幸せの狸様
狐は神様になっているのに狸は神様になれないのは不公平だと常々思っていたのだが、数が少ないだけで狸を祀る神社もあるらしい。しかも近所にあるらしいことを、は最近知った。しかも狸の神様は気前が良いらしく、何でも願いを聞いてくれるらしい。狸だから安請け合いをしているか、これという特化した御利益がないからなのかもしれないが。
狸というのが何となく頼りない感じだが、せっかく何でも聞いてくれるというのなら、拝んでおかないと損な気がする。御利益が無かったとしても、狸なら何となく諦めもつく。
というわけで狸神社に行くことにしたのだが、何故か比古までついてきた。
「拝むなら、もう一寸マシなものを拝めよ」
別についてきてくれと頼んだわけでもないのに、いきなり文句である。こういうことに興味が無い男だと分かってはいたが、じゃあ何しについてきたのかと問いたい。
「じゃあ帰れば? 一人で行けるし」
一人なら自転車でさっさと行けたのに、比古のせいで徒歩なのだ。その上こんなことを言われるくらいなら、ついて来るなと言いたい。
が、比古は帰るつもりは無いようで、
「お前の親父さんに言われたんだから、しょうがねぇだろ。どうせ暇だしな」
「仕事すればいいのに」
比古には聞こえないように、はボソッと吐き捨てた。
父親が夕食に招待するようになって、比古は用も無いのに店に来るようになった。人間嫌いで山に籠もっているという話は一体何だったのか。いい歳して、完全に餌付けされている。
夕食だけでも図々しいと思うのに、最近は昼ご飯までたかりに来て、おまけにより先に食べている始末だ。どれだけ家で食べているのかと呆れるが、父親か歓迎しているのだからしょうがない。
「で、狸に何頼むんだ? 縁談か?」
「あんたに関係無いでしょ」
具体的に何を祈願するか、実はまだ考えていないのだ。何でも聞いてくれるというから、その時になって考えればいいと思っている。
「縁談なら狸に頼むより、近所の世話焼きお婆に頼むのが現実的だぞ。一人くらいいるだろ」
比古は頭から良縁祈願と決め付けているようだ。年頃の娘が神社に行くとなったら、それが一番に思いつくのだろうが、勝手に決めないでもらいたい。
「別に縁結びに拘ってないって」
「いやそこは拘れよ。親父さんも心配してるぞ」
比古なりに親切で言っているのかもしれないが、この男にだけは言われたくはない。は世間的には拘らなければならない年齢だが、年齢だけで言うなら比古はなりふり構っていられない歳だ。それこそ全力で狸か仲人おばさんに縋るべきだろう。
ひょっとして、お近が言い寄ってくれているから、自分はまだ大丈夫だと思っているのだろうか。正直、お近みたいに言い寄ってくれるのは特殊だと、は思うのだが。
「私のことより自分の心配したら? いつまでもお近さんが相手してくれると思ったら大間違いよ」
「一人の女に縛られるなんて御免だね」
毎度のことながら、比古の勘違い発言は凄まじい。もうそんなことを言っていられる歳ではないことを自覚していないのだろうか。世間と隔絶されているというのは恐ろしいことである。
比古が現実に気付くように狸に頼んでみようかと、は考えた。
狸神社というだけあって、境内はそこらじゅう狸だらけである。夜になったら本物の狸も出るのかもしれない。
「いやあ、これだけあっても個性があるもんだなあ」
大小さまざまな狸の置物を一つ一つ見ながら、比古が感心したように言う。仕事柄、こういうものには興味があるのだろう。
一応陶芸家らしいところもあるものだとが見ていると、一つの狸を見て比古が突然噴き出した。
「なあ、これ、お前にそっくりだぞ。こいつ拝んどけよ」
子狸の頭をぺちぺちと叩きながら、比古が楽しげに言う。形を研究していたのかと思っていたら、これである。陶芸家らしいところがあると見直したのに、やっぱり比古は比古だ。
に似ていると言っているのは、大きく口を開けた間抜け面の子狸である。狸の置物としては可愛らしいが、こんなのに似てるわけがない。
「似てない! それに御神体はあっち!」
「似てると思うんだけどなあ。口がでかいところとか」
に怒鳴られても、比古は納得できないように首を傾げるだけだ。本気でこの小狸とが似ていると思っているらしい。間抜け面の狸が似ているというだけでも失礼なのに、口が大きいところが似ているなんて、どこまでも失礼な男だ。
比古に似てる狸を見つけてやろうとも周りを見回すが、残念ながらそれらしいものは見付からない。もともと愛嬌があるように作られているのだから、こんな図々しくて失礼な男に似ていると言ったら、狸に対して失礼なのかもしれない。
狸の前で首を傾げている比古は放っておいて、は一人で御神体に向かう。今日はこの御神体にお願いするのが目的なのだ。比古の相手をしている場合ではない。
御神体の狸は狸の総大将らしく、立派な腹の置物だ。顔が間抜けだから威厳は無いが、まあ狸だからそんなものなのだろう。
隣の看板を見ると、撫でる部位で御利益が変わるらしい。これが“何でも願いを聞いてくれる”ということらしい。
「へぇ、頭を撫でれば学運・霊運、お手てを撫でれば交通安全、お腹を撫でれば福運・安産、金のた………」
案内を音読していただが、途中で絶句した。
看板には『金の玉を撫でれば金運・玉運』と続いていたのだ。流石にこれは声には出せない。
まあ納得できる流れではあるが、流石にこれはひどい。しかし金運上昇と言われると、これは撫でずにはいられない。そう思っているのはだけではないらしく、“金の玉”だけ妙に艶々している。
も商売人の娘だ。一瞬の躊躇いも無く、両手で狸の“金の玉”を全力で撫で始めた。
「お前………」
物凄い勢いで撫でているを、比古が心底呆れた目で見る。
「女なんだから一寸は恥らえよ」
「金運よ、金運! 一番に撫でとくべきでしょ!」
まだ撫でながら、は力一杯言う。恥じらいなんか、一文にもならないのだ。そんなものを気にして金運を逃すなんて、馬鹿ではないか。
「狸の玉なんぞより、俺の玉の方が御利益あるんじゃね?」
比古は小馬鹿にするようにニヤニヤ笑う。その発言こそが恥じらいを持てと言いたいのだが。
「そんなもん触ったら手が汚れるわ。運気も下がりそうだし」
「この超絶天才様の玉だぞ。金運どころか他の運も急上昇に決まってるだろ。何なら特別に撫でさせてやろうか?」
狸に負けたくないのか何なのか知らないが、その発言はただの変態である。しかいないからいいようなものの、知らない人間が聞いたら通報ものだ。
こんな変態発言をする男を出入りさせるなんて、父親はどうかしている。今日のことはきっちり伝えておかなくては。今は冗談で言っているようだが、そのうち若い使用人相手に御開帳なんかしたら大変だ。
「いりません!」
比古の方を見ずに吐き捨てると、ついでに大願成就するという尻尾も撫でておく。大願が何なのか自身も分からないが、まあ何かに効果があるとは思う。
「狸よりは効果があると思うんだがなあ」
が全力で無視しているというのに、比古はまだぶつぶつ言っている。一体どれだけ自分のを触らせたいのか。こんな変質者が身近にいて、しかも父親が積極的にくっつけようとしているのだから、の前途は暗い。
良縁なんてどうでもいいと思っていたが、この変態と縁が切れるならと、は愛情運が上昇するという狸の胸をゴシゴシ擦った。
熊本の船場という市電の駅で、狸の銅像を見つけました。あの辺りは「あんたがたどこさ」の舞台になったらしくて、駅周辺は狸だらけです。
で、狸の銅像があったんですが、その横にあった看板に書いてあったのが、作中のコレ。『金の玉を撫でれば〜』っていうのは実際に書いてありました(笑)。ええ、私も全力で撫でましたよ。
しかし師匠、コレじゃただの変態だ……(汗)。