死ねば伝説、狂えばカリスマ、生き残ったらただのオッサン
西南戦争で西郷と共に戦死した桐野利秋の愛人が、人気芸者になっているという記事が新聞に載っていた。どんな女か知らないけれど、桐野の愛人だったというだけでも話題性十分だろう。女が芸者になるまでには色々な経緯があるだろうが、はどういう事情があったのだろう。あの敗戦の後、口減らしで売られたのだろうか。戦後、会津は苦しい生活を強いられていたから、武士の娘であっても身売りは行われていた。は美人絵葉書に取り上げられるような芸者になれたけれど、二人の姉はどうなったのだろう。
あの美人姉妹がどうしているのか気になるところであるが、には訊きづらい。昔のことは思い出したくもないだろう。
「有名人の愛人だった女だと、それだけで人気が出るのよねぇ。斎藤さんも、有名人の愛人って見てみたい?」
新聞記事を読みながら、は面白くなさそうに訊ねる。
「俺はそんなことより、お前が何しに来たのか知りたい」
斎藤もまた、面白くなさそうに言う。
せっかくの休みだというのに、は朝から斎藤の家に上がり込んでいるのだ。一応抵抗はしたのだが、いつもの強引さで押し切られてしまった。本当に象のような女である。
は涼しい顔で、
「休みの日に恋人の家で過ごすのに、理由なんて必要?」
「手も握ってないのに、何を言ってるんだ」
いつの間にやら、は斎藤の恋人になっていたらしい。斎藤は初めて知った。
「手を握りたいなら、いつでも言ってくれたらいいのに」
「そういうことじゃない」
まるで斎藤がの手を握りたがっているような言い草であるが、別にそういうわけではない。恋人らしい実績も無いのに、斎藤にも周囲にも恋人面で振舞っているのがおかしいと言いたいのだ。
は一寸考えて、
「あ、私の方から言って欲しかったのね。斎藤さんって、意外と面倒くさい人なのねぇ」
からかうように笑うの顔を見たら、斎藤は反論する気も失せてしまった。何を言ってもの中では、斎藤が彼女のことを好きなのは揺るがないらしい。
女と手を繋いで歩くなんて、浮かれた若造ならともかく、斎藤のようないい歳をした男がやったら、ただの痛い男だ。美人を連れているだけに、それこそいい歳をして浮かれていると思われるだろう。
「あー、でも有名人の愛人ってだけで客が呼べるなら、私も“斎藤一の恋人”って売り出そうかしら」
は名案と思っているようだが、冗談半分にしても、とんでもないことを言う。そもそも斎藤とはそんな関係ではないし、仮にそんな関係だったとしても自分の名前を客寄せなんかに使われたらたまらない。そもそも、斎藤の名前で客を呼べるのかも疑問だ。
「どうせなら“土方歳三の恋人”ってことにしておけ。同じ新選組だし、錦絵の人気者だぞ」
「嘘はよくないわ」
真っ当なことを言っているのだが、これほど理不尽な発言もない。“斎藤一の恋人”だって嘘ではないか。少なくとも斎藤は認めていない。
「俺の名前では客は呼べんだろう」
「斎藤さんだって錦絵になってる有名人じゃない」
「ああいうのは死んで美化された男の愛人だからいいんだ。桐野だって生き残ってたら、ただのオッサンだ」
「斎藤さんはただのオッサンなんかじゃないわ。西南戦争でも活躍したんでしょ? 凄いオッサンよ」
は何が何でも斎藤の恋人を名乗りたいらしい。それにしても斎藤が“オッサン”であることを全く否定しないのは如何なものか。確かに斎藤は若くはないけれど、形だけでも否定しておくのが礼儀というものだろう。
しかし、西南戦争のことをが知っているとは思わなかった。砲台を奪取したことは新聞にも載ったけれど、あの時は“藤田五郎”の名前だった。当時のが知るはずがない。
「お前、何で知ってるんだ? 名前が違ってるのに」
「箪笥に敷いてた古新聞で見たの。あんな記事を見付けるなんて、運命感じちゃう」
はうっとりしているけれど、斎藤はげんなりだ。何が“運命感じちゃう”だ。斎藤はそんなものは信用していない。
それにしても、そんな記事を見付けてくるとは、は斎藤の過去を全て調べ上げてしまいそうな勢いだ。ただの芸者にしておくには惜しいくらいの人材である。
「斎藤さんって、凄い人よねぇ。惚れ直しちゃう」
の頭の中での斎藤は、どんなことになっているのか。一度の目線で見てみたいと斎藤は思う。
美人にこんなに惚れ込まれるなんて、斎藤の人生で後にも先にも無いだろう。人生最大のモテ期なのかもしれないけれど、何故か心は弾まない。
「何だか、お前の頭の中の俺と実際の俺は、随分と違うような気がする」
に好かれていてもあまり嬉しいと感じないのは、彼女の破天荒な性格もさることながら、彼女の中の斎藤が限りなく美化されているせいだ。は今の斎藤が好きなわけではない。
新選組時代にしろ、西南戦争の頃にしろ、有事の時には見せ場もあるだろうが、平時ではただの警官である。普通に巡回して、書類を片付ける毎日では、が望むようなことは滅多に起きない。起きたとしても、表に出せるような事件ではないから、の活躍をが知ることは絶対に無い。これではも早々に飽きてしまうだろう。
が、はきょとんとして、
「斎藤さんは斎藤さんよ。違うことなんてないわ」
「俺はもう従軍なんかしない、ただの警官だ。お前が期待する格好良いところなんか見せられん」
「じゃあ、ずっと一緒にいられるってことね」
がっかりするかと思いきや、はとても嬉しそうだ。続けて、
「戦争で活躍する斎藤さんも素敵だけど、危ない目に遭うのは一寸ね。いきなりいなくなられても困るし」
「………………」
従軍はしないけれど、本来の仕事が入れば、何も言わずにの前から消えることはある。しかも、そのことをに伝えることはできない。
斎藤が急に消えたら、はどうするだろうか。署に問い合わせくらいはするかもしれないが、当然教えはしないだろうし、そうなったら斎藤のことなどあっさり忘れてしまうかもしれない。美人絵葉書になるほどの女なのだから、今だって言い寄る男はいるはずなのだ。そういう男なら斎藤と違って追いかける立場になるだろうから、も満足だろう。
が他の男に目を向けてくれるなら願ったり叶ったりなのだが、その時のことを想像すると何となく面白くない。見た目だけなら好みの美人だから、少し惜しいと思ってしまうのかもしれない。
「まあ、急な出張はあるけどな」
何となく予防線を張ってしまった。いきなり斎藤がいなくなっても、ただの出張だと思えばも署に来ることは無く、大人しく待っているだろう。
否、別に待っていなくてもいいのだが。待つ待たないはの自由である。待つことを強制できるほどの仲ではないのだ。
「お巡りさんは大変な仕事だものね。私、男の人の仕事には理解がある方なのよ」
「理解があるなら職場に来るな」
思わず斎藤は突っ込んだ。仕事を理解してくれる前に、には斎藤の職場での立場を理解してもらいたい。
けれど、斎藤の心からの願いは軽く聞き流されてしまったようだ。は話を最初に戻す。
「この人たち、お座敷に上がったら桐野さんのことばかり訊かれるのよねぇ………。死んだ男の話をさせられるなんて、私だったら嫌だわ」
「一生“桐野の愛人”っていうのが付いて回るからなあ。次の男が寄り付かんだろう」
今は客寄せになって良いかもしれないが、これから何年も経って新しい男を探そうと思っても、桐野の名前に大抵の男は引くだろう。死んで美化された男の後釜に志願するなんて、余程の自信がなければ難しい。
それに女だって、死んだ男のことなんかさっさと忘れたいに決まっている。“桐野の愛人”という看板で一生食っていけるわけでもなし、新しい人生の模索は女たちには大問題だ。
「私だったら、斎藤さんとの思い出を商売道具にしたくないなあ」
「お前、さっき俺の名前を使おうとか言ってたじゃないか」
ついさっきの自分の発言を綺麗さっぱり忘れてしまうなんて、左之助以上の鳥頭だ。こんな鳥頭だから話が通じないのかと、斎藤は納得した。
それはそれ、と流すかと思いきや、は真面目な顔で、
「斎藤さんは生きてるから、これからいくらでも新しい思い出を作れるもの。もう作れない人とは違うわ」
「そういうものかねぇ………」
斎藤には違いが分からない。なりの理屈があるのだろうが、聞いても理解する自信が無いから黙っておく。
は続けて、
「それに、大切な人を戦争に送り出すなんて、もうしたくないもの。斎藤さんが軍人なんかじゃなくて、本当によかった」
「………………」
の嬉しそうな顔を見ていたら、斎藤は何となく後ろめたい気分になった。軍人ではないけれど、生きて戻れるか分からない任務に就くというのは、斎藤の仕事も同じなのだ。
幕末の戦争の頃は、はまだ子供だったはずだが、それでもやはり忘れられない記憶なのだろう。明治の世になってまでそんな思いをさせることになるかもしれないと考えると、やはりには深入りできない。
「ねぇ、不忍池に蓮を植えたんですって。花が咲いたら見に行きましょうよ」
斎藤の気も知らず、は新聞記事を見ながら楽しそうに言った。
いつの間にやら、休日に斎藤の家に上がりこんでますよ、この主人公さん。新聞なんて読んだりして寛いで、ここはお前の家じゃねぇって(笑)。玄関先で斎藤とどんな息詰まる攻防戦があったのか気になるところ。
今回のタイトルは、大槻ケンヂ氏のお言葉。確かにそういうものなのことなのかもしれません。