好感度、乱高下

 『屋』の娘はハイカラ好きの変わり者だと、近所ではもっぱらの評判だ。あれでは嫁の貰い手も無いだろうとも噂されている。
 この辺りの娘たちの中で一番に断髪して、袴にブーツという出で立ちで闊歩しているのだから、噂にならないわけがない。しかも最近では、舶来物の自転車を乗り回しているのだ。これには流石に、老人から子供まで肝を抜かした。
 けれど、『屋』の主人も、当の娘であるも、周りの視線など全く気にしていない。かえって店の宣伝になると思っている。
 実際、の自転車見たさに、彼女を指名して配達を頼む客は多い。口では何と言っても、町で一台しかない自転車に興味津々なのだろう。
 そんなわけで、は毎日、自転車の荷台に酒瓶を載せて町中を走り回っている。
 得意先を廻って、自分の売り上げを帳簿に付ける。それを月末に集金するまでが、の仕事だ。やっていることは、他の使用人たちと殆ど変わらない。町の皆が噂するように嫁の貰い手が無くても、このまま店の手伝いをしていれば、食べていくには困らなそうだ。
「あれ?」
 帳簿を見返していると、見覚えのある名前があった。の客ではないから本人かどうかは判らないが、本人だったら凄いことだ。
「ねえ」
 配達に行っている使用人を呼びつける。
「この“新津覚之進”って、あの陶芸家の新津覚之進?」
「そうですよ。町に下りるのが面倒だからって、定期的に配達してるんです」
「ふーん………」
 新津覚之進といえば、焼き物に興味の無いでも知っている新進陶芸家だ。こんな有名人が顧客にいたなんて、今まで気付かなかった。
 興味の無い分野でも、有名人となったらとりあえず会ってみたくなるのが人情だ。陶芸家というのがどういうものなのか、も一度会ってみたい。
「ねえ、今度配達する時、私が行っても良いかな?」
「お嬢さんじゃ無理ですよ。何せ山奥ですから」
 使用人は笑って断る。が、“お嬢さんじゃ無理”なんて言われたら、も黙って引き下がれない。
 だって毎日、重い酒瓶を積んで配達回りをしてるのだ。お稽古事に勤しんでいる他所の娘と一緒にしてもらっては困る。
「あら、大丈夫よ。自転車で行ったらすぐでしょ?」
「結構な坂道ですよ。町中と違って、道も舗装されてないですし」
「道があるなら大丈夫よ。売り上げはあんたに付けとくから、ね、お願い」
 拝むように手を合わせて、は頼み込む。
 とにかく一度、有名人というものに会ってみたいのだ。興味のある無しに関わらず、話の種になるではないか。
 熱心なの様子に、使用人は困った顔をした。山の中に配達に行かせて、に何かあったら、主人に叱られるのは彼なのだ。
 かといって、このまま頑なに断り続けても、の性格では絶対に引き下がらない。
「じゃあ、旦那様のお許しがでたら………」
「うん! 私からも頼んでみる!」
 から頼めば、父親も駄目とは言わないだろう。有名人に会えるとなったら、今からうきうきしてきた。
 せっかくだから、色紙に何か書いてもらおうか。いや、いきなりそんなことをしたら、苦情になるかもしれない。山奥に住むくらいだから、人と接するのが苦手な、繊細な性格かもしれないではないか。
 芸術家というのは、気難しかったり繊細だったりすると聞く。もいつものようにガサツにしていたら、嫌われてしまうかもしれない。
 の中では既に、“繊細な若手芸術家”の新津覚之進像が出来上がっている。勿論、脳内の新津は美男子である。
「ああ、もう楽しみ〜」
 勝手な想像で勝手に盛り上がって、使用人の目も憚らずに、は身悶えするのだった。





 自転車だから大丈夫、と思っていたが、予想を超える坂道のきつさだ。これなら歩きの方が、逆に楽かもしれない。
 一応、山道が出来ているからマシだが、こんな所に住んでいるなんて、新津覚之進というのはどんな男なのだろう。繊細な芸術家を想像していたが、もしかしたら野生味溢れる山男なのかもしれない。
「……帰りたい………」
 肩で息をしながら、は自転車を押し続ける。
 随分歩いているような気がするが、まだ話に聞いてる山小屋は見えない。道があるから遭難したわけではないだろうが、こうも目的地に辿り着けないと不安になってきた。
 そういえば、新津担当の使用人が夜遅くに帰ってくることが月に一、二度あったが、あれは此処にきていたからなのか。幸い、は朝から出発したものの、日暮れまでに町に戻れるのだろうか。下り坂は速いから大丈夫だとは思うが、まだ目的地にすら着いていないだけに、不安だ。
「あ………」
 遙か遠くに煙が立ち上っているのが見えた。多分あれが、新津の窯から出ている煙だ。
「ああ〜………」
 やっと目的地が見えてきたと思ったら、何とも言えない安堵感に包まれた。
 が、何にしてもまだまだ先は長い。もう一頑張りだと自分を奮い立たせて、は自転車を押した。





「着いた………」
 最後の急な坂を上り終えて、は気が抜けたように脱力した。
 目の前には掘っ建て小屋のような山小屋。煙を出していた窯は、その裏にあるようだ。
「すみませ〜ん。ごめんくださーい!」
 自転車を止めて、は声を張り上げた。
「あ?」
 小屋の中から不機嫌な低い声がして、長髪の大男が出てきた。
 これは違う、との脳が全力で拒否する。新進陶芸家・新津覚之進は、こんな“繊細”とは真逆の男なわけがない。
 変な白い外套を着ているのは、まあいい。今時長髪なのも、何か思うところがあって、時代と逆行しているのかもしれない。
 しかし、目が据わっているのは駄目だ。顔立ちは整っているとは思うのだが、目つきの悪さで全てが台無しだ。
 何より、過剰なほどの体格の良さは何なのか。外套で嵩増ししているのかもしれないが、こんな羆みたいな男が芸術家だなんて、は認めない。
「あの、『屋』ですけど、新津先生にお酒をお持ちしたんですけど………。いらっしゃいますか?」
 まだこの男が新津覚之進と決まったわけではない。ひょっとしたら、芸術家の生活を支える使用人かもしれないではないか。こんな山奥なら、そういう人間を雇って、自分は創作活動に専念するということも考えられる。
 そうやって無理矢理納得しようとするの努力を嘲笑うかのように、目つきの悪い大男は止めの一撃を食らわせた。
「ああ、それ、俺。ご苦労さん」
「………………」
 衝撃のあまり、の頭の中は真っ白になった。
 理想と現実がかけ離れているのは、ある程度は仕方がない。しかし、こんな繊細さとかけ離れた男が芸術家だなんて、限度を超えている。目の前にいるのは、芸術家というより格闘家だ。
 勝手に想像して勝手に幻滅したなんて、自分勝手もいいところだが、これはひどい。何のためにこんな思いをして山道を登ったのかと思ったら、虚しくて脱力してしまった。
「えーっと……“万寿”でよかったですよね?」
 詐欺だ! と叫ばなかった自分を誉めてやりたい。しかし動揺は隠し切れていないようで、酒瓶を渡す手が震えている。
「どうした? 顔色悪いぞ?」
 新津の目から見ても、の動揺は明らからしい。
「いえ、思ったより山道がきつくて………」
 予想と現実の差がきつすぎて、とは流石にも言えなかった。
「ああ、女の脚じゃ、この道はきついだろ。それにしても、変な荷台で持ってきたなあ。いつもので持ってくれば良かったのに」
「これは自転車っていう乗り物です!」
 自慢の自転車を“変な荷台”呼ばわりされたら、も黙ってはいられない。使用人が使う大八車と違って、“超”が付く高級品なのだ。
 の過剰な反応に、新津は一寸驚いた顔をしたが、すぐに自転車を観察し始める。
「へーぇ、これが“自転車”か。おい、どんなもんか、一寸乗ってみろ」
「は?」
 得意先で、乗ってるところを見せろと言われるのは毎度のことだから別に構わないが、もう少し言い方というものがあるだろう。あまりの態度の大きさに、は呆れて言葉が出ない。
 陶芸家というのがどれほど偉いのか知らないが、この業界ではまだ新人のくせに、その態度は何なのか。一寸有名になってるからって、天狗になりすぎだ。
 普通に頼まれれば、宣伝も兼ねて乗ってみせているが、この男の前では乗りたくない。は大道芸人ではないのだ。
「そういう見せ物じゃないんで」
 つんとしては断る。
 その反応に、新津は何を勘違いしたのか、意地悪くにやにやして、
「ひょっとして、まだ乗れないのか?」
「なっ………?!」
 こんな侮辱は初めてだ。こんな文化の“ぶ”の字も知らないような男(一応、芸術家だが)に、町一番のハイカラ娘がこんなことを言われるなんて。
 悔しくて悔しくて、頭にかあっと血が上る。その勢いでは自転車に跨ると、もの凄い速さで辺りをぐるぐる回り始めた。
「ほら、見なさいよっ! こっちはこれで仕事やってんだからねっ!ほらほらほらっっ!!」
 の勢いに唖然とした新津だったが、すぐに可笑しそうに手を叩いて笑った。
「話通りの面白い女だな。気に入った。次からはお前が持って来い」
 どこまでも偉そうな男である。どういう育ち方をしたらここまで傲慢になれるのか、知りたいくらいだ。
 は無言で自転車を停める。そして、真っ直ぐに新津を見据えて、
「お断りよ」
 それだけ言い捨てると、急発進で山道を下りた。今からなら、余裕で日暮れ前に町に着くはずだ。
 新進陶芸家というから期待していたのに、とんだ外れクジだった。苦労してこんな山道を登ったのが馬鹿みたいだ。
 後ろの方で、まだ新津の笑い声が聞こえる。それがまた馬鹿にされているみたいで、は余計に腹が立った。
<あとがき>
 勝手に想像して、勝手に騙された、ってアンタ……(笑)。
 初手からここまで好感度が下がったら、もう上がるしかあるまいよ。どうやって上げるのかが問題なんだが。
 主人公さんが乗っている自転車は現代風ので考えていたんですが、調べてみたら今の形に近いものが発売されたのって、1879年(明治12年)なんですね。ギリギリ間に合ってるけど、これを持ってる主人公さん、ハイカラどころか超金持ちだな(笑)。
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