陰謀詭計

「―――行ったか」
通された部屋の一室で、総髪の男が外の様子を見ようとした。
「やめな」
厳しい声に振り返る。
「あいつは勘がいいからすぐに気付かれる。ばれたくなけりゃ、余計な事はするな」
声と同じく厳しい表情の青年は忌々しげに吐き捨てた。
「彼の言うとおりだ、岩野。今はまだ気付かれてはいけない」
「田辺」
岩野と呼ばれた総髪の男は、青年の隣に座っていた男――田辺を見る。
「さて、それじゃあ」
数人の男達が集った中、最も部屋の入口近くに座していた男が口を開いた。
「片山さん」


「始めようか―――裏切り者の始末を」










 相も変わらず藤田五郎こと斎藤一の執務室には書類が山と積まれている。珍しく事務仕事に手をつけている斎藤の元へ、警邏から戻ってきた制服姿の女性――新撰組時代からの部下・が一通の手紙を差し出した。普段は見せない神妙な顔をしている。
「――黒い封筒?」
「斎藤さんくらいの年の男の方が、これを藤田警部補にと」
「・・・・・・」




「―――全く」
手紙に目を通した斎藤は、眉間に皺を寄せた。煙草に手が伸びる。
「今頃になってこんなものを寄越すとはな。仇討禁止令を知らんと見える」
阿呆どもが、と呟いて、長い紫煙を吐き出した。
 は投げ出された手紙を覗き見た。そこには過去の恨み言が連ねられ、時と場所が綴られている。記された名前には、が知っているものもあった。
「・・・・・・油小路、ですか」
「だろうな」
と斎藤の視線がぶつかった。
「どうします」
「俺が行かねば無差別に人を襲うと言うのであれば動かんわけにもいくまい」
心底面倒だと言わんばかりに、斎藤は紫煙と共に溜息を吐いた。はそれ以上何も言わず自席に戻ると、目の前の書類を片付け始めた。







 その夜。



 漸く最後の書類を纏め上げたところへ、見知った気配を感じては顔を上げた。
(昂ってるな・・・・・・)
血の匂いと殺気が入り混じっている。果し合いの結果など最初から知れているが、それが元でこれだけ荒々しい気をまかれると『藤田五郎』としては後々署内で面倒な事になりかねない。は溜息をついて、自らの刀を手にすると席を立った。

「斎藤さん」
執務室の扉を開けると、案の定斎藤がいた。どれだけの人数を相手にしたのか、いたるところに返り血がべっとりとついている。が何か言うより早く、斎藤はの腕を掴むと無言で歩き出した。



 連れて来られたのは道場だった。いつもの事に、は再度溜息をつく。斎藤が酒を飲んでいない事が救いだと本気で思った。
 鞘を投げ捨てる音で我に返る。咄嗟にも抜刀した。


 いったん昂った狼を抑え込む為に行う稽古。まるでそれは儀式の様だとかつて思った事もある。

 ―――刃のぶつかる独特の金属音が、道場内に高く響いた。







 何合ぶつかりあったろうか。
「・・・・・・ちょっと、今日は昂りすぎだったんじゃないんですか・・・・・・?」
ぜえぜえと荒い息を吐きながらは構えを解く。対面では斎藤が同様に構えを下ろしていた。先刻までの殺気は消えている。
「・・・・・・」
斎藤の官服ものシャツも切り裂かれた跡が無数に残る。ことにの横腹の部分は大きく裂かれ、じわじわと赤い染みが広がってきている。
「あーあ、もう・・・・・・久々に傷作っちゃったじゃないですか・・・・・・」
「・・・・・・深いのか」
納刀した斎藤が歩み寄ってきた。
「出血の量ほど深くはありませんね」
返すの声は確かにしっかりとしているが、それでも刀傷に変わりはない。斎藤はの傷を見ようと身体を屈めた。
「いやだなあ、大丈夫ですよ」
「―――!!」
小さく笑うの声と同時に、鳩尾に重く鋭い衝撃が走る。続けざまに延髄に鵐目で一撃を叩き込まれ、
「貴、様・・・・・・!」
油断した己に舌打ちしながら、斎藤は意識を失った。


「手当てはきちんとやりますよ――――ちゃあんと始末をつけてから、ね」
斎藤を見下ろしたは、恐ろしく冷たい笑みを浮かべていた。











「随分と遅かったな」
田辺が深夜の来客に不快そうな顔を隠しもせずに唸った。
「仕損じたのかと思ったぜ」
薄ら笑いを浮かべる岩野に、ばさりと投げつけられる服。何箇所も切り裂かれたそれは、大量の血で染まっていた。
「これは・・・・・・」
「制服だよ。大きさが違うから、私のじゃない事くらいすぐにわかるだろ」
田辺以上に不機嫌そうな顔をして、来客―――は岩野を睨み付けた。
「お前・・・・・・じゃ、奴は」
「皆まで言わせるつもりか」
有無を言わせぬの気迫に、岩野は恐ろしさのあまり何も言えなくなった。


「ご苦労だったな、君」
男達の頭領・片山は立ち上がると、組んでいた腕を解いた。
「裏切り者がいなくなった今、後はこの件を知っている君が消えればすべて終わる」
その手には拳銃が握られている。
「――やっぱりな」
ふん、と鼻で笑っては刀に手をかけた。
「そんなこったろうと思ったよ」
「あの男とやり合って無事なわけはないだろうに、そんな余裕があるのかね」
いつの間にか、岩野と田辺も刀を抜いている。姿は見えないが、どうやら他にも仲間がいるらしい事が気配でわかった。
「怪我してんなら、こっちに分があらあな」
じり、と岩野が間合いを詰めた。
「死ねえっ!」
飛び掛った岩野が感じたのは、刃が肉を斬る感触。しかしそれは、感じた瞬間に己の意識を奪って消えてしまった。


「確かに、一対多なら分があるだろうな」
倒れる岩野には目もくれず、は刀を構えた。その身にゆらりと剣気がたちのぼる。
「だけど覚えときな―――たとえひとりでも、手負いの狼は何をしでかすかわかりゃしないんだぜ」






 の宣言したとおり、一対多にもかかわらず勝機はにあった。多数いた男どもはあっという間に斬り伏せられ、とうとう片山だけになる。
「驚いたな・・・・・・まだ動けるとは」
片山は舌を巻く。銃口はに向けたまま動こうとしない。
「だてに警視官やってるわけじゃないんでね」
軽口を叩くが、実際のところは思った以上の失血に眩暈を起こしそうだった。我ながらよくもっていると思う。
(斎藤さん相手じゃあ無傷ってわけにもいかないのは承知してたけどさ)
散りそうになる意識を片山に集中させ、相手の出方を伺う。体力が消耗している今、こちらからの動きが読まれれば確実に危機に陥る。次の一撃が勝負だが、悔しい事に銃弾をかわすだけの余力があるかは自分でも疑問だ。腹立たしいのは、その状況を敵も理解しているという事だった。
「さあ、そろそろ君も楽にしてやるとしようか―――」
片山は薄く笑うと、引鉄にかけた指に力を入れた。




「楽になるのは貴様の方だ」


 銃声の代わりに聞こえたのは、冷めた男の低い声。片山は自分の胸から刃が突き出されるのが視界に入った瞬間、絶命した。


「え・・・・・・?」
突然の男の登場に状況がつかめず、は刀を構えたままで動けなかった。片山の身体が倒れるのと同時に、いつにも増して不機嫌そうな斎藤の姿が現れる。
「阿呆が」
ああやっぱりそうきたか、と頭の片隅で思う。その言葉を聞いて気が抜けたのか、は構えた刀を取り落とした。
「何で、ここに――」
ぐらりと視界が歪む。
 暗闇に沈む直前映ったのは、己に差し伸べられた男の手だった。












「・・・・・・で」
自宅の床で療養しているの枕元で、見舞いと称してやって来た斎藤は煙草に火をつけた。
「いつから気付いていたんです」
「最初からだ」
「え」
己の問いに即答される。驚きすぎたはぽかんと口を開けたまま斎藤を凝視した。その目が何故、と言葉より雄弁に語る。
「語るに落ちるとはよく言ったもんだ。あの連中が俺の今の名を知っているわけがないんだからな」
しくじった―――斎藤に負けぬほど不機嫌そうな顔で、は彼を睨んだ。
「ただ―――まさかお前があんな行動に出るとは思っていなかったが」




 わざわざ罠にかかった振りをして、ごろつき連中の相手をしてやった。首領格のひとりを捕まえ締め上げると、いとも簡単に黒幕とそのアジトを吐いたのだと言う。
「お前が動くのは予想済みだったからな。いったん戻って捕まえておこうと思ったが・・・・・・」
は目を逸らす。




「いつから接触していた」
斎藤の口調が尋問のそれに変わった。
「・・・・・・封筒を渡す2週間前です」


 大警視・川路の命を受け、かつて共に過ごした人間のもとへ赴いた。相手はが自分と同じ元新撰組隊士である事に気付いていなかった為、も何も言わず、『暗殺を副業にしている剣客警官』として仲間に加わった。
 斎藤を仕留めたと思わせる為に、斎藤から拝借した官服を切り裂き、己の血で汚した。どうせ三下連中にこの血が誰のものかなどわかりはしないとふんだからだ。傷の割に出血が酷かったのは想定外だったが。
 本当は命を受けた時点で斎藤にも報告するつもりだった。しかしそれを止めたのは川路だ。
「斎藤に直接伝えればかえって相手を煽る可能性が大きい。仇討禁止の今でさえこうして復讐の機会を狙っているような奴なのだからな」
そう言われれば相談の仕様もない。故に黙っていたとは白状したのだった。




「・・・・・・今、絶対私の事阿呆だと思っているでしょう」
「お前を阿呆呼ばわりすると阿呆に可哀想だという気がしてきた」
「・・・・・・」
もう反論する気も起きず、は布団を被った。


「黒幕の方だが」
斎藤の声は続く。
「俺の名前で奴の勤務先に手紙を送りつけてやった」
布団に包まった体がぴく、と動いた。
「今後同じ事をする様なら、貴様の昔の傷と今回の仇討の件を洗いざらいぶちまけてやる、とな」
その声音から想像するに、今の斎藤はさも楽しげに笑っているのだろう。布団の中では内心黒幕の人間が哀れに思えてきた。不死身の狼を敵に回して心身ともに無事で済むわけがないのだ。きっと近いうちに彼はお役所勤めを断念するに違いない。
「それにしても」
言葉と同時に不意に布団が剥がされて、は一瞬驚きのあまり思考が止まった。
「この俺を落とすとは、随分な行動に出たもんだな」
横になっているところへ更に威圧感満載の視線が降り、はいたたまれなくなる。
「そそそりゃ、暗殺の名目があったからで・・・・・・まさかあそこにいきなり裏切りましたって斎藤さん連れてくわけにいかないでしょう」
個人は一切悪い事はしていないと思っている。今回の件を斎藤に伝えなかったのもあくまで川路の命令であって、おまけに黒幕が新撰組時代の因縁の相手とあれば尚の事。
「だいいち百歩譲って報告したところで、斎藤さん絶対に自分で徹底的に痛めつけに行くに決まってるし」
「俺を何だと思ってるんだ、貴様」
睨みつける視線に怯みそうになりながら、は必死でそれに、と言葉を続ける。
「そんな奴だったら、あの時とおんなじ手口でやり込めた方が向こうも立ち直れなくなるじゃないですか!」
斎藤の視線が、威圧から驚きに変わった。




「ッ、くく」
暫く動かなかった斎藤だが、珍しく肩を震わせて笑い出した。
「お前もなかなか底意地の悪い」
は些かムッとした。この男にその言葉を言われるのは何となく胸糞悪い。
「師匠譲りですよ・・・・・・もっとも、私程度の底意地の悪さじゃ到底師匠にはかないませんがね」
つと斎藤の手がに伸びた。その手をがっちり掴んで身を守る。
「どうしてあえて怪我してる場所に手を伸ばすんです」
「包帯でも替えてやろうと思ってな」
「図星を指されて腹立たしいからって言いがかりをつけてやり込めようとするのはよして頂けませんか!」
怪我人とは思えぬ力で斎藤の手から傷を守ろうと必死の。斎藤の力も緩まない。
「それと一応、私は女子なんですが!」
「自分で一応と言うあたり、自信はないんだな」
「勝ち誇って揚げ足取らないでください!!」
自分の上げた大声が仇となった。思い切り腹筋を使った為、びりっと激痛が走り力が緩む。力比べに勝った斎藤の手の先には――――



 ・・・・・・哀れ、声にならない悲鳴がの自宅に響いた。






「だからお前は阿呆なんだ」
結局斎藤に包帯を替えてもらった――途中、薬を傷口にそれはもう強く執拗に塗り込まれたのだが――は様々な意味で疲労困憊して床についていた。半ば自業自得なだけに尚更何も言えない。
「ま、おかげでこっちは退屈しないがな。お前はやっぱりからかい甲斐がある」
唇の端を上げて、斎藤は不敵に笑う。その表情には確信した。
(・・・・・・あの時落とした事、確実に根に持ってる・・・・・・!!)
「ホント、最悪・・・・・・」
小さく毒づいたは、無駄な疲労も相俟ってか、ここにきてゆるゆると訪れた眠気に身を任せていった。









「―――動けないのをいい事に好き放題犯さないだけ有難いと思えよ」
銜え煙草の上司がさらりと吐いた物騒な台詞は、部下の耳に届いたかはわからなかった。
<いつき様より>
 陰謀詭計(いんぼうきけい)=密かな企みと人を欺く計略策謀。
 鵐目(しとどめ)=槍でいうところの石突にあたる部分、といったらわかりやすいかな?

<朔より>
 いつき様より頂きました。ありがとうございます!
 こういう雰囲気の話、書きたいけど自分では書けん……。格好良い系の主人公さんって、いいですよね。最後の斎藤とのやりとりは一寸可愛いし。
 しかし斎藤、最後の台詞は一寸……(苦笑)。
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