プレゼント
『屋』の軒下には、より少し背の低い狸の置物がある。先々代の時に有名な職人に作らせた特注品なのだそうだ。酒屋に狸の置物は付きものだからこれまで気にしたことは無かったが、比古から狸に似ていると言われて以来、この狸の置物が忌々しくて仕方が無い。笑っているようなその表情も、を馬鹿にしているようにも見える。こうなってくると、もう被害妄想だ。
そんな狸であるが、が配達から戻ると、本物の狸を連れていた。しかも本物の狸は、誰から貰ったのか、大きな柿を齧っている。
「また来てるのか………」
この狸は比古の狸だ。というか、狸を飼う物好きなんて、比古くらいしか思いつかない。
狸連れの訪問なんて、自分の飯どころか狸のおやつまでたかるなんて、どこまでも図々しい男だ。こんなに頻繁に来るなら、わざわざに配達させなくてもいいだろうに。
がじっと見ていても、狸は気にする様子も無く柿を齧っている。普通、野生の生き物は人が近付くと逃げるものだと思っていたが、この狸は飼い主に似て神経が太いらしい。そういえば、初めて見た時よりも体も太くなったようだ。
「あんた、もう山では生きていけないんじゃない?」
が話しかけると、やっと狸が顔を上げた。
こうして見ると、狸もなかなか可愛い顔をしている。しているが、絶対にとは似ていない。
狸はじっとを見上げている。その視線がまるでを仲間だと思っているようで、何だか腹が立ってきた。
「私はあんたの仲間じゃないから」
狸に向かって吐き捨てると、は店に入っていった。
案の定、比古は座敷にいた。しかも娘のを差し置いて、もりもりと飯を食らっている。もうすっかり馴染みの光景とはいえ、馴染んでいるという事実に腹が立つ。
「よう、遅かったな。さっきまで待ってたんだけどよ、待ちきれねぇから先に始めてたわ」
そう言いながら、比古はお替りまでしている。絶対“待った”なんて嘘だろう。
勝手に飯をよそうわ、まるで家主のように座敷に馴染んでいるわ、この男は一体なんなのか。どうせ今日も手土産も無しに来ているに違いないのだ。
「あんたねぇ、手土産も無しにご飯だけ食べに来るって―――――」
「土産ならあるぞ」
一発ガツンと言ってやろうと思っていたら、比古に遮られてしまった。
「ほら、新進気鋭の陶芸家様がわざわざお前のために作ってやったんだ。ありがたく受け取れ」
これ以上ないほど偉そうに、比古は紙包みを差し出した。
「………え?」
不覚にもはどきりとしてしまった。比古とはいえ、芸術家がのために作ってくれたとなれば悪い気はしない。
大きさからいって、きっと花瓶だろう。のために作ったというのなら、父親が持っているのとは違う、女性的な作りのものに違いない。
一体どんな花瓶なのだろうと、はわくわくして包みを開ける。が、出てきたものを見た途端、表情が固まった。
の変化に気付かないのか、比古は得意げに話し続ける。
「いやあ、流石の超絶天才様も一寸苦労したぞ。一点ものなんだから大事にしろよ」
そう自慢げに語る一点ものの作品は、狸の置物だったのだ。確かにこれまでの新津覚之進の作品には無いものだから、一点ものなのだろう。
新進陶芸家の一点ものなんて貴重なものなのだろうが、これは嬉しくない。“お前のために”作ったものが狸の置き物だなんて、どれだけを狸だと思っているのか。
期待していただけに、がっかり感は凄まじい。あまりのことに呆然として言葉を失っているを、父親は感激して言葉が出ないと解釈したらしい。心底嬉しそうに、
「酒屋の娘に狸の置物とは。いやあ、新津さんは分かってらっしゃる。こんな可愛らしい狸は見たことが無い」
確かに可愛らしい狸ではあるが、「見たことが無い」は言いすぎだ。第一、女への贈り物が狸の置物というのは如何なものか。普通、陶芸家なら無難に器の類だろう。
酒屋の娘だから狸の置物という発想も、比古には無いだろう。単純にに似ていると思っているだけだ。
父親に持ち上げられて、比古はますます得意げになる。
「いやあ、お前に似せるのは苦労したぞ。どうだ、そっくりだろう」
「〜〜〜〜〜〜」
ここにきて、まだ似ていると言うか。腹が立つやら何やらで、はぷるぷる震えてきた。
「何だ、嬉し泣きか? そんなに感激しなくてもいいぞ」
「そんなわけないでしょ! 人のこと狸狸って、馬鹿にしてるの?!」
ここまで手の込んだ嫌がらせをしたら、いくら温厚なも怒り爆発だ。肝心の仕事をそっちのけでこんなものを作っていたなんて、その労力に呆れる。
「何だよ、せっかく可愛く作ってやったのによ」
比古は全く悪いと思っていないようだ。悪意が無いというのが一番性質が悪い。
「可愛い可愛くないじゃなくて、狸呼ばわりされて喜ぶ女がいるわけないでしょ!」
「狸は可愛いだろ。うちのを見てみろ」
「だからその名前はやめてってば!」
「狐顔よりは狸顔の方が好みなんだがなあ、俺は」
「だからあんたの好みなんか―――――」
勢いで言い返しただったが、途中で比古の言葉を理解して固まった。
狸顔が好みと言うなら、顔を見る度に狸狸と連発しているの顔は、比古の好みということなのだろうか。しかし今までの態度を思い返してみるに、あれが好きな女に対する態度とはとても思えない。
けれど、しょっちゅう家に来たり、そのくせに配達させたりということを考えると、実はに気があるのではないかとも思ってしまう。やたら絡んでくるし、お近への態度と比べると全然違う。
しかし―――――考えれば考えるほど、比古が何を考えているのか解らなくなってきた。非常識な男であるから、常識人のには理解できないものなのだろう。
解らないなら、本人に直接訊くしかない。は思い切って言ってみた。
「それって私が好みだってこと?」
「言ってなかったか?」
今更何を言っているのかと、比古は少し驚いた顔をした。笑い飛ばされると思っていたのに、これはの方がびっくりである。
いつものようにからかっていると思いきや、にやにや笑っていないところを見ると本気で言っているのだろう。それならそれで、もう一寸そういう素振りを見せるとか、それなりの気遣いがあっても良さそうなものなのだが。
本気なのか冗談なのか、は本当に訳が分からなくなってきた。この展開は予想外である。
「え、ちょっ……あんた、何言ってんの!」
「いやあ、そうですか! それはいい! 私もこれで一安心ですよ。いやあ、良かった良かった」
顔を紅くしてうろたえるの横で、父親は一人で盛り上がっている。が比古の好みに適うなら、狙い通りというわけだ。
父親はめでたしめでたしだろうが、急にそんなことを言われてもは困る。今までが今までだっただけに、これからどう接していけばいいのか。
「ちょっ……! お父さんが本気にするじゃない! お近さんのことはどうするのよ!」
比古の発言の真偽は脇に置いておいて、問題はお近である。あれだけ熱心に山小屋に通うほど比古のことを想っているのだ。あれだけ想われていて、本当に何も感じていないのか。
お近に気を持たせておいて、ついでににも粉をかけているとしたら最悪だ。この超絶自信家の自惚れ屋なら、女二人を争わせて悦に入るというのはありえそうだ。
けれど比古はあっさりと、
「お近は関係無ぇだろ。何? 妬いてんのか?」
いともあっさりと言ってのけた後、比古は楽しげににやにや笑う。
別に妬いてるわけではない。嫉妬とは関係なくそういう女がいたら、だって気になるではないか。
けれどこれ以上何か言うと、ますます比古の自惚れを刺激するだけだろう。が何を言っても、この男は自分の都合の良いようにしか解釈しないのだ。
「もういいっ!」
何を言ったところで、比古相手では時間の無駄だ。第一、いきなりのことでの気持ちの整理もついていない。
大声で誤魔化した感は否めないが、は強引に話を打ち切った。
外に出ると、狸がひっくり返って寝ていた。獣のくせに腹を丸出しにして寝ているというのは、一体どういうことなのか。だらしないにも程がある。
「、腹出して寝てんじゃねぇよ。オラ、起きろ」
比古が繋いでいる縄を引っ張ると、狸は驚いたようにビクッと体を跳ねさせて、慌てて起き上がった。
狸の名前がそうだとはいえ、こんな時にまでの名前を使わないでもらいたい。通りがかりの人間が誤解したらどうするのか。
「その名前やめてよ」
「いいだろ、ケチケチすんな」
が抗議しても、比古は涼しい顔だ。何がの気に障るのか、全く気付いていないのだろう。
百歩譲っての名前をつけるのは良いとしても、本人の前で必要以上に呼ぶというのは無神経だと思う。しかも狸にはその名前で呼ぶくせに、当ののことは一度も名前で呼んだことが無いのだ。
「私のことは名前で呼んだことが無いくせに、狸にはって、失礼だと思わないの?」
「何だ、狸に妬いてたのか」
比古が可笑しそうににやにや笑う。
だからどうして、そう自分に調子の良いように解釈できるのか。狸に自分の名前を連呼するのが嫌なだけで、妬いているなんてことは一切無いのだ。
「妬いてなんかいません! 自惚れないで!」
はこんな自信過剰男のことなんて、なんとも思っていないのだ。全ての女が自分に惚れていると思わないでもらいたい。
けれど、比古は相変わらずにやにやして、
「ま、照れんなよ。じゃ、またな」
最後の最後まで勝手な解釈をして、比古は豪快に笑って去っていった。
まったく、あそこまで自分に調子よく考えられたら、生きていくのも楽だろう。どうやったらあんな性格が出来上がるのか。
ふと、比古に貰った狸の置物を見た。今気付いたが、狸は正面ではなく少し上を見上げている。丁度、が比古を見上げている時と同じくらいの角度だ。
が比古と話す時は怒っていることが多いけれど、この狸は楽しそうに笑っている。
に似せて作ったと言っていたけれど、本当はこうやって笑って話して欲しいのだろうか。
「………それなら、それなりのことをしなさいよ」
だって年がら年中怒っているわけではないのだ。比古の態度次第では、笑顔で対応だって出来る。
じっと見上げている狸の置物に向かって、は呟いた。
よし、今度は絶対折れようの無いフラグ立てたぞ(笑)。
いやあ、いい加減この二人くっつけないと思いつつ、早十二話目です。どんだけ進まないんだよ、この二人?