猫と女は呼ばない時にやって来る

 署の若い者の間では、美人絵葉書は人気があるらしい。独身者が多い上に、女との出会いの無い仕事なのだから、美人の写真が慰めなのだろう。
 現実には手の届かない女だが、写真の中では自分だけに微笑みかけてくれるし、妄想の中でなら恋人のように振舞ってくれる。好みの美人に理想の女を重ね合わせれば、“理想の恋人”の完成だ。美人絵葉書というのは、独り者の男には都合のいい商品である。
 そんな妄想の中でしか触れることのできない美女と現実に付き合っている男が身近にいるとなれば、注目の的になるのは当然の流れだ。警邏中にに偶然会って以来、用も無いのに斎藤を見に来る輩が増えた。きっと、斎藤と一緒にいた同僚が言いふらしたのだろう。
 斎藤を見に来るだけなら、鬱陶しいけれど、まあ許そう。写真絵葉書になるような美人と付き合っている男がどんなものか見たいという気持ちは、斎藤だって理解できる。
 気に入らないのは、斎藤を見に来た連中が、理不尽なものを見たような顔をすることだ。そうでない者もいるが、そういう者は希望を持ったような顔をして帰っていって、一体斎藤を何だと思っているのか。
 いくら女に縁の無い生活とはいえ、美人に関わるものと聞けば、犬のように何にでも食らい付くのが情けない。そんなに暇なのかと問い詰めたくなるほどだ。警察署が暇なのは結構なことではあるのだが。
「あれ? 警部補、まだお仕事ですか?」
 いつものように残業をしていると、同僚が部屋を覗きに来た。斎藤が定時に帰ることの方が稀だというのに、意外そうに言われるのは心外だ。
「悪いか」
「だって、外で例の美人が待ってますよ。約束してたんじゃないんですか?」
「は?」
 此処には来るなと言っていたのに、はまた空気を読まずにやって来たらしい。そもそも、別に約束などしていない。
「美人を待たせるなんて、いい身分ですねぇ。あんまり待たせちゃ、可哀想ですよ」
 可哀想と言いながら、同僚は愉快そうににやにやしている。きっと、この後のことで勝手な想像を膨らませているのだろう。
 が終業時間に正門のところで待っているとなったら、他の職員たちにも見られていることは予想できる。一応有名人なのだから自重すればいいのに、どうしてこう目立つ行動を選ぶのか。写真絵葉書になるくらいだから目立ちたがりなのだろうが、そういうことは斎藤とは関わりの無いところでやってもらいたい。
 やり場の無い怒りに悶々としていると、若い警官がやって来た。
「警部補、お客さんですよ」
「知ってる」
 苦虫を噛み潰したような顔で斎藤は応える。
「随分待ってるみたいでしたよ。早く行ってあげないと」
「約束はしてないんだ。待たせておけ」
「酷いなあ。あんな美人が待っててくれるのに―――――」
「藤田警部補〜」
 また若い警官がやって来た。今日はやたらと人が来る日だ。
「何だ?」
「正門のところで例の美人が―――――」
「またか」
 立て続けに三人も呼びに来るなんて、斎藤も人気者になったものである。これが美人の威力か。
 このまま放っておいたら、次々職員がやって来そうだ。斎藤は諦めて外に出ることにした。





 正門に出ると、が職員に囲まれていた。こういうことには慣れているのか、愛想よく適当にあしらっているようだ。
 人が一番出て行くこの時間にこんなのところに立っていたら、こうなることくらいも予想できているはずだ。一体何を考えているのかと、斎藤は舌打ちした。
「何をやってるんだ、散れ」
 大きな声ではないが、に集っている職員たちを一斉に振り返らせるには十分な迫力だったようだ。
「藤田さん!」
 男たちを掻き分け、が喜色満面の笑顔で駆け寄ってきた。
「お仕事お疲れ様。あんまり遅いから待ちくたびれちゃったわ」
「何で此処にいるんだ」
 むっつりとして斎藤は訊ねる。
 まるで斎藤が大遅刻をしたような言い草だが、とは何の約束もしていないのだ。斎藤は何も悪くない。
 は笑顔を崩さず、
「今日はお休みだったから、夕飯を一緒にしようと思って。せっかくだから牛鍋でもどう?」
 美人絵葉書の女と牛鍋なんて、普通に考えれば羨ましいことなのだろう。周りの目を見れば判る。斎藤だって事情を知らなければ羨んでいたと思う。けれど、の本当の姿を知ってしまった今となっては、無邪気に羨んでいる周囲にも腹が立つ。
 しかしこの状況で断っては、斎藤は確実に悪役だ。美人というのは、それだけで正義なのである。
「だからって、わざわざ此処に来なくてもいいだろう」
 約束もしていないのに来られるのも困るが、此処に来られるのが何よりも困る。
「家に行ってもよかったんだけど、食べて帰ってたら困るし」
「家にも行ってるんですか?」
 の言葉に、職員が食いついた。はどうしてこう、言ってもらいたくないことに照準を合わせたような発言をするのか。
 このまま此処に置いておいたら、もっと要らぬことを言い出しそうだ。斎藤はの手を引いた。
「行くぞ」
 牛鍋屋に行くかは別として、このまま職員に囲まれて立ち話というわけにはいかない。がまた余計なことを口走る前に、斎藤はこの場を離れた。





「この辺りに評判の牛鍋屋があるって聞いたの。牛鍋って一人では行きにくいし、せっかくなら斎藤さんとと思って」
 が牛鍋に誘った理由は解ったが、何も警察署の正門前で待たなくてもいいではないか。まるで、の存在を署内に宣伝しているようなものである。
 女がいる職場であれば、自分の存在を主張しようと考えるのも理解できるが(それにしてもは斎藤の恋人でも何でもないのだが)、残念ながら斎藤の職場はそんな華やいだところではない。それなのにあんな目立つところに立って、は一体何を考えているのか。まあ、何も考えてはいないのだろう。
「警察署には来るなと言っただろう」
 あんな騒ぎになったら、明日はの話題でもちきりだ。そのことを考えると頭が痛い。
 はそんな斎藤の様子など気にならないように笑顔で、
「だって、斎藤さんに会うには、それが一番手っ取り早いでしょ。すぐに出てきてくれたし」
「だからって―――――」
「まあいいじゃない。『赤べこ』って店なんだけど、値段も手頃で本格的な牛鍋を出すんですって」
「その店は………」
 斎藤は渋い顔をする。
 『赤べこ』といえば、緋村抜刀斎こと緋村剣心とその仲間たちが常連の店だ。一人の時にでも会いたくない面子なのに、と一緒の時に会ったりなんかしたら最悪だ。
「別の店にしよう。あの店はよくない」
「あら、行った人の話では、感じのいい店らしいけど。行ってみたいわ」
 斎藤の事情を知らないは、行く気満々だ。牛鍋は、人気芸者のにとっても御馳走なのだろう。
「しかし―――――」
「いいじゃない。どうせ掛け蕎麦ばっかりなんでしょ? たまにはお肉も食べなきゃ」
 の口調は柔らかいが、頑として譲らない。
 そうこうしているうちに、『赤べこ』に着いてしまった。此処まで来たら、剣心たちが来ていないことを祈るしかない。
 が店の戸を開けると同時に、斎藤は素早く店内を見回す。見える範囲では、剣心たちはいないようだ。とりあえず、ほっとした。
「奥の席へどうぞ〜」
 店員に促されて、斎藤とは店の奥に進む。奥の席なら、人目にもつきにくくて都合がいい。
 ところが―――――
「斎藤ではござらぬか」
 聞き覚えのある、非常に聞きたくない声が聞こえてきた。
「やっぱりいたか………」
 声の主を見て、斎藤は心底うんざりした声を出した。
 入り口からは見えづらい奥まった席に、剣心とその連れがいたのだ。こんなことなら、入り口に近い席の方がはるかにマシだった。
「あら、お知り合い?」
 黙っていればいいのに、が斎藤に訊ねる。
「お前、一緒に牛鍋を食う相手なんかいたのかよ」
 冷やかすように言う左之助の顔が、を見た途端固まった。
 左之助のような男は、のような美人には縁が無いだろう。美人画の美人を眺めるのがせいぜいの男には、生の美人は刺激的だったか。
 こいつらを見た時は最悪だと思っていたが、左之助の間抜け面を見たら愉快な気分になった。美人を連れている利点は、こういう輩に精神的な打撃を与えてやれることだ。
「あれだ、アレ! 金払って一緒に来てもらったんだろ!」
 何を言い出すかと思えば、左之助らしい貧困な発想である。よほど斎藤が美人を連れているのを認められないのだろう。この台詞も、斎藤に言っているというより、自分を納得させるために言っているようだ。
「お前ならそうかもしれんが―――――」
「あら、私、斎藤さんにお金なんか払ってないわよ」
 斎藤が言い返す前に、がきょとんとして言った。
 頓珍漢なことを言っているくせに、とんでもない攻撃力だ。左之助はもちろん撃沈だが、斎藤も撃沈である。
 にはそのつもりは無いのだろうが、どうしてこう何かする度に斎藤に打撃を与えるのか。これが美人と付き合うということなのか。それならば、斎藤は美人と付き合う器ではない。
「あそこの席が空いてるわ。あそこにしましょう」
 斎藤の気も知らず、は剣心たちの隣の席を指して能天気に言った。
<あとがき>
 次回に続く。
 斎藤、主人公さんが絡んでくると災難に見舞われてばかりです。美人を連れまわせる代償……にしては高いな(笑)。美人の疫病神って、男性視点からするとどうなんでしょう?
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