婚した最初の正月に婚家から嫁実家へ鰤を送るというのは、九州限定の風習なんですかね。関西から来た友人が、旦那実家から鰤を送られて「……何だこれ?」と一家で衝撃を受けたそうです(笑)。確かにいきなり鰤を一本贈られたら、普通の家なら困るよね(笑)。友人宅では魚屋さんに捌いて貰ったそうです。
それはともかく、師匠……。43のくせに純情だな。最初は勘違い俺様を拗らせてるキャラだったのに、どうしてこうなった?(笑) これは幸運の狸様の手を借りなければ解決できなさそうです(笑)。