積極的に遠慮する。

 横浜で立食形式の大夜会が開かれることになったと、新聞に載っていた。これも欧化政策の一環らしい。
 立食形式ということは、要するに立ち食いのことなのだろう。立ち食いの宴会なんて、西洋人は妙なことをやるものだ。蕎麦や寿司の立ち食いなら分かるが、ナイフとフォークなるものを使うという西洋料理でどうやって立ち食いをするのか。両手がふさがって、皿を持てないではないか。駅弁売りのように首から台を提げて廻るのだろうか。斎藤には想像もつかない。
 まあ、出席できるのは政府要人夫妻ということだから、斎藤があれこれ心配することではない。と思っていたのだが―――――
「今度行われる横浜大夜会だが、会場内の警備の要請が来た」
「そうですか」
 実に面倒臭そうに言う川路に、斎藤は気のない返事をする。
 鹿鳴館の夜会の時もそうだったが、西洋風の催しが行われる場所には、壮士とかいう連中が現れて暴れるというのが恒例だ。おかげで警察は周辺の警備に駆り出されて、斎藤たちも迷惑している。
 急速に世の中が変わる時は、その流れについていけない者たちの不満が高まって暴れるのは世の常である。壮士連中も国粋主義を謳っているが、要するに時代の流れに置いて行かれることが一番の不満なのだろう。
「しかも警官の制服では会場の雰囲気を壊すから、客人と同じ正装にしろときた」
 川路が面倒臭がっている理由はこれらしい。
 客人と同じ正装となったら、燕尾服である。もちろん安いものではない。限られた予算でそれを調達することを考えると、川路も頭が痛いだろう。
「そりゃ大変ですな」
 川路の頭が痛かろうが、斎藤には関係の無いことだ。適当に聞き流しておく。
 が、ここで風向きが変わった。
「まあ、衣装は借り物で何とかなりそうなんだが、服の寸法に合う人間の調達がな。とりあえずお前は確定として―――――」
「は?」
 思わぬ展開に、斎藤の顔が引き攣った。
 大夜会の警備を担当するなんて、初耳である。しかも川路の口ぶりでは、断るという選択肢は無いようだ。
 斎藤も燕尾服がどんなものくらいかは知っている。あんな浮かれた格好をするなんて、想像しただけでぞっとする。ああいう格好は、蒼紫の専門だろう。あの男はいつも奇天烈な格好をしているではないか。
「俺はああいうのは似合わん。もっと似合いそうな奴を―――――」
「似合う似合わんの問題じゃなく、寸法の問題だ。本当は育ちも見栄えも良いのを選びたかったんだが………」
 最後の一言は余計である。正直であれば良いというものではない。
 むっとしている斎藤に気付かないのか、川路は続けて、
「それにお前、美人の知り合いがいるらしいじゃないか。ちょうどいいから、それを連れていけ」
 川路までのことを知っているというのは驚きだ。一体どこまで噂が広がっているのか。警察は暇人ばかりだ。
「警備に女はいらんだろう」
「女連れでなくては会場に入れん。西洋人というのは、宴会には女を同伴させるんだ」
「そんなものを真似してどうする」
 宴席に見知った女を同伴するなんて、宴会の楽しさも半減ではないか。ああいう席は芸者や遊女を侍らせて楽しむものである。
 ひょっとして西洋では、それぞれが連れてきた女に芸者の真似事をさせるのだろうか。だとしたら、ふしだらな風習である。
「まあ、そう言うな。珍しいものも食えるし、女が喜ぶぞ」
 川路が軽口を叩いても、斎藤はむっつりとしたままだ。その顔を見て、川路は何かに気付いたような顔をして、みるみる気の毒なものを見るような目になる。
「………ひょっとして、美人の知り合いというのは、やっぱりただの噂だったのか? いや、話を聞いた時におかしいと思ってはいたんだが―――――」
「おかしいとは何だ。俺に美人の知り合いがいて悪いか」
 のことを知られるのは嫌だが、ありえない話のように言われるのも腹が立つ。斎藤だって新選組の頃はそれなりにモテていたのだ。
「いや、悪くはないが―――――逆に安心した。このままお前が独り身を拗らせたらどうしようかと思っていたからな」
「………………」
 川路は斎藤を何だと思っているのか。そもそも独り身を拗らせるとは何だ。あれは拗らせるものではあるまい。
 突っ込みたいことが多々ありすぎて、どこから突っ込むべきかと悩んでいる斎藤に、川路は上機嫌に命令した。
「じゃあ、会場内の警備は決定だ。噂の美人を楽しみにしてるぞ」





 立食形式の夜会なんて妙なものは断ると思っていたが、誘ってみるとは大喜びで受けた。
「そんなところに斎藤さんと行くなんて、夫婦みたいね。上司の方にも御挨拶しなきゃ」
「そんなものせんでいい」
 うきうきしているとは反対に、斎藤は苦虫を噛み潰したような顔で答える。
 何が夫婦だ。とそんなことになるようなことは、一切していない。
 が断ってくれたら、それを口実に警備から外れることができたものを、とんだ計算違いだ。おまけにこの調子では、女房面して会場入りしそうである。ただでさえ目立つ姿をしているのだから、それだけは避けたい。
「いいか、遊びに行くんじゃないんだ。女連れじゃないと中に入れないから―――――」
「はいはい。斎藤さんはお仕事ですもんね。私一人でも上手くやるわ」
 仕方なくを連れて行くのだと言いたかったのだが、おそらく全く伝わっていない。どうしてこうも伝わらないのか、斎藤は自分の日本語能力に自信を失ってしまいそうだ。
 美人同伴の夜会なんて小説のようであるが、現実はこんなものである。斎藤は諦めたように溜息をついた。





 の衣装をどうしたものかと思っていたが、自前のものを一着持っているらしい。夜会に同伴させる女がいない者は、芸者を代役に立てることが多いのだそうだ。西洋の風習というのは、こんな珍商売を生むものらしい。
「コルセットっていうのは、どうも動きにくいのよね。やっぱり日本人は帯だわ」
 そうぼやきながら、はギュッと絞られた腰に両手を当てる。
 コルセットというのが斎藤には分からないが、おそらく腰回りに付けるものなのだろう。それだけ腰を締め上げていれば、動きにくいのも当然だ。しかも裾は引きずるように長いし、歩くのも難儀そうである。
 動きにくいといえば、斎藤も似たようなものだ。洋装は制服で慣れているつもりだったのだが、制服とは何から何まで違う。後ろが長い上着の下にはベストを着て、首回りはネクタイで絞めつけられている。シャツは糊が利きすぎているのか、ごわごわして着心地は最悪だ。
「それにしても斎藤さん、洋装も似合うわあ。今までいろんな人の洋装を見てきたけど、一番似合ってるわよ。やっぱり背が高いからかしら」
 がうっとりした顔で褒めてくれるが、斎藤はそれどころではない。特に上半身が窮屈で、すぐにでも脱ぎ捨てたいところなのだ。
 襟の詰まった首の当たりを頻りに気にしながら、斎藤はの全身を見る。褒めてもらったのだから、こちらも一応褒め返さねばなるまいと思ったのだが、あいにく美味い返しが見つからない。女の洋装というのは全く分からないのだ。
 分からないといえば―――――
「その……襟が開きすぎてないか?」
 斎藤の服は首が詰まっているのに、の服は襟が大きく開いているのだ。これでは目のやり場に困ってしまう。
 しかしは平気なようで、
「夜のドレスはこんなものよ。昼に着るものは斎藤さんみたいに首まであるけど」
 昼は露出が少なく、夜は露出が多いとは、西洋の風習というのは奇妙なものである。しかもの口ぶりでは、昼と夜は着る物を変えなければならないらしい。面倒なことだ。
「ところで、会場まではどうやって行くの? 人力車?」
「馬車だ。何せ横浜までだからな」
 いつも通りの警備なら同僚たちと纏めて幌馬車に乗って行くところであるが、今回は二頭立ての馬車である。他の客と同じように会場に横付けするから、これくらいのものに乗らないと格好がつかないらしい。
「まあ! 斎藤さんと馬車に乗るなんて素敵ねぇ。夫婦みたい」
 仕事で夜会に行くことがあるのなら、四頭立ての豪華な馬車にも乗ったことがあるだろうに、はとても嬉しそうだ。
 それにしても、また「夫婦みたい」とは何なのか。二人で馬車に乗ったり夜会に行くくらいで「夫婦みたい」なら、仕事で夜会に行くは何人も夫がいることになってしまう。
「お前は亭主が何人もいるみたいだな」
 斎藤の言葉に、はきょとんとする。が、少し間があって、嬉しそうににやにや笑った。
「あら〜、妬いてるの?」
 どうしたらそうなるのか、毎度のことながらの謎思考にはついていけない。
「大丈夫よ。私、仕事と私生活はきっちり分けてるから」
 何が大丈夫なのか斎藤は知りたくもないが、は楽しそうにふふっと笑った。
<あとがき>
 思ったより長くなったので、次回に続く。
 欧米の真似をして夜会や舞踏会を開いてみたはいいものの、同伴する婦人がいないということで芸者を同伴するということは多かったようです。もしかしたら、そういう同伴用の女性のカタログとして、美人絵葉書は需要があったのかもしれません。
 美人絵葉書のモデルになるような美女を連れて行ったら、誰よりも目立ちそうだな、斎藤(笑)。
戻る